2022年06月19日

旧海軍艦艇の弾火薬庫事故関係史料


なかなか時間がとれませんので、本家サイトの今週の更新として、既にPDF化してあるものの中から、『史料展示室』コーナーにて 旧海軍の弾火薬についての専門家の一人であった故千藤千代造氏が編纂した 『日本海軍における軍艦火薬庫の爆発および火災事故に関する報告』 を公開 しました。

本文書は、昭和42年に海上自衛隊から 『旧海軍艦艇における弾薬爆発(火災)事故調査報告』 として部内に印刷・配布されたとされている ものですが、その詳細については不詳です。

IJN_Ammo_Accident_cover_s.jpg

    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/62_IJN_Ammo_Accident_S42.html
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html

旧海軍においては、明治38年に佐世保港内において戦艦 「三笠」 の爆沈事件が生起したほか、知られている限りでは諸外国海軍に比べても数多くの弾火薬庫事故が発生しており、本史料では有名な昭和18年の柱島泊地における戦艦 「陸奥」 の爆沈事件まで計8件が採り上げられております。

編纂者の千藤千代造氏は東京大学工学部火薬学科を卒業して海軍造兵中尉として旧海軍に入り、予備役の海軍技術少将として終戦を迎えられ、戦後は 「日本カーリット(株)」 の専務取締役まで務められましたが、本史料を纏められた後の昭和44年(1969年)4月に逝去されたとされています。

本史料は、何故かこれまで海上自衛隊からは一般には公開されてきておりませんが、旧海軍艦艇の弾火薬庫事故についての当該調査・査問委員会の報告書などに基づいたものであり、海自の現役・OBのみならず、この方面に関心のある一般の方々にとっても貴重なものですので、ここに私のサイトで公開する価値があるものと考えております。


お読みいただくとお判りいただけるでしょうが、これらの事件・事故としては当然ながら弾火薬そのものがその主たる原因と考えられてそれぞれの事案についての調査・査問が行われておりますが、最終的にはある意味不徹底で終わっており、かつ何れの場合についても人為的要因を無しとしないところに旧海軍のこの種事件・事故の特徴があることにお気づきになられると思います。

なお、私の手許にある本史料のコピーそのものも大変に古いものであり、これをスキャンしてディジタル化の上、整形・ゴミ取りをしておりますが、元々の原本及びそのコピーの質の悪さと、私の技量不足、時間的余裕の無さもあって、この程度が精一杯のものとご了承ください。

昨今のネット事情などから、史料の独り歩き防止もあって公開しますPDFファイルは印刷・加工不可の設定とし、かつ各ページの上下にロゴを入れておりますが、もし研究者の方々などで、印刷可能バージョンなどを必要とされる向きがございましたら、お知らせいただければご事情により考慮させていただきます。 もちろん、このままの形でしたら、再配布などはご自由にしていただいて結構です。

posted by 桜と錨 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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