2020年12月08日

回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (20)


伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)

再進撃

19年10月24日、シブヤン海で栗田艦隊が一時西方へ避退し、再度東方へ反転進撃したことについても戦後随分批判されているが、私など、もちろんそのいきさつは知らず、また最初の反転を退却と考えて疑問に思ったわけでもなく、再度反転した後、夕闇迫るシブヤン海へ、既に前甲板すれすれまで水につかった 「武蔵」 の何となく寂しい艦影を残し、心残りはしたが、感傷にひたってもおれず、我々はこれからだと自ら励ましつつサンベルナンジノ水道に向かった。

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( 前甲板を大きく沈めた姿の 「武蔵」 「磯風」 から撮影 )

なお、この水道は海上自衛隊の遠航部隊も何回か通ったようであるから馴染みの深い人も多いと思うが、あのような水道をあれだけの部隊が夜間よくも無事に通りぬけたものと戦後言われているけれども、後方続行の場合は 「ともせともせ」 を厳しく戒められ心してやってはいても、やはり精神的には気楽な立場にあるためか、私には余り苦労した印象は残っていない。

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( サン・ベルナルディノ海峡の位置関係 Google Earth より加工 )

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( サン・ベルナルディノ海峡付近 1954年版の米軍地図より加工 )


(参考) : 「ともせともせ」 と言いますのは、ご存知の小豆島の伝統行事 「虫送り」 における棚田での 「灯せ、灯せ」 の掛け声ですが、それが転じて、旧海軍では夜間単縦陣での航行においては、前続艦との距離 (通常500m) を保ちつつ、その艦尾灯又は航跡灯を追いかけていくことを意味します。

単縦陣 (一本棒) で直進している場合は基本的に艦尾灯 (航跡灯) を真艦首に維持しつつ対艦距離に注意を払っていれば良いのですが、変針する場合、特に無信号で次々と変針して行くような状況の時には、前続艦の航跡にしっかり乗っていくのは注意力と操艦技量が必要で、回頭する航跡の内側になったり、外側にはみ出したりしてしまい、更に後続艦がいる場合にはこれに迷惑をかけることになり一本棒の陣形が乱れます。

ただ、現在では 「虫送り」 のこと自体がほとんど知られなくなりましたので、海自でもこの 「ともせともせ」 のことを知っている者はほとんどいないと思います。



さて1時間前まではこの水道の出口に米戦艦部隊が待ち受けていたというのに、戦闘はお互い錯誤の連続とはよく言ったもので、米側は既にそこを引揚げており、そのあと我が隊は幸運にも夜半無事に通り抜けて一路レイテに向かって行った。


サマール島沖海戦

25日早朝猛烈なスコールが晴れ、視界はまだ余りよくはなかったが、東天紅に染まる中に敵機を発見、続いてその下方にマストらしきもの数本が見え、やがて敵空母が見えてきた。 その時の身の引締る思いと、よしやるぞとの意気込みはいわゆる武者震いとでも形容できようか。

ほどなく突撃針路の指示もあり、各艦橋頭高く戦闘旗を掲げ獅子奮迅の突撃に移ったわけで、まずは戦艦の撃ち出す砲声が殷々として天にこだます中を、我が十戦隊も旗艦 「矢矧」 に続く十七駆逐隊の 「浦風」 「磯風」 「雪風」 (「浜風」 は前日 「武蔵」 の救助に派遣されたままで欠) 及び 「野分」 (四駆逐隊の1艦であり、他の3艦は前記のとおり西村部隊の方に分派されていた) の5隻が一本棒で敵空母を追撃して行ったが、当初十戦隊は最も敵に近く占位していたのに、燃料に対する配慮から後方続行の指示を受け全速力での突撃ができず、また天柘も彼にくみしたのか、しばしばスコールがやってきては見失いがちとなるのを悔しくてたまらなく思いながら、更に敵駆逐艦の展張する煙幕にも遮ぎられたりして、空母に対しては遂に遠距離魚雷戦を余儀なくされてしまった。


なお折々艦載機が突っ込んでくるので、艦長の指令に間髪を入れず操舵号令を下令して爆撃回避をやり、また艦の周囲に落下する敵砲弾の弾着を見ては、「艦長面舵をとります」 「取舵をとります」 と避弾運動をやりながら、その合間には一本棒の隊形から大きく外れないよう舵と赤黒の修正で一生懸命前続艦について行った。

全く息つく暇もないような一時であり、爆弾や砲弾に対する恐怖感は余り感ずる暇もなかったように思う。 したがって、戦場ではこのようにやるべきことが一杯ある方がよく、ひたすらこれに取組むのが、艦のためにはもちろん、自分のためにも一番よいようにあとで思った。

さて午前10時過ぎ集結が下令され、水上戦闘も一段落した後、敵機の空襲の合間をみて戦闘配食があったが、空腹と喉の渇きで、握り飯と1本のサイダーのおいしかったことも今もって忘れ得ない。


(参考) : 捷号作戦における水上戦については、昭和20年1月に横須賀海軍砲術学校が纏めた 『比島沖海戦並ニ其ノ前後ニ於ケル砲戦戦訓速報 其ノ一 (水上砲戦之部) 』 にサマール島沖海戦も含めたものが残されております。 ただし、同じものは防衛研究所にも収蔵されているようですが、現在のところアジ歴ではまだ公開されておりません。

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(続く)

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