伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)
谷井司令
リンガに帰投後直ちに谷井司令は、本艦が長期間ドックに入っていないことを心配され、入渠させてもらうよう掛け合ってくると言われて、十戦隊及び二艦隊司令部までお願いに行かれた。
その結果本艦はシンガポール (商港) のドックに入ることとなったので、当隊着任以来、本艦に乗艦しておられた司令は、「俺は 『浦』 に残る。 『磯』 が帰ったらまた帰ってくるから」 と言われ、隊付の庶務主任 (内田源吾 主計中尉) を連れて 「浦風」 に移乗された。
(補記) : 「磯風」 が入渠したのは、シンガポール島南西部の旧商港地区と推測されますが、具体的にどこのドックだったのかなどは不詳です。

( シンガポールの旧商港地区 Google Earth より加工 )
本艦はシンガポールに回航入渠したが、そのうち 「捷」 号作戦の行動が起こされることとなり、急遽リンガに帰ると、既に艦隊はブルネイに向け出撃準備中であり、爾後も司令は 「浦風」 のままで行動されることとなった。
「捷」 号作戦 ブルネイ出撃
10月20日ボルネオのブルネイに進出、そこで小艦は大艦から、大艦はタンカーから燃料の急速補給を受け、レイテに向け出撃することとなった。

( ブルネイ湾 (泊地) の位置 Google Earth より加工 )

( ブルネイ湾 (泊地) Google Earth より加工 )

( ブルネイに集結した艦隊 昭和19年10月21日 「磯風」 より撮影 )
指揮官参集による会議の模様などは巷間伝えられているとおりであるかと思うが、大局を知らない若年の私などは、やはりこれだけの大部隊ならと、大艦に対する期待もあって、空母もおらず直衛機もいないハンディがあるとはいえ、我が連合艦隊の最後が敵船団相手の殴り込みとはと何とも残念でならない気持であった。
しかし考えてみれば、我が艦もよくここまで生き残ったもので、その最後をこの主力部隊と運命をともにすることができれば、この上ない幸せと考えるべきであろう。 最後の御奉公に全力を尽くそうと自ら言い聞かせた。
さて、いよいよ栗田中将直率の第一遊撃部隊は10月22日午前、ブルネイを出撃していったが 「大和」 「武蔵」 「長門」 と続いて湾内を出て行く堂々たる雄姿はさすがに頼もしかった。

( 有名なブルネイ泊地を出撃する第一遊撃部隊の姿 昭和19年10月22日 「磯風」 より撮影 )
なおまた、午後の出撃を控えてまだ静かに待機中の第二戦隊 (「山城」 「扶桑」) を始め、我が十戦隊から分派の僚艦 I満潮」 「朝雲」 「山雲」 等西村部隊の各艦を眺め、あの艦にはクラスの彼がいるのだがなどとの思いを巡らせながら一足先に出て行った。
以下 「捷」 号作戦における経過の詳細も諸官御承知のとおりであろうから、ここでは私の心に残っている点のみ申し述べる。
(続く)
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