2020年12月03日

回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (16)


伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)

再びリンガ泊地に進出

昭和19年6月の 「あ」 号作戦終了後、艦隊は内地に在って再度出撃準備を整え、7月上旬、第二艦隊 《第一・三戦隊 (戦艦)、第四・五・七戦隊 (重巡)、第二水雷戦隊、第十戦隊 (駆逐艦)》 の大部は再びリンガ泊地に進出、今度は水上部隊のみによる戦闘訓練や爆撃回避運動の研究等に精進したわけで、第二艦隊参謀長小柳少将 (冨次 兵42期) の回顧録に戦前の技量にも決して劣らない域に達したと書かれてあるほど、油をふんだんに使っての猛訓練が行われた。


低速船団の護衛

このころボルネオ方面への船団護衛にも従事したが、しばしば真っ黒い煙を出し、まるで石炭船ではないかと思われるような6ノットの小型船の混じった船団を、海防艦とともにこれまたよくもここまできたと思える小さな駆特が一緒に護衛しているところへ、我が隊も加わったわけで、我が方は12ノット以下には落としたくないので、蛇行しながらかつ船団の周りを行ったりきたりして護衛していった。

(参考) : 今に残る記録では、昭和19年8月に第十七駆逐隊の 「磯風」 「浜風」 の2隻で、第一海上護衛隊の作戦指揮下に、往路は 「シミ08船団」 を護衛して10日シンガポール発、14日ボルネオのミリ着、復路はこれが 「ミシ06船団」 と名称が替わり16日ミリ発、19日シンガポール着で行動しています。

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( ミリの位置関係 Google Earth より加工 )

往路の 「シミ08船団」 は商船12隻を第七号海防艦と共に護衛、途中商船1隻が敵潜により被雷沈没、復路の 「ミシ06船団」 はこの1隻と生存者救助・敵潜制圧に当たっている海防艦を除き商船11隻を17駆隊2隻で護衛、往路、復路共に船団速力8.5ノットであったとされています。

上記の回想がこのことだとすると、駆潜特務艇などの事はこの時に同時運航された 「ミシ07船団」 などのことも含むものと思われます。

因みに、ボルネオのミリは元々は小さな漁村でしたが、20世紀に入って石油によって栄えたところで、現在では人口30万人を超え、ボルネオの観光都市の一つにもなっております。 ただし、現在でも外洋に面した港湾は無く、Sungai Baong 川の川岸に桟橋などが並んでいます。

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( 現在のミリ市街 Google Earth より加工 )


ジョホール水道

さてリンガ泊地において訓練中の各艦は、交代で整備・補給・休養のためシンガポールのセレター軍港に回航していたが、某日、本艦も予定の行動を終え、再びリンガ泊地に向けセレターを出港したところ、谷井司令は前夜のもて方が如何だったものか、「早くセレターとの腐れ縁を切ろう」 と言われながらも、いつもの柔和な笑みを浮かべて 「航海長、強速」 と言われた。

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( セレター軍港の位置関係 Google Earth より加工 )

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( 民間造船所となっている現在のセレター軍港跡 Google Earthより加工 )

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( 昭和17年 占領後の元英海軍セレター軍港の状況 )


(参考) : シンガポール占領後は、旧海軍はここシンガポールを一大前進基地とし、セレター軍港を艦船の造修施設として使用して海軍工廠に匹敵する第101工作部を置き、加えて施設部、軍需部などの後方部隊、第一南遣艦隊司令部などを置いた他、ドイツ人経営の一流ホテルだった Goodwood Park Hotel を水交社支部とするなどを始めとして休養・厚生面でも極めて充実しており、英国風の街並みと併せ、寄港する艦船乗員にとっても日本では味わえない南洋での充実した日々を送ることができました。

なお、旧海軍の基地としてのシンガポールの様子については、既に連載しました森栄氏の回想録 『聖市夜話』 中に詳しく紹介されておりますのでそちらをご参照ください。



( ただ、これを読むと、今も昔も後方部隊・機関の職員というのは ・・・・ と思わされますね。)


しばらくするとジョホール水道ではお決まりのスコールがやってきて対岸も見えなくなってきたので、私は思い切って司令にお願いし、原速に落として棒杭や竹竿の立っているのにヒヤヒヤさせられながら、しばらく時間変針で通って行った。

今考えるとこのような場合、もっと落としてしかるべきであったと思うが、あの程度でも、我れながらよく思い切って減速をお願いしたとは思っている。

「頭より先に船を進めるな」 と教えられていることを、このときまでに何回も失敗しそうになっては身につまされて感じさせられていたためであろう。

(続く)

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     http://navgunschl.sblo.jp/article/188170435.html
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     http://navgunschl.sblo.jp/article/188164920.html

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