2020年11月28日

回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (12)


伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)

待 機

タウイタウイで待機すること約1か月、ここはリンガ泊地と違い狭い環礁内で、搭乗員の発着艦訓練ができないのが非常な痛手であった由。

この間何回か旗艦 「大鳳」 の艦上で図上演習が行われたので、私も艦長のお伴で行っていたが、たまたま兵学校入校時同分隊の一号生徒 (68期) でパイロットとなっておられた山下(博)、嶋田 (雅美) 両大尉にお目にかかれたのは嬉しかった。

その時、「野分」 航海長の佐藤中尉 (同分隊四号・海自OB) (清夫) も一緒にいたので、「貴様たちがもうあの駆逐艦の航海長か」 と言われ、感心されたのか頼りなく思われたのか真意を測りかね、2人で見合って苦笑した。


(参考) : 佐藤清夫氏は著者伊藤茂氏と兵学校71期の同期で、この 「野分」 航海長としての回想を中心とした 『駆逐艦 「野分」 物語 − 若き航海長の太平洋海戦記』 を光人社から出版されております。 氏も戦後海上自衛隊に入られたようですが、残念ながら経歴などは不詳で、また在職中に書かれたものなどもあるのかどうか判りません。

Satou_book_cover_s.jpg


余談になるが、この山下大尉は兵学校生徒時代、柔道3段、銃剣術・相撲・体操体技ともに特級の猛者で、この人になぐられるのは最もこたえた。 (後、神風特攻隊にて戦死) (宇佐空 第十八幡護皇隊 沖縄沖 戦死後中佐)

また嶋田大尉は当時我々四号の指導には特に熱心で、何かにつけてまことに名調子のお達示をやっておられたが、そのたびに殴った数も一番多かった。 (後、戦死) (マリアナ沖 601空 戦死後少佐)

しかし殴られはしたがお二人とも心に温か味のある親しめる人々であった。

なおこのとき、各艦から集まってきたクラスの連中と一緒に、軍楽隊の演奏の聞こえる所で弁当を食べたのも懐しい。

5月30日、在泊各艦は 「大和」 「武蔵」 以下 「渾」 部隊の出撃を登舷礼式で見送り、いずれは同じ運命と思いながら、一足早く戦場に向かう諸艦の武運長久を祈った。

(続く)

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     http://navgunschl.sblo.jp/article/188152044.html
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この記事へのコメント
手元に佐藤氏編集の「遥かなる回帰の海」(兵七一期駆逐艦部会編、2004年、非売品)があり、氏もA5版32ページの手記を載せておられますが、近況として「私のライフワークである三十数年に及ぶ海戦史の研究執筆はこれをもって終わりとする」とあります。参考資料には同氏の「同期の桜海兵第七十一期」、「五百八十一名の全航跡」が挙げられていますが、いずれも同期の方とご遺族に配布されたものです。これ以外にも「駆逐艦野分鎮魂の譜」と「駆逐艦野分戦没者銘銘伝」をご遺族に贈られたようです。
2004年現在、横浜市金沢区にお嬢さんご夫妻と暮らしておられました。実家を探せばもう少し何かわかるかもしれません。ご参考までに。
Posted by 寺部眞人 at 2020年11月30日 19:24
寺部眞人さん

ご紹介ありがとうございます。 氏の著作のこれらは、要は言い方は悪いですが、同期や遺族などの関係者に対する思い出のためのものということですね。

この伊藤茂氏の回想録を始めとするこれまで当ブログでご紹介してきておりますような、海自の後輩達のために何か残そうとする意志のものではないということで。

そこが大きな違いでしょうね。

また、同じ戦史研究とは言っても、ここではまだご紹介していない故田中健一氏のもののような術科研究にも役立つ戦史分析のものではなく、いわゆる一般戦史の部類かと。

Posted by 桜と錨 at 2020年11月30日 21:26
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