2020年11月23日

回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (9)


伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)

触 雷

18年11月3日、陸軍部隊を満載した 「愛国丸」 船団を護衛して赤道直下を南下中 (丁四号輸送部隊第二輸送隊)、敵大型機の大編隊に見舞われたが、幸いにも大した被害はなく、翌日ニューアイランド島のカビエンに入港した。

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( カビエンの位置関係 Google Earth より加工 )

ところが湾口を入るや大音響とともに触雷し、出し得る最大速力18ノットとなって、戦闘に支障をきたすこととなり、そのまま内地回航のこととなった。


(参考) : 丁四号輸送作戦についてはこれを実施した第14戦隊司令部から出された 『丁四号輸送部隊任務報告』 が残されておりますので (アジ歴でもレファレンス・コード : C08030052500 で同じものが公開されています) これをご参照ください。 「磯風」 の行動及び触雷などを含む第2輸送隊については当該史料の18ページ目からです。

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(14戦隊の丁四号輸送部隊任務報告の表紙)


そこで出港にあたって、小艇が前路掃海をやってはくれたが、磁気機雷と聞いていたので必要最少限の者を艦内に残し、他は上甲板に上がってヒヤヒヤしなが出て行った。 しかし幸いなことに何もなくてすんだ。

なお途中は昼間チラチラ光る星 (金星) を敵機と見誤って配置につけたり、偽潜望鏡に惑わされたりしながらも、単艦のこととてやはり気楽な航海ではあった。

したがって、ついのんびりした気分になり、静かな大洋の日出・日没時の美しさもー人心に泌みたものであるが、それでも、もしこれが敵潜・敵機に対する警戒の全くいらない平和な時代であれば、もっとどんなにか素晴らしく、心からの感激が味わえるだろうにと思ったものである。

途中トラック島経由で呉に帰投、このときも修理は突貫工事で徹夜で行われたが、今度は候補生ではないので (18年6月1日少尉任官済)、上陸のときは水交社にも泊れ、また休暇も許可されて郷里にも帰り、大いに鋭気を養うことができた。


ブラウン、ルオット島への輸送


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( ブラウン及びルオット島の位置関係 Google Earth より加工 )

この頃になると、15年の艤装以来、したがってハワイ行動以来の乗員の中に、健康を害した者 (主として胸部疾患) も案外出てきたり、また普通科や高等科課程入校のための交代者もかなりあって、ここらで一同心気一新し、19年1月、呉を出港、いったん横須賀に入り、同地からは15ノットの 「浅香丸」 (運送船、連合艦隊付属) を護衛してブラウン島へ陸戦隊を輸送した (己一号輸送)。

なお、このブラウン島 (現在のエニウェトック環礁) は前年10月中・下旬、「武蔵」 を旗艦とする連合艦隊のマーシャル方面行動に随伴した際、入泊したところである。


(参考) : 運送船 「浅香丸」 を主体とする己一号輸送については、同船の戦時日誌 『軍艦浅香丸戦時日誌』 が残されております( アジ歴のレファレンス・コード : C08030639300 で同じものが公開されています。これの27コマ目からです ) のでご参照ください。

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( 浅香丸の戦時日誌 昭和19年1月分の表紙 )


次いで1月17日、駆逐艦のみで陸戦隊の一部を空襲下のルオット島 (ケゼリン環礁の北端の島) へ輸送したが、両島ともに、これから1か月前後たって米軍が来襲し玉砕したと聞いている。


(参考 ) : 「ブラウン島」 (エニウェトック環礁) 及び 「ルオット島」 については、本家サイトの 『旧海軍の基地と施設』 コーナーにおいて航空基地の一貫として次のところでご紹介しておりますので、そちらをご参照ください。

ブラウン島 :
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/134A-Eniwetok.html
ルオット島 :
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/A024-Kwajelein.html#Kwaje_03


ここからはまた何度目かのトラック島に進出して行った。 しかしこのトラック島も既に17〜18年のような平和な基地ではなくなっており、敵の空襲を予期して連合艦隊はパラオ島に移動、ほどなく2月半ばには敵機動部隊によるトラック島大空襲のため、残留艦船のほとんどが撃沈されている。

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( 昭和19年2月17日のトラック空襲 )

なお当時も既に護衛艦艇不足のため、当隊は一旦 「長門」 その他を護衛してパラオ島に移り、再びトラック島に引き返して 「愛宕」 等の重巡部隊を護衛し同島に移動した。


魚雷艦底通過


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( パラオ諸島におけるコッソール水道の位置 Google Earth より加工 )

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( コッソール水道 大型艦はここを錨地にしていたようです )

さてパラオ島に移ったものの、ここも安住の地ではなくなり、古賀長官の一行が飛行艇にて飛び立たれたあとの 「武蔵」 を先導して2月29日夕刻、パラオ島のコッソル水道 (Kossol Passage) を出港、左前方の警戒航行の配備位置につきつつあるとき、敵潜水艦の雷撃を受け、魚雷は本艦々底を通過してそのまま 「武蔵」 に当たった (米潜タニー USS Tany SS-282、6本発射し1本のみ命中)

同艦は左艦首水線付近にパッと白煙が立ちのぼったのみで他に異状は見えなかったが、予定を変更して駆逐艦に護衛され内地に回航、残余の部隊はダバオ経由、リンガ泊地に進出して行った。

「武蔵」 には申し訳なかったが、もし本艦に当たっていたらおそらく沈んでいたであろうと思われ内心ホッとした。

(続く)

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次 : 回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (10)
     http://navgunschl.sblo.jp/article/188146711.html
前 : 回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (8)
     http://navgunschl.sblo.jp/article/188131261.html

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