2020年11月21日

回想録 『一若年士官の戦時体験記』 (8)


伊藤 茂 (元海自海将補 ・ 兵71期)

級 友

ラバウル停泊中も機会をみては、級友と行ったりきたりするのが得がたい喜びであった。

某日、クラスの野元少尉 (祐一) がきてくれたが、舷門当番に不審尋問されたとかで、見ると艦内帽・防暑服・ズック靴等すべて新しい貸与品で、階級章はなく、新兵と同様な格好なのにびっくりし、聞いてみると、「俺は隊付なので艦がやられてもそのまま隊内の他の艦に移乗させられるため、既に2回泳ぎ、目下は 「天霧」 (特型) に乗っているのだ」 ということであった。

「何かいるものはないか」 と尋ねたところ、「別にないよ」 と悟ったように淡々として言っていた。 武運の強かった彼もその後潜水艦にいって遂に未帰還となった (伊361潜にて沖縄東方で護衛空母艦載機の攻撃を受け消息不明、戦没・戦死認定され少佐)

なお当時も南東方面部隊の艦は全くよく使われたようであった。 次々に沈没していく艦を見たり聞いたりしても、内心やはり沈むまで使われるのだな、という感じを持たされた。

しかしまた、折々心に生じる小さな不平不満を常に自戒しなから、若いなりにも毎日が真剣な生き方であったと思う。

もちろん、このころも自啓録には、滅私報国の決意のみ書き留められており、今振り返ってみても、それらの言葉にいささかも偽りや誇張があったとは思わない。


初級士官査閲

途中一度被弾箇所の小修理のためトラック島に帰投したら、折悪しく初級士官査閲に出くわした。

旗流信号C法 (現在の NAVCOMEX 303 と似たような方法のもの)、天気図作製、航泊日誌や戦時日誌の提出等今も昔も変わらぬ作業が課せられたわけであるが、大艦と違って駆逐艦では、C法にしても信号書をひくのは通信士1人であり、天気図作製も暗号電報で送ってくるデータの翻訳ぐらいは信号員が手伝ってくれたが、万事平素余りやっていない者が良い成績のとれる訳がなく、常時トラック島にいて訓練ばかりやっている大艦の連中には差をつけられたと思う。


勤務録

この時勤務録の提出は運よく免れた。 私は戦地に出てからは勤務録を余り書いていなかった。 いつ死ぬるかもしれないのにという気持もないではなかったが、どちらかというと点検のためという程度にしか考えておらず、本当の価値に対する理解が足らなかったので、つい多忙にかこつけて記註を怠っていた。

なお勤務録は兵学校卒業前、65期の優秀な若手教官の書かれたものが参考に回覧されたとき大したものだと感心したが、このように素晴らしいものではなくても、また提出するしないに拘らず、自分の関係した作業を反省し、経過・所見・対策等を記録しておくことは極めて有効と思うので、実行していない人がおられたらこの際お勧めしておきたい。

ちなみに米海軍の某駆逐艦長も、この記録の重要性について非常に強調して書いておられたことを付記しておく。
(続く)


(補記) : 管理人が見たことのある実際の 「勤務録」 は、戦後に数々の著作でも知られる高木惣吉海軍少将 (明治43年生 兵43期) の少尉 〜 中尉時代の大正6 〜 8年のものです。

当時のものは厚手のカバーに 「将校勤務録」 と金文字で印刷されて製本された大変に立派なものでした。 そして中は最初に数枚の印刷された目次というか見出しページがあり、あとは自由記載用の白紙が150枚 (300頁) 綴られています。


Takagi_note_01_s.jpg
( 高木惣吉氏の勤務録の目次ページ例 )

高木氏のものは大変に几帳面・丁寧に記載されており、乗組みあるいは見学した艦艇の要目や兵器の構造など、それに寄港地の概要や見聞した事項などが詳細に書かれておりました。

Takagi_note_02_s.jpg
( 高木惣吉氏の勤務録の自由記述ページの例

要は日付順に書き加えていくデータと所感などの備忘録の一種と言えますが、当然ながら秘密事項も多くなりますので、表紙には 「軍極秘」 扱いとしての注意事項が印刷されております。

艦船や兵器に関するデータなどは、今次大戦での敗戦を受けて、多くのものが焼却処分されてしまっており、僅かに残されているのは技術士官などの個人的なノート類、終戦直後に米軍などによって接収されたものがその後返却されて現在では防衛研究所に収蔵されもの、あるいは一般に 「福井史料」 などと言われるもののように終戦時の混乱に乗じて個人所有となったもの、などなどです。

これからすると、将校勤務録などには技術データなどの相当に貴重なものが書かれていたと考えられますが、残念なことに今に残るこれらのものは、“遺品” あるいは “個人情報” を理由にまず公開・公表されることはありません。


なお、戦後の海上自衛隊では、昭和50年代に入って印刷配布物が多くなったことと、秘密文書取り扱いの問題で、だんだんこの種のものを個人が自己のノートなどに書き写すことが無くなってきました。

その上に、数々の秘密漏洩事件が生起した影響などがあって、候補生学校や術科学校でも印刷物が配布されて個人所有となることは無くなりましたし、私物のパソコンに秘密に関することを残すこともできなくなりました。 要は、頭の中に入れ、必要があれば正式な文書を見て確認しろ、ということです。

また、記載事項が多くなってきますと項目別にしないと、日付け順でしか残せないものでは後で参照するのに不便です。


因みに私の場合は、昭和40年代の防大時代からB5判26孔のハードカバーのバインダーを利用して項目ごとに、昭和50年代以降はA4サイズのノートや用紙を利用し、これを角型2号の事務用封筒を使ったいわゆる “袋ファイル” 式にしました。

Mynote_01_s.jpg
( B5版26孔ノートの例 )

これらが溜まり溜まって書籍類以外に5段書架数個分になりましたが、そうおいそれと捨ててしまうわけにはいきませんので、定年退職を機にディジタル化を進め、終わったものは処分してきておりますが、まだまだ大量に残っています。 特に古い鉛筆書きのものや青焼きと言われる昔の湿式感光紙のものは1枚1枚濃淡を確認しながらですから手間暇がかかって ・・・・

それに質の悪いワラ半紙にガリ版刷りして配布されたものも沢山ありますが、これらも紙質の関係でスキャナーでの自動連続スキャンはできず1枚1枚手作業です。

しかしながら、長年にわたっての私の 「ディジタル勤務録」 ですから何とか最後までやり遂げたいと思ってはいるのですが ・・・・

でも、今の現役の若い後輩諸官はどうしているのでしょうねえ?


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     http://navgunschl.sblo.jp/article/188146664.html
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