2020年02月16日

『艦船対空砲装の研究』 公開


本家サイトの今週の更新は、ご来訪65万名達成感謝企画として、『史料展示室』 にて昭和18年に横須賀海軍砲術学校がその研究成果を纏めた 『艦船対空兵装の研究』 及び 『 同 (続) 』 を公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/49_Ships_AAW_Weps.html

Ships_AAW_Weps_1_cover_S18.jpg

Ships_AAW_Weps_2_cover_S18.jpg

これをお読みいただけば、戦後になってこれまで主として元海軍技術士官達がものしたものや、それに基づくと思われる研究家などで言われてきたこととはかなり違っているとお気づきになられるでしょう。

要は、それまで連綿として育ててきた海軍戦力を無視して、東洋の小国に過ぎない日本として技術力も工業力も、そして国民性のレベルからも、最も不得意とする航空戦力をもって、単なる据えもの切りでしかなかった真珠湾攻撃、そして引き続きミッドウェー海戦に到るまでの実に中途半端な戦いで対米戦を始めてしまった、ということであり、まともな対空兵装どころか、真空管1本、パッキン1枚さえまともなものが作れなかった技術レベルでもって現場は戦いを続けなければならなかった、ということです。

その上で、自己の命をかけて戦う現場の用兵者はその “使えるもので全力を尽くす” という本分を実に誠実に守ったと言えるのではないでしょうか。

更に言うならば、いずれは海上主兵は航空機が戦艦に取って代わったであろうことは明らかですが、昭和16年12月はまだその時期ではありませんでしたし、それ以上に対米戦など絶対にやってはいけなかったのです。

貴重なデータと共に、じっくりとこの史料の言わんとすることをお楽しみいただければと思います。

なお、本史料の取り纏めは 「北村委員」 となっておりますが、今に残る旧海軍の他の史料などから、おそらく北村肇海軍少佐 (兵学校55期) ではと推測されるものの、確たるところは不明です。

posted by 桜と錨 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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