2020年01月25日

海自大湊基地今昔


海自OB木津忠則氏の 『錨地まで5マイル』 を元に、それに私の手持ちの海図などによる補足説明を加えたものをご紹介したところです。


この中で大湊について、FBFの方から “昭和40年代前半までは護衛艦などはブイ繋留していた” とのコメントをいただきました。

これについて少々説明をさせていただきます。


大湊の繋留桟橋は、昭和45年までは旧海軍時代のものをほぼそのまま使用しておりまして、最も大きい (長い) ものが通称 「5突」 と呼ばれる第5突堤 (旧称 : 第2大突堤) で、海自でもPFやDE程度までなら何とか繋留できました。

ただし、風が強い場合には係留索で固めるには桟橋の長さが十分ではありませんでしたし、またDDクラスになるととても足りません。

Ohminato_Air_S44_01_s.JPG
( 昭和44年の国土地理院の航空写真より加工 )

このため、護衛艦などは基本的に港内にある (あった) 4つのブイを使用していたのです。


昭和45年12月になって、この5突が長さ140mの本格的な繋留桟橋に更新され、「くも」 型護衛艦まではなんとかここに横付けできるようになりました。

昭和47年7月に防大4年の海上要員夏期定期訓練の航空実習で、私達のグループは八戸の第2航空群でしたが、この時の体験飛行で機長が大湊の上空を飛んでくれました。

Ohminato_S4707_01_s.JPG
( 管理人撮影の当時の大湊基地 )

DDなどの繋留に使用していた第1〜第4の4つのブイは、海図で見る限りでは赤丸で示すように昭和54年までは残っていますし、また私の所有する大湊方面の航行参考綴では平成3年の資料でもまだ記載があります。

Ohminato_chart_1157_S37_02_s_mod.JPG
( 海図 No.1157 昭和37年 (昭和54年修正) 版より )

その後元の1突 (第1突堤) が220mに、そして更に課電桟橋が拡張され、現在では両者とも5突より立派なものとなり、護衛艦 (DD) などはこちらに横付繋留されるようです。

Ohminato_sat_R0201_05_s.jpg
( 元画像 : Google Earth より )

posted by 桜と錨 at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
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