2020年01月17日

阪神淡路大震災から25年


今年もこの日が来ました。 あれからもう四半世紀。 しかし私にとっても一生忘れることのできない日であることには変わりはありません。

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( 左クリックにて別枠表示します )


そして毎年この日になると災害派遣で現地に赴いた者の一人として思わされます。

もっと多くの人の命を救えたのではないか? もっと多くの支援活動ができたのではないか? と。

阪神淡路大震災のあと、東日本大震災を始め日本各地で大災害が生起し多くの人命が失われています。

自衛隊の後輩達は、この阪神大震災での災害派遣の教訓を十二分に活かしてくれていると信じています。


神戸を中心とする阪神一帯は、今では見事に復旧して綺麗な街々になりましたが、それでも被災された方々、身内の人や親しい人を失われた方々にとっては、あの日のことは決して胸の中から消えることは無いでしょう。

震災でお亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された方々にこれからのご多幸があらんことを、心よりお祈りいたします。 (合掌)

posted by 桜と錨 at 10:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに
この記事へのコメント
桜と錨様
長年ブログを拝読していますが、初めて投稿させていただきます。
私もあの日、隣県の勤務地で地震に遭遇しました。私は情報を発信する側でしたが、業務を進めながらモニターしていた報道で、被害が刻々と大きくなることに戦慄したことを昨日のように覚えています。
桜と錨様の災害対応のご労苦には心から敬意を表しますが、その一方で様々な制約によるもどかしさを感じられたのではないかと拝察いたします。
失礼を承知で付言させていただければ、有事に際し現場の者の臨機応変な対応を阻害するような制度を改めること、また、現場の者がそのような制約を積極的な対応を取らないことの理由付けにしないことが肝心かと思います。
Posted by 紀州の古鯰 at 2020年01月17日 23:33
紀州の古鯰さん、コメントありがとうございます。

ご指摘の件は私もそのとおりと思います。

ただし、自衛隊は法を守ることが第一であり、その為の自衛隊であって、その範囲内でしか行動・活動できません。

しかしながらどの様な法であろうとも、その法が前提とする事態、状況を越える場合はいくらでもあり得ます。

その時にどうするか、これはまさに現場にいる者が最善と考えるように動くことが大事ですが、ではその責任は誰がどの様にとるのか、ですね。

阪神淡路大震災において、自衛隊の災害派遣部隊では陸自も海自も、表に出てきていない、あるいは出せない、いわゆる“超法規的”な様々な措置が行われました。

これらは全て “結果オーライ” でしたので問題にはなりませんでしたが、もし何かあれば責任をとる、とらされるのはその現場の自衛官達です。

例えば、呉地方隊ではいの一番にまず第38護衛隊(とかち)を神戸へ派出しております。 呉を出たのが9時50分、神戸港沖に錨を降ろしたのは災害派遣が発令された直後の20時40分です。 コンテナなど流出した水中浮流障碍物があるかもしれない神戸沖にです。 そして翌早朝には後から到着した艦艇と共に乗員で編成した捜索救援隊を陸上へ出し、8名を救出しております。

では一体何ノットで呉から神戸までの内海を走ったのでしょうか? 法令で認められた速力でしょうか? そしてこの航行は “結果オーライ” でしたが、仮にもし震災の被害がそれほどでもなく、かつ途中で何かあったとしたら、誰が責任をとらされるのでしょうか?

自衛隊が現在の日本の 「自衛隊」 である限り、何かあれば結局それを判断し措置した “個人” がとらされることになります。 防衛省・自衛隊という官公庁の一つであり、自衛官はあくまでも特別職国家公務員ですから。 そして場合によっては、その個人が海難審判や裁判に立たされることもあります。 日本では軍事法廷に類するものはありませんので。 


Posted by 桜と錨 at 2020年01月18日 11:58
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