2019年07月29日

初代呉鎮守府庁舎

『世界の艦船』 9月号の拙稿 『呉鎮守府創設130周年 呉基地と江田島教育の歩み』 の紙面に入りきれなかったことについて、写真なども含めてここで追加としてご紹介をしたいと思います。

そのまず第1は、なんと言っても 初代の呉鎮守府庁舎 についてでしょう。

例えば、地元である呉市の 『呉市史』 全8卷でも、そして呉市制100周年の時に出された様々な出版物などでも、何故かハッキリと書かれていないのがこの最初の呉鎮守府庁舎のことです。

これらのこともあって、『世界の艦船』 の拙稿でも触れましたが、現在の海上自衛隊呉地方総監部庁舎として今に残る元鎮守府庁舎の赤煉瓦の建物、実はこれは2代目のものであることをご存知の方はどれだけおられるでしょうか?

そしてそれどころか、初代の建物が実に昭和57年の建て替えに至る同56年まで “現役” のものとして存在したことはほとんど知られていないのではと思います。


明治19年から開始された呉鎮守府の工事ですが、第1期〜第3期に分けられた中で、何故か肝心の鎮守府庁舎の建築はその第1期分には含まれておらず、第2期以降に予定されていたのかどうかも不詳です。

このため、明治22年の呉鎮守府開庁の時には、完成していた呉軍港司令部本部をその庁舎としました。 当初は軍港司令部も同居していたのですが、軍港司令部の制度が明治26年の鎮守府條例改正により廃止されてしまいましたので、以後は鎮守府庁舎専用となっています。

Kurechin_M23_01_mod_s.jpg
( 明治23年頃とされる初代呉鎮守府庁舎 左は海側からの表玄関たる大階段 )

因みに、この大階段は明治20年頃には既に出来上がっていたとされています。

Kurechin_M23_02_s.jpg
( 同じく明治23年頃とされる陸側から見た初代呉鎮守府庁舎 )

しかし、明治38年に発生した芸予地震により損壊してしまったため、急遽隣接する敷地に新たに鎮守府庁舎が建設されて明治40年には完成したとされています。

これが今も海上自衛隊呉地方総監部庁舎として残る2代目の新鎮守府庁舎なのです。

Kurechin_S14_01_s.jpg
( 昭和14年の呉鎮守府開庁50周年記念絵葉書より 新旧鎮守府庁舎 )

ところが、この新庁舎建設と併せて、損壊した旧庁舎も2階部分を撤去した平屋として復旧されており、ここには鎮守府の人事部、その後同経理部が置かれました。

Kurechin_M40s_01_mod_s.jpg
( 明治40年代撮影とされる平屋として復旧された初代鎮守府庁舎 )

そしてこの復旧された旧庁舎も第2次大戦の終戦間際まで使用されたのですが、しかしながら昭和20年の呉空襲の際に新庁舎と共に被災して使用不能となってしまいました。

Kurechin_S22_01_mod_s.jpg
( 昭和22年米軍撮影の航空写真より加工 )

このため、終戦直後に進駐した米軍、続いてこれと代わった英連邦軍は、被害を受けなかった木造の旧呉海軍軍法会議の建物をその司令部として使用せざるを得なかったのですが、昭和23年になって英連邦軍の手によって新旧両庁舎共に修復され、司令部はここに移転したのです。

Kurechin_S29_01_mod_s.jpg
( 昭和28年撮影とされる雪景色の修復された新旧の元鎮守府庁舎 )

そして英連邦軍の撤収に伴う返還により、昭和32年に海上自衛隊の呉地方総監部はそれまでの大和通り (現在の呉警備隊) にあった庁舎からここに移って現在に至っております。

Soukanbu_S29_01_mod_s.jpg
( 昭和29年撮影の当初総監部が置かれていた旧西部航路啓開部本部庁舎 )

呉地方総監部が移転してきた以降は、修復された初代鎮守府庁舎は総監部第2庁舎として防衛部などが置かれていたのですが、平屋で手狭であったことと、2度の損壊により建物本体が劣化したことなどもあり、昭和56年になって建て替えのために取り壊されてしまい、その跡地には翌57年に今も存在するコンクリート3階建てのものが新築されました。

Kurechin_S49_01_mod_s.jpg
( 昭和49年撮影の国土地理院航空写真より加工 下が初代鎮守府庁舎 )

Kurechin_S56_01_mod_s.jpg
( 昭和56年撮影の同上より加工 建替のため解体された初代鎮守府庁舎 )

Kurechin_S61_01_mod_s.jpg
( 昭和61年撮影の同上より加工 新築された呉地方総監部第2庁舎)

Kurechin_H30_01_mod_s.jpg
( 現在の呉地方総監部 左が初代鎮守府庁舎跡に建てられた第2庁舎 )

ここで問題なのが、この昭和57年の呉地方総監部第2庁舎の建て替えに伴う、前年56年の旧鎮守府庁舎の取り壊しの際、海上自衛隊も呉市も知ってか知らずか判りませんが、なぜこの歴史的建造物の保存の路が採れなかったのでしょうか?

元々が軍港司令部本部としての建物であったとはいえ、呉鎮守府開設時から16年間にわたり初代の呉鎮守府庁舎であったのであり、その後2度の損壊に遭いながらも2度とも修復され、昭和57年の建替までの間、現用の建物として存続していた貴重なものであるにも関わらず、です。

返す返すも残念なことであったと言わざるをえません。

-------------------------------------------------------------

前 : 「 『世界の艦船』 9月号 」

次 : 「 呉鎮守府の司令部壕 」

posted by 桜と錨 at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186314023
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック