2019年05月25日

第68回掃海殉職者追悼式


本日琴平の金刀比羅宮 (象頭山) 中腹の朝日ヶ丘にある 「掃海殉職者顕彰碑」 前にて第68回掃海殉職者追悼式が行われました。

私もお誘いをいただきましたので参列してきました。 金比羅さんに詣でるのも、掃海殉職者追悼式に出るのも始めてです。

Soukai_Memorial_R01_01.JPG

ご存じのとおり、この碑は終戦後直後から昭和27年までの航路啓開業務において殉職された78名と、昭和38年に掃海業務で殉職された1名の計79名の慰霊顕彰碑で、昭和27年に当時の兵庫県知事が発起人となって多くの地方自治体や有志の人達によって建立されたものです。

そしてその建立に併せてその年に第1回慰霊祭が行われ、以降毎年実施されてきましたが、元々の主体であった 「航啓会」 が関係者の高齢化もあって平成16年に解散したため、現在では 「殉職者追悼式」 として海上自衛隊呉地方総監を執行者として毎年5月の最終土曜日に行われています。

今年は掃海母艦 「うらが」、掃海艇 「つのしま」 「みやじま」 を始め、呉音楽隊など海自の全面的な支援の下、遺族を含む400名を超える参列者でした。

今日は最高気温が33度を超える大変に暑い日でしたが、この猛暑の中、式は約1時間半にわたり整斉・粛々と行われましたが ・・・・ 私としては以前から感じていた疑問を本日参列して改めて強く思った次第です。

79名の殉職者は戦後処理としての航路啓開業務に殉じられたわけですが、戦後のこととはいっても、これは戦死者に準じて祀られるべき人達ではないでしょうか?

したがって当初は国内外の諸般の事情から遺族や関係者有志による慰霊祭として始まったことは致し方ない点があり、また琴平において行われている追悼式はこれはこれとして大変に意義のあることですが、やはり国が正式な 「顕彰慰霊式」 として行うべきものではないかと考えます。

本日参列された何人かの関係者にこの疑問をぶつけてみたのですが ・・・・


なお、追悼式以外の1泊2日の遠征のことは別記事とします。
posted by 桜と錨 at 19:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに
この記事へのコメント
私が現役時代は所属していた第111航空隊(航空掃海ヘリ部隊)からも数名参列してたように記憶してます。
陸行で岩国から呉へ移動し『はやせ』?『ぶんご』?(記憶が曖昧です)に便乗してました。
当時はパイロットからも中級掃海に行ってましたから掃海部隊との関係は良好でした。
今はどうなっているのでしょうか?
Posted by 濱村 at 2019年05月28日 11:59
濱村さん

追悼式やそれに伴う艦上レセプション及び昼食会では “来賓” や “関係者” として多くの現役の人達も出席していましたが、残念ながら全体の人数も多かったことやもあって話しはしておりませんので ・・・・

この “来賓” や “関係者” にはOBも現役も多数おりましたが、中には “?” と思う人達もかなり含まれておりまして、私はそちらの席の方へは近づきませんでしたので111空からの参列者は確認しておりません (^_^;

また、若手幹部なども多数駆り出されて支援に回っており、中級掃海の学生もこの行事のために 「うらが」 に乗艦しておりまして、その内の何人かとは話しをしましたが、学生にヘリパイが含まれていたかどうかは ・・・・?

しかしながら、53が全て引退となり101になりましたが、掃海艦艇部隊との関係は変わらないと思います。 もっとも最近は掃海業務よりは本来の大型ヘリとしての能力を活用した業務の方が多忙になっているようですね。

Posted by 桜と錨 at 2019年05月29日 15:44
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