2018年10月07日

『砲術家としての加藤友三郎 ・ 続』


昨日は心配された台風25号も大分北に逸れましたので、風が少々強かったものの雨は全く降りませんでした。

これにより、6月に予定していた『加藤友三郎元帥研究会』での上記タイトルの講話はご承知の豪雨のために延び延びとなっておりましたが、今回幸いにしてやっと実施することができました。

tomosaburou_gunnery_No2_top_s.JPG

台風の影響を見定められたのか、参加者は当初予定より多少少なかったものの、それでも30名を超える方々に来場いただきました。

逆に、こういう日に興味を持ってわざわざ聴講に来ていただける方々の方が、話す側としては話し甲斐があるというものです (^_^)

そして直前になって業務のためにキャンセルされた呉市長も、この台風のために予定が中止となり、思いもかけず聴講いただけました。 前回に続いて私の話を両方ともお聞きいただけたことになります。 ありがたいことです。

前回は、持ち時間の都合で友三郎が明治13年に海軍兵学校を卒業してから明治24年に造兵監督官となり英国出張を命ぜられたところまででしたので、今回はその続きで英国における 「吉野」 の監督官業務と初代砲術長としての就役から日清戦争における黄海海戦での活躍までです。

主たる項目としては、

  1.造船監督官として英国出張の業務の詳細
  2.「吉野」 の艤装から就役、日本回航
  3.邦着から日清戦争開戦まで
  4.豊島沖海戦と黄海海戦
  5.その後の友三郎

なのですが、当初の6月が延びましたので、この期間を利用して何度か見直しを行いまして、これに

  1.黒色火薬と無煙火薬
  2.速射砲の誕生と発展

の概要を追加しました。

といいますのも、砲術、艦砲射撃というのは一般の方々には大変判りにくい話しでし、ましてや明治中期のことですので、当時の状況についてこれらを簡単かつ判りやすくしようと思ったからです。

ところが、修正を始めますとあれやこれやと出てきまして、しかもパワーポイントに纏めるのに思わぬ手間暇もかかりまして、結局何とかそれらしくするのに前日までかかってしまいました。

お陰で全体を通して見直す余裕が十分にありませんで、かえって中途半端になってしまったような ・・・・ (^_^;

それでもこれまでの出版物などでは出てこなかったお話しも沢山盛り込みましたので、明治初期 〜 中期の砲術の状況はご理解いただけたのではないかと思っております。

そしてこういう話しを初めてお聞きいただいた方々には “トリビア” 的な話題にもなるのではと。

例えば、戦後ものされた友三郎の伝記の一つとして知られている豊田穣氏著 『蒼氓の海』 に出てくる黄海海戦での砲戦の描写はちょっと違いますよ、とか (^_^;


今回及び前回の講話内容及びそれの元である私の2つの論文などをどのように希望される方々に配付あるいは公開していくかは、今後本会会長である大之木氏などとも相談しながら決めていきたいと思っています。


そして加藤友三郎についての私の次の研究テーマは

tomosaburou_gunnery_No2_last_s.JPG

を予定しておりますが、これはいつになるのか ・・・・ ?

ご存じのとおり、加藤友三郎については後半の軍政家・政治家としての面は学者や研究家の方々にもよく研究され、また発表されてきているところですが、前半の軍人・砲術家としての面はまだまだというよりほとんど研究されていないというのが現状です。

したがって、日清戦争まで、及び日露戦争期については私としてもやり甲斐のあるところと考えております。


最後になりますが、再度の研究発表の機会を作っていただきました 「加藤友三郎元帥研究会」 会長の大之木氏、そして会場の準備などにご尽力いただきました事務局の皆様に、この場ではありますが改めてお礼申し上げます。

posted by 桜と錨 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/184623044
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック