2017年06月05日

横須賀ベルニー公園の 「陸奥」 砲身


長らくお台場の 「船の科学館」 の屋外に展示されていた戦艦 「陸奥」 の41糎主砲砲身が多くの方々の尽力により横須賀のベルニー公園に移設されました。

“陸奥砲身の里帰り” と言うことでテレビなどのマスコミにも採り上げられましたので、ご存じの方も多いと思います。

41cm_gun_yokosuka_01_m.jpg

そして私の友人である日本製鋼所の国本康文氏の現地調査により横須賀のものは呉海軍工廠製であることが確認されております。

これで戦時中に柱島泊地で爆沈を遂げた 「陸奥」 を戦後に解体引き揚げを行った際の三番、四番砲塔の計4本の砲身のうち、呉の 「大和ミュージアム」 に1本 (四番砲塔左砲、日本製鋼所室蘭製作所製)、横須賀に1本 (同右砲) が旧海軍の遺産として保存されることになりました。

旧海軍史を研究する者の一人として、また鉄砲屋の末席に身を置く者としても大変に喜ばしいことです。


・・・・ なんですが、ところがちょっと残念なことが。

先日横浜在住の友人よりメールで、横須賀の砲身が左に回転しておりこのため砲尾部が傾いているとの指摘をいただきました。

添付されている写真を見たところ確かに左に曲がっています。

41cm_gun_yokosuka_02_m.jpg

何故こうなったかは判りませんが、おそらく 「船の科学館」 に展示されていたときからこの様になっており、移設の際にこの状態でクレーンで吊り上げ、そのまま横須賀に設置したのではないかと思われます。

まあ大変な重量物でもあり、設置に当たっていろいろな事情や制約があったことは推測されます。

しかしながら、見る人が見ればすぐに気が付ついて “?” と思うことでしょう。

また船乗りとして “垂直なものは垂直に、水平なものは水平に” “あるべき位置に正しく” “端正かつ威容の保持” と厳しく躾けられてきた私達からしても、ちょっとスマートネスに欠けるところではあります。

もちろん今更これを正しい姿に直すのは費用の点からも大変なことでしょうが、折角の横須賀への移設の良い機会だっただけにちょっと惜しまれるところです。

(写真は2枚とも横浜在住の友人撮影、同氏より引用の許可を得ております。)
posted by 桜と錨 at 16:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
大和ミュージアムのときは、細かく指示を出しました。
この度の横須賀における「陸奥」の4番主砲塔右砲の設置業者は、専門知識もセンスもない一般業者でしたからね。
Posted by 相原謙次 at 2017年06月05日 17:03
相原謙次さん、ありがとうございます。

「大和ミュージアム」 のものは私も拝見し、きちんとされているなと感じたところです。

普通のセンスなら確認するところですよね。

ただ業者さんのみならず、横須賀には海自OBも沢山おりますので、私としても少々内心忸怩たるものがあります。

Posted by 桜と錨 at 2017年06月05日 18:33
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