2017年05月24日

JMU呉事業所史料室見学


今日はJMUさんのご厚意をいただきまして呉事業所内にある史料室を見学させていただきました。

ご存じのとおり、戦後の造船業界の変遷を経て 「石川島播磨重工呉造船所」 として大型タンカーを始めとする日本の造船業を背負ってきたところですが、昨今の更なる業界の統廃合により現在では 「JMU (ジャパン・マリン・ユナイテッド) 呉事業所」 となっております。

そして更にその前身は戦艦 「大和」、「長門」 などを建造したことで知られ、旧海軍の工廠中で最大規模を誇った 「呉海軍工廠」 で、現在でもあちこちに当時の面影を色濃く残しているところでもあります。

この構内の現在では 「別館」 と呼ばれている、元々の海軍工廠時代は造船部庁舎・製図工場であった赤煉瓦2階建ての建物を改修して、この中に海軍工廠からの歴史資料を集めた 「史料室」 が展示されています。

私も初めて拝見いたしましたが、思っていた以上に綺麗に整備されており、その歴史をよく理解することが出来るようになっています。

今日は顧問の山中氏が私のためにわざわざご案内をいただきました。 氏は顧問になられて5年目だそうですが、大変よく調べておられ、かつその判り易い説明には感心いたしました。

史料室内は展示資料の著作権・版権などの問題もあって、残念ながら撮影はできません。 これは致し方ないでしょう。 折角ですから玄関で一枚。

JMU_H290524_01_S.jpg

この史料室は元々が造船所職員の教育参考とすることを目的として整備されているため、現在のところいわゆる一般開放の形にはなっておりませんので、部外者の見学には事前の申請が必要になります。

ただ、大変に立派なものですのでもう少し一般にも何とかと思いますが、山中氏とのお話の中では JMU さんでも今後のあり方についても色々検討されているものの、なかなか難しい問題もあるようです。

一案として、いっそのこと全部を市の大和ミュージアムに移しては、というのもあったそうですが、この史料室はこの旧海軍工廠の跡地の中にあってこそ意味があるでしょう。

その一方で、一般開放するには現に稼働している造船所の構内ですから、単なる市の集客のための観光地になってしまっては、企業側としても負担が大きすぎるでしょう。

折角の施設ですので、何か良い方法を考えていただけることを期待する次第です。

私も機会が得られればまた拝見したいものと思います。

なお、以前古い倉庫で纏まって発見されたことでニュースにもなった 「大和」 の建造用現図を始めとする図面類の一式は、全てを既に大和ミュージアムに移管してしまっており、残念ながらこちらにはありません。

posted by 桜と錨 at 23:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに
この記事へのコメント
私の亡父は、呉海軍工廠の製図工でした。高角砲や機銃の製図を担当していましたが、戦地ボルネオに派兵。父の兄弟3人は全員生還しました。
海軍工廠時代の集まりが毎年あり「壬生七夕会」という名称でした。
しかし、小学校の同級生は男3人が残っただけで他の方々は全員戦死したそうです。
私が日本ラッパ史の調査のため、ラッパを吹くと大変嫌っておりました。
Posted by killy at 2017年05月27日 21:21
killy さん、こん**は。

工廠の職員でも徴兵があったんですね。 海軍が色々な手を使って阻止していたと聞いたことがありますが ・・・・

>ラッパを吹くと大変嫌って

戦争の体験者の感想は人それぞれですから、そのような方もおられるのでしょうね。

Posted by 桜と錨 at 2017年05月31日 22:24
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