2017年05月03日

親の死に目に (後)


2.帰れるだけでもありがたいと思え!

もう40年も前のことです。 任務課程入校のため江田島の1術校に着校したその日、入院療養中であった母の逝去の連絡が入りまして、担当科長からすぐ家に帰れとのこと。

そこで特別休暇申請のため学生隊長のところへ出頭しました。 海自の規則では親の場合には1週間+往返日数が基準ですが、もちろん私も授業の関係でそこまではとは考えていませんでした。

ところがです、その学生隊長は往返日数を合わせて3日の休暇、つまり実質で中1日の許可でした。 そして最後に吐き捨てるように付け加えて、

「 自衛官たるもの親の死に目に会えないなどは当たり前のことだ。 (葬儀に) 帰れるだけでもありがたいと思え!」

一瞬自分の耳を疑いました。 葬儀から戻って来た時に 「死に目に会えただけでも」 と言うならばまだ判らないでもありませんが、これから帰ろうという者に対してこの言葉です。

このことで、この学生隊長に対しては上級者という立場はともかくとして 「人」 としての信用・信頼が無くなりました。

そしてこの日以来私の方から二度と口を利くことはありませんでしたし、将来にわたっていかに補職人事であろうとも同じところで一緒に勤務しようとは決して思いませんでした。 ( 幸いその機会はありませんでしたが )

海上自衛隊といえども中にはこういう幹部もいる、しかも学生隊長という職に就く者でも、と痛感した次第です。 そして私のその後の海自勤務において、よい教訓の一つとなりました。


余談ですが、母の葬儀だけは何とか終えて1術校に戻ってきたその晩、クラスメートが翌日に不在中に終了した科目の試験があることを教えてくれました。

テキスト (海自では 「スタディ・ガイド」 と言います) は貰ってきてくれていましたので、クラスメートに授業の要点を聞いてから、学生舎の空いている部屋で徹夜の一夜漬け。

翌日の試験の結果は、一度もその科目の授業に出ていなかった私一人だけが満点でした。 これには担当教官もビックリ。

学生隊長に対するささやかな当てつけと言えば当てつけでした (^_^;


・・・・ ところがです。 この時の私の帰省のことがそれから20年後に我が家のお家騒動の原因の一つになろうとは、当時は夢にも思っていませんでした。

身内の者でさえこの時のことを20年後でも怨みに感じていたくらいですから、ましてや世間一般の人達に理解してもらうのは無理な話しと思います。

まさに海自部内で良く言われる “海自の常識は世間の非常識、世間の常識は海自の非常識” です。

(本件終わり)

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親の死に目に (前) :

posted by 桜と錨 at 14:16| Comment(4) | TrackBack(0) | 気ままに
この記事へのコメント
心中ご察し申し上げます。
私は家内が胃がんで40代に逝去しました。その時、父母の最期は一人で看取る覚悟でした。
最初に父が85歳で認知症になり、私は全ての役職を辞めました。父は炎天下に徘徊し脱水症状で入院し、8か月後に肺炎で逝去。
母は、数回転んで入院し歩行困難となりました。歩けないので徘徊の心配はありませんでしたが、本人は歩けると思っているのか夜中に数回ベッドから転落しました。
施設に預けても私が差し出すスプーンからしか食べ物は食べず、自宅で介護することにしました。しだいに食事量が減り、週2回往診の先生から栄養剤を点滴していただき、私が針を抜くのが日課となりました。
急に食事をとらなくなり、1週間後に往診の先生が来る20分前に93歳で息を引き取りました。
家内・父・母と看取りましたが、家内の時は子供3人が在学中で育て上げるのに一生懸命でした。父の時は、母と二人三脚の介護でした。母親を看取った時には、私もすぐにそちらに行くよという歳になりなした。
 通夜の席で近所の方々に7年間に渡る両親の介護で、あらゆる付き合いが不十分であったことを詫びました。それにもかかわらず葬儀の日には多くの方々のご出席をいただき感無量でした。社会に恩返しができないことが荷物になっています。
Posted by killy at 2017年05月03日 22:11
killy さん

何と申し上げて良いか ・・・・ それは大変でしたね。

私も父母共に長期の病状を抱えてでした。特に父の場合は、徐々に悪化する症状に最後は要介護5までいってからも数年ありましたので、身内の介護の大変さはよくわかります。

長寿と健康との兼ね合い、難しい問題ですね。

ご両親様と奥様のご冥福をお祈りいたします。
Posted by 桜と錨 at 2017年05月04日 13:34
私は「慶事は後から祝うことが出来るが弔事はそうはいかない。船乗りたるものどうしようもないときがあるのだから、だからこそ何とかなる時はできる限りのことをしろ」と教えられました。
これが当たり前だと思ってましたが、そうでない人もいるんですね。
班長代行してたときに身に染みました・・・・
そのときは上司と当直警衛海曹が怒って動いてくれましたけど・・・・・
Posted by 某現役 at 2017年05月12日 23:08
某現役さん、こん**は。

海自も様々な人がいることは確かですね。

そしてある意味特殊な閉鎖社会ですから、目先の業務に囚われ過ぎて、世間一般の常識や感覚を見失ってしまう人が時々見られますね。

自衛官といえども皆中身はごく普通の人間のはずなんですが。
Posted by 桜と錨 at 2017年05月14日 18:45
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