2017年03月06日

艦載砲と度量衡 (後)


大正6年に旧海軍の艦載砲の名称は全て 「センチ」 で統一されました。 しかしながらこれは実口径に近い切りの良い値を採用しました。

例えば元々の口径で14吋 (355.6ミリ) は36糎、3吋 (76.2ミリ) は8糎と言うようにです。

ところがこの大正6年に兵器採用された 「四十五口径三年式四十一糎砲」 はメートル法により設計・製造されたため実口径が410.00ミリであったわけです。

このためこの直後にちょっとした問題が起きることになります。

そうです、大正10年のワシントン海軍軍縮会議によって戦艦の主砲の口径が16インチ (406.4ミリ) 以下に制限される見込となり、条約成立の暁には厳密には条約違反になってしまいます。

当の造兵・用兵者達からすれば “何を今更” ということですが、ヤード・ポンド法を使用する米英の主導であってみれば致し方ないことではありました。

現実的には単なる度量衡の違いによる誤差の範囲とも言えるのですが、旧海軍ではあらぬ誤解を受けないようにするため、大正11年3月29日内令兵第9号をもって名称のみを 「四十五口径三年式四十糎砲」 に改めたのです。

IIJN_Gun_Rename_T11_s.jpg

まあ、姑息といえば姑息な方法なのですが (^_^;


そして大正6年からのメートル法による艦載砲の開発は、のちにもう一つ大きな問題を生じることになります。

それが重巡洋艦や空母 「赤城」 「加賀」 の主砲として搭載された 「五十口三年式二十糎砲」 です。 この砲は名称は8インチと言いながら、実口径は203.2ミリではなく、 200.00ミリで設計・製造されたものです。

何もなければこれはこれで良かったのですが、先のワシントン海軍軍縮条約において重巡洋艦の主砲は8インチ以下とされ、このため以後の各国海軍の重巡洋艦は条約制限一杯の8インチ砲となることが予期されることになりました。

たかだか3.2ミリの差と思われるかもしれませんが、これによって砲弾重量は約110kgと約126kgで16kg、即ち1.5割もの差となるのです。 これは更に続くロンドン海軍軍縮条約によって保有量の制限を受けたことにより兵力量に劣る旧海軍にとっては死活問題であったと言えるでしょう。

そのため元の二十糎砲の内径を削って正8インチとし、昭和6年4月8日の内令兵第3号をもって 「五十口径三年式二号二十糎砲」 としたのです。

もちろん、砲の口径を少し拡げただけで済む問題ではなく、砲弾や装薬も新規に開発し直しであり、またこれに合わせるために装填機や揚弾薬機はもちろん、弾火薬庫の改造も必要になりますので、大変な手間暇を要する後戻りとなりました。

加えて元の20糎砲弾及び装薬の在庫が大量にあったため、これの消耗のため改造後の「赤城」「加賀」では砲廓砲は二号砲に改装されないままとなりました。

後知恵にはなりますが、41糎砲の時のように当初から210.00ミリ、あるいは205ミリで開発する手もあったのではないかと ・・・・


さてここでご来訪の皆さんにお尋ねします。

「特型」 駆逐艦以降に搭載された 「五十口径三年式十二糎七砲」 及び太平洋戦争期でも各艦艇に広く搭載された 「四十口径八九式十二糎七高角砲」 ですが、なぜ 「十二糎七」 という中途半端な (と言うより正確な) 呼称になっているのでしょうか?

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(平成29年3月8日追記):

そうです、「特型」駆逐艦に搭載された 「十二糎七」 という口径の砲は、ロンドン条約によって駆逐艦の主砲が5.1インチ (129.54ミリ) 以下に制限されたため、その限度で開発されたものです。

ただし、フランスは軍縮会議の時に既に130.00ミリを搭載した 「L'Adroit」 級を保有しており、その主張により当初案の5インチから5.1インチに変更されました。

条約ではフランスは部分参加に止まったものの、旧海軍もこの130ミリでも良かったと言えますが、米英がヤード・ポンド法による砲を搭載するであろうことから正5インチでも良いと判断されたものと考えられます。

この砲は大正13年に 「一三式十二糎砲」 として兵器採用されましたが、やはり明治期から続く安式十二糎砲 (実口径120.00ミリ) 系列のものとは区別する必要があり、また 「十三糎」 では条約上誤解を生じるおそれがあると判断されたため、結局昭和4年11月13日になって内令兵第2号により 「五十口径三年式十二糎七砲」 という実寸に合わせた中途半端な数値のものに変更されたのです。

また八九式高角砲になぜ実績のない5インチが採用されたのか詳細は不明ですが、平射砲を改造した8糎や12糎より威力の大きなものが要求された結果と考えられます。

この砲も 「三年式十二糎七砲」 に合わせて昭和7年2月6日内令兵第6号により 「四十口径八九式十二糎七高角砲」 として兵器採用されました。


さて最後に、もう一つこの呼称法で例外があるのにお気づきと思います。

そうです 「最上」 型軽巡洋艦に装備された 「六十口径三年式十五糎五砲」 です。 これも十二糎七砲と同じで、ロンドン条約により軽巡の主砲が6.1インチ (154.94ミリ) 以下に制限されましたので、こちらは限度一杯の155.00ミリのものを開発しました。

厳密にいうと0,06ミリの超過ですが、そこは換算上と設計・製造上の誤差の範囲ということであり、またこれも同じくロンドン軍縮会議の時に既にこの155.00ミリ砲を搭載したフランス軽巡 「Duguay-Trouin」 型が就役しており、フランスの主張により主砲の口径制限が6インチから6.1インチに修正された経緯がありますので、問題はなかったわけです。

名称も 「十五糎」 は既に6インチのものがありますし、「十六糎」 では条約制限をオーバーした名称になりますので、この 「十五糎五」 という実口径に合わせたものとされました。

なお余談ですが、この砲は射弾精度が大変に良好なため海軍部内では評価が高かったのですが、当初の計画どおり後に8インチ砲に換装されております。

換装後は 「大和」 型の副砲や 「大淀」 の主砲として転用されてはいますが、それにしても何故始めから換装するつもりのものをわざわざ新規に開発・製造したのかは疑問の残るところです。

(この項終わり)

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「艦載砲と度量衡 (前)」 :

「艦載砲と度量衡 (中)」 :


posted by 桜と錨 at 18:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 砲術の話し
この記事へのコメント
……ワシントン軍縮条約で駆逐艦の備砲が5インチ以下、と定められた為では?
特型駆逐艦の計画時には確か「13糎連装砲」と書かれてた記憶があります。
16インチ砲の時に問題となりかけた事をもう一度繰り返したくなかったのではないかと考えます。
Posted by 大隅 at 2017年03月07日 00:44
大隅さん、ありがとうございます。

先程追記しましたのでご覧ください。
Posted by 桜と錨 at 2017年03月08日 19:24
初めて書きこみをします.
いつも知らないことばかりで,読むのを楽しみにしています.

16インチと41センチの差が「誤差の範囲とも言える」という記述と,8インチと20センチの差が「死活問題ともいえる」という記述が,私にはちょっと分かりにくいのです.
16インチと41センチでは威力にどのくらいの差があるのでしょうか?
ご教示いただければ幸いです.

その答えにも関係するのかもしれませんが,なぜワシントン会議のときに海軍は正直に,長門の主砲は41センチだと言わなかったのでしょうか.
条約締結後に条約の制限を超える砲を積むのは違反ですが,会議のときにそう言っても,既得権で(フッドの排水量のように)例外として認められるか,(ロンドン条約の軽巡洋艦の主砲口径のように)条約の制限が16.2インチになるだけだと思うのですが.
結果的にばれなかったようですが,まんがいち露見すると日本はもともと最初から条約を厳密に守るつもりがなかったということになって,とてもまずいのではと思うのです,
Posted by りので at 2017年03月08日 23:23
りのでさん、初めまして、ご来訪とコメントをありがとうございます。

>16インチと41センチの差が「誤差の範囲とも言える」
>8インチと20センチの差が「死活問題ともいえる」

両方とも度量衡の違いから来る必然的な差で、工業製品である以上ある意味やむを得ないことですが、相手に対して足りなかった (小さかった) 場合は実戦で大きな違いになるということですね。

>16インチと41センチでは威力にどのくらいの差

口径長や使用する装薬による初速、砲弾の重量や形状などによって異なりますので、一般論として一概にこれだけの差とは言うことができません。

砲の性能要目的なことは 「世界の艦船」 2月号増刊 「傑作軍艦アーカイブ B 戦艦 「長門」 型」 の拙稿、及びこの夏の増刊号で別記事を予定していますので是非ご覧ください。

>ワシントン会議のときに

会議でのやり取りの具体的な詳細は判りませんが、やはりフランスは大国だということと、戦艦と巡洋艦・駆逐艦との違いだったと考えられます。

ロンドン会議の時にように、もしワシントン会議においてもフランスが戦艦の主砲を410ミリ又はかつて保有していた420ミリで主張していたならば、これも変更になった可能性はありますが、残念ながら当時フランスにはこのサイズの主砲を搭載する既存艦も建造計画もありませんでした。

>まんがいち露見すると

「長門」 型の41糎砲の実口径は公表されたことはありませんし、もし諸外国などに説明の必要に迫られた場合でも 「艦船要目公表範囲」 という秘文書で40センチとされており、これを提示するものと考えられます。

もちろん英米が本当にどこまで知っていたのか、知って知らぬ振りをしていたのか、は判りませんし、仮に知ったとしても採用する度量衡に起因する問題を実際に表立って騒ぎ立てたかどうかも何とも言えません。

もし英米が騒いだ場合にはこのことでもっと重大な日本の条約脱退に繋がる可能性もあるわけですし、また排水量の増加などは各国とも公然の秘密としてやったわけですから。

政治の世界では英米の方が相当に計算高いと言えるのではないでしょうか。
Posted by 桜と錨 at 2017年03月10日 19:55
丁寧な回答ありがとうございます.

>>16インチと41センチの差が「誤差の範囲とも言える」
>>8インチと20センチの差が「死活問題ともいえる」

>両方とも度量衡の違いから来る必然的な差で、工業製品である以上ある意味やむを得ないことですが、相手に対して足りなかった (小さかった) 場合は実戦で大きな違いになるということですね。

ありがとうございます.
日本海軍から見るとということですね.

ただ,小さい方からは大問題(実戦で大きな違いになる)ということなら,米英海軍から見ると,16インチと41センチの差は重大ということになりませんか.
事実を知れば,日本は不誠実と思うのではないでしょうか.

>>16インチと41センチでは威力にどのくらいの差

>口径長や使用する装薬による初速、砲弾の重量や形状などによって異なりますので、一般論として一概にこれだけの差とは言うことができません。

>砲の性能要目的なことは 「世界の艦船」 2月号増刊 「傑作軍艦アーカイブ B 戦艦 「長門」 型」 の拙稿、及びこの夏の増刊号で別>記事を予定していますので是非ご覧ください。

ありがとうどざいます.
夏の増刊号を楽しみに待っています.

私の質問が不明瞭で申し訳なかったのですが,質問は同じときに同じ技術で16インチ砲と41センチ砲を作ったら,どのくらい違うのだろうという意味でした.
日本海軍の20センチ砲弾と8インチ砲弾との重量が13パーセントも違うということですが,この差は純粋に口径の差から来るのではなく他の改良の貢献もあったのではないでしょうか.
それで純粋に口径だけの差による違いはどのくらいなのだろうと疑問に思ったので質問したしだいです.

>>ワシントン会議のときに

>ロンドン会議の時にように、もしワシントン会議においてもフランスが戦艦の主砲を410ミリ又はかつて保有していた420ミリで主張していたならば、これも変更になった可能性はありますが、残念ながら当時フランスにはこのサイズの主砲を搭載する既存艦も建造計画もありませんでした。

素人の憶測ですが,陸奥はともかく長門は完成している前提の会議だと思うので,まさか長門の主砲を16インチに積みかえろとは言われなかっただろうと思います.

>政治の世界では英米の方が相当に計算高いと言えるのではないでしょうか。

排水量など,どの国の軍艦も本当は制限を超えていて,お互いに非難できない状況だったろうと思います.
ただ排水量なら「1万トンで設計したのだけれど,完成したら予定を超えてしまった.意図したものではない」という言い訳も(他国が納得するかどうかはともかく)いちおう可能です.
しかし,砲の口径ではそういう言い訳もできまぜん.
日本海軍としては,553を押しつけられたのだから,このくらいの誤魔化しは許されると思ったのかもしれませんが,それは自分勝手な理由づけで対外的に通用しません.
故意の違反と言われてまったく反論できないというのは,小さなことでも避ける方が懸命ではと思います.
確かに米英の方が計算高いというか狡猾だとは思いますが(たとえば排水量の定義とか),明白な違反を避け,まんがいち違反と言われても何か言い逃れできるように考えているのではないかと想像します.
そのあたり日本は朴訥というか洗練されていないというか子供なように感じます.

軍事も国際政治も知らない上に,どんどん本題からずれていくようで心苦しいのですが,雑感を述べました.
実際には主砲の口径の数ミリの差など分かりようもないでしょうし,本当の戦争ではそんなもの何も影響はなかったですし,昔も今も誰もワシントン会議での日本の主砲口径の誤魔化しを問題にしていないのに,こんなことを書き込むのもおかしいと自分でも思うのですが,どうも何か釈然としないところがあったので書いてしまいました.
決して粘着しているつもりではないので,お許しください.

Posted by りので at 2017年03月11日 22:29
りのでさん、こん**は。

物の見方、考え方は色々ですし、人によっても様々です。 歴史上のことについてもそれは同じです。 したがいまして、そのようなご所感を持たれる方もおられるでしょうね。 それはそれでよろしいかと存じます。 正解たる真実は判りませんので。

ただし現実問題としては、先に申し上げましたことを含めて、「長門」 型の主砲口径が国際的な問題になったことは歴史的事実としてありませんし、また実際に終戦直後の「長門」接収時の調査や、米海軍による旧海軍に対する技術調査の報告書などにおいても、これが問題になってはおりません。

条約、国際政治、外交の世界というものはこういうものなのでしょうね。

>他の改良の貢献もあったのでは

これは何を指しておられるのか仰る意味が判りません。 先にも申し上げたとおり、

“ 口径長や使用する装薬による初速、砲弾の重量や形状などによって異なりますので、一概にこれだけの差とは言うことができません。”

ということで、旧海軍が作った二号砲では砲弾重量1.5割 (正確には14.41%) 増、ということですね。

これは艦に乗らないし戦いもしない人からすればとるに足らないどうでも良いことに思えるかもしれませんが、当の本人達にしてみればそれこそ “死活問題” であったわけです。

いずれにしましても、ありがとうございました。

Posted by 桜と錨 at 2017年03月12日 09:26
たいへん有益な情報ありがとうございます。私、先日、大和ミュージアムから戦艦比叡の昭和15年の青図を手に入れ、それをみていたところ、大きな形のところは、フィート・インチで書かれていました。そこで、これは金剛から受け継がれた設計図であるからこうなっているのかな、と納得していました。本記事を読んで、度量衡の変遷について理解を深めました。
私は、軍艦については初心者なのですが、現在、潜水艦および比叡について勉強をし、
http://blog.goo.ne.jp/laplonge
というプロジェクトを始めましたのでご参考まで。これから貴ブログを読んで勉強いたします。どうぞよろしく。
Posted by 浦 環 at 2017年03月17日 16:42
浦 環さん、初めまして。 ご来訪とコメントをありがとうございます。

>プロジェクトを始めました
これはまた面白いことをおやりですね。 頑張って下さい。

>どうぞよろしく。
本家サイト 「桜と錨の 海軍砲術学校」 共々ご愛顧の程よろしくお願いいたします。

Posted by 桜と錨 at 2017年03月18日 11:07
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