2016年12月25日

艦隊司令部職員の構成と職務 (4)


さて、前述の明治22年に制定された 「艦隊條例」 と 「軍艦條例」 ですが、これらはそれまでの海軍省達などではなく、勅令となっています。

これは、この年の2月に大日本帝国憲法、俗に言う明治憲法が発布されたことによります。 即ちその第12条で、

 第十二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及其ノ常備兵額ヲ定ム

とされました。 これがいわゆる 「編制大権」 と言われるもので、これによって関連する法規類も勅令によることとなったわけです。 因みに第11条が有名ないわゆる 「統帥大権」 です。


そこで、前述した明治17年の 「艦隊編制例」 及び 「艦隊職員条例」 と同時に定められた司令長官等及び艦隊職員に対する補佐業務のための 「旗艦増員表」 です。

この海軍省達として定められた旗艦増員表は明治19年2月19日に廃止されました(達丙28号)。

Kikanzouin_haishi_M1902.jpg

換わって同日付の海軍省達丙29号によって、旗艦の構造により増員する上限を示すものとなります。


そして明治22年の憲法発布により、艦隊條例などと同様にこれも23年10月になって勅令として定められることになります。

これが 「鎮守府艦隊司令長官旗艦増加定員表」 (勅令239号) で、更にこの増加定員の内訳を示したものが 「同 識別表」 (達392号) です。


この時の増加定員表には司令官旗艦についての定員増加は有りませんでしたが、明治27年6月の艦隊條例改訂に併せ、同年7月に旗艦増加定員表が改正 (勅令71号) されて司令官旗艦にも増員されることとなりました。



そこでこの明治27年ですが、この年に朝鮮で発生したいわゆる東学党の乱は静まることはなく、6月になって鎮圧に失敗した朝鮮政府が清国に助けを求めるとの情報が日本にもたらされました。

これに応じて6月5日には前年の5月19日に制定された「戦時大本営条例」(勅令52号)に基づいて大本営が設置され、朝鮮国内の平定と居留邦人保護のための出兵の体制を整えます。

海軍も情報収集を兼ねて朝鮮周辺に艦艇を集中すると共に、7月13日これまでの常備艦隊に加えてもう一つ、臨時に 「警備艦隊」 を編制し、19日にはこれを 「西海艦隊」 と改称します。

Keibikantai_M27.jpg   Saikaikantai_M27.jpg

そしてその19日付けで常備艦隊と西海艦隊の2つをもって 「連合艦隊」 が組織されました。 ここに 旧海軍初の連合艦隊が誕生 することになったのです。

Rengoukantai_M27.jpg


ところが、ここに大きな疑問があります。 なぜなら6月に勅令をもって定められたばかりの 「艦隊條例」 ではその第2条で

第二条 艦隊ハ之ヲ常備シ又ハ臨時編制ス 其ノ名称ハ特ニ勅令ヲ以テ之ヲ定ム

とされているからです。

この規定にもかかわらず、警備艦隊の編制及びその西海艦隊への改称はそれぞれ 「海軍省達117号」 及び 「同122号」 によってなされており、更に連合艦隊の編制については大臣官房から 「官房2019号」 により示されているに過ぎません。

もちろんこれらは全て上裁の上で裁可されていますが、ではなぜ勅令として出されなかったのか?

Keibikantai_jousai_M27.jpg   Seikaikantai_jousai_M27.jpg

Rengoukantai_jousai.jpg

いくつかの理由は考えられますが、“これだ” という史料がありませんので実際のところは不明です。


なお、この連合艦隊ということについてはまた後でお話しする予定です。

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前 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (3)

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posted by 桜と錨 at 23:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
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