2016年12月11日

艦隊司令部職員の構成と職務 (1)


これもネットにあった話題からです。

某所で旧海軍の艦隊司令部などの参謀や幕僚などの構成とその職務についての質疑応答がありました。

その某所では内令定員表についてだけで良かったのかもしれませんが、これをきちんと説明するには、そもそも艦隊とは何なのか、艦隊司令部とは何をするところなのか、という基本的なところから進める必要があるでしょう。

そこでまずはその概要から。


旧海軍において艦隊というものを編成したのは明治3年7月25日のことで、普仏戦争勃発により中立を堅持し周辺海域の海防を確立するため、太政官より 「艦隊」 の編成が命ぜられ、横浜、兵庫、長崎の各港に小艦隊1個ずつを配備したことに始まります。

kantaihensei_M030725_p01.jpg

( 今に残るこの太政官の記録文書には内容的に誤りや矛盾点などが多くあって色々と問題も多いのですが、これについては省略いたします。 ともかく、艦隊の編成について出てくる最初のものということで。)

ただし、この時はまだ艦隊の編制について明文化された規定はなく、翌4年に制定された 「海軍規則並諸官俸給表」 において大中小艦隊について初めて定められました。


そして艦隊について改めて単独の規則として定められたのは明治17年の 「艦隊編成例」 (丙136号) によってです。


この中で注目すべきは、初めて 「連合艦隊」 という言葉が出てくることです。

そしてこれと同時に 「艦隊職員條例」 (丙137号) によって司令長官・司令次官・司令官 (以下単に 「司令長官等」 という) 及びその参謀長以下職員の職名、階級、員数が定められるとともに、司令長官以下の簡単な職務概要が規定されました。


この中で、参謀とは 「司令長官等謀略の資に供するを任とす」 (第37条) とされています。 なお艦隊職員の内、参謀長、参謀、伝令使及び秘書はこれを司令長官等の 「属員」 と称され、まだ 「幕僚」 という用語は使われておりません。

また当時はまだ 「司令部」 という概念はありませんでしたので、これら旗艦に乗艦する司令長官等と艦隊職員の雑務と身の回りを担当する下士官兵は、「旗艦増員表」 (丙138号) によって旗艦乗員の増員として取り扱われておりました。


因みに、軍楽隊一隊が旗艦増員として乗艦するようになったのは明治22年からのことです。


(12月15日追記):

明治22年からというのは、制度上の定員としての話しですので間違えないようにしてください。

実際に海軍軍楽隊が初めて艦船に乗り組んだのは明治16年当時中艦隊旗艦であった 「扶桑」 であるとされていますが、これが一時的であったのか常駐であったのかはわかりません。

ただし当時の海軍軍楽隊の状況からするならば、明治22年までは必要の都度であったと考えられます。

-------------------------------------------------------------

次 : 艦隊司令部職員の構成と職務 (2)

posted by 桜と錨 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/178007481
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック