2016年08月28日

「四十径安式十五拇砲」 について (後)


さてそこで、江田島に展示されている2基について少し考察してみましょう。

尾栓部上側に安社の刻印がなされていることから、元はこの砲そのものも安社製のものであったことは確かでしょう。

40cal_6in_photo_02a_s.jpg

そして確かに尾栓の形状も安式であることが確認できます。

40cal_6in_photo_02_s.jpg

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ただし、砲身そのものは2基とも次により二号砲であることは明らかです。

1.砲身の形状
2.尾栓部後面の3層構造
3.尾栓環下の駐退機取り付け部の位置

40cal_6in_03_s.jpg

尾栓部上側の安社の刻印と合わせて楕円形の刻印がありますが、これを詳細に見ればおそらく英国製か呉で製造された砲身かが判るのではないかと思います。

これについては次ぎに訪問する機会があれば詳しく調べてみたいと思います。


そして、照準器はこの砲の採用当時の照準桿形式のものではなく、後で旧海軍によって改造された照準望遠鏡付きのものであることが判ります。

40cal_6in_photo_04_s.jpg

40cal_6in_04_s.jpg

その他色々とオリジナルのものからの変更があると考えられますが、多くの部品が失われてしまっていることもあり、詳細については今のところ不明です。


なお、本砲の詳細な要目については、本家サイトの次の頁で解説しておりますのでご参照下さい。



それにしても、

 特徴は、砲弾を砲身の後方から装てんする 「後装式」 を採用したことで、「前装式」 が主流であった 当時の 砲に比べて、装てん時間は約1/10に短縮された。

って、一体何時の時代のことを言っているのかと (^_^;

旧海軍でさえ、前装砲が中心であったのは明治初期の創設期の話しであり、明治10年代に入ると既に克 (クルップ) 式を始めとする後装砲が主体となります。

更には20年代には機砲や47粍速射砲、そして三景艦以降は12糎以上の中口径砲でも速射砲となっているのに、です。


以上のことから、砲術科や研究部、参考館などを抱える第1術科学校の掲示物の内容として、これではちょっと恥ずかしいかと。 少なくとも掲示板の前半部分は、タイトルも含め早急に改める必要があるでしょう。

(本項終わり)

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「四十径安式十五拇砲」 について (前) :

posted by 桜と錨 at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し
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