2016年08月19日

合戦準備における木甲板の砂撒き


少し前に某巨大掲示板で話題になっておりました艦艇において合戦準備の際に木甲板に砂を撒くといことについてです。

当該掲示板では HN「hush」 さんがいつも通りの豊富な知識を活かして頑張っておられましたが、こちらで少々補足を。


帆船時代を含めて、艦艇では合戦準備の一貫としてまず木甲板を水で流します。

帆船時代は水兵達は裸足の者が多かったため(多少なりとも) 足裏を傷つけないようにするためと、火災予防のためです。 (そして日本海海戦時には甲板上に搭載した石炭を艦内格納又は海中投棄した後の清掃を兼ねていました。)

そして更に重要なことは、砲弾が木甲板に当たった場合、これにより飛散した木片による負傷を少しでも少なくするためです。 乾燥してささくれだった木片が人体に食い込んだ時には、ペニシリンが無かった当時としては時として致命的で、基本的には手足を切断することになりますが、多くの場合失血や感染症で命を失いました。

この水洗いの後に、木甲板に湿った砂を撒きます。 これは良く言われるように滑り止めのためであり、また流れ出た血の広がりを抑えるためでもあります。

ただしこれは人員のためであって、大砲の滑り止めなどにはなりません。


何時撒くのか。

基本的には合戦準備の一貫としての作業ですが、帆船時代を始め船の速力が遅い時代は敵艦が見えてからでも十分に間に合います。

しかし甲鉄艦の時代になって速力が早くなっるに連れて合戦準備は会敵前の比較的早い段階に終えるようになると、これでは戦闘時に木甲板と砂が乾いてしまい、目的の効果が無くなりますので、合戦準備後会敵までの適当な時期を見計らって実施することになります。


どの範囲に撒くのか。

目的が人員のためですので、原則として人が戦闘配置として就いている場所、つまり露天舷側砲などであり、そして人が頻繁に通る場所、つまり運弾通路となるところなどです。

したがって、帆船時代などでは木甲板全体にわたる広範囲なものとなりますが、甲鉄艦となった以降はその必要とされる範囲は次第に限定されたものとなります。

(もちろん、木造船時代と甲鉄艦時代とでは木甲板の意味合いが異なることは申し上げるまでもありません。)


誰が撒くのか。

帆船時代のように広範囲に撒く場合にはそれこそ総員作業になり、副長などの指示により一斉に行うことになります。

しかしながら甲鉄艦時代となると、戦闘時に木甲板の露天甲板に出る必要のある人員は次第に限定されてきます。

したがって、作業は砲員及び運弾員に指定された兵員がその中心となり、次第に総員作業から砲術科の通常の合戦準備作業の中の一つになってきます。

これは砲側に諸工具・用具などを準備したり、撃ち殻薬莢の跳躍防止用のマットを敷いたりするのと同じです。

このため、木甲板の水洗いや砂撒きなどはわざわざ艦の戦闘詳報などで採り上げて記載するまでもなく単に 「合戦準備」 の中に含まれることになりますし、更にはまた昭和期には艦としての合戦準備事項の一つとして規定することも無くなって来ました。


ですから、hush さんの言われるように日露戦争期でさえ戦闘詳報などに当該事項の記載が見られないというのは自然なことなのです。

しかしながら、本ブログで連載しました 『日露海戦懐旧談』 の中でも出てきますように、これが淡々と実施されていたことは明らかです。

ただし、日本海海戦などにおいても、これがどの程度の効果があったのかについては不明で、各艦の戦闘詳報や戦訓などにおいて記されているとおり、既に個艦における防禦措置としての重きはこれには無かったことは確かです。


いつ頃まで行われていたか。

上述のとおり、木甲板そのものが少なくなり、かつ露天甲板に配置される人員が少なくなったことと、運弾員など甲板上を動き回る兵員は戦闘時には底がゴムの布製ズック又は厚手の地下足袋を多く着用したことから、木甲板の砂撒きは昭和期までには必要な個所を必要に応じて各艦、各部署ごとに実施するようになったと考えられます。 もちろん太平洋戦争期でもある程度は行われていたであろうことは想像に難くありません。

また砂巻きは鉄甲板では意味がありませんし、リノリューム甲板では材質表面を痛めることにもなります。

そして鉄甲板のところは、砲座なども含めて必要な個所には波形の滑り止めがついたものを使用したことはご存じの通りです。


現在では掃海艇などを除けば鉄甲板以外の艦艇はまずありませんが、戦闘時に限らず普段でも濡れた鉄甲板は滑りやすいため、某巨大掲示板でも紹介があったように、海自では通路 (歩行帯) 指定個所に砂を撒いてその上から塗料で塗り固めて滑り止めとしています。

もちろん米海軍などではそんなけちくさいことはせずに滑り止めの塗料を分厚く塗っていますが (^_^;


では最後にご来訪の皆さんに質問です。

木甲板に撒く砂は、この合戦準備作業として使用するために艦にわざわざ搭載しているものなのでしょうか?

(8月21日追記):

実はこの砂は合戦準備作業用のためだけではなく、平時から木甲板の保存・手入れ用に艦に常備しているものなんです。

木甲板を常に正常で綺麗な状態に保つためには大変に手間暇がかかります。

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毎朝の水洗いのみではなく、必要に応じて掃き掃除をしてゴミなどのないようにすることはもちろんですが、雨や海水を被った後はこれを拭って常に乾燥した状態を保たなければなりません。

そして艦の振動や気候の変化により木板と木板の間に隙間が出来たり、詰め物が欠損したような場合には、見つけ次第中に水が染み込まないように補修をする必要があります。

また、もし油性のものを溢してしまった時には、石灰などを使ってシミにならないようにしなければなりません。

しかしながらここまでやっても、それでも経年変化とともに木甲板の表面は水垢などによって変色し薄汚れてきます。

そのため、定期的に木甲板の表面を綺麗にする必要が出てきます。 これは檜の浴槽などをお考えいただければお判りいただけると思います。

つまり、サンドペーパーや鉋を使う代わりに、この砂で磨くわけです。 もちろんこれを頻繁にやりますと木甲板はすぐに磨り減ってしまいますので、これを行う時期を見極める必要があります。

戦艦などにおいては、こうして木甲板を常に綺麗な状態を保つために大変な手間暇をかけて、その威容を保持していたのです。


posted by 桜と錨 at 22:15| Comment(12) | TrackBack(0) | 海軍のこと
この記事へのコメント
質問について考えてみたのですが結論が出ませんでした。
内容からして、わざわざ砂撒きのためにはじめから船に載せていた訳ではないのだろうかと考えたのですが、ならばいつ載せるのか、何の砂なのかまで考えてギブアップです。
海の砂?とも考えました。
答えは教えてくださるのでしょうか。
Posted by はんぺん at 2016年08月21日 01:55
ナトリウムなどのアルカリ金属が何らかの原因で艦上・艦内にて化学反応が発生した時の消火剤として搭載されていると思います。
ですから搭載される砂はなるべくアルカリ金属の化学反応に影響を与える物質が付着しているおそれがないものが望ましいと思います。
Posted by 蘭印から愛を込めて at 2016年08月21日 12:22
はんぺんさん、こん**は。

先程追記をしましたのでご覧下さい。 旧海軍ではその木甲板を綺麗に保つために大変な努力をしていたことをご理解いただけると思います。
Posted by 桜と錨 at 2016年08月21日 13:45
ありがとうございます。
なるほど、砂は常備していたんですね。
勉強になりました。
Posted by はんぺん at 2016年08月21日 14:06
蘭印から愛を込めてさん、初めまして。

『運用作業教範』 などで定められているとおり、艦艇における消火活動は密閉又は注水・散水を主とします。

また、火災の初期又は小規模な場合は次の手段も用いることとされています。

  消火器 (消火銃)
  乾燥した砂又は灰燼
  濡れた帆布又は蓆類
  蒸気の噴射
  高圧水の噴射

ただし、艦上はともかく艦内での砂や灰燼の使用は後が大変面倒なことになりますので、使用場所などはかなり限られてくるでしょう。

>ナトリウムなどのアルカリ金属が何らかの原因で

艦艇においてこれらによる火災発生のケースを一般的に想定するのはなかなか難しいものがありますので、そのための消化剤として砂を搭載することはありません。

あくまでも砂を使用する場合は木甲板の保存整備用のものを利用できる時になります。

なお艦に搭載する砂は、主として海岸の砂浜のものをフルイにかけて水洗いした後に乾燥させたものです。
Posted by 桜と錨 at 2016年08月21日 15:32
海軍ラッパに「合戦準備」があり、生きたラッパを知るために、艦内でどういう行動を行ったか興味があります。
Posted by killy at 2016年08月21日 20:11
 HN「hush」です。
 いつもお世話になっております。
 また、興味深いお話をありがとうございました。
 特に、合戦準備の中に含まれていたがゆえに記録に登場しないというのは、なるほどなと思ったような次第です(もっとも、私は戦闘詳報にきちんと当たったわけではないのですが)。
 また、大砲の滑り止めにならないということですが、これは、もちろん、砲架次代になってからの話かと思っております。
 過分なお言葉を賜り、感謝申し上げるとともに、記事に気づくのが遅くなりましたことを申し訳なく思っております。
 
Posted by hush at 2016年08月21日 21:14
詳しいご回答ありがとうございました。
私も勉強になりました。
今後もこのような質問を楽しみにしています。
Posted by 蘭印から愛を込めて at 2016年08月21日 21:30
hush さん

あちらへは顔を出さず、こちらで勝手にやっていることですので、お気になさらずに。

それにしても、hush さんの博学振りにはいつも感心しております。

>大砲の滑り止めにならない
はい、言葉足らずで、橇盤にローラー(車輪)が着いた滑筒砲時代のことですね(^_^;

Posted by 桜と錨 at 2016年08月22日 11:06
killy さん

合戦準備で実施する作業内容は、時代、艦型、装備などで異なってきますし、またその艦ごとに決めた独自の項目もあります。

大正期〜昭和期における個艦としての一般的な標準のものは、本家サイトの次の頁でご紹介しておりますのでご参照ください。

「臨戦準備と合戦準備」 :
http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/gunkan/ship_miscella.html##02

もちろん、これらには各科毎に実施する細かなものは含まれておりません。 例えば砲術科の砲台については教範の 『艦砲操式』 の規定に従って行うことになります。
Posted by 桜と錨 at 2016年08月22日 11:24
合戦準備ではありませんが、かつて昭和38年春に東京湾で護衛艦「てるづき」後部に商船賀茂春丸が突き刺さった衝突事件のとき、「てるづき」艦上では応急作業現場の滑り止めに糧食庫から塩を運んで撒いた、と当時の応急長から聞いたことがあります。
大量の塩だと効果があったようでした。
Posted by 荻野正憲 at 2016年09月03日 22:35
荻野先輩

昔の砂巻きを咄嗟に思い出されたのでしょうが、見事な機転ですね。

Posted by 桜と錨 at 2016年09月05日 07:48
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