2015年05月20日

大空への追想 (260)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第8章 海軍飛行艇隊の霊よ安らかなれ

「 ただ今から海軍飛行艇隊搭乗員戦没者の慰霊祭を挙行いたします。」

司会者の開式宣言が重々しく響き渡った。

遂に実現した。 宿願成就である。 3年間にわたって、練り抜いた計画が本日ここに実を結んだのである。

260_01.jpg
( 原著より 詫間における慰霊祭式場 )

昭和51年10月16日1500、香川県詫間町福祉会館の式場は、詫間航空隊飛行艇搭乗員の生存者で埋められていた。 この日は秋晴れの快晴で、詫間の海は静かに青々とした美観を呈していた。

詫間海軍飛行艇隊、それは海軍飛行艇最後の一隊である。 全国の飛行艇隊を詫間に結集した日本海軍最後の飛行艇集団なのであった。

既述のとおり、開戦当初から勇戦激闘を続けて来たものの、20年8月15日、詫間の基地 (注) において終戦を迎えることになったのである。

あれから31年の歳月が流れた。 戦争以上の苦難の道を歩み続けて来た生存者達の心の中に、絶えず残されていたものは、いずれの日にか全員が顔を揃えて、最後の作戦基地詫間において、今次大戦で散華していった飛行艇隊員の霊を慰めたいという悲願であった。

今日その悲願がやっとかなえられたのである。 詫間町民の暖かい支援と、香川地方連絡部の協力を得て実現の運びとなった。

私の保管していた終戦時の飛行隊編成表を唯一のたよりとして、約3年間にわたる調査の結果、218名の生存隊員中180名の住所を掴むことができた。 当日の出席隊員150名。

何より嬉しかったことは、呉総監、三十一航空群司令の取り計らいにより、音楽隊とPS-1が参加していただけたことである。

15年間も海自勤務をしておりながら、自衛隊が部隊としては民間の宗教的行事に参加することができないということを、この慰霊祭において初めて知った次第である。 呉監から、

「 当日の慰霊祭においては、神官による行事が終了し、神官退場後追悼式に移行してから音楽隊を入場させて欲しい 」

という御親切な通知を待て、新たに式次第を変更する等、委員長を引き受けた私は前日から心の休まる時がなかった。
(続く)

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(注) : 詫間航空基地については本家サイトの次の記事でご紹介しておりますので、ご参考にして下さい。


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