2015年05月05日

大空への追想 (257)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第7章 特別手記 (承前)

    第3話 奇跡の生還 (承前)

〇 決行 !!

19年8月5日午前2時、日本の気候にすれば二月頃に似ていた。 外を見ると風もなく霜が真っ白に降りていた。 月は皎皎と輝き、なんとなく日本の歴史上に残る大事件の勃発にふさわしい光景であった。

「 行くぞーッ 」

リーダーの合図により、約1千名の者が大喚声をあげて宿舎から飛び出した。 突撃ラッパが鳴り響いた。 ラッパを吹いたのは、例の艦爆搭乗員であった。 彼はどこから手に入れたのかラッパを隠し持っていたのである。

かねてからの計画どおり、宿舎に火が放たれた。 各自持ち出した2枚ずつの毛布を有刺鉄線のバリケードにかけてよじ登り、収容所の四隅にある監視塔に向かって突進して行った。

監視兵は全く予期しなかった事態に面食らいながらも、猛烈な機銃射撃を浴びせて来た。 あちこちでバクバタ倒れる者が続出したが、これはかねてから望んでいたことである。

捕虜達は武器といえるほどの物は持っていなかった。 手に手に、箒の柄で作った手製の槍などを持って、ただ喚声をあげながら弾幕の中を突進するだけである。 射たれて死ぬことが目的である。

捕虜側から見れば監視兵達はまんまと我が計画に引っかかったのである。 倒れた戦友の屍を踏み越えながらただ走った。

あちこちから “天皇陛下万歳” という叫び声が聞こえる。 実に壮絶な光景であった。

古川兵曹は、竹箒を構えながら早く弾丸に当たることを祈っていた。 国賊の汚名を逃がれ、護国の鬼となる時が一刻も早く来ることをひたすら祈っていた。

前の方で戦友が将棋倒しになるのが目に入った。 “来るぞーッ” と思った途端脚をすくわれるように倒れこんだ。 どうしても起き上がれない。 古川兵曹はどうやら脚をやられたようだと感じた。

これでは死ねない。 胸をせりあげて “ここを射てッ” と叫んだものの通ずるはずもない。

後ろから、どんどん自分を踏み越えて前進が続いている。 生き残ったら大変だ。

彼はコンクリートの床で刃先を研ぎすまして万一に備えて隠し持っていた洋食ナイフを取り出し、胸をはだけ、左乳下を思い切り突き刺した。 血がダラダラ流れ出し、手が滑ってとても心臓まで刃先が届きそうもない。 凍りついたような手に血の暖かさが感じられる。

やむなくナイフを両手で握ったまま、うつ伏せになって体重をかけてみた。 しかし思うように出血がない。

いよいよ焦った。 そこで刺したナイフを力一杯スリコギのようにえぐり回した。 痛みは無かったが今度はどくどくと出血し始めた。

“これでよしッ” 再び仰向けになり隣の戦友の遺体を枕にした。 アスファルトの地面の冷たさが背に滲みてくる。 残月がなお白々と光を投げている。 周囲の呻き声が一段と増してきた。 吹き出る血を左手で抑え、右手でナイフを握ったまま静かに目を閉じた。

これで死ねると考えた。 これで帝国海軍軍人としての誇りがよみがえって来た。 今こそ捕虜の汚名も濯ぐことができる。

“ 分隊長ッ、司令ッ、私はただ今立派に戦死します。 捕虜ではありません ”

心の中でこう叫びながら、腹の底から “天皇陛下万歳ッ” と大声を出したつもりであるが、そのまま意識を失ってしまった。


その後どうなったのかは全く分からないが、気のついた時には病院のベッドの上に寝ていた。 手や胸、足が包帯でぐるぐるまきになっているのだ。

“ああ、また生き残ってしまった” ポロポロ涙が出て仕方がない。 戦友はどうなったのだろうか、あのラッパを吹いた艦爆搭乗員の姿が目に残ってなかなか消えない。

グループの一人、沖本一飛曹がこの時に戦死したことを後になって知ったのである。 遂に4名のみになってしまった。 古川兵曹は左肺を失い、左脚に銃創を受けていることを知らされた。

何気なくベッドの下を見ると、海兵出身のA少尉が両手両足に包帯をまき、四つん這いになって動き回りながらみんなを見舞っていた。

かくてカウラ収容所の日本軍捕虜約1千名のうち、死亡者237名、負傷者550名を数えて集団自殺行も幕を閉じたのである。

飛行艇搭乗員も、沖本一曹を失い、遂に高原、平山、古川、天本の4名のみが生き残り、彼らにしてみれば、残念ながら目的を達成することが出来なかったのである。
(続く)

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