著 : 日辻常雄 (兵64期)
第7章 特別手記 (承前)
第3話 奇跡の生還 (承前)
〇 空戦 !!
「 戦闘機だッ 」
後席からけたたましい声が響いた。 クルー達は直ちに機銃にしがみついた。 後部二十粍に高原、右スポンソンに古川、中央銃座に天本、左スポンソンに七島、前方に平山配置に就くや否や中央の天本兵曹が先ず射ち出した。
ダダダダーッ、スピットファイヤーが一機、右前方から矢のように突っ込んで来て、あッという間に後方に消えた。 すぐ敵は切り返して来て今度は尾部から突っ込んで来た。
高原兵曹の二十粍発射音が力強く機体を揺さぶった。 バラバラッ ・・・・ 敵弾がどこかを射ち抜く音がした。
敵機が大きく目に写った瞬間、尾部から白煙き吹いたと思うと一直線に海面に急降下していった。
「やったッ」 と思わず叫んで、高原兵曹が後方を振り向くと、七島一飛が 「ウウーン」 と唸ったままうつ伏せになって腹部を抑えていた。
この時、古川兵曹の目に真っ赤な炎が映った。 ぞーッと悪寒が背筋を走り抜けた。 よく見ると、胴体タンク室後部扉付近からメラメラと炎が吹を出している。
“しまった !!” 「火災」 と叫びながら、炭酸ガス消火装置の引き手に飛びついて力一杯これを引っ張った。
ものすごい白煙が立ちこめて、タンク室内の火災はいったん消え去ったように見えたが、再び燃え上がった。 こうなると前部の消火装置を使う以外に手がない。
信号ブザーをいくら押しても応答がない。 かくなる上は自ら炎の中に飛び込んでゆくだけである。 後部の扉を開いた途端、一陣の風がさーッと吹き込んだ。 これが運の尽きだった。 猛烈な炎が立ち上ったのである。
慌てて扉を閉めてみたが、火は消えず、これで艇内は前後部が完全に遮断されてしまった。
火勢はいよいよ広がる一方で、今にも天井が吹き抜けそうに見えた。 高度3千米、前席でも気がつき、消火のため一挙に急降下に入った。 タンクの爆発が先か、海面突入が先か、炎と海面に交互に目をやっていた。
一方尾部銃に就いていた高原兵曹は、吹きつけてくるものすごい白煙に襲われながら、床に伏して見ていると、白煙の中から真紅の炎がちょうど大蛇の紅い舌のように不気味に自分の尻を舐め出した。 我慢しながらただ膨らんでくる海面を見つめていた。
“ジー、ジー、ジー” と三声のブザーが響く、いよいよ自爆だ。 これで俺の人生も終わりだと観念したが、何も頭の中には浮かばなかった。
海面が迫った。 やがて引き起こしのものすごいGを感じると共に銃座の窓から放り出されたところで失神してしまった。
古川兵曹は、急降下中に自分の最期を意識した。 腹の奥底から 「天皇陛下万歳ッ」 と叫んだ。 海面が目の中に飛び込んだ。 いよいよ激突だッ。 思わず 「お父さん」 という声が出た。
引き起こしのGを感じた瞬間ドーソと言う強いショックとともに機は大きくジャンプした。 同時にタンク室後部隔壁の片隅にめり込むように叩きつけられて失神してしまった。
前方席は悲惨だった。 戦闘機の一弾は機長三浦中尉の後頭部を直撃した。 壮烈な機上戦死である。 偵察員平山兵曹はこれを目撃し、ただ一人操縦に専念する副操島田兵曹を励ましながら彼の後ろから操縦を助けていた。
沖本兵曹は最後まで電信席でキイを叩いていた。
〇 沈みゆく愛機
古川兵曹はしばらくして気がついた。 体の上にはいろいろな物件が積み重なっていて全く身体の自由が失われていた。
どこからともなく海水がどんどん浸入してくる。 タンク室から紅蓮の炎がふき出している。 熱くてたまらない。 海水は腰まで来た。 海水の上面はガソリンで火の海である。
苦しい、手も喉も焼けるようだ。 海水は遂に肩まで来た。 早く頭がマヒしてくれと念願した。 すべてを諦めて両眼を閉じ、息も止めた。
と、そのとき急に肩が軽くなった。 まだ運があるのか、体を抑えつけていた物件が海面に浮上し始めたために、ライフジャケットをつけている体が浮き上がったのである。 そして、壊れた中央のハッチから自然に海に押し出され始めた。
“ ああ、これはいかん。 自分は搭整員だ。 愛機から離れるわけにはいかない。 火災を消せなかったのは俺の責任である。 この愛機を失ってどうして生きられよう。 罪は万死に値する。 俺はここで愛機と共に沈むんだ。”
こう気がついて銃座に掴まろうとしたが、肘関節が動かず、握力も全然ない。 完全に体は海上に流し出されてしまった。
海中で気がついた高原兵曹は、逆さになったドン亀のような格好になって海水を飲みながらもがいているうち、ぽっかりと海面に浮かんだ。 炎上する愛機から20米くらい離れていた。
愛機は左に傾いたまま、もうもうと黒煙を吹き上げていた。 古川兵曹は何やら分からないが、体に当たった物件を抱えたまま愛機の最期を見つめていた。
左翼は海中に没し、艇体の大部分は沈んでいた。 右翼が斜めに高く天に向き、折から西に傾いた夕陽を浴びて日の丸のマークだけが鮮やかに輝いていた。
やがて徐々に傾斜を増しながら沈んでいった。 海上のガソリンの火も消えて、そこには静寂な大海原があるのみで何一つ目にとまるものはなかった。 あの敵の船団はどこに行ったのだろう。 浮流物を抱えたまま静かに目を閉じた。
(続く)