2015年04月02日

大空への追想 (247)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第7章 特別手記 (承前)

    第3話 奇跡の生還

この手記の主人公は、東港海軍航空隊九七式大艇索敵機の4人の生存者である。

大平洋戦争においては、戦死の公報を受け、葬式まで済んでいる人で生還していることが確認された例は少なくない。 こういう人達は想像に絶する苦闘を堪えて帰って来たものが多い。 この記録もその実例である。

海軍航空隊搭乗員としての責任感溢れるこの実話は、恐らく現代人には理解し得ないことであろうが、生存していた4名が語る4年間の生々しい実録であり、小説よりも奇なりと言うべき感動の物語りである。


昭和17年2月15日、セラム島アンボン基地を発進し、濠州北岸の洋上索敵中の九七大艇が、敵輸送船団を発見触接中、敵戦闘機と交戦、「ヒ」 連送 (敵飛行機見ゆ) のまま遂に還らなかった。

当時自爆と断定され、東港空としてはこれが4機目の自爆となったのである。 (当時筆者は東港空飛行分隊長であった)

戦後20年 (40年12月)、この時の搭乗整備員が “私は生きております” と言って夢のような手紙を筆者宛に送ってきたことから、奇跡の生還の事実が判明したのである。

自爆ではなかった。 撃墜された九七大艇は不時着し、炎上沈没したのであるが、操縦員を除いて6名が洋上に放り出され生命をとりとめたのである。

空戦、撃墜、漂流、漂着、島内放浪、会敵、捕虜収容所生活、集団自殺行と、4年間の難行、苦行に身をさいなまれながら、最後まで生き残った4名が戦後帰国していたのである。

52年10月、神戸湊川神社で行われた第二回海軍飛行艇隊搭乗員戦没者慰霊祭においてこの4名と再会し、詳しく聞くことができた。

高原一飛曹、平山一飛曹、古川二整曹、天本三整曹 (いずれも当時の階級) がその人である。 彼らは帰国後32年間、過去の一切を秘匿してそれぞれの道を選び、今日に至っていたのである。

この手記は、この人達の語るところを筆者が纏めたもので、十分に意を尽くせない点があるが了承を願いたい。 やはり 「奇跡の生還」 と題する以外に適当な標題は見当たらなかった。
(続く)

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