2015年03月23日

大空への追想 (245)

著 : 日辻常雄 (兵64期)

第7章 特別手記 (承前)

    第2話 メレヨン島不時着、58日間の飢餓道 (承前)

〇 さらばメレヨン島

58日間の飢餓の島での闘いは終わった。 今クルー達は、狭苦しい潜水艦の中に乗り込んでいる。 乗艦後食器一杯のカユと一粒の梅干が各自に与えられた。 カユというよりも重湯であった。

その美味かったことは何にも例えようがなかった。 このときの味は今でも忘れることができない。

メレヨン島でも1日1合の米はあった。 しかし死の不安に脅えながら食べるのと、“これで飢餓から脱出できたのだ” という安心感のもとで食べる重湯とでは、格段の差があった。

栄養失調者にいきなり普通食を与えたりすると、消化不良を起こして死ぬことがあるのを配慮しての給食である。 腹が慣れるまでしばらくの我慢であると軍医官の親切な説明があった。

便乗者はクルーを始めいずれも栄養失調者ばかりである。 カユしか与えられず、空腹感はとても満たされなかった。

餓鬼となっている若い二人の設営隊員が、艦の側壁とパイプの間に備えてある艦の非常糧食のビスケット缶を発見した。 あさましい話だが軍属達がみんなでこれを貪り食ってしまった。

さあ大変、甲板士官が気がついて駆け付けたが時既に遅し、狭い艦内はたちまち便所と化してしまった。 この事件で遂に軍属2名が死亡した。 食べたい一心上でのことだからあるいは満足して死んだとも言えるだろう。

艦長はこの二人を軍艦旗にくるんで、夜間浮上航行に移ってから厳かに水葬に付した。

潜水艦は、メレヨン出港後は日出2時間後に潜航し、日没2時間前に浮上した。 潜航中は1.5ノット、浮上航行時は12ノットで横須賀に向かっていた。

本艦に乗り込んでから、梓特攻隊の二式大艇をメレヨンに不時着させて救助するはずの潜水艦が途中で撃沈され、伊三六九号が任務を引き継いでいたことを初めて聞かされた。

艦内生活もまた地獄に近かった。 敵艦影を認めて急速潜航し、全機関を停止して探信儀に全注意力を集中してジーッと堪えている時のあの不気味さは、この世のものとも思われなかった。

汚れた空気と汗にまみれての潜航、全身にカイセンとアセモができて本当に苦しかった。 しかしメレヨン島の死闘に比べると、生還への明るい希望を持ちながらの苦しみなのだから、そこには雲泥の差があった。

5月24日の朝、メレヨン出港後16日目、潜水艦は伊豆七島の沖合に達していた。 再び潜航に移り “1600 野島崎沖に到着の予定” と艦内に告げられた。 いよいよ日本の表玄関である。

クルー達にしてみれば、一挙に浮上して突っ走ってくれればいいがなーと思っていたが、今では東京湾内に完全に入るまでは、潜水艦にとっては一刻も油断のならない戦場なのだと聞かされて、戦局の厳しさを痛感した。

1600、予定どおり東京湾の入口に達した。 艦長から “梓隊員は3名ずつ交代で艦橋に上がれ” と特別の指示が出た。 早く内地を見させてやろうという艦長の暖かい配慮からである。

「 右が野島崎、左が洲崎の灯台である 」

18日振りに見る太陽の光は目にまばゆかった。 胸一杯空気を吸い込んだ。 空気の美味さがこんなに身に滲みるのも初の体験であった。

「 ああ生還できた 」

この感激は一生忘れられない。 5月24日1800、無事横須賀に入港できたのである。

245_01_s.jpg
(原著より  伊369潜  撮影時期不明、横須賀帰投時と推定)

鹿児島の天保山沖の波を蹴って日本に訣別してから75日目、再び日本の土を踏むことができた。 まさに地獄からの生還である。

戦況が日本軍に不利になって以来、潜水艦によるメレヨン島への補給は何回か計画されたのであるが、任務を果たして無事帰国できた潜水艦は、伊三六九号ただ一隻のみと開いている。 本当に天佑神助としか考えられない。
(続く)

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