2024年04月30日
世の中GWらしいですが
昨日は一日中かなりの雨で何処へも出掛ける気にはなりませんでしたし、街に降りても面白いところは特にありませんので、家内と二人、我が家でノンビリ、ダラダラ過ごしました。
そして夕方になっても家内はご飯を作る気にならないようで “どこか簡単に食べに行って済ませようよ” と。
で、以前にもお邪魔したことのある車でちょっとのところの、最近こちらの地方でも数が増えてきた台湾料理を名乗るところの一つへ。 ここは味はともかく、安くてお腹一杯だけにはなるところとして知られています。
私は豚骨ラーメンと台湾炒飯のセット、家内は五目ラーメンです。
ところが、あららっ、以前と比べると何か随分と美味しくなってる !
家内のものも、私のものも、それなりな味で、これならこちらの一般的なお店にわざわざ出かけなくても十分対抗できるかと。
GWとは言ってもどこも人だらけで、人混みが嫌いな私としてはノンビリ風景などを楽しむことは期待できません。
それに街では 「みなと祭り」 の最中とは言ってますが、一体そのどこが “港” なのかと。 ただ人が集まって騒ぐだけ。 こちらに移住してきた時に一度見に行ったきりです。
う〜ん、今日で4月も終りで、明日からは5月。 もう一年の1/3が過ぎてしまいました。 早いものです。
そして、娘や孫達は誰も遊びにはきませんので、残りのGWもこのまま家ごもりか ・・・・
2024年04月28日
大井篤氏著 『海上護衛参考書』 公開 !
先に本ブログでご紹介しました、刊行本 『海上護衛戦』 で知られる 大井 篤 氏が同書の内容と極力重複しないようにしてものした昭和29年の海上自衛隊部内向けの 『海上護衛参考書』 の全文 を、表紙以外は整形・ゴミ取りをしていない (暫定版) のPDFファイルとして本家サイトの今週の更新として公開しました。
本史料が一般に公開されるのはネット上も含めておそらく初めてのことと思います。
「海上護衛戦」 については、他にもまだ一般に公開されたことの無いものが他にもいくつかありますので、今後これらについてもご紹介していきたいと考えています。
この方面に関心のある一般の研究者の方々に興味を持って読んでいただけると嬉しいですね。
2024年04月26日
第1砲術講堂解体式
昨日は今の私にとっては体力的にも気力的にも久々の “大遠征” となる、江田島の海上自衛隊第1術科学校までボロ車で往復しました。
呉から音戸大橋 (第1、第2)、早瀬大橋を経て1術校に至る現役の頃に数えきれないほど通った道ですが、安全のためにゆっくり走ることにして少し早めに家を出たものの道が良くなっている事もあり、アッサリと約1時間で着いてしまいました。
式そのものは当然ながら第1術科学校長が取り仕切るもので、まず厚生センターで昼食会、ついで1砲講前で解体式典、そしてその後は希望者に参考館や大講堂などの見学でした。
それにしても、実際に担当する (させられた) 砲術科は、科長以下幹部・海曹教官総員での事前準備及び済々とした実施で、立派なものでした。 大変だったろうな 〜、と (^_^)
学校側も招待者側もそれなりの肩書を有する人達が参集しますし、必ずしも鉄砲屋ばかりではありませんで、式そのものはいわゆる官公庁としての一つの儀式ですので、落ちこぼれの鉄砲屋の私としては “枯れ木も何とか” の一人として気楽に参加です。
昼食会は今は 「江田島クラブ」 と名前が替わっている元厚生センターの一階でです。 ここには業者の食堂があったのですが、現在では隣の学生・職員向けにコンビニや本屋・写真屋などが入っている古い昔の平屋の厚生館の委託食堂のところへ移っており、ここは多目的会場になっているようです。 したがって、食事は外の業者の仕出弁当で、サービスはコーヒーなどの飲み物の給仕も含めて全て砲術科の者の担当です。
昼食会の後は、学校側と部外参列者揃ってバスで1砲講前の解体式典会場へ。
砲術科幹部・海曹教官と在校砲術科学生の総員が整列し、1術校長以下学校側と部外参列者は折りたたみ椅子の席に。
簡単な1砲講の歴史の説明のあと、砲術科長による1砲講入口に掲げられている木製の看板の取り外しと1術校長への返却、代表者によ献花と日本酒のお清め、参列者総員での記念撮影です。 まあ公的式典ですから、私は “枯木も” の一人で黙って座っていれば良いので (^_^)
今回の第1砲術講堂解体式への私の参加の目的は、次の2点でした。
一つは、鉄砲屋としての原点である第1砲術講堂の最後の姿を見ること。
もう一つは、私が鉄砲屋として師匠と仰ぐお二方にお会いできること。
最初の目的である懐かしい第1砲術講堂の最後の姿ですが、講堂の中は既に全てのものが撤去されており、全くのガランドウになっておりました。
実機演習室の3インチ砲などの数々は砲の据付座なども既に無く、机上射撃演習室の装置なども全て解体撤去済みとのこと。 また、倉庫に山積みになっていた古いスタディガイド類も処分したとのことでした。
( 昭和56年の机上射撃演習スタディガイドより机上射撃配置図 )
二つ目の目的では、伊達氏は呉水交会での参加で、大変お元気なお様子でお目にかかりました。 もう一人の師匠と仰ぐ出羽氏は残念ながら既にお亡くなりになられておりますが、その御子息が砲術科の幹部教官として勤務されており、出羽氏の現役時代そっくりな顔立ちの立派な姿にお目にかかりました。
この1砲講の既に建物だけになっているガランドウをこれから解体した跡は当分更地のままとされ、今のところそのあとどうするかについては決まっていないとのこと。
砲術科長に、「せめて術科教育のメッカたる1術校らしく、砲術のみならず、水雷などの各種の装備を集めた記念の展示館などを作ったら?」 と聞いたところ、「それも要望としては挙げているのですが、どうなるか ・・・・」 だそうで。
術科を重要視しなくなった、昨今の “制服を着た能吏” 達が牛耳る官公庁組織の一つとなっている海上自衛隊の姿を良く表していますね。
一つ気になるのは、この古い1砲講の隣にある第2砲術講堂です。 ここは射撃指揮装置1型とMK42 5インチ単装速射砲の実機教材のためのものですが、前者は装備艦は既に無くここも用途廃止済み、後者は練習艦となっている 「さわかぜ」 「はたかぜ」 が除籍となれば装備艦は無くなり間も無くこれも用途廃止となります。 ここに一緒にあった砲術科教官室はとうの昔に学生館裏の総合術科講堂に移転済みですので、そうなるとこの2砲講の建物は今後どうなるのか ?
式典終了後はまず1砲講横の旧陸奥砲塔での砲術科の説明ですが、砲塔横での簡単な説明のみで砲塔内の見学はありませんでした。 う〜ん、中には何度も入ったことのある私としては、折角の機会なのにちょっと勿体ないかと。
横にいた砲術科の幹部教官に聞いたところ、連装砲の尾栓の所在が2つとも不明であることは勿論のこと、砲塔の横にある端艇用具庫となっている場所に元々はこの砲塔用の動力室があった事も知らないようでした。
陸奥砲塔の説明のあとは希望者に対する教育参考館などの見学ですが、通常の江田島一般見学者に対するものと同じ内容で、参考館の地階や大講堂の表側の皇族控室などの見学は無いとのことでしたので、私は参加予定を取り止めて早目に引き上げることに。
厚生センターまでマイクロバスで送ってもらい、土産物など売り場を抜けて裏の駐車場へ。 折角ですから土産物に何かめぼしいものがあればと覗いてみましたが、全くの一般見学者向けのものばかりになっていました。 流石は超有名な観光地になっていることはあります。
あとは自家用ボロ車に乗って正門を出て、来た道を帰るだけ。 復路も家まで約1時間でした。
う〜ん、江田島は防大海上要員の夏期定期訓練に始まり、これまで候補生、1術校学生・教官・部長など何度も勤務しましたが、一OBとなった身としてはもう見学に訪れる魅力は無いようですので、おそらく何か特別な用件でもできない限りこれが最後の機会となるのではと。
( 防大2年の夏期定期訓練にて まだこれらもありましたね )
2024年04月22日
ニャンコの小春と桜
我が家のニャンコの小春は家から外に出さない (出せない) 完全な家猫ですので、昼間はどこかの部屋の窓の桟などに上がって日向ぼっこをしながら外を眺めています。
しかしながら、我が家の庭にも、そして我が家から見える周りには桜の木がありません。
そこで、孫娘が可哀そうに思って、ニャンコと一緒にお花見をしたら、と小さな桜の苗を送ってくれました。
先月の下旬に届いたのですが、まだ小さな芽だけで、取り敢えずキャビネットの上に置きましたら、ニャンコが上がってきてこの芽を齧ろうとイタズラをしますので、花が咲くまではと陽も当たる玄関の外に。
先週になってやっと花が満開に近くなりましたので、もういいかなとまたキャビネットの上に飾って室内でのお花見です。
で、写真を撮っていると やはり登ってくる一匹がいます。 まさに 「これは私の」 と言っているかのように (^_^)
桜にしては花の咲くのが遅いな〜っと思ってネットで調べましたら、これは八重桜の一種で 「旭山桜」 という品種だそうで、最近では花が咲いていない間も盆栽の様にして飾るのが人気だそうです。
う〜ん、来年はまた咲くんでしょうか? そして気になるのはどれくらい大きくなるのか、と言うことです。
取り敢えず鉢を大きくするか、庭に植え替えるのがいいのか ・・・・
2024年04月21日
海上自衛隊の 「艦砲操法教範」 について
今週の本家サイトの更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにおいて、「海上自衛隊の砲術・艦砲射撃について」 と題して、その 第1段として 『1.海上自衛隊の砲術・艦砲射撃の3大教範について」 の頁を開設し、まず 「艦砲操法教範 (一般の部)」 をお話しすると共に、昭和51年版の同教範の全文を公開 しました。
https://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/23_JMSDF_Shageki_Kyouhan.html
同教範についての全文の公開はネット上も含めて初めてのことと思います。
なお、昭和51年版の 「艦砲操法教範 (一般の部)」 の内容は、現在の海上自衛隊におけるものとは若干異なるかもしれませんが、それは私がお話しする立場にありませんし、“知りません” (この意味はお判りですね (^_^) )
2024年04月20日
海上護衛戦史料の紹介 ・1
一般の方々では 「海上護衛戦」 と聞かれて直ぐ頭に浮かぶのはおそらく大井篤氏がものした同名の 『海上護衛戦』 で、これは古典的名著であり、現在に至るもこれを上回るものはいまだに出ていないと言って差支えないでしょう。
その大井篤氏が同書執筆に続いて海上自衛隊向けに同書の内容との重複を極力避けて説いたものが、昭和29年に当時の海上自衛隊術科学校から部内向けに出された のが今回ご紹介する 『海上護衛参考書』 です。
当初は 「部外秘」 でしたが、その後これは解除となり、かつ更にその後に史料そのものが廃版となってしまいましたので、海上自衛官でもこれを読んだことをある者、あるいはこれの存在を覚えている者は少ないのではないでしょうか ?
私は現役の若い時に某所でこれが埃を被って眠っているのを見つけて、旧海軍に関する研究のためにとコピーを一部とっておいたものです。
しかしながら、現役の間もそしてOBになってからも、この史料のことは他からは聞いたことがありませんし、しかも今ではどこにどれだけ残っているのか判りません。
こういう貴重なものを、と思い、退職後になってこれをディジタル化して保管・保存しましたが、もし一般の方々でこの方面に関心のある方がおられましたら、これを表紙以外は整形・ゴミ取りをしていないままでPDFファイルとしたものを(暫定版)として本家サイトで公開したいと考えております。
海上自衛隊には、この 「海上護衛戦」 について部外には公開してこなかった史料・資料が他にも幾つかありますので、これらもこれを機会に引き続いて公開していきたいと考えてはおりますが ・・・・ ?
2024年04月17日
横川マリリンバッジ 第2段 !
広島の横川をメインに幅広く活躍されている栗河瑞穂さん、こと横川マリリンさんの応援バッジの第2段ができましたので、私も頂戴しました。
第1段と同じデザインですが、地の色が今度は真っ白です。
で、取り敢えずとして、埃避けのビニールの袋のまま二つ並べて仕事部屋の机の前に飾ってみました。
横川マリリンさんは、昨年私が加藤友三郎顕彰会で日露戦争における連合艦隊参謀長としての活躍をお話しさせて頂いた時に司会を務めていただいたのがご縁です。
大変可愛くお茶目でかつ芸達者な方で、ご本業の他に、音楽家・ミュジシャンとしてだけでなく様々な催し物などで司会を担当されるなど、今や 「横川マリリン」 さんとして大変な活躍ぶりです。
そして大変なグルメでもあり、広島県など色々なところへ出掛けて素敵な喫茶店・レストランなどを見つけてこられます。
私は、なかなかリアルのライブを拝見しに出向く機会が得られないので、残念ながら実追っかけではありませんが、ネット追っかけ第X号を自認しています。
う〜ん、でも私の長い人生の中で、特に海上自衛隊の現役の間は、こういう世界とは縁がありませんで全くの別の世界ことでしたねえ (^_^)
2024年04月16日
4月14日 (日) の本家サイト更新
一昨日4月14日 (日) の本家サイトの更新は、先日お話しした昭和45年に海上自衛隊第2術科学校が出した 『第2次世界大戦における艦艇の戦闘被害』 の公開の1つのみです。
この資料は、元々のロシア語版を米国で英訳して出版したものを再度邦訳したものを、表紙以外は元のディジタル化したまま整形・ゴミ取りをしていないでPDFファイルとした暫定版です。
実は、ちょっと所要があって手許にある古い海図3枚の複製をディジタル化しようと思い立ちましたが、それぞれがB0サイズよりやや大きなものです。
このため、A3スキャナーで600dpiのグレーで6〜8分割してスキャンし、これを1つに合成して整形とゴミ取りをしなければなりません。
ところが、この作業が大変な手間暇を要することになりまして ・・・・
ご存じのとおり、企業用の高級品ならともかく、個人用の安物のスキャナーでは分割スキャンして合成するとどうしても微妙な歪みや誤差が出てきます。
この歪みや誤差を修正し、その上で整形・ゴミ取りとなると。 で、この3枚の海図のディジタル化、引き続き昨日と本日も頑張ってみたのですが、まだまだとても終わりません。
他の公開用のファイル作りを先にするべきだったかもしれませんが、手許にある古い海図は本来のものを薄い紙に複製したもので周囲が少々痛んできておりますので、ともかく今ディジタル化しておかないと今後その機会は無いかもと思ったわけです。
う〜ん、でもこんな古い海図に興味がある方などおられるのでしょうかねえ? まあ、単なる自己満足かもしれませんが (^_^)
2024年04月10日
「朝雲 縮刷版 2023」
「朝雲新聞社」 さんから、今年も昨年2023年の縮刷版をいただきました。
昨年1年間で発行された1月5日付の第3531号から12月21日付の第3578号までの朝雲新聞の全てが収録されています。
もちろん縮刷版ですから、文字などは少々小さいことは致し方ありませんが、それでも防衛省・自衛隊での出来事や世界の軍事情勢などをちょっと確認するときには手許にあると大変便利なもので、私も重宝しています。
この方面に関心の有る方で 「朝雲新聞」 を定期購読していない方でも、この縮刷版だけでも入手されておかれることをお勧めします。
朝雲新聞社さん、毎年ありがとうございます m(_ _)m
2024年04月07日
老夫婦の花見
こちらもやっと桜が満開となりましたが、このところの天候不順もあって、家内と“今年のお花見はどうしようか?”と。
そこで、今日は天気予報でも一日薄曇りながら良いお天気そうなので、こちらに移住してからのいつもの場所にお花見に。
私はどうも人混みが苦手ですので、呉や広島市街へ出て桜を観るのか人混みを見るのかまではしたくありませんで、折角の花見ですからノンビリ桜を愛でたいと。
ところが、今日は日曜日であり、かつ小・中学校が春休み終りのお休みとあって、こんな山の中のところにも関わらず家族連れの多いこと多いこと。
水源地の高台で公園になっているところへは途中の車での道からすでに家族連れが沢山歩いておりまして、諦めて貯水池沿いの桜並木を見に行くことに。
ここは数年前はこの時期の昼間はゲートが開いており中に入れたのですが、やはり水源地に関わらず訪れる人達の飲食のマナーの悪さからでしょう、最近は入れなくなりました。
大変綺麗な桜並木なのですが、仕方なく今年も外から写真だけを。
次いで、絵下山の山頂の公園なら多少は人出は少ないかな、と思っていましたが ・・・・ ここも家族連れや下から歩いて登ってくるハイカーさん達でかなりの人でした。 これほどの人出は初めてです。
運よくベンチが一つ開いていましたので、ここで用意したお弁当を。
毎年の焼き鳥とイチゴは欠かせません。
ただ、こちら方では何故か美味しい焼き鳥が無いんですよね〜。 スーパーなどは勿論ですが、数多ある 「〇鳥」 「鳥〇」 とか言う屋号のところを始めとして、焼き鳥をウリにしているところはどこもどうも今一で ・・・・
絵下山山頂からは広島湾一帯や広島市街が展望できる眺めの良いところですが、今日はちょっと霞んでいました。
ただ 「花曇り」 とは良く言ったもので、薄曇りながら風は無く、お弁当を広げるにも暖かくて景色を眺めながら気持ち良く楽しめました。
帰りに我が家の直ぐ近くの地区公園に寄りましたが、ここは桜は満開なものの、やはりいつも通り誰〜れもおりませんでした。 少々勿体ないですね。
今年も “日本に、日本人に生まれて本当に良かった” と思う一日でした。
で、何だかんだと日中一日老夫婦二人で花見を楽しみましたので、本家サイトの今週の更新はお休みです (^_^;
2024年04月06日
本筋の土曜日昼食のカレー
今日は家内が出掛けておりませんでしたので、昼食は昨夕の残りのカレーを温めて全部かけて。
残念ながら、ラッキョウは昨夕家内と全部食べてしまいましたのでありませんが、カレーそのものは家内手作りの具が沢山入っている美味しいものです。
この家内の手作りのカレーも私のお気に入りの一つ。
私の様な元船乗りにとっては、旧海軍時代から戦後に週休二日制となるまでは、艦船勤務においては土曜日の半ドンの昼食がカレーライスでした。
この艦船勤務における土曜日の半ドンの昼食がカレーであると言うのは確たる理由があってそうなってきたのですが、週休二日制になってからは、補給所による標準献立の制度せいもあって、毎週金曜日の昼食になり、これが今では海自全体、そして陸・海・空全体に拡がっています。
ですから、この土曜の半ドン時代を知らない若い海自隊員や、ネットなどで盛んに宣伝される海自カレーというのは金曜日が広まってきてしまっています。
しかしながら、私などはやはりカレーは土曜日の昼食が本筋と思っています。
2024年04月04日
ランチの焼肉定食
家内のお伴でまたまた街へ降りました。
ついでに昼食がてら場所的にはちょっと判り難いところにある “七が3つ” の屋号の 「さんなな」 さんへ。
昼のランチのメニューは焼肉定食1種だけということで知られるお店ですが、この焼肉定食が大変に美味しいので店もご紹介を。
焼肉定食は、3種の部位を独自のタレで焼いてあり、かつ漬け汁も付いています。 そしてサラダのドレッシングも独自の味です。 これにご飯とお味噌汁、漬物がセットに。
3種のお肉もタレの味がありますのでそのままでも美味しいのですが、漬け汁をつけても。 サラダは私は毎回ニンジン・ドレッシングですが、これもまた美味しいです。
そして、ご飯とお味噌汁、漬物も大変に美味しいです。 ご飯はお代わりして玉子かけにできますが、歳ですからとてもそこまでは (^_^)
このお店、カウンター7席だけの小さなところで、女性二人で切り盛りしていますが、最近どんどん人気が出てきてわざわざ広島あたりからも食べに来るようになりました。
そしてお肉の美味しさが評判で、昼でも飲みながらガッツリ食べたいという要望が多くなり、遂に夜のメニューも昼に出すようになったようです。
こちらの地方の一般的な味付けではなく、都会の味を感じさせるところで、私的には大変に気に入っています。 こういうお店は大事にしたいですね。
軍事極秘地図 「厳島」
某所で話題に出た江田島の古鷹山の標高に関連してのお話です。
旧陸軍の陸地測量部が出していた広島湾北部の地形図です。
広島湾一帯は 「呉軍港」 地帯に定められていましたので、地形図も海図も軍事極秘とされていました。
したがって、江田島や能美島はこの中に含まれますので、地形図は旧陸軍陸地測量部の手になることになります。
本地形図では文字列の左側の有名な古鷹山の山頂の標高が記載されておらず、その東側の三角点の標高が示されています。
考えようによっては、古鷹山山頂というのは海軍兵学校だけが関心をもっており、現在では観光のためにすっかり地形が変わって (変えられて) しまった昔の岩だらけの複雑な形状は旧陸軍としても旧海軍としてもあまり関心が無かったともいえ、また軍港地帯内のためとも言えるかもしれません。
う〜ん、でもこう言う地図にも興味がある方はどれくらいおられるんでしょうかねえ ・・・・ ?