今回ご紹介するのは、昭和33年に海上自衛隊術科学校横須賀分校が出した 『艦隊運動程式の研究』 です。

これは昭和32年の第7期甲種専攻科学生の研究課題の答申を海自部内に検討のために配布したもので、当初は 「極秘」 文書でしたが、昭和44年になって解除されています。
旧海軍においては、明治期に艦隊・戦隊においてタイトな陣形をとる場合の各艦の運動要領などについて 『艦隊運動軌範』 続いて 『艦隊運動程式』 が定められ、後者に改訂を加えつつ今次大戦の終戦まで存続しました。
例えば有名なものでは、ミッドウェー海戦において機動部隊4隻の空母壊滅後の避退中に、第7戦隊の 「三隈」 と 「最上」 がこの 『艦隊運動程式』 による緊急回頭信号の解釈を誤った結果両艦が衝突して、それが元でその後の 「三隈」 の喪失に繋がったことは良く知られているところです。
警備隊を経て海上自衛隊の創設期において、艦隊 (船隊) などにおける運動はこの旧海軍の 『艦隊運動程式』 を基に、これに米海軍による指導の基となった連合軍戦術書 (ATPやACPなど、通称 “AP類”) などによる改訂を加えて 『自衛艦隊運動程式』 が作られましたが、米海軍から一人立ちするに当たり、更に海上自衛隊独自の本格的なものとすることを目指したものです。
ところが、その後は米海軍との共同連携作戦が強く重視される方向に進んだことと、海上戦の戦闘様相の変化によりタイトな陣形での運動が重視されなくなってきたことなどから、結局新たな 『艦隊運動程式』 (あるいは『艦隊運動教範』) が作られることはなく、各種戦における戦術も、そのために必要となる通信・信号類も、米海軍によるところが強くなり、まさに “AP類全盛” となり、必要に応じてその補足事項が護衛艦隊などから出される程度となりました。
私の初級幹部の頃は寝ても覚めても二言目にはこの “AP、AP、AP” という状況でした。 既に “艦隊運動程式 ? なにそれ ?” と。
私は昭和末期になって本史料が残されているのを見つけて複製をとっておきましたが、旧海軍における艦隊運動の基本的な考え方、そして米海軍との違いを研究するためには極めて高い価値があるものと考えています。
しかしながら、本史料、そしてその元となった 『自衛艦隊運動程式』 などは (も)、現在の海上自衛隊に残されているんでしょうか ? 既にこれら古いものは全て廃棄処分されて現存していないのではとの強い疑念がありますが。
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