2022年08月30日

フィンランド海軍対機雷艦 「カタンパ」 級


朝雲新聞社さんから8月25日付の同社の 「朝雲新聞」 が届きました。

「世界の新兵器」 コーナーは私の艦艇編の19回目ですが、今回もあまり紹介されることのない小海軍国であるフィンランドの対機雷艦 (Mine Countermeasure Vessel) 「カタンパ」 級を採り上げてみました。

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この 「カタンパ」 級3隻は排水量680トンながら、その装備は対機雷戦用として大変に充実したものとなっており、伝統的に機雷戦・対機雷戦を重視する欧州各国の海軍として、平時2300名、戦時動員でも4300名の小海軍としては極めて重要な位置付けの艦であると言えるでしょう。


しかしながら、当日付の紙面は本来記事が盛り沢山となってしまいましたで、このため残念ながら当初予定した文量の約半分ほどしか掲載できなくなってしまいました。

実は、当該記事ではこの 「カタンパ」 級そのものをご紹介することはもちろんですが、私としては本当は当初予定した原稿から省略した後半のところが言いたかったのです。

ここで、その部分の主要なところをご紹介しまと。

「 翻って、海上自衛隊では掃海部隊の規模の縮小が検討され、かつ水陸両用戦も所掌するようになってきた一方で、護衛艦を 「もがみ」 型のFMMという少人数のクルー制による多機能護衛艦を多数建造することで進んでおり、その多機能の一つとしてこの対機雷戦の能力が含まれている。

しかしながら、対機雷戦というのは最新鋭の装備はもちろんであるが、それに携わる乗員には豊富な知識、経験、技能を必要とするのであって、一見このような “付け焼刃”“片手間” 的なことで十分その能力が発揮できるかどうかについては、米海軍の沿岸域戦闘艦 (LCS) の例を見ても大いに疑問が残るところでもあり、列国海軍の動向と併せ注目されるところであろう。 」

と言うものです。 さて、皆さんはどの様にお考えになるでしょうか?

海上自衛隊が建造を進めているFMMなる護衛艦は、少人数のクルー制で多機能・多用途を追求しようという構想です。

これの範となったものが米海軍のLCSですが、このLCSは 「ストリートファイター」 構想に基づき将来的には米海軍水上艦艇の主体を占めることになる計画でしたが、現在では見事に失敗であったことが明らかになっています。

にも関わらず海上自衛隊はこの種の艦艇であるFMMの建造を進めていますが、それでなくとも日本人の性格からして、まず上手く行くとは思われません。

例えば、乗員に要求される個艦の船体を含む装備全てについての 「計画整備」 はどうなるのか? これを主要なところを民間造船所を含む陸上造修組織に任せるとなるとライフサイクル・コストとしても莫大な費用を要することになりますし、乗員が行うにしてもクルー制という責任の分散化ではますます “帳簿の帳面消し” になるのでは、と。

そして多機能・多用途を追求するにしても、私の知識・経験からして、対機雷戦一つとっても本当にこんなもので役に立つのか、という疑問が残るところです。

本記事においては、このことが言いたかったのですが ・・・・


posted by 桜と錨 at 19:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2022年08月27日

ご来訪75万名達成記念企画


本家サイトは無事にご来訪75名様を達成できまして、キリ番獲得のご申告も頂いております。

つきましては、この達成記念企画として、旧海軍の 「十二糎二十八連装噴進砲」 及び 「同三十連装」 に関する日米史料集を公開 することといたしました。

取り敢えずその第1段として、サイトの 「史料展示室」 コーナーにおいて、昭和20年に館山海軍砲術学校が同校の教育用として作成した 『噴進兵器参考書』 及び昭和19年に横須賀砲術学校が作成した 『比島沖海戦戦訓 (噴進砲之部)』 の2つをそれぞれPDFファイルにて公開しました。

「史料展示室」 コーナー目次 :

    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html

『噴進兵器参考書』 :

    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/63_IJN_Rocket_Weps_Text_S20.html

IJN_Rocket_Wep_Text_S20_cover_s.jpg

『比島沖海戦戦訓 (噴進砲之部)』 :

    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/64_Senkun_Leyte_Rocket_Weps_S19.html

Senkun_Leyte_Rocket_Weps_S19_cover_s.jpg

どちらもまだ原典が公開されたことはなく、また一般刊行物やネットでも全容が紹介されたことはありませんが、内容的には大変貴重なものですので、じっくりお楽しみいただけたらと存じます。

なお、ご存じのとおりのネット状況ですので、いつもどおりPDFファイルは印刷・加工は不可の設定とし、かつページの上下にロゴを入れております。

もし、研究者の方などで印刷可能のものなどのご要望がございましたらお聞かせください。 状況により考慮させていただきます。

もちろん公開ファイルの状態のままでしたら再配布などは結構ですので、一緒に本家サイトの宣伝もいただけると嬉しいです。

このあと、続きの公開を予定しておりますが、先日お話ししたように一つ難物を抱えておりまして、これはまだ半分も進んでおりません。 すこし遅くなるかもしれませんが、準備出来次第これも公開いたします。

posted by 桜と錨 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2022年08月25日

幹部中級欠食放浪課程学生


ネットのニュースでは、自衛隊は官舎の維持・整備に使うお金さえまともにない、と言うことが話題になっていました。

しかしながら、予算の多少のことだけでは無く、担当者のちょっとした配慮、工夫があれば自衛官、特に幹部の処遇が格段に向上することは沢山ありますが、単なる事務処理だけで終わってそれがなされていないというケースも多々。

特に海上自衛隊というところは、単なる全くのお役所仕事の組織であり、本来あるべき船乗り、海上武人としての “人を育てる” ための配慮には程遠いところ (だった)、という例を。


昔、第一術科学校での1年間の幹部中級射撃課程に入校した時、私はまだ独身でした。 この時のクラスメート15人中で独身だったのは1期後輩のY君と二人。

この中級課程の学生というのは、人事上は入校前の所属の適宜なところの “付配置” となって入校が命ぜられます。

例えば、私の場合は横須賀・船越のプログラム業務隊のDDプロジェクトにおりましたので、入校時の人事上の発令は次の様でした。

rireki_01_s.jpg

そして、妻帯者の学生で遠方からの家族を連れての赴任の場合は、だいたいが大原の官舎に入居します。

ところが、独身の場合はこの官舎には入れないことはもちろん、校内の1術校 ・ 候校勤務の単身赴任幹部職員用のボロで木造の寮にも入れないないのです。

それどころか、任務課程や1術校所掌以外の中級課程学生で4ヶ月間の中級共通課程学生で1術校に入校して来る者は幹部学生隊舎に入り、海曹士と同じ学生食堂で三食食べれるにも関わらず、1術校中級の1年間の課程学生はダメ。

でどうするかというと、校外のアパートなりを自分で探して借りることになるのですが ・・・・

二階建四軒の小さなアパートの一つを借りて、一応の生活用具を揃えましたので、住むと寝るは何とかなったのですが、問題は毎日三度三度の食事です。

校内の学生食堂は食費は払うからと言っても利用できないのです。

結局、私の様にそれまで自炊などした事の無い、自炊道具などを持たない者は、全て外食かパンなどの買い置きの簡単なもので済ますことになります。

まあ朝食は飲み物とパン位の簡単なものか食べなくても何とかなります。 そして平日の昼食は厚生館 (今の立派な建物などはまだ無く、その裏の平屋の古いところです) にある共済組合の委託食堂で済ませます。

委託食堂はメニューが限られているのですぐに飽きますが、他に校内で食べられる所の選択肢がありませんので。

問題は平日の夕食と休日の三食です。

ともかく江田島町内を探し回り、何とか食事 (又はその替わりのものでも) が摂れるところを日々渡り歩くことになります。 平日でも開いている数件しかない食堂、居酒屋、飲み屋さん、などなど ・・・・

当時の江田島がどの様なところであったのかをご存じの方はお判りになると思いますが、それこそ学校の職員と学生相手のお店以外はほとんど何〜んにも無いところでした。 何しろ当時は江田島には現在の様なコンビニさえまだありませんでしたので。

で、平日の授業では午後になるといつも頭の中は 「今日の夕食はどこに行って何を食べようか ・・・・」 ばかり考えていました。

何しろ、1・2ヶ月程度ならともかく、1年間ですから。

私有車は普段はかなり離れたところの空き地に止めていましたが、時にはこれを取りに行って早瀬、音戸をぐるっと回って呉まで食べに行くことも。

ともかく、平日の教務以外では、日々の生活と、食事のできるところを渡り歩くだけで精一杯の毎日でした。 独身だから家庭サービスなどは不要だからいくらでも勉強ができる、などとんでもない話しです。

ところが、です。 中級同期のもう一人の独身のY君は候補生学校教官からの入校でしたので、彼の場合は 「候補生学校学校付」 の人事発令で、そのまま校内の単身赴任幹部職員用の寮に入ったままですし、そこは朝夕は住み込みの管理人ご夫婦による賄い付きでした。

私との差は、たったこの 「付配置」 の人事発令の違いだけなんです。

砲術科の課程担当教官始め、学生隊本部や管理課などにも散々苦情を申し入れたのですが、「規則でそうなっているから仕方ない」 の一点張り、全くのケンモホロロで、聞く耳も、何とかしようという気も無し。

そこで、Y君に頼んで毎月の食費を含む生活費の家計簿をつけてもらい、修業時の所感文の教務に関する事項とは別に、このY君と私の家計簿を2種類を添付してぶ厚い別紙を作りました。

要は、“たった付配置の人事発令一つの違いで1年間の生活にこれだけの差がある” “独身中級幹部学生の生活環境に対する配慮が全く無い” “一体どこが 「学生は学業に専念し、勉学に全力を尽くすべし」 なのか” ということです。

もちろん修業所感文としては異例のものであり、当時学校長までも含め学校内で相当話題になったらしいですが ・・・・ その後の学生の処遇が改善されたのかは ・・・・ ?

この様な海上勤務の職種の幹部に対する配慮・考慮の欠落は、学生期間だけではなく、現役中、それも結婚してからでも、まだまだ色々沢山ありましたが、人事上のちょっとした配慮、工夫というのが全くないのが海上自衛隊と言うお役所です。

事務官や艦艇用兵職種以外の自衛官がなる担当者は、単に自己の仕事を事務的に処理するだけ。

これで現場の特別職国家公務員たる幹部の船乗りには、何かあったら脇目も振らずに自己の命を懸けろ、と。

posted by 桜と錨 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月22日

防大学生舎の今昔


昭和50年代第二大隊の6号学生舎は

と言っている記事がありましたが ・・・・

防衛大学校の学生舎は、久里浜から小原台に移ってきた当初は、学生舎は4棟でした。

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( 国土地理院 昭和30年の航空写真より加工 )

これはまだ創設直後で学生が少なかったためでもあり、その後学生数が充足したことにより正規の5つ目、即ち第5大隊の学生舎ができ、5個大隊制の学生隊の基礎ができました。

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( 国土地理院 昭和47年の航空写真より加工 )

私が在学した当時はこの写真の姿の時でした。

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( 昭和44年の小原台全景 背景は横須賀 左手奥に富士山 )

その後、当時の世相に迎合して、やれ4人部屋だ、2人部屋だ、学年別だなどとなり、それまでの8人部屋制では足りなくなりましたので、学生舎前の道路を挟んだ南側に新たな学生舎が3棟増設されることになりました。

この3棟の最初のものが出来たのが昭和52年になってからのことで、これが後に6号学生舎と呼ばれるもので、当初は第5大隊が元の学生舎から移って使いました。

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( 昭和53年5月発行の防大校友会紙 「小原台」 より )

この増設の3棟が揃ったところで、施設管理上は元の第1〜第5大隊学生舎が1号〜5号、新しい3棟が6〜8号学生舎と呼ばれるようになったようです。

そしてこの8つの学生舎が揃った頃から、学生隊が5個から4個の大隊編成への移行が始まりました。

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( 国土地理院 昭和58年の航空写真より加工 )

その後、元の第4大隊のところに新たな大きな学生舎が出来、以後順次古い元の第1〜第3、第5大隊学生舎も建て替えられることになりました。

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( 国土地理院 平成16年の航空写真より加工 )

元の第2・第3大隊学生舎が壊されて新しいものの建設が行われたのは、平成19年頃になってからです。

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( 国土地理院 平成19年の航空写真より加工 )

もちろん、それまでは私が3年間過ごした元の第2大隊学生舎もまだあったのですが ・・・・

この6〜8号学生舎の建築と、その後の元の1〜5号学生舎の改修や新しいものへの建て替えに伴って (特にこの建て替えの時期には)、6〜8号学生舎を使っていた大隊は固定されたものではなく、その時その時の状況に応じた入れ替えになっています。

そして元の5つの学生舎が現在の大きな4つのものに建て替えが終わった頃になって、この第6〜第8学生舎は学生の居住用には使われなくなり、学生教育1号〜3号棟と呼ばれるものになります。

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( 現在の Google Earth より )

ところがどうもこの学生教育1号棟は今年になって改装工事が行われ、ここに医務室が移ったようですね。

まあ、私達の学生時代のように風邪で熱が出ただけで1週間も “かちく病院” に送り込まれるよりはましかと (^_^)

posted by 桜と錨 at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月21日

ご来訪75万名キリ番賞やります


本家サイトの方では告知してありますが、間もなく本家サイトのご来訪75万名達成となりますので、記念企画の他に、久々にキリ番賞をやりたいと思います。

75万のキリ番 (及び念のためにその前後) を踏まれた方は、サイトトップページ最下段のカウンター画像のコピーを添付してご申告ください。

posted by 桜と錨 at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

古い史料のディジタル化


本家サイトはもうすぐご来訪75万名達成となります。

そこで達成記念企画としてちょっと大物のファイル (群) の公開を予定しているのですが ・・・・ 現在ちょっと手こずっております。

なにしろ、元々が手書きガリ版でかつ質の良くない藁半紙に印刷した大変悪いものですが、私がコピーをとった時にも既に経年変化でほとんど読めないページが多々あります。

う〜ん、こういう古い史料を所蔵しているところはなぜまだ劣化しないうちに複製を作るなりディジタル化しておかなかったのでしょうねえ。

先日ご紹介した 『砲術主務参謀勤務手簿』 などはその典型的な一例です。

Gunnery_Staff_Poketbock_S19_cover_s.jpg

    http://navgunschl.sblo.jp/article/189328662.html

旧海軍のものは防衛研究所がもっとも沢山所蔵しており、最近になって程度の (それなりに) 良いものはディジタル化して 「アジ歴」 でも公開されてきておりますが、これでもかなり劣化が進んでしまっているものがいくつもあることは皆さんご覧になってご存じのとおりです。

そして、ディジタル化できずにそのままとなっているものも沢山あります。 一部は借り出して写真撮影などができるようですが ・・・・

この防衛研究所以外でも古い史料を所蔵しているところはあちこちにありますが、そのほとんどは “単に保管しているだけ” というところも。

う〜ん、史料と言うのは活用されて始めて意味があるのですけどねえ ・・・・ なぜまだ見える (読める )段階でやらないのでしょう。 現在になっては遅すぎますね。

posted by 桜と錨 at 13:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2022年08月20日

「アーマーモデリング」 誌 9月号


懇意にさせていただいている北川誠司氏より氏の連載 『日本海軍の車両 第39回』 が掲載されている 「アーマーモデリング」 誌の最新の9月号を頂きました。

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氏の連載はこれまでほとんど注目されたことのない装甲車・戦車などを含む旧日本海軍の車両に焦点を当てたもので、大変すばらしい出来になっており、私も毎回楽しみにしている記事の一つです。

そして氏が調べても出てこない旧海軍装備の一般については私の判る範囲でアドバイスをさせていただいております。

それにしても、この 「アーマーモデリング」 誌、以前も申し上げましたが、本来はモデリングの専門誌なのですが、これに関連した兵器や戦史など、ちょっとしたその方面の定期刊行物顔負けの記事が掲載されており、編集者のこだわりが感じられて頼もしい限りで、毎回なかなか面白い、というか大変に良い刊行誌になっております。

ただ、今回は少々艶めかしい表紙ですが (^_^)

posted by 桜と錨 at 18:26| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月18日

会報誌 「海上しまね」 62号


島根の海自OB会の会報誌 「海上しまね」 の最新号をいただきました。

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島根には海自の基地などはありませんが、海自のOBが集まって活発に活動しておられ、海自艦艇が島根の各地に広報などで寄港するときには、いつも激励に出迎えておられます。

「水交会」 などと称するところよりは、やはり海自OBを名乗るところに歓迎してもらった方が、後輩たる現役の人達にとってもはるかに嬉しいでしょうね。

そして、OB会の人数としてはそれほど多くはありませんが、この会報誌も毎回内容は充実したものを出されております。

う〜ん、私などからすると羨ましい限りです。

かつて海自はせっかく作った全国規模の海自OB会である 「海上桜美会」 を 「水交会」 を存続させるために合同を名目に潰してしまい、かつその 「水交会」 は肩書を売り物にする元高級幹部たる制服を着た能吏達がたらい回しで順に理事長などの役員に就く組織となっております。

したがって、海自OBの 「水交会」 への入会は年々少なくなっているとか。 当然でしょうね。

「水交会」 は海自OB会ではありませんから、私達海自OBにとっては、まずOB会があってこそその次は、の話しですから。

各地でこの島根のように海自OBが集まってOB会を作って活躍しているのは素晴らしいことと思います。

posted by 桜と錨 at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月16日

米重巡 「インディアナポリス」


海人社さんの 『世界の艦船』 の9月号増刊の見本誌が届きました。

今回の増刊は 『傑作軍艦アーカイブ』 シリーズの14回目 で、米重巡 「インディアナポリス」 の特集 です。

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いつもどおり、写真ページは編集部さんの努力によって大変素晴らしいものになっており、かつ米重巡の艦種記号 「CA」 の元である装甲巡洋艦からについても触れているのは評価できます。

本文記事では、私も次の1稿を担当させていただきました。

     「徹底分析 B 兵 装」

ご存じのとおり、この 「インディアナポリス」 については、大戦末期にテニアンへの原爆部品輸送のあとテイテに向かう途中で、伊58潜の雷撃によりあっけなく沈没し、その後の生存者の救助の遅れなどによる悲劇もあって、その名前はつとに有名な艦です。

その半面、就役時から戦没までの兵装及びその変遷については、米海軍の公表のものでも確たる詳細な史料がなく、不明な点が多いため、米海軍艦艇研究家の大御所であるフリードマンの著でも、ハッキリ書かれておりません。

特に、搭載機銃の変遷については、史料によってかなり差がありますが、順を追って確認していくと今回の記事の執筆内容のようにならざるを得ません。

こうだと言う明確なものがありませんが、辻褄の合うように考えて行くとこうならざるを得ない と思っております。

また、主砲及び副砲の方位盤を含むその射撃指揮システムについても、その詳細は不明で、特に艦内の Plotting Room や方位盤下の射撃指揮所との関連などは判らないことばかりです。

本増刊号に添付されている1944年の米海軍の公式平面図も、公表されている限りではこのレベルが精一杯のもので、それでも残念ながらその詳細はよく見えません。


とは言っても、いずれにしましても 「インディアナポリス」 の詳細について纏まった内容の公刊されたものとしては海外のものも含めてこれ以上にはない素晴らしいものですので、この方面に興味のある方なら入手されておいて決して損はないものと思います。

書店の店頭で見かけられた時には、是非手に取ってご覧ください。


それにしても、海人社さんの 「世界の艦船」 の編集部さんは専門誌を扱うだけあって大変しっかりしており、かついつも大変によく勉強されております。 私の毎回の原稿でもこちらがタジタジになるくらいの指摘・所見があるほどで、書く側としても安心して校正・編集が任せられますね。

posted by 桜と錨 at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2022年08月14日

Word の仕様?


海自25年史のWEB版から文字列を抜き出して、これに図表や写真などを加えたPDF版を作ろうとしているのですが ・・・・

そのPDF版の元となる文書は当初マイクロソフトの Word で作業をしていました。 しかしながらこの Word、流石に元々が欧米などの言語での文書用ですので、日本語用にはちょっと不満のところが多々あります。

その一つが 「ふりがな」、つまり 「ルビ」 です。

この海自25年史には元々の正規の製本版ではかなりふりがなが振られています。 これもキチンと再現しておかないと、WEB版やPDF版としても意味がないでしょう。

ところが、Word でこのふりがなを入れると、その行の前後の行間が多少 (なかり) 変わってしまい、かなり見栄えが悪くなります。

25nenshi_sample_mod.jpg


そこで、「一太郎」 でやりますとそうはならず、キチンとできます。 そして Word よりは日本語用の書式として細かな指定が可能です。

で、私の Word のバージョンが古いせいなのかもしれませんが、このルビ行の行間も均等となる指定方法がわかりません。 Word でできるのでしょうか?

もし可能だとすると、その方法がわからないのですが・・・・

posted by 桜と錨 at 14:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2022年08月13日

お墓参り


お盆になりましたので、早めに家内の家の墓参りに。

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今日も曇りがちながら大変に暑いですが、ここの墓地は市内でも特に暑いのではといつも思います。

風がちょっとありましたので、ロウソクの火は直ぐに消えてしまいました。

こちらの地方では、お盆にはお墓の周りにカラフルな盆灯篭を飾るので知られていますが、ここのお寺さんは今年は盆灯篭は禁止になりました。

墓地の後片づけけが大変なのと、ちょっと高台になっているとは言え市街地の真っただ中ですので、火が燃え移って風で飛んでは大変ということらしいです。

で、午前中に済ませて家に戻りましたら、午後は雷を伴う猛烈な雨に。 1時間ほどでしたが、我が家のニャンコも雷の大きな音にビクビクしてました。 ちょっと離れたところでは落雷もあったようです。

posted by 桜と錨 at 19:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月12日

豆台風x2 来襲


今週初めから娘夫婦が孫達を連れて帰ってきましたので、普段は老夫婦二人 (+1匹) の我が家も朝から晩まで大変賑やかになりました。

昼間は外で遊ぶだけ遊んで、夜は夜で家の中で遅くまでワイワイ・ガヤガヤ。

久々に前の道路で花火も。

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で、豆台風x2 が去ったら家の中は急にガラーンとなりました。

ニャンコの小春はここ数日追い回されていましたので、“やっと静かになった〜” といつもの私の仕事部屋の本箱の上でノンビリと。

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まさに、チュールとブラッシング以外でなら呼ぶな、とばかりです。

posted by 桜と錨 at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年08月07日

「公刊海上自衛隊25年史WEB版」 の公開方法


先週ご紹介しましたように、「公刊海上自衛隊25年史」のWEB版を準備中です。

サンプルをご覧いただいた方々からご意見・ご所見を頂きましたが、やはりHTLM型式では独り歩きして改竄が出回る怖れがあることから一般の方々向けにはPDF型式で、とのことですので、例として第4術科学校創設のページをこの両者の型式で作ってみました。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/JMSDF_Nenshi/25years_nenshi_official/25_07_09_03_mod.html

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/JMSDF_Nenshi/25years_nenshi_official/25_07_09_03_mod.pdf

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う〜ん、私的には、PDF型式はやはり何となく味気ないというか ・・・・

それにPDF版では元原稿がA4サイズのものになりますので、これですとページのレイアウトの関係で、図表や写真などのところがどうしてすんなりいきません。

図表や写真のサイズを小さくして1ページ内に納まるようにするか、大きくしてその前の頁の文字列の下側に大きなブランクを作るかになってしまいます。

皆さんの更なるご意見・ご意見を頂いた上で、当該25年史WEB版の公開方法を検討したいと考えています。

posted by 桜と錨 at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと