2022年05月31日

記念艦 「三笠」 と保存会


今年も記念艦 「三笠」 において日本海海戦記念日行事が行われたようです。

しかしながらこの記念艦 「三笠」、一体何のためのものなのか?

ご記憶の方も多いと思いますが、かつてNHKさんが司馬遼太郎氏の原作をもとにしたスペシャル・ドラマ 『坂の上の雲』 という大変すばらしい長編の大作を制作し放映しました。

ところが、このドラマにおいて三笠保存会は、そのロケのために艦内での僅かな部分以外は、肝心な 艦上シーンでは記念艦 「三笠」 を全く使わせなかった のです。

尊敬する大先輩の故平間洋一氏と一緒に出向いて、ロケ使用の必要性とその意義をコンコンと説いたのですが、保存会側は全くのケンモホロロ、聞く耳を持たずで。

そのくせ、同ドラマ放映後は今に至るもいけしゃあしゃあと 「 “坂の上の雲” の放映によって見学者が増えた」 と。

まったく何をか況やです。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tokusetu/NHK_Sakanouenokumo/NHK_saka_22.html
http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tokusetu/NHK_Sakanouenokumo/NHK_saka_26.html

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tokusetu/NHK_Sakanouenokumo/NHK_saka_main.html


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( 画像は全て 「加賀元気劇場」 さんの実物大セットにて )


このドラマ、もし実艦の記念艦 「三笠」 艦上で撮影が行われていたとしたら、その 「三笠」 保存の価値と意義と共に、どれだけより優れたものになっていたのか。

まったく、小役人根性に成り下がった保存会にはほとほとガッカリしましたね。

posted by 桜と錨 at 13:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2022年05月29日

『核兵器の効果』 第6章及び第7章


本家サイトの今週の更新として、先週に引き続き 『現代戦講堂』 中の 『資料展示室』 コーナーで公開してきております1977年に米国防省が出した 『核兵器の効果』 のページで、その第6章及び第7章の原版と邦訳版を追加公開しました。

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    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/04_ENW_1977.html
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html

先週の第5章と同様に、写真については第6章及び第7章でも元の原版のデータの中から出来るだけ綺麗なものを選び、全てをこれに差し替えております。

とは言っても、差し替えだけでも手間暇がかかりますが、原版のものと邦訳版とでは写真の画像巾や縦・横の比率が異なっておりますので、これらを合わせるのにちょっと苦労しているところです。

posted by 桜と錨 at 12:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2022年05月27日

高校時代の恩師


前回、高校在学中のメーデーの時のことをお話ししましたが、もしかしてお読みいただいた中には当時のこの都立高校はとんでもないところだったと思われた方もおられるかもしれませんので、少し訂正方々。


私はこの高校で生涯忘れ得ぬ恩師となった教師に出会いました。

この高校は元旧制高等女学校であったこともあって、当時でも女生徒の数の方が圧倒的に多く、しかも1・2年はクラス替えが無くそのまま持ち上がりで、3年になって進路別のクラス編成となりました。

私は理系国公立の大学を目指すクラスを選びましたが、ここにきてやっと男子と女子の比率が逆転しました。

で、当然ながら男子の数が多くなると、それまでの反動もあって (?) 結構ヤンチャ揃いのクラスとなりました。

そしてそのクラスの担任が、これまた生徒に合わせたように、ヤンチャと言うかバンカラで名が知れた生物の名物教師でした。

この教師、クラスの隣が生物の実験室・講堂で授業はいつもここでやっていたのですが、授業中は実験だけでなく講義の時もいつも教室の中をウロウロしながらで、そして何かにつけて後ろから男女関係なく生徒の頭を拳で次々にゴツン、ゴツンと。 これが結構痛いものでした。

このためもあって女生徒達からの評判はあまり良いものではありませんでしたが、私達ヤンチャな男子生徒にはこのバンカラさ故に逆に結構人気があったのです。 私達男子生徒からは 「橋やん」 と愛称で呼ばれていました。

そして登校日には毎日の如く、昼休みにクラスの男子生徒数名で連れだってお弁当を持って生物教室の奥にある準備室兼控室に押しかけ、同室のもう一人の生物の先生も巻き込んで、一緒に食べながらワイワイ・ガヤガヤと。

夏期には冷蔵庫の中の冷たく冷やしたポットのお水を、そして冬期にはストーブがガンガン焚かれていて大変に暖かく、ストーブの上のヤカンではお湯が沸いていましたので、お弁当を食べながらいつも勝手にこれらを (^_^)

しかしながら、このクラス担任もそしてもう一人の先生も、昼休みに毎日の如く押しかける私達に嫌な顔一つせず、いつも一緒になってワイワイやってくれました。

多分そのもう一人の先生にはさぞ迷惑なことではあったかと思いますが (^_^;

日々の話題は他愛もない事がほとんどで、それこそ男達のくせに女の子達のようなおしゃべりの時間でした。 女子高の様な学校の中にあって、先生二人も合わせて男ばかりの小さな世界。

そうした中で、自分の親たちからは言われたことのない (多分他の男子生徒も同じようなものだったかと) 様々なことを教えてもらった記憶が残っています。

世の中の仕組みのこと、人生のこと、仕事というものの考え方のこと、学問を含めた学びのこと、etc.etc. ・・・・

後から考えると、これが私達ヤンチャ坊主にとって有意義な進路指導になっていました。 少人数の男子生徒に対するものではありましたが、まさに教室での授業以外で、学校というものの本来あるべき姿の一つであったのではないかと思っています。

で、この担任の教師が防大を受験するときに私を呼んで、「お前ね、文系が滅茶苦茶だけど理数系はまあまあなので、1年からの成績は学年で2番で生活態度もまじめな生徒だと推薦状に書いておいたから」 と。

この推薦状のお陰もあってか、旧制高等女学校を前身とする本校始まって以来初の防大に合格、進学でした。

そして防大に進んだ後、暫くして我が恩師と仰ぐこの教師が急逝したことを知らされ、後でご自宅に弔問に伺ったことを覚えています。 (確か中国からの帰りだったと聞きましたが、向こうで何かあったんですかねえ ?)

この恩師、これも後で聞いた話ですが、在校当時、国労や様々な労組の一大拠点となっていた某市での日教組の幹部であったとか。

在学中、その様なことはおくびにも出さない、男子生徒にとってはある意味大変面白い教師ではありました。

その日教組の幹部がよくまあ私の防大受験時に推薦状を書いてくれたと思いますが、彼なりに生徒達を大事にする人だったと感じた次第です。

私の人生で忘れ得ぬ人の一人となった、高校時代の恩師です。


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( 既に立て替えられて今は無き校舎 )

posted by 桜と錨 at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月25日

たまにはお肉を


このところの我が家の夕食は野菜たっぷりのメインに、後はこれにいつもの小さなお魚屋さんのお魚で、お米などはまず食べなくなった食生活です。

そこで、たまにはお肉をということで、そのお魚屋さんの近くにあるこれも小さなお肉屋さんが自家製を店頭で売っている焼き鳥を。

今日は牛、豚と鳥皮の3種を4本ずつ。

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先日も書きましたが、タレがちょっと甘いのが難点ですが、お肉は流石にお肉屋さんだけあって美味しいですし、炭火で焼いたものです。

こちらの街中には焼き鳥をウリにするお店は多いのですが、私的にはどこもいまいちで、それを食べるためにわざわざ出掛けようと思うようなところはまずありません。

ここのお肉屋さんのを買って帰って、レンジでちょっと温め直して、家内と二人で一杯やりながら。

夕食替わりでもありますが、これで十分です。

posted by 桜と錨 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月24日

高校教師の集団休暇で


さるところの高校で給与未払いなどの理由で教師が集団ストをしたことがニュースで流れていました。

このニュースを見て、もう50年以上昔のことを思い出しました。

私がさる都立高校に在学していた時のある年、それは5月1日のメーデーの日でした。

いつもどおり登校し、クラス全員も席に着いて待っていたのですが、いつまで経っても担当の教師は現れず、授業は始まりません。 他のクラス、学年でも生徒は皆登校しているのに教師は来ておらず、授業もやっていないようです。

結局午前中はどの科目も教師は誰も現れず、生徒は皆揃ったままで自習状態でした。

そのうち校庭の外の道路を赤い旗の波と人の集団らしきものが何か訳のわからない事を叫びながら延々と続いて行進しているのが見えました。

午後になって、最初の授業は英語でしたが、その担当の英語の教師が時間にかなり遅れて教室に現れ、教壇に立って

「今日はメーデーだから先生達も一斉に休暇をとってこの大会に参加している。 先生達にも生活があるので、それを向上させるための運動の権利があるから 云々・・・・」

と言うようなことをしゃべり始めました。

私達生徒は皆うんざりしながら聞いていましたが ・・・・ そこが私が私たる所以で、一応しゃべるだけ喋らせてから手を上げて発言。

「先生、今日先生達皆んなが学校に来ないことは前から決まっていた事でしょう? なぜそれを事前に生徒に言わないですか?

なぜそれを知らない私達は普段通りに登校して、一日教室で無駄な時間を過ごさなければならないんですか?

授業が無いなら予め休校にすれば、皆それぞれ家なりで余程有意義に過ごせたのでは?

いつ担当の先生が来るのか、いつ授業が始まるのかと教室でボケーっと待った挙句、やっと現れたと思ったら、何でそんな私達にはどうでもいい言い訳ごとを聞かされなければならないんですか?

教室に来るなら授業をやる、やらないなら休みにするべきでは?

先生達のそんな私的な都合など、私達生徒にとっては関係のないこと、どうでもいいことでしょう?

私達は授業を聞くためにこうして学校に出てきているんですから !」

と。 まあ、余程腹に据えかねていたんですね。

この教師、英語担当の全校8人のうち私達のクラス受け持ちの4人の中の一人で、元々あまり好きな物腰、言動のタイプではありませんでしたが ・・・・

それでもまあこんな事をズケズケと言う生徒ではあっても、通知表の成績はそれなりに貰えました (^_^;

昔むかしの思い出です。

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( 既に立て替えられて今は無き校舎 )

posted by 桜と錨 at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月22日

203地点に敵の第2艦隊見ゆ


本家サイトの今週の更新の2つ目として、『海軍須知』 コーナーで、『第13話 日本海海戦の話題』 にその2項目となる 『203地点に敵の第2艦隊見ゆ』 の、仮装巡洋艦 『信濃丸』 による有名なバルチック艦隊発見の事案を追加公開しました。

    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/13_02_Shinanomaru.html
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/13_Naval_Battle_SOJ.html
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/suchi_main.html

かつてこちらのブログの方でお話ししたものですが、改めて本家サイトに纏め直しました。

それにしても、

信濃丸が203地点で 「敵艦見ゆ」 と発見し、無線で報告したのは、ロシア側記録では1時15分ごろとなっているが、『公刊戦史』 では4時半とされている。 ロシア側が偽りをなす理由がないので、1時15分が正しいと思われる。

などという “大ウソ” を恥ずかしくも無く堂々と書いて出版する人がおります ので、キチンと全ての根拠を示してその大ウソの誤りを指摘しております。

一体そのような当時のロシア側の記録が、何という文書のどこに書かれているのか?

それ以前に、そもそも日露双方の全記録・文書を1点の齟齬も無く書き換えるなどと言うことができるものかどうか、そして日露双方の全ての艦船の航跡図を3時間15分もずらして齟齬無く合わせるなどができるものかどうか、ちょっと考えただけでも判りそうなものですが ・・・・

因みに、もし航跡図の書き換えが可能などと思われるご来訪の方がおられましたら、例えば当該 「信濃丸」 の航跡図一つで良いのでやってみてください。

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posted by 桜と錨 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

『核兵器の効果』 第5章


本家サイトの今週の更新の一つ目として、『現代戦講堂』 中の 『資料展示室』 コーナーで公開してきております米国防省が出した 『核兵器の効果』 の1977年版のページで、先週に引き続き、その 第5章 『爆風による構造物の被害』 の原版と邦訳版の両方をそれぞれPDFファイルで 追加公開しました。

    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/04_ENW_1977.html
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html

本章は写真が大変に多いのですが、邦訳版ではあまり綺麗なものが掲載・印刷されておりませんので、元の原版のデータの中から出来るだけ綺麗なものを選び、全てをこれに差し替えております。

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とは言っても、差し替えだけでも手間暇がかかりますが、原版のものと邦訳版とでは写真の画像範囲や縦横の比率が異なっておりますので、これらを合わせるのにちょっと苦労しました (^_^;

posted by 桜と錨 at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2022年05月20日

石鯛のお刺身


いつもの小さなお魚屋さんの店頭に久々に石鯛が2匹並んでいました。 口黒とも言われる、体の縦縞が消えた大きなやつです。

活きの良い大きな真鯛もあったのですが、この石鯛を見たら食指が動いてしまい、半身をゲット。

石鯛は数が少ないのと、活き締めしてから時間が経つと磯臭さが強くなってしまいますので、縦縞のある小さめのものはお寿司屋さんや小料理店などでもまず見ない高級魚としても知られています。

この大きなものは、雌が産卵期を迎える6月くらいまでは雄は味が落ちずに食べられるので、少ないなりにも市場に出回るのだそうです。

そして何と言っても、ここの若大将の仕入れてきたものなら鮮度は間違いないかと。

家内が厚めに切ったお刺身にしてくれましたが、歯ごたえもあり、真鯛より甘みの強い独特な食感です。 う〜ん、大変に美味しかったです。

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で、老夫婦二人の我が家では最近の夕食でほとんどお米を食べなくなりまして、後はいつも通りの野菜のオンパレードと少々のお酒。

メインディッシュの野菜サラダは、サニーレタス、トマト、生ワカメに、今日は次女が送ってくれたカマボコを刻んで。 これにポン酢を少しかけてムシャムシャと。

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posted by 桜と錨 at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月18日

「三笠」 と東郷ターン


海人社さんの 『世界の艦船』 の6月号増刊の見本誌が届きました。

今回の増刊号は 『ネーバル・ヒストリー・シリーズ』 の6回目で、『 戦艦 「三笠」 と日本海海戦 』 です。

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写真ページは編集部さんの努力によって大変素晴らしいもので、まさに 「三笠」 とそれにまつわるものの総集編になっていると言えるでしょう。

本文記事は本シリーズだけあって、過去の 『世界の艦船』 に掲載されたことのある優れたものが約2/3を占めており、これらはまだこれまでご覧になる機会の無かった方々には有益なものと思います。

で、私も新規の記事として次の2つを書かせていただきました。

第1部の 「戦艦 「三笠」 のすべて」 で
    「 建造経緯とメカニズム 」

第2部の 「日本海海戦」 で
    「 東郷ターンの歴史的意義を考える 」

前者は紙幅の制約もあり、かなり概略のものになってしまいました。 「三笠」 の英国での建造状況、日本への回航、そして日本到着後から母港たる舞鶴入港までについては、それぞれお話ししたいことは山ほどあるのですが ・・・・

特に、後に一部の人々から 「三笠反乱事件」 と言われるようになる英国での出来事と、これに関連した日本帰国後の軍法会議や艤装員長・初代艦長たる早坂源吾海軍大佐の罷免に至ることについては、興味のある方もおられるのではと思います。

この軍法会議の件については、私の 本家サイトの 『海軍須知』 コーナーで、その第9話の 『海兵団と海兵団練習部』 について解説した時に、その最後に 『(参考):軍艦 「三笠」 と呉海兵団 』 としてその概略をお話し しておりますので、参考にしてください。

    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/09_Kaiheidan.html

元々の事件の実態としては、当時の若者達が初めて海外に出ての、ある意味他愛もない切っ掛けではあったのですが (^_^)


2つ目の記事は、元船乗りとしての日本海海戦の第1会戦劈頭での敵前大回頭、即ちいわゆる 「東郷ターン」 の実態についての説明です。

これまで一般出版物やネットなどで、日本海海戦初頭の第1会戦は、その合戦図を見ての “ダラダラとした並航戦であった” とか “丁字戦法は実現しなかった” などと広く言われてきました。

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これは、この合戦図というものがどういうものかが理解できていないということであり、そしてそれは全て、「船に乗ったことの無い」 「大砲も触ったことが無い」、即ち 広い海上で船を動かしたことも、艦砲射撃を経験したことも無く、これらについて理解できていない、ということを自ら自白した バレバレのもの、と言うことです。

つまり 海上における 「相対運動」 ということをが分からない、したがって艦砲射撃がどのようなものかも知らずに書いている ということです。

一例として、東郷ターン時の状況をロシア側の 「スワロフ」 艦上で、ロジェストヴェンスキー提督や艦長などはもちろん、砲術長や各砲台長、そして何よりも各砲の射手にとって、連合艦隊第1戦隊の先頭にいた戦艦4隻がどの様に “動いて見えたか” ( =照準できたか) ということを簡単に示しました。

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これが、実に見事な丁字体勢の実現であり、鎮海湾待機中の猛烈な射撃訓練の成果により、当時の艦砲による射撃指揮システムとこれによる現実の有効射程である約6千メートルにドンピシャ持ち込んだ、ということ以外の一体何だと 言うのでしょうか?

そして以後は、ロシア側はこの体勢を嫌がって (当然ですが) 右へ右へと逃げようとし、これに対して連合艦隊側は優速を利用して常にこの丁字体勢を維持しようとした、その結果を “地理的作図” により描いたものがあの合戦図であるということです。

この東郷ターンについては、今後これまでのような誤った記述がもう二度と出てこないことを切に望む次第ですね。


本増刊号、書店の店頭で見かけられた時には、是非手に取ってご覧ください。

そして、「三笠」 や「 日本海海戦」 についてだけでなく、日本海軍史に興味のある方々なら、お手元に置いておいて決して損の無いものであると思います。


posted by 桜と錨 at 14:51| Comment(4) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2022年05月15日

『核兵器の効果』 第3章及び第4章


本家サイトの 『現代戦講堂』 中の 『資料展示室』 コーナーで公開してきております1977年に米国防省が出した 『核兵器の効果』 のページで、その第3章及び第4章の原版と邦訳版を追加公開しました。

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    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/04_ENW_1977.html
    http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html

昨今のウクライナ情勢や中国・北朝鮮がらみから、日本でも核兵器に対する関心が高まっておりますが、先日ご紹介した米軍の戦術核兵器の用法についての公式教範類のご紹介の前に、核兵器についての基本的な知識について理解される必要があると思いますので、こちらの方を先にさせていただきました。

とは言っても、この程度のものでも、整形とゴミ取りで結構手間暇がかかります (^_^;

posted by 桜と錨 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

保式/山内短五糎砲の詳細データ


今週の本家サイトの更新として、先日 Facebook の方でも話題になりました 『保式/山内短五糎砲』 の詳細データを公開しました。

  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/Short_5cm.html
  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/gun_data_main1.html

ここまで詳細なデータを必要とされる方はそうはおられないと思いますが、こういうデータもキチンと残していく必要があると思っております。

なお、同砲は発射薬は薬莢を使用する一体弾薬方式の手軽なものであることから、大正〜昭和期には空砲による礼砲としても使われたようですが (実際、某所での説明でも礼砲とされているようですが)、昭和期でも決して礼砲であったわけでは無いことはご注意ください。

また、これに併せて、この砲の明治期の名称及びデータである 『保式/山内二听半砲 (47ミリ軽速射砲) 』のページを更新し、図面類などの追加を行いました。

  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/2lb5.html
  http://navgunschl.sakura.ne.jp/koudou/ijn/buki/gun/gun_data/gun_data_main2.html

砲身や弾薬包、弾底信管の図などはネットや出版物などでまず出たことの無い、珍しいものと思います。

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posted by 桜と錨 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2022年05月14日

雨上がりの花々


ここ数日、雨が降ったり止んだりであまりお天気が良くありませんでしたが、今週末は良いようで、今日も朝から晴れています。

我が家の放りっぱなしの庭や、裏の菜園となっている空き地でも色々な花々が真っ盛りです。

ただ、昨日までの雨で大きめの花々はちょっと垂れ下がってしまっていますが。

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posted by 桜と錨 at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月12日

久々に鮎の塩焼き


行きつけの小さなお魚屋さんを覘きましたら、久しぶりに活きの良い鮎がありました。

早速2匹ゲット。

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塩焼きでと思ったものの、我が家はオール電化ですのでガスがありません。

BBQコンロを出して来て庭で焼くと良いのでしょうが、生憎雨が降ったり止んだりでお天気が良くありませんし、鮎以外には食材は準備しておりませんので、そのためだけではちょっと面倒。

しかたなく、いつも通りにレンジでチンするのですが ・・・・ これの塩焼き担当はいつも私ですが、久々ですので、やり方を忘れてしまいました (^_^;

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家内に笑われながら、思い出し出しで。

でも、魚屋さんの目利きの若大将のお勧めですから活きの良さは間違いありませんで、まあ調理は下手でも美味しかったです V(^_^)

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posted by 桜と錨 at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月10日

幻の 「第2の不審船事案」


イカロス出版さんから 「Jシップス」 6月号が 届きました。 今月の特集は 『海上自衛隊の最新鋭艦』 です。

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初心者の方々向けのビジュアルな入門用として、海上自衛隊の最新鋭護衛艦の 「もがみ」 型などについて紹介したものです。

そして本誌では、現在 「忘れがたき日々− わたしの五省」 と題するシリーズを連載中ですが、その5回目として私も次の1稿を書かせていただきました。

  『 幻に終わった 「第2の不審船事案」 』

私が 「きりしま」 艦長の時ですからもう20年以上前のことですので、お話ししても良いかなと思いましたので。

ご存じのとおり、前年の 「みょうこう」 による北朝鮮の弾道ミサイル 「テポドン」 の捕捉 ・ 追尾の成功に続き、この年の3月には能登半島沖の不審船事案が発生しましたので、海上自衛隊ではその総力を挙げて対策に取り組んでいたところです。

ところが、この年の夏には肝心のイージス艦4隻のうち、3隻は派米訓練や修理などで何かあった時に動けるのは 「きりしま」 1隻となってしまいました。

そこで、「きりしま」 には “示威” も兼ねて日本一周の巡航をやれと。

隊司令部も乗らない単艦行動でしたので、個艦訓練をやりながらの航海を楽しもうと勇んで出港したのですが ・・・・

丁度能登半島沖にさしかかった頃、衛星電話で 「海上保安庁が隠岐で不審船らしい船を見つけて巡視船が確認に向かっているが、万一に備えて海自に応援要請があった」 と。

付近行動中の海自艦艇は 「きりしま」 しかいないのでこれに向かえ、との指示がありましたので、直ちに反転し、第4戦速 (27ノット) で隠岐に向かいました。

3月には防衛庁 (当時) ・ 海上自衛隊始まって以来初の海上警備行動が下令され、不審船に対して警告射撃まで行ったものの、結局取り逃がしてしまったことはご存じのとおりです。

さあ、一大事です。 もしこれが本当の不審船であるならば、今度は絶対に取り逃がすわけには行きませんし、何としても停船させて確保しなければなりません。 しかし、相手側も2度目ですから、それなりのことはして来るであろうと。

幹部と上級海曹の主要員長達を集めてこのことを説明、特に停船させるためのアイデアを総員で考え、それを準備することを指示しました。

そして艦内放送で乗員に状況を達するとともに、「教練合戦準備要具収め、合戦準備」 を令し、5インチ砲や12.7ミリ機銃を始め、小銃 ・ 拳銃など全てに実弾を用意させました。

最も肝心なことは、もし相手を停船させることに成功したならば、立入検査隊を乗り込ませねばならないということです。

そこで、検査隊指揮官であった船務士を呼んで、「検査隊の隊員それぞれには家庭の都合などそれぞれなりの事情があるであろうから、行けない、行きたくない、という者も中にはいるであろう。 それはそれで構わないので、事務的に部署表で定められているとはいえ、自らの意思で志願する者だけを集めよ」 と指示しました。

暫くして戻ってきた船務士が報告するには、「艦長、全員が志願しました!」 と。

この時ほど私は艦長冥利に尽きるものはないと感じた次第です。

私は検査隊全員を集め、「良く志願してくれた。 ありがとう。 ただし、実際に乗り込むことになったならば、各自で危ないと感じた時には躊躇なく発砲せよ。 私には君たちの命の方が大事だ。 それによって万一相手側に死傷者が出たとしても、その責任は全て艦長の私が取る」 と申し渡しました。

その時の心の中では、「海自初の戦死者を出す艦長になるかもしれない」 と言うことと、それにどの様な事態になろうとも双方に死傷者が出た場合には、私は裁判所の被告席に立たされて裁判にかけられることになる、と。

それでも、私は今やらなければならない本来任務をやるだけであり、後のことは後のこと、と思いました。

幸いというか、残念と言うか、約2時間ほど走ったところで再度衛星電話があり、「先の不審船らしきものは密漁船であったと海上保安庁から連絡があった。 元の任務・行動に復帰せよ」 と。

結局、記事の表題のとおりの 「幻の第2の不審船事案」 で終わったわけですが、この時の艦内の一部始終によって、私は艦長としてこれほど自分の艦の乗員一同に誇りを感じたことはありませんし、また良い艦、良い乗員を持たされていることを痛感しました。

本件は、当然ながら海上自衛隊の記録には全くありませんし、また残るものでもありませんが、私にとっては一生忘れることのできないものとなりました。

多少 (かなり?) 機微なものがありますが、もう皆さんにもお話ししても構わないでしょうし、海上自衛隊の隊員は、これまでも、今も、そしてこれからも、様々な現場で様々な状況において、こういう同じような思いを経験していることをどうか忘れないでいただきたいと思います。

書店の店頭で見かけられた時には、是非手に取ってご一読をお願いいたします。

posted by 桜と錨 at 13:08| Comment(6) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2022年05月08日

日本海海戦の話題


世の中GWの終盤らしいですが ・・・・

本家サイトの今週の更新として、『海軍須知』 コーナーにおいて、第13話の 『日本海海戦の話題』 を新たに設け、以前にブログの方でお話ししました日本海海戦に関する事項をこちらに纏め直し、その第1段として 『連合艦隊の動揺』 を公開しました。

『第13-1話 連合艦隊の動揺』 :
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/13_01_Tenshin.html
『第13話 日本海海戦の話題』 :
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/13_Naval_Battle_SOJ.html
『海軍須知』 メニュー :
    http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/suchi_main.html

『別宮暖郎本』 ( 『 「坂の上の雲」 では分からない日本海海戦』 とその改訂文庫本 『日本海海戦の深層』 の2つ) は、以前こちらのブログでも記事にし、そしてそれを本家サイトの 『砲術講堂』 と 『水雷講堂』 のそれぞれの 『話題あれこれ』 コーナーで、そのあまりにも酷さを全て根拠を付して指摘したところです。

betsumiya_book1_cover_s.jpg   betsumiya_book2_cover_s.jpg

しかしながら、砲術や水雷術以外にも多々ありますので、それらを新たに本家サイトに纏め直すことにしました。

これらについても、こちらのブログで書きましたように、全てその根拠を示して指摘しております。

なにしろ、『別宮暖郎本』 は出版されてから既に久しいのですが、いまだに日本版 Wiki などでこれからの引用が多々見られますので。

私などからすると、そんな出鱈目の記述の引用はいい加減に止めて欲しいと思うのですが ・・・・

posted by 桜と錨 at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2022年05月06日

50口径3インチ速射砲のSG集


海上自衛隊から50口径3インチ速射砲が無くなってから久しいです。

昔懐かしい本砲については、実機が第1術科学校に単なる “展示品” として1基残されている (飾られている) ようですが、その取扱説明書類はもちろん、教育用のSG (スタディ・ガイド) 集などは今ではどこにどれだけ残っているのか。

当然ながら、例えこれら取扱説明書類やSG集が海自に残っていたとしても、これまでの海自の姿勢からして自ら公開することはまずないと考えられます。

現在のところ、私の手許にあるSGには次のようなものがあります。

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RF_3in_Power_cover_s.jpg

RF_3in_draw_cover_s.jpg

RF_3in_mainte_2_cover_s.jpg

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もしご要望がありましたら、これらもいずれは本家サイトの 『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーで公開していきたいとは思いますが ・・・・

posted by 桜と錨 at 21:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2022年05月03日

小春3歳の誕生日 (と言うことに)


我が家のニャンコの小春が3歳になりましたので、誕生日のお祝いです。

・・・・ と言っても、元々が野良の保護猫ですから、正確な誕生日は不明ですが。

保護センターから譲り受けた時に 「だいたい4ヶ月くらいでしょうね」 と言うことでしたので、そこから逆算して我が家では勝手に5月5日の子供の日を誕生日としております。

しかしながら、5日では近くのケーキ屋さんも混むのではと思いまして、家内が 「今日にしようよ」 と。

で、晴れて3歳の誕生日のお祝いということに (^_^)

家内がバースデーケーキを買って来てくれまして、早速紅茶とケーキでお祝いですが、小春はなぜかこのケーキが自分のものだと判っているようです。

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「これ、あたちのでしょ?」 とばかりに食卓テーブルに上がってきて顔を近づけるのですが ・・・・ ワンコのようにムシャムシャとは行きませんで、家内の手の甲に生クリームを塗って貰ってペロペロと (^_^;

Nyanko_3sai_HBD_R040503_01.jpg

なんか、もうずっと一緒に暮らしているような気がしますが、考えてみたらまだやっと2年と8ヶ月です。

posted by 桜と錨 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2022年05月01日

大和艦 のこと


某所で話題が出ましたので、ご参考までにご紹介したのですが ・・・・ こういうものには興味も関心も無かったようで (^_^;

折角ですので、こちらでもご紹介しておきます。


旧海軍の公式アルバムにあるもので、写真というものそのものが普及していなかった当時、保有する艦船の識別帳として作成されたと考えられ、1隻ずつ1ページに写真プリントと要目表が貼り付けられています。

この艦をご紹介したのは、この元ネタ ↓ に対するものでした。

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碑 ・ 「 東郷の井 」 由来
明治維新以降の近代化の道をすすむなか、神戸小野浜造船所において初代戦艦大和が建造(1883/11/23起工)されました。まだ川崎造船所や三菱造船所はなかった時代です。造船監督官として東郷平八郎が就任して、進水(1885/5/1)から就役(1887/11/16)までの概ね一年間、花隈の神港倶楽部に滞在していました。
戦艦大和が進水すると初代艦長(1886/5/10)に就いています。
ロシア・バルチック艦隊に勝利(1905/5/27)して、世界の海軍提督と賞賛されたことから神港倶楽部が、神戸滞在中に東郷平八郎が毎日朝夕に使用していた井戸を、記念して石碑「東郷の井」を建立(1930/5/19)したのです。
命名を当時の海軍大将・財部彪、書を海軍中将・小笠原長生が揮毫しています。
井戸は、花隈町7−16の今では歩道となっているあたりです。
花隈町の歴史やできごとを伝えるべく、石碑を移設して保存しています。
2015年5月10日


う〜ん、でも、これでは (^_^;


明治16年2月23日、鉄骨軍艦1隻がイギリス人エドワルド・チャールス・ギルビーが経営する神戸の 「小野浜製造所」 と製造契約が結ばれ、この艦が 明治16年3月1日に 「大和」 と命名 されます。

( なお、当時の海軍では軍艦を 「軍艦大和」 などとは言ずに、全て「大和艦」などと称しております。)

民間会社である小野浜製造所は、明治16年12月に社主のギルビー氏が死去したことに伴い、同社の一切を海軍が買収して 「小野浜造船所」 とした上で、同社の元技師長であったジェームス・エルトレン氏に造船所の操業を委任しております。

これもあって 「大和」 は明治16年2月23日に起工したものの、その後の建造が遅れて、明治18年5月1日に小松宮を迎えて進水式が行われ、以後艤装工事に入りました。

しかしながら、当該造船所には兵装の艤装設備がありませんでしたので、それ以外の艤装を終えた段階で 「大和」 の所轄は横須賀鎮守府と定められ、その指揮の下に艤装が進められることとなり、横須賀に回航して兵装の艤装を行い、終わって再び元の小野浜に戻って明治19年7月29日及び8月2日に最終的な機関の公試運転を行っております。

そして、明治19年8月14日に落成して海軍に引渡され ておりますが、通常ですとこの引渡しをもって完工・就役となるのですが、「大和」 は各部に残工事や改装・改修事項が残っているため、予備艦として横須賀に回航しこれを実施ししました。

全ての工事完了の前、明治19年12月28日に常備小艦隊に編入されたものの、以後随時残工事・艤装などを行っております。

なお、旧海軍の史料では、「大和」は明治20年11月に竣工したとされていますが、この根拠及び当時の「竣工」と言う意味については不明です。

考えられるところでは、明治20年11月14日に 未装備のままとなっていた水雷発射管等の艤装が終わり、当初から計画された全ての艤装・装備が完了して常備艦となったことをもって「竣工」を意味するのではないかと思われます。

そして、同月16日には改めて常備小艦隊に編入されていますが、この日を竣工日とするものも あります。


「大和」の初代艦長となる東郷平八郎中佐 (当時) は、進水後の明治18年7月9日付で艤装の監督 (旧海軍の文書では 「監視」 と言っている) を命ぜられ、翌10日には主船局勤務から小野浜在勤となっております。

要するに、「建造監督官」 などという建造に関わるものではなく、後でいう 「艤装員長」 のことです。

そして東郷は明治19年5月10日付で 「大和」 艦長に任ぜられておりますが、同年11月22日には早くも 「浅間」 艦長兼横須賀鎮守府兵器部長に転出しております。  もちろん、いずれも 「大和」 の竣工前 (要するに艤装中) のことです。


それにしても、「初代戦艦大和」 とは ・・・・ (^_^;

まあ、一般の人はこんなものなのでしょうね。

posted by 桜と錨 at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと