2020年04月29日

江田島大講堂の貴賓室


江田島の旧海軍兵学校跡は現在海上自衛隊の第1術科学校や幹部候補生学校として使われておりますが、年間を通して一般見学が行われておりますので訪問された方も多いと思います。 (残念ながら現在は例の武漢コロナのために中止となっていますが)

また、観桜会や自衛隊記念日行事、花火大会などでも多くの一般の方々が訪れます。

したがって、赤レンガの旧生徒館や教育参考館と並んで、大講堂の中もご覧になられた方が多いでしょうし、またネットでも様々な画像が紹介されています。

ただし、一般見学、あるいは候補生学校の卒業式での父兄参列などで、大講堂の中に入ることはできますが、大講堂正面側 (裏側) 二階の奥にある皇族方専用の貴賓室をご覧になった方はあまりおられないのではないでしょうか?

この大講堂正面側は、平成8年から10年にかけて行われた大改修以前は、第1術科学校の研究部とその資料室や倉庫などになっていましたが、大改修時に元の姿に修復され、現在では特別なケースの場合にはご覧いただくことができるようになりました。

だた二階奥にある貴賓室だけは流石に入口にバリヤーをおいてあり、通路から覗くことはできますが、現役でもなかなか中に入ってみることはできません。

私はかつて1度だけですが、この貴賓室の中に入るチャンスがありました。

ソファーやカーペットなどは残念ながら現代物で致し方ありませんが、部屋の作りは残された資料をもとに極力戦前までのとおりに復元されています。

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天井のシャンデリアも流石に大変華麗な作りになっています。

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江田島訪問の機会がありましたら一見の価値はあると思いますので、是非事前に第1術科学校の広報を通してここも見学のルートに入れてもらうことをお勧めいたします。

posted by 桜と錨 at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年04月28日

『世界の艦船』 6月号


もう書店の店頭に並んでいると思います。 『世界の艦船』 最新の6月号の特集は 『未成戦艦列伝』 です。

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私も 『究極の戦艦を求めて 第2次大戦期の列国未成戦艦』 の中で次の3つを担当させていただきました。

  @ 改大和型/超大和型(日本)
  A モンタナ級(アメリカ)
  B ライオン級(イギリス)

3編とも、単なる造船技術の視点だけでなく、使う側の用兵者としての視点を入れております。

特に、@ の 「改大和型」 「超大和型」 については、従来の旧技術士官を中心とする 「大和型」 の “ヨイショ” 論に基づくものではなく、その船体構造の重大な欠点を捉え、その延長のままでは決して満足のいくものはできなかったであろうことを述べました。

特に 「超大和型」 においては、「大和型」 の船体構造のままでは20インチ(510mm)砲は例え連装砲塔にしたとしても無理であり、不可能であるということです。

詳細については、是非店頭にてお手にとってご覧下さい。

posted by 桜と錨 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年04月27日

低速標的機 KD2R


本家サイトの 『懐かしの艦影 戦後編』 で 『ある日の呉』 としてご紹介した写真の中に特務船 「はまぎく」 がありました。

これに関連して FaceBook の方でも、「はまぎく」 が特務艇時代に搭載した低速標的機 KD2R が話題にあがりました。

しかしながら、考えてみるとこの KD2R 自体のデータというのはネットでも意外と知られていないようですね。

まあ、現在に至ってはこれについてもご紹介して問題はないでしょうから、手が空きましたらその概要について本家サイトの方でコンテンツに纏めて見たいと思います。

一応、本家サイトの主題である “射撃” に関することでもありますので (^_^)

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posted by 桜と錨 at 20:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

4月23日付 『朝雲新聞』


『朝雲新聞』 の 「世界の新兵器」 コーナーで艦船シリーズとして4ヶ月毎に掲載していただいてる私の第12回目です。

今回は米海軍の哨戒艇 「Mk-Y」 級を採り上げました。

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本級の艇型としては決して新しいものではありませんが、その最大の特徴が搭載する戦闘システムを常に最新のものにしてきているところです。

現在43隻を調達中ですが、10万トンを越える大型空母や現在も性能を改善しつつあるイージス艦の建造はもちろんですが、流石は世界を股にかける米海軍、このような小さな哨戒艇にも決して手を抜いていないことは注目に値するでしょう。

翻って我国はどうなのか?

このところ南西諸島を念頭においた離島防衛が叫ばれていますが、離島警備においては、有事ならともかくグレーゾーンにおいては海上保安庁や水上警察などが担当することになりますが、これらはあくまでも “警察権” の範囲でしか動けません。

その一方で、海上自衛隊はかつてまがりなりにも小型低速でまともな武器を装備しない 「哨戒艇」 をもって 「港湾哨戒隊」 を編成していましたが、現在ではこれさえも保有していません。

ミサイル艇やかつての魚雷艇、あるいはDEではこの任務に適当ではありませんし十分でもありません。 ましてや現在建造中のFFMなどは論外です。

いつまでも防衛省と海上保安庁や警察との小役人的縄張り争いをしているような状況ではないはずですが ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2020年04月26日

「ある日の呉」 潜水艦編


本家サイトの今週の更新として、『懐かしの艦影 戦後編』のページで、先週公開した「ある日の呉」の続きとして 昭和45〜48年に写した潜水艦の写真6枚を追加公開 しました。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/photo_modern/photo_modern_cont.html#1970-73_Kure

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昭和30年8月に米国から貸与された 「くろしお」 (SS-501) が昭和41年3月には保管船(YAC-18)となり、昭和45年8月には除籍となったあと、海自が自前の国産潜水艦勢力を何とか増勢しようとしていた頃のものです。

もちろん今ではここに写っている潜水艦の全てが除籍になって久しいのですが、約半世紀前の呉の潜水艦桟橋の雰囲気も含めてお楽しみいただけたらと思います。

既に退役している海自潜水艦の写真についてはこの他にもありますし、また図やデータもありますので、今後機会を見て追々公開していく予定にします。

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posted by 桜と錨 at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2020年04月22日

「ある日の呉」 補足


本家サイトの更新として 『懐かしの艦影 戦後編』 コーナーで 「ある日の呉」 として昭和45〜48年に私が撮影した艦艇写真から幾つかを公開しました。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/photo_modern/photo_modern_cont.html#1970-73_Kure

既に約半世紀も前のものですので、当時現役の駆潜艇や護衛艦などのメジャーなものはともかくとして、港務隊の係船堀にある各種艦船の2枚の写真については、少々補足説明が必要かと思います。

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この写真で、左端に艦尾のみが僅かに見えるのが旧護衛艦 「きり」 (PF-291)、第2魚雷艇隊は手前から 「魚雷艇7号」 (PT-807)、「3号」 (-803)、「8号」 (-808、当時司令魚雷艇)、「4号」 (-804) の順です。

そしてその奥が旧掃海母艇 「みほ」 (MST-472)、旧掃海艇 「はしま」 (MSC-652) です。

「きり」 は昭和45年3月に保管船 (YAC-20) に種別変更され、第2掃海隊群直轄から呉教育隊に所属替えとなっています。

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こちらの写真は、手前が旧警備艇 「はまぎく」 (LSSL-87)、その奥 (内側) にちょっと分かり難いですが旧掃海艇 「はしま」、そして桟橋の反対側が旧掃海母艇 「みほ」 です。

「はまぎく」 と 「はしま」 は2隻とも船尾旗竿が国旗の支援船ですが、「はまぎく」 は昭和39年に特務艇 (LSSL-87) から特務船 (YAS-35) に種別変更され、横須賀警備隊から呉基地警防隊 (昭和45年10月呉警備隊に改編) に所属替となり、「はしま」 は昭和45年3月に特務船 (YAS-47) に種別変更され、呉水中処分隊の母船となっています。

また、「みほ」 はマストに隊司令旗が揚がっていますが、昭和43年3月に掃海母艇から特務船 (YAS-59) に種別変更となり、第101掃海隊から第12揚陸隊の司令船となった姿です。

posted by 桜と錨 at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年04月20日

第六潜水艇


今年は武漢コロナの影響によって例年行われてきた4月15日の第六潜水艇殉職者の追悼式典が中止され、関係者のみによるささやかなものとなったようですね。


第六潜水艇は神戸川崎造船所において建造されたもので、明治37年11月24日起工、翌38年9月28日に進水し、39年4月4日に竣工しました。

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( 旧海軍公式写真帳より 就役直後 )

そして第六潜水艇の沈没事故は明治43年4月15日ですが、翌16日には早くも沈没位置を特定して潜水調査により生存者なしを確認し、17日には引き揚げに成功して艇内調査が行われました。

その調査時のことは余りにも有名な話しで、皆さんよくご存じのとおりです。

引き揚げられた第六潜水艇は大正8年に第六潜水艦と改名され、翌9年には除籍となり海軍潜水学校の敷地の一角に (とは言っても同校の正門より外なんですが) 「六号艇神社」 として保管されました。 ただ、大正期と終戦時までとでは位置が変わっているようです。

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( 大正期の海軍潜水学校 雑誌『海軍』大正15年より )

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( 昭和期の海軍潜水学校 撮影時期不詳 )

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( 昭和期の六号艇神社 撮影時期不詳 )

そして残念なことに、終戦時に進駐した連合軍によって破棄されてしまいました。

有名な佐久間勉艇長の遺書のコピーなどは米英では太平洋戦争開戦でも撤去されずにいまだに展示されるほどであるにも関わらず、何故この時に破棄してしてしまったのか、大いに疑問とするところではあります。

posted by 桜と錨 at 20:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年04月19日

海軍軍人と手傘


今週の本家サイトの更新としてもう一つ。 『海軍須知』 コーナーにて、その第7話として 『海軍軍人と手傘』 を追加公開しました。

http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/suchi_main.html
http://navgunschl.sakura.ne.jp/suchi/07_Navy_Umbrella.html

旧海軍軍人や海上自衛官は制服着用時に傘の使用が禁じられていますが、これは “格好が悪いから” とか “傘を差しながらの戦闘はできないから” などという、いわば単なる 「躾け」 ではなく、キチンと規則で決められているのです。

この “規則で決まっている” ということを知らない海自現役及びOBも案外多いですね。

これとは対照的に、現在の米海軍では隊列を組んだ時、及び整列する場合以外では制服を着たままでの傘の使用が認められるようになりました。

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( 映画 『クリムゾン・タイド』 公式番宣画像より )

これらについて、その根拠を示してちょっと纏めてみましたので読んでみて下さい。

posted by 桜と錨 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

ある日の呉海自桟橋


今週の本家サイトの更新は、『砲術への想い』 コーナーで連載しました防衛大学校での4年間の思い出に関連して、『懐かしの艦影 戦後編』 のページに、昭和45〜48年に防大での夏期定期訓練時や江田島での幹部候補生時代に写した呉での艦艇写真を追加公開しました。 今回はその前半で、水上艦艇が中心です。

http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/photo_modern/photo_modern_cont.html#1970-73_Kure

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もう半世紀前で、元々の腕の悪さに加え、今となってはプリントもネガも劣化してしまっていますので写りが大変に悪いのですが、昔懐かしい姿ばかりと思いますので、一杯やりながらでも気楽にご覧下さい。

次回は潜水艦を中心に予定しています。

posted by 桜と錨 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年04月15日

庭の牡丹


今年も庭の牡丹が大輪の花を咲かせました。

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が ・・・・ 今年は何故かこの一輪だけです。 例年ですと、数個は咲くのですが。

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その代わり、植えた覚えのないいつものムラサキと白の小さな花 (ハナニラ?) は庭中に沢山咲いています(^_^)

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posted by 桜と錨 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年04月14日

独り言


う〜ん、“ご参考までに” 「市販本からは」 などといわなくとも、原本の松本喜太郎著 『戦艦大和 =その生涯の技術報告=』 に詳細に書かれているんだけど、キチンと読んでいないか、読んでも理解できないんだろうねえ (^_^;

まあ、MOBILE から “通りすがり” などというHNで書き込むようなのに限ってろくな者はいませんけどね(^_^)

ふ〜ん、今度は softbank から yahoo を使ってどこの誰とも名乗らずに上から目線で知ったかぶり? 要するに指摘のとおりなんでしょ? 笑えますねえ (^_^) 

posted by 桜と錨 at 12:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年04月12日

防大最上級生の1年間


本家サイトの今週の更新は、先週に続き 『砲術への想い』 コーナーでの防大4年間の思い出のページに最上級生たる4学年の時の1年間の思い出を綴ってみました。


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( 20期生入校式の観閲式における校旗旗手 )

色々と思い出すままに書きましたので、ちょっと長く、ダラダラしたところがあるかも知れません。 また、夏期休暇での北海道旅行の欄が少々まとまりがなくなってしまいました。

が、写真をみながら記憶を辿っての私自身のための記録と思ってご了承ください。

そして防大4学年海上要員の1年間は3学年の時以上に充実して楽しいものだったのかと、一杯やりながらでも気楽にお読みいただければ。

敢えて言えば、卒業時に帽章と襟章をポケットに入れましたので、厳密には “官品横領” ですが、被服係は制服一式全ての数を数えるわけではありませんし、それに返納しても制服などは裂いて汚れ拭きのウエスに、帽章などの金属類は全て廃品の鉄屑としての処分です。

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( 約半世紀ぶりに少し磨いてみました )

夏冬の制服一式は記念に欲しかったですね。 お役所仕事とはこんなものです。

この年、10月1日が日曜日で、翌2日が衣替えで夏制服は返納しなければなりませんので、どうせ返してもウエスになるなら最後の思い出に、と同期と一緒に白の詰め襟のままで道路に寝ころんでみたり、芝生に座ってみたりしました(^_^)

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併せて、『懐かしの艦影 戦後編』 のページに、夏の乗艦実習時に写した写真などを追加公開しました。 こちらもお楽しみいただければと思います。


もう半世紀前のもので、元々の腕の悪さに加え、今となってはプリントもネガも劣化してしまっていますので写りが大変に悪いのですが、第22護衛隊と第8護衛隊との合同での洋上訓練などは、当時の艦艇勤務の様子の一端に触れていただけるのではないかと。

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posted by 桜と錨 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年04月07日

春爛漫


山の中の我が家の周りでも今が桜の見頃です。

ただ、残念ながらこのご時世、毎年お弁当を広げてノンビリお花見ができるとっておきの場所は、今年は中に入れません。 で、外から。

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今年は入れないことを知らなかったおばあさん数人のグループが花見の荷物を持ってウロウロ。 「あらっ、ここもダメなのね」 と (^_^)


すぐ近くにある団地内の小さな公園も。 ただここは年中いつも誰もいませんが (^_^;

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しかし、桜はいいですねえ。 日本に、そして日本人に生まれて本当に良かったと思う季節でもあります。

posted by 桜と錨 at 13:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年04月05日

防大3学年の1年間


本家サイトの今週の更新は、先週に続き 『砲術への想い』 コーナーでの防大4年間の思い出のページに 3学年の時の1年間の思い出 を綴ってみました。


色々と思い出すままに書きましたので、ちょっと長く、ダラダラしたところがあるかも知れませんが、当時の防大3学年海上要員の1年間はこんなに充実して楽しいものだったのかと、一杯やりながらでも気楽にお読み下さい。

何と言っても、年が明けてから3学年全員による妙高池ノ平での1週間のスキー訓練です。

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スキー訓練と言っても、各自経験も技量もバラバラで、しかも自前のスキーを持っている者以外は陸自高田駐屯地から借用した陸さんの雪中行軍用のものです。

まあ、一般のスキー教室のようには行きませんので、高田駐屯地からの支援の指導教官もほとんど “好きに滑れや” でした。

特に最終日のクロス・カントリーは大変に面白く、楽しかったことを覚えています。

それに、普通の民間の宿に別れての宿泊ですから、これはもう日頃の学生舎での束縛を離れて、しかも同じ訓練班のメンバーですから、毎晩思い思いの部屋に集まってはワイワイガヤガヤ。

同宿のお目付役の防大指導官達も 「静かにして、早く寝ろ!」 と一応お小言は言うものの、半分以上はあきらめ顔で。 昔自分達も同じだったことを思い出しているのでしょう。

おまけに、大浴場に徳利とお猪口を持ち込んで桶に入れて湯船に浮かべ、窓を開け放っての雪見酒。 これは楽しかったです。 多分これは同宿の指導官も気が付かなかったのではないかと (^_^)


併せて、『懐かしの艦影 戦後編』 のページに、夏の乗艦実習時に写した写真などを追加公開しました。 こちらもお楽しみいただければと思います。


もう半世紀も前のもので、元々の腕の悪さに加え、今となってはプリントもネガも劣化してしまっていますので写りが大変に悪いのですが、洋上での訓練風景や、舞鶴での第4駆潜艇隊や第31護衛隊などの写真は珍しいのではないかと。

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posted by 桜と錨 at 13:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに