2019年08月31日

8月29日付 『朝雲新聞』


『朝雲新聞』 の 「世界の新兵器」 コーナーで艦船シリーズとして4ヶ月毎に掲載していただいてる私の第10回目で 「令和」 最初の記事となります。

今回は汎用フリゲイト (FREMM、Fregata Europi Multi Mission) の1タイプであるイタリア海軍の 「カルロ・ベルガミーニ」 級です。

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現在もこの FREMM 型の艦が建造されつつあるとはいえ、1番艦そのものは2013年の就役ですから既に “最新” とは言い難いものがあります。

が、何故本紙のシリーズとして今回採り上げたのかと言いますと、本級が早ければ来年にも建造計画が始まるとされている米海軍の次期ミサイル・フリゲイト FFG(X) の基本デザイン候補4つの内の一つとなっているからです。

元々の候補は5つだったのですが、早々に単胴 (モノハル) 型の「フリーダム級」LCSを元にしたロッキード・マーチン社案が脱落してしまいました。

残りの4社案の内、本級の元である FREMM 型は既に数々の運用実績があり、かつその汎用性に優れた基本デザインは定評のあるところで、このため FFG(X) の最有力なものと考えられています。

さて、米海軍の政治的判断も含めて、どれが FFG(X) に選定されるのか、その決定が待たれるところですね。

posted by 桜と錨 at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年08月30日

懐かしのバー 「スターダスト」


『最貧前線』 の初演のために久々の横浜でしたが、宿は伊勢佐木町。

で、舞台が終わってから宿までのどこかで遅い夕食を兼ねてちょっと一杯、と思ったのですが、私は昔からどうも 伊勢佐木〜関内〜桜木町 辺りのあのゴミゴミとした猥雑さは好きになりません。

青少年センターを出たのは22時も回っておりまして、雨も降り出しましたのでタクシーを拾って、折角ですからもう30年も前に一度行ったことのあるノース・ドック手前の老舗のバーに行ってみることに。

健在でした (^_^)

いまだにこの辺りはな〜んにもなくて、真っ暗な中にネオンがポツリと。 昔と全く変わっていません。

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外もそうなら、ドアから中も全く昔のまま。

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ただ、映画のロケ地などにもなりましたので、最近はそれなりに愛好者が増えたのかどうかは判りませんが、ソファー席側には先客の若いカップルが3組も。 このためそちら側の写真は撮れず (^_^;

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( ネットからお借りしました )

カウンター席に座って、何はともあれバッドを。 勿論グラスに注いで飲むなどは野暮というもの。 ビンのままでチビチビと。

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元々がノース・ドックの米兵相手に始まったアメリカン・バーですので、お酒の類はそれこそたくさん並んでいますが、ツマミはポテトチップスやナッツ、サラミなどだけ。

会計もその都度その都度のキャッシュ払いも同じ。

そして昔のままに古いジュークボックスから流れるオールディーズ ・・・・

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良いですねえ、こういうの。 一人でカウンターのイスに座ってノンビリしたひと時を楽しむには最高です。

マスターと若い店員さんも、こちらから何か話しかけない限り、お客の自由に過ごさせるこの距離間もいいですね。


二軒離れたところには港や街の夜景が楽しめるテラス席もある洒落たバーが出来ているようですが、こちらはデートやパーティー向きですので、野暮な男一人で入るにはチョット (^_^;

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( ネットからお借りしました )

で、小一時間ほどお邪魔して、タクシーを呼んでもらい宿に帰りました。 人通りもなく、タクシーが流す様なところではありませんので。

もちろん、帰りにはテーブルの空ビンの横に小銭のチップを置くのは忘れずに。

う〜ん、もう一度横浜に出てきて再訪できる機会はあるかな 〜 ・・・・

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2019年08月29日

宮崎駿氏原作 舞台演劇 『最貧前線』 初演


宮崎駿氏原作の舞台演劇 『最貧前線』 は、水戸芸術劇場の30周年記念事業として企画されたもので、先にご紹介しましたように、27日 (火) はその初演日でした。

これから横浜の青少年センターを皮切りに、10月一杯まで各地の8つの劇場で公演が行われます。

水戸芸術劇場 『最貧前線』 公式HP :

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( 水戸芸術劇場の公式HPより )

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( 『最貧前線』 公式パンフレットより )

私もお手伝いをした一人としてお呼びいただきましたので出かけてきました。

一連の公演の最初の会場は桜木町の県立青少年センターのメインホールである 「紅葉坂ホール」 で3日間です。

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ここは建物の全面改装に伴って、大変に立派な舞台ホールとなっていまして、最大収容人数は約800名です。

当日は少し早めに行ったのですが、開演の1時間以上前には既にロビーや出入り口前に大勢の人が集まっていました。

そして30分前の入場開始時にこれらの人々が受け付けに殺到してしまいましたので、暫く待って入りましたが、このため開演前にこのホール全体の写真を撮ろうと思っていたのですが ・・・・

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( 青少年センター公式HPよりお借りしました )

流石に初日だけあって会場は満杯。 私達お手伝いの関係者や一般の観客の方々の他に、本来が青少年センターであるだけに中・高校生などの招待者枠もあったようです。

舞台は18時半から。 途中の第1幕と第2幕の間に休憩が入り、終演は21時15分頃でした。

そして観客の皆さんが全て退場された後、ロビーにて出演者の皆さんやスタッフの皆さんが揃って初日の反省会を兼ねて軽く一杯。

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( 流石にこれ以上の大写しの写真は ・・・・ (^_^; )


全体の出来は、まだちょっと荒削りなところが残っているものの、以前稽古場で拝見したものに、映像や音響・証明などの全てが加わったこともあり、大変に見応えのある良い出来になっていました。

主演の内野聖陽さんや風間俊介さんを中心にした役者さん一同の熱演もあり、一般の方々にとっては感動ものの舞台になっていたと思います。

お芝居終了と同時に拍手が鳴りやまず、役者さん達が並んでのカーテンコールも2度ならず3度も。 そして、終演後に観客の皆さんが退場される時には、中には感極まったのか涙ぐんでいる人もチラホラ。


申し上げるまでもなく、舞台演劇はTVや映画などとは異なり、役者さん達が演ずる人間ドラマですし、それにその場その場で観客の人達に直感的に理解して貰わなくてはなりません。

その意味では、舞台演劇としても大変良く、脚本 (芸術監督) の井上さんや演出の一色さん達の手によって、大変見応えのあるものになっていると思います。

また、舞台セットや音響・照明、そしてシーン・シーンで映される映像も効果的なものであり、まさに舞台演劇ならではと。

ただ、この舞台、出演する役者さんは11名なのですが、やはり女優さんは一人も役がありませんで ・・・・ (^_^;


いただきました公式パンフレット。

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大変良くできており、内容もバラエティに富んだものとなっています。 舞台セットなどの写真もあり、ネタバラシになってはいけませんので省かせていただきますが、これは舞台をご覧いただいた方々は是非入手されておいて損はないと思います。

なお、最後の方のスタッフ等リストのページでは、2個所も私の名前を掲載していただきました。 嬉しいことです。

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そしてイラスト担当のモリナガ・ヨウ氏による取材イラストの中に ・・・・ これってもしかして私?

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もう一ついただきましたのは、舞台で使われている吉祥丸の大漁旗と同じデザインの手拭い。

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( 舞台で使われている吉祥丸の大漁旗 )

このパンフレットと大漁旗手拭いは、台本と共に私の大切な記念になりました (^_^)

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井上さんや一色さん、そしてスタッフの皆さん始め関係者の皆さん、ありがとうございました。 舞台演劇には門外漢の私が稽古場などをウロウロしてご迷惑をおかけしたと思います。 お世話になりました。 

また、内野さんや風間さん、ダンカンさんを初め出演の皆さん、立派な演技をありがとうございます。

これでまた一生の良き思い出が一つ増えました。

posted by 桜と錨 at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年08月27日

今日は 『最貧前線』 初演

今日は宮崎駿氏原作の舞台演劇 『最貧前線』 の初演です。

いざ出発 !

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会場は桜木町の県立青少年センター

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メインホールですが、開演の1時間以上前から既に大勢の人が集まっていました。

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詳しくは戻ってからお話ししますが、お芝居は大変に面白く、よくできていました。

posted by 桜と錨 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年08月25日

SG 『射撃指揮装置T型 概要』


本家サイトの今週の更新として、『現代戦講堂』 の 『資料展示室』 コーナーにて 『射撃指揮装置T型SG集』 を開設し、まずその第1段として 昭和56年版の 『射撃指揮装置T型 概要』 を公開しました。

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   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/tenji_main.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/Modern_Warfare/Shiryo/08_GFCS_Type1_SG.html

ご承知のとおり、海上自衛隊における初の国産射撃指揮装置として長年使われてきたT型ですが、平成29年の 「くらま」 の退役をもって全艦艇から姿を消しました。

海自の悪いクセというか、自分の業務にしか目が行きませんので、現用で無くなったものに関する資料についてはスペースを占領するだけの邪魔なものでしかなく、しかも全く保存に関心を払わいませんので、このためいつの間にか関連する資料なども棄てて無くなってしまいます。

このT型に関する資料も、今ではどこにどれだけ残っているのか判りません。 このT型が装備される前の Mk−56 などは、既に海自には一切残っていないことが確認できていますので (^_^;

(最近になってやっと歴史保存の規則類もできましたが、海幕は規則類さえ作れば後は現場が良きに取り計らえで、付随する事項の措置は全く知らん顔の “単なるお役所” ですから、現場には保存の場所も無ければそのための管理要員もおりません。 したがって当の担当者個人にとっては余計な業務を押し付けられたにすぎません。 これでまともな歴史保存などできるわけがありません。)

もちろん破棄する前にそれらが海自から公開されるなどはありません。

当サイトで公開する意義はまさにここにあると思っています。

もし関心を持っていただける方々がおられますならば、今後この詳細についてのSGも順次公開していきたいと思っています。

なお、申し上げるまでもなく、公開するSG集は秘密文書どころか当時の 「取扱注意」 文書にも 「部内限り」 文書にも指定されたものではありませんし、かつ秘密に関する内容は一切含まれておりません。

しかも、当の装備品そのものが既に海自に存在しませんので。


posted by 桜と錨 at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2019年08月22日

マルタ・コイン

Mixiの方でマイミクさんからマルタのユーロ・コインの話しが出ましたので、ついでにこちらでそのマルタ・コインのご紹介を。

これですね。

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ユーロ・コインは表面は参加各国共通ですが、裏面はそれぞれの国ごとのデザインで、マルタの1ユーロと2ユーロは 「マルタ十字」 ですね。

ただ、発行数が少ないこと有り、また欧州からの観光客にも人気のデザインですので、マルタ国内でもなかなかお目にかかりません。

私も昔 「坂の上の雲」 のロケでの4週間の滞在中に、釣り銭の中から見つけた時に残してみましたが、数枚ずつのみでした。

それに面白いことに、50〜1セント・コインの裏はマルタ十字では無いんですよね。


う〜ん、でもこうして思い返すとマルタは本当に良いところでしたね。 もう一度行ってみたいところと聞かれれば、マルタはその筆頭でしょうね。

当時のマルタ滞在中のことは、本ブログの 「マルタあれこれ」 で連載しておりますので、是非。



posted by 桜と錨 at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年08月21日

『世界の艦船』 9月号増刊


『世界の艦船』 の最新刊は9月号増刊 (通巻908号) は 『傑作軍艦アーカイブ G 』 で、『米空母 「ヨークタウン」 級』 です。

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そしていつもどおり、私も 『 メカニズム A 兵 装 』 を担当させていただきました。

更に今回は、これに加えて編集部さんからのご依頼により、次のものも書かせていただきました。

  『 エンタープライズも装備 / VT信管の開発と運用 』

VT信管についてはその名称は有名なものの、案外その実態については知られていないものの一つではないでしょうか?

ただ残念なことに、元の原稿では米海軍のVT信管について第2次大戦直後までの各タイプの写真やデータ、そして基本的な原理などについて図解でその詳細を用意したのですが、残念ながら紙幅の関係で省略せざるを得ませんでした。

これらの取り残し分については、機会を見て本ブログ又は本家サイトの方でご紹介して行きたいと思っています。

ただし、今回の記事の中で、VT信管各タイプの受信感度パターンの一覧図は初出のものと思います。 これを示したものはネットや出版物でも海外のものを含め他に見たことがありませんので。

ちょっと手書きで見難いものですが、米海軍ではVT信管ごとに弾片効果が最大となるようにこの受信感度パターンの試行錯誤を行ってきたことがお判りいただけるでしょう。

また、VT信管も最初の頃の作動の信頼性が低かったことと、まだ部隊配付数が限られていたこともあって、対空射撃においては時限信管との併用であり、かつ当初はその比率は10発に1発程度の使用であったことにも注目していただきたい点であると思います。

対空射撃において、5インチ及び3インチ砲が100%VT信管付となったのは、大戦後、それも暫くしてからのことなのです。

もう書店の店頭には並んでいると思います。 見かけられましたら、是非手にとってご覧ください。

posted by 桜と錨 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年08月18日

新造艦船弾火薬庫艤装規程


独り言にて、艦船における注水装置と散水装置のことを呟きましたが、やはり艦船の弾火薬庫についてお話ししないとなかなかお判りいただけないことかと思います。

ただこのところバタバタしておりますので、これについては後日手の空いた時に機会を見てとさせていただき、取り敢えず艦船の弾火薬庫はどの様な構造で、どの様な装置が備え付けられているかをご理解いただくこととしました。

つきましては、本家サイトの今週の更新として、『海軍法規類集』 コーナーにて大正9年内令13号により制定 (同10年改訂) された 『新造艦船弾火薬庫艤装規程』 の追加公開しました。

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  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/IJN_houki/IJN_houki_main.html
  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/IJN_houki/PDF/T090120_Dankayakuko_Gisou.pdf

この規程は、終戦時まで変更はなされておりません。 また、現在の海上自衛隊の艦船では、基本的にこれと同じものが昭和29年に 『海上自衛隊の使用する艦船における火薬類の貯蔵に関する総理府令』 で定められており、現在では同府令は 『陸上自衛隊及び海上自衛隊の使用する船舶における火薬類の貯蔵に関する省令』 となっていますが、艦船の弾火薬庫の艤装については旧海軍とほぼ同じ内容となっています。

つまり、現在に至るも、非常時における注水装置による弾火薬庫の漲水と併せ、平時、戦闘時を問わず、弾火薬庫における弾火薬の保管、維持管理上重要なものとして散水装置 (スプリンクラー) も装備されているのです。

何も、弾火薬庫 (及びその周囲) において何か有った時に 何でもかんでも直ちに注水するわけではなく、それはあくまでも最後の手段 としてであって、状況により、あるいは段階的な手段として散水装置による方法が取られます。

それに、弾火薬を一度海水に漬けてしまうと、全てを陸揚げして真水による拭き取りと乾燥、そしてその後に全弾の検査が必要になります。

posted by 桜と錨 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年08月16日

独り言


艦艇のスプリンクラー

某所において艦艇のスプリンクラーについて質問が挙がっていましたが、それに対する回答で次のようなものがありましたので、少々補足を。

スプリンクラーって、そんなに役立ちますか。火薬庫に引火しそうでしたら緊急注水でしょうし、・・・・ (中略) ・・・・ 艦艇の場合は、爆発物はある、可燃性液体もある、だったらスプリンクラーよりも、各所にある消火栓からの注水のほうが主になる


帆船から鋼船の近代艦船になった明治期以降、艦艇の 「砲火薬庫」( 「黒色火薬庫」 を含む) には戦闘被害時などでの引火・誘爆防止のために庫内を海水で充たすため(15分以内に庫内を満水とする能力)の 注水装置に加え、併せて 庫内冷却のため のスプリンクラーが装備されることとなっていました。

ただし、当時は 「散水装置(スプリンクラー)」 とは言わずに 「撒水装置(Water Shower)」 と呼んでおりましたが。

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( 昭和初期の艦艇の例 )


この撒水装置は艦艇において火薬庫内温度上昇時に庫内を冷却することが主目的ですが、入渠時に弾火薬類を卸さないで行う場合には、この散水装置を陸上側の消火栓に繋いで使用することとなっておりました。


もちろん現在の海上自衛隊の艦艇でも、この散水装置は弾火薬庫やミサイル弾庫等に同様の目的で装備されていることは申し上げるまでもありません。

ただし、旧海軍のように入渠時に弾火薬を搭載したままということは規則上あり得ませんが (^_^;


(8月18日追記) :

追加の回答がついたようですが ・・・・


現在の軍艦では、スプリンクラー等は、消火だけでなく他の用途も考えて設置されている

何を言いたいのかよく判りません。 まさかCBR戦用の水幕装置であるスプリンクラーは消火用を兼ねたものとでも言いたいのでしょうか? (^_^;

復役直後のアイオワ級戦艦の砲塔内の爆発事故時に、世界の艦船に掲載された写真では、ホースで消火しているようです。但し、砲塔内は映っていません。

これも、だから何だと言いたいのか全く判りません。

艦船の消火栓からの消火ホースの先端にはどのようなものが付けられ、どのように使われるのかご存じないようですね。

まさか、消防署の消防車が火災になった建物等を消火するのと同じと思っておられるのでしょうか? (^_^;



posted by 桜と錨 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年08月14日

台風10号来襲


今のところの予報では、明日15時頃まさに直上通過の予定。

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( ウェザー・ニュースの18時現在の予察図より )

既に明日は一帯の鉄道、バスが全て運休となっており、公共施設などの多くも休館が決まっています。

ただ中心が通りますので、逆に今のところ雨・風共にそれ程でも無いようですが ・・・・

念のため、先ほど家内と一緒に近くのスーパーへ行って籠城準備をしました。

広域の停電になると場合によっては復旧まで1〜3日かかることがありますので、そうなると我が家も含めて団地内の多くはオール電化ですから、電気が止まるとお湯も沸かせません。

なにしろ山の中の田舎ですので (^_^;

(15日追記) :
13時現在で台風10号の中心は直ぐそこまで来ていますが、これまでのところ雨も風もほとんど無し。


(15日追記2) :
15時過ぎに真上を通過していきましたが、幸いというか、ちょっと拍子抜けで、風は時々数m/秒程度、雨も精々数ミリ/時程度の強さです。 あとは夜半までの吹き返しがどうなるか?


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( ウェザー・ニュースの15時現在での予察図より )

(16日追記) :
この度の台風10号により被害にあわれた方々にはお見舞い申し上げます。

当地は10号が真上を通過することになりましたが、幸いにして来襲前も後も我が家一帯は特に何事もなく朝を迎えました。 却って、台風周囲の広範囲の地域の方が雨、風共に酷かったようですね。

今回の10号の特性だったのか、当地の地形的なものだったのか、結局、風は時々数m/秒が吹く程度、雨も強い時で数ミリ/時程度の降りでした。

これから籠城準備で貯め込んだものを少しずつ消化です (^_^)


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F.T.ジェーン著 『ロシア帝国海軍』 邦訳版


現在まで続く有名な海軍年鑑の一つである 『Jane's Fighting Ships』 の創始者 F.T.Jane がものした名著の一つ、 1899年の 『The Imperial Russian Navy』 の邦訳版が、この度 HN 八坂八郎氏によって出されました。

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HN 八坂氏は本ブログでも何度かご紹介しているとおり、「三笠」 の研究では第一人者の一人と言っても差し支えないでしょう。

そして、氏はその 「三笠」 研究のための基礎知識として、関連する当時の文献を幅広く読まれてきており、そのうちの幾つかは既に邦訳版を出されていることもご紹介してきたとおりです。

今回もこれまでどおりの丁寧な邦訳とともに多数の適切な注釈付きであり、しかも図版や写真も大変に綺麗なものとなっています。

とはいっても、原著そのものが約700ページもある大作ですので、邦訳も一挙にとは行かず、今回は全体の約1/4の第1〜第9章までを第1巻として纏められました。 続編が待たれるところです。


なお、著者のジェーン氏はこのロシア海軍に続き、日露戦争開戦時の1904年に日本海軍についての同様な解説書である 『The Imperial Japanese Navy』 を出版しており、このロシア海軍本とともに日露戦争当時の両国海軍についての研究のための貴重な文献となっています。

この両書の原文については、既に本家サイトにて公開しているところです。


そして日本海軍本の方については既に HN 八坂氏によって素晴らしい邦訳版が出ており、こちらも本ブログにてご紹介させていただいております。


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今回の 「ロシア帝国海軍」 についても、原書と邦訳版を併せてお読みいただくと、興味も一段と深まるのではないでしょうか。

HN 八坂氏の邦訳版を入手希望の方がおられましたら、直接下記の氏のサイトの当該記事からコメント欄にてコンタクトをとってみて下さい。


posted by 桜と錨 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年08月12日

墓参り


お盆ですが、どうも台風10号が直撃しそうな様子に。

で、早めにお墓参りに。

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家内の方のお墓はちょっとした高台にありますが、今日も大変な暑さで、フーフー言いながらお参りしてきました (^_^;

そして、こちらでは色鮮やかな盆灯籠を沢山飾るのが風習になっていますが、どうもお盆中日の14〜15日付近が危なそうなので、念のために用心して親族が既に飾ってあったものも一緒に引き揚げました。 街中ですので、致し方ないかと。

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2019年08月11日

『戦前の各国海軍旗章等』


本家サイトの今週の更新として、先ほど 『懐かしの艦影』 コーナーにてかつてイタリア海軍省が発行した 『Almanacco Navale』 の1941年版 (一部38年及び39年版) に掲載されたものを公開しました。


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この軍艦旗や各種指揮官旗及び階級章等のイラスト集は、本家サイト開設初期に、定期更新に併せてトップページで各国ごとに連載してご紹介したものですが、その後そのままになっておりましたので、今回改めて元の原紙に多少手を入れた (コントラスト調整など) ものを纏めて公開するものです。

戦前の各国海軍の旗章類をイラストとはいえカラーで示したものはなかなかありませんので、古き良き時代の雰囲気を味わっていただければと思います。

中には大変珍しい国の海軍のものもありますので、その意味では私の本家サイトにて掲載する意義は十分にあると考えます。

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2019年08月10日

お出かけ 補


私のブログですから、やはりこれが無いと (^_^)

ご存じのとおり箱崎周辺はオフィス・ビルが建ち並ぶビジネス街ですので、お昼時のランチやお弁当屋さんはそれなりにあるのですが、夕方以降となるとちょっと淋しいところです。

それに連日20時〜21時でしたので、それから一旦宿に戻って出るとなると、なかなか良いところが見つかりません (^_^;


FBF さんの記事に誘われて “そうか、都心でも生牡蠣か” っと思って入ってみました。 真夏に牡蠣を生で出すのは、専門店か余程自信のあるところが多いからです。

3種のお任せをお願いしましたが ・・・・ う〜ん、決して不味いわけではありませんが、ネットの口コミにあるようには ・・・・ まあ、都心ではこれでも致し方が無いのかと。

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もちろん品川などの繁華街へ出て FBF さんのようにそれなりのお店に行けば別なんでしょうが、この場所では (^_^;


他には、宿のフロントで “人形町駅近くまで歩けばそれなりにお店がありますよ” とのことで行ってみたのですが ・・・・ 確かに勤め帰りに一杯やっているサラリーマンさん達のグループなどで賑わっておりましたが ・・・・

22時近くでも外から見えるテーブル席はお客さんでほぼ満席の、とある海鮮系の居酒屋に入ってみましたところ ・・・・ テーブル席から離れた片隅の、他には誰もいないカウンター席に案内されましたので、まあ取り敢えず飲み物とつまみを幾つか注文しました ・・・・ が、お刺身も揚げ物、焼き物も全て “何これ!” と言うものばかり。 しかも芋焼酎の水割りは薄くて芋の味も香りも無し。

都心のサラリーマンさん達はこんなところで満足しているのかと。 しかも、厨房の中は見えませんでしたが、従業員さん達は全て東南アジア系の人。

宿に帰ってネットを見てみましたら “美味しくてCPも良い” などとの高評価がズラリ、の所でした (^_^;


夜に比べるとやはり場所柄からか、お昼時は宿の周辺でも面白いところがありました。

近くのラーメン屋さんの 「野菜ラーメン」

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このお店のウリの一つでもあり、なかなか面白い味で、これはこれで美味しかったです。

もう一つは、何故かお蕎麦屋さんの 「カツ丼」

ランチ・タイムは肝心なお蕎麦よりはこれの方が人気だそうで、お客さんはほとんどがこれを注文していました。

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オーソドックスといえばオーソドックスで、私的にはなかなか美味しかったと思います。 やはりお昼時のウリにするだけのことはあるかと。


そして、時間調整で近くの小さな喫茶店でコーヒーを。

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一つ一つキチンとドリップしてくれます。 そして、テーブル席からはお店の片隅にあるガラス越しの部屋に本格的な焙煎機が見えます。

ちょっと酸味があるスラウェシ産のものを注文しましたが、なかなか美味しかったです。

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2019年08月09日

お出かけ 4

今日は午後までで無罪放免に。

水天宮ピットは宿のすぐ裏。 ここ、都立日本橋高校の校舎だったところをそのまま使ってるんですよね。

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広島にたどり着きました。

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今日からお盆休みの人が多いのか新幹線は激混みでした (^_^;

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2019年08月08日

お出かけ 3

今日も一日ここで。水天宮ピットの大スタジオ。

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隣は箱崎公園を挟んで巨大なIBMのビルです。

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で、今日は20時まで。


う〜ん、明日は帰れるかな〜 (^_^;

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2019年08月07日

お出かけ 2

昨日に引き続き

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27日の初演に向けて稽古は順調に進んでいます。

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良い役者さんが揃っています。

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で、今日も終わりは21時 (^_^;
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2019年08月06日

お出かけ

出発!

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着いた! 今回はここ。

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で、今日の終わりは結局21時 (^_^;

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2019年08月01日

兵学校の江田島移転と 「東京丸」


『世界の艦船』 9月号に掲載された拙稿 『呉鎮守府開設130周年』 記事の補遺3つ目です。

拙稿記事では呉鎮守府だけでなく、江田島の海軍兵学校にも触れておりますので、こちらについて少し補足を。


ご存じのとおり、東京築地に置かれていた海軍兵学校は、明治22年の呉鎮守府開設に先立つ21年8月1日に江田島に移転、同月15日に同地で開庁しました。

この江田島への移転については、将来の海軍将校たる青年達の教育の場として築地はその環境的に問題が多いとして議論がなされ、明治16年の第2海軍区の軍港の適地調査の際にその候補の一つとしてあげられていたものの、何分にも離島であることから鎮守府設置の地としては採用されませんでしたが、却ってこの環境が海軍将校生徒教育の場として最適なものとして選ばれました。

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( 海軍兵学校建築工事前の江田島 )

このため明治19年5月に呉に鎮守府設置が決まった翌6月には兵学校の江田島移転が決定され、これによって直ちに測量と用地買収が行われた後、早くも建設工事が始まりました。

そして明治21年5月末には敷地及び幾つかの建物及び教官・職員官舎などが概成したことにより、上記のように8月に移転となったわけです。

しかしながら、この時にはまだ肝心な生徒館などは完成しておらず、このため水兵屯船となっていた 「東京丸」 に所要の改造を加えた上でこれを回航、現在の表桟橋から陸奥砲塔付近にかけての海岸に繋留してこれを 「生徒学習船」 としたのです。

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( 移転直後の海軍兵学校 左端が生徒学習船 「東京丸」 )

この 「生徒学習船」 の用途は、まだ未完成であった生徒及び指導教官用の居住及び厨房、生徒の温習室、講堂、教官室などの施設の代用としてです。

下の写真は同船を右前方の陸岸から撮影した割とよく知られた有名なものです。

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もう一つは同じ時期に同船の右後方の陸岸から撮影したもので、こちらは珍しい写真と思います。

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この 「東京丸」 ですが、『世界の艦船』 の拙稿記事の注釈にも述べましたように、元々は1864年 (元治元年) に米国で建造された蒸気推進の木造船 「ニューヨーク号」 で、明治7年に三菱商会が購入の上これを 「東京丸」 と改名して三菱蒸気船会社が運航したもので、旧陸軍及び海軍も人員及び物資などの輸送に利用しました。

その後この 「東京丸」 は三菱会社所属となっていたものを、明治18年に旧海軍がこれを水兵屯船として購入、エンジン等の撤去や諸室の改修などを行いましたが、20年になってこれを兵学校の生徒学習船とすることが決定され、神戸の小野浜造船所で所要の改装工事を行った後、翌21年2月に江田島まで 「摩耶」 により曳航し、兵学校敷地の海岸近くに並行に錨で四方を固めて繋留しました。 陸上との交通には現在の表桟橋近くに浮き桟橋が設けられています。

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(『海軍兵学校沿革 巻2』より 「東京丸」 の船内配置図 )

陸上に生徒館などが新築されるまでとは言いながら、当時既に船齢24年の老朽木造船であり、諸室が改修されていたとはいえ、採光不足や船底の漏水を初めとしてこの種の用途としては劣悪の環境であったとも言われています。

そして明治26年6月15日に生徒館等が完成して全てをこれらの陸上施設に移し、同7月3日には 「東京丸」 は早くも売却のために呉鎮守府に引き渡されています。


余談ですが、『坂の上の雲』 でも有名な廣瀬武夫は江田島移転翌年の明治22年4月22日に、秋山真之は23年7月17日に卒業していますので、両名とも江田島では卒業までこの 「東京丸」 で起居しており、後に新築される赤レンガの生徒館では全く過ごしたことがないことになります (^_^)


そこで疑問が出ます。

築地時代には、明治5年に海軍兵学校の前身である海軍兵学寮が元の海軍操練所から引き継いだ木造平屋の建物から、新築の洋風二階建ての木造の学舎に移転し、ここで明治9年には海軍兵学校と改称されました。

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( 海軍操練所 )

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( 明治5年新築された海軍兵学寮学舎 )

しかしながらこの新築木造学舎は何故か10年ほどで老朽化したとされ、このため明治16年隣接地に東京で最初、かつ東洋一の規模と謳われた二階建て洋風煉瓦造りの生徒館が新築されてここに移ったのです。

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( 明治16年新築された新生徒館 )

したがって、明治21年にはこの新生徒館はまだ築5年に過ぎなかったわけで、如何に生徒教育の環境のためとは言いながら、わざわざ急いで江田島に移転し、しかも老朽化した環境劣悪な 「東京丸」 を使用せずとも、江田島での生徒館など全ての施設の完成を待ってからでも決して遅くはなかったはずです。

ではなぜ江田島移転を急いだのか?

これについては、明文化された史料が残されていませんが ・・・・

明治20年に海相の西郷従道が欧米視察途中に英海軍大臣との間でジョン・イングルスを招聘して日本海軍で将校に対する高等教育を行う話しとなり、これにより海軍大学校の創設が持ち上がったのです。

しかしながら、当時はこの新設する大学校のための施設を新たに求めることが困難であったことから、江田島移転が決まっていた海軍兵学校の施設をこれに当てることとしたため、その移転が早められたのではないかと考えられます。

実際のところ、『世界の艦船』 の拙稿でも書きましたように、明治21年7月14日には 「海軍大学校官制」 が、続いて同17日には 「海軍大学校條例」 が制定され、8月1日兵学校の江田島移転直後の15日にはこの築5年の新生徒館をそのまま使用して開校準備に入り、同28日に正式に開庁しました。

そして翌9月には第1期の学生を募集して11月にはその選抜試験が行われ、合格者は11月15日には早くも課程が開始(実際の授業は26日から)されるという、実に段取りの良さだったのです。

早い話が、海軍大学校新設のために兵学校は追い出されたとも (^_^;

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posted by 桜と錨 at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと