2019年07月31日

鮎の塩焼きに挑戦


いつもの小さなお魚屋さんの前まで行きましたら、大将が目ざとく私を見つけて “今日のお勧めは鮎! 何匹?” と何も言う前から (^_^)

でも今が旬の鮎、なかなか良さそうな色と形でしたので、つい “じゃ、3匹” この大将の押しにはいつも負けます。

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残念ながら養殖物ですが、天然物はほとんど入りませんし、入荷したとしても大変に高価ですので、まあ、そこは致し方ないかと。

で、今日は私も塩焼きにチャレンジしてみることに。

軽く流水で洗って表面のヌメリをとってから、両面に軽く振り塩を。 そして電子レンジで適当にメニューを選んでチン。

我が家はオール電化仕様でガスがありませんので ・・・・

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覗き窓から焼け具合を見て時間を調整しますが、もう少し焼いた方が良かったかも。 次回への反省です (^_^;

でも、なかなか美味しかった。 家内もこれならまあまあと。

私は子供の頃はお魚が大嫌いでした (というより当時はまだ美味しいお魚がなかなか流通していませんでした) が、自分で給料を貰うようになって小料理屋さんでお酒を飲み出してからは、肴として段々と食べるようになりました。

今回もちょっと苦いキモを口に入れて、鮎ってこんなに美味しいものだったのかな〜、っと。 歳をとったせいもあるのでしょうね (^_^)

また今度良いものがあったら再チャレンジしてみましょう。

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2019年07月30日

呉鎮守府の司令部壕


『世界の艦船』9月号に掲載された拙稿 『呉鎮守府開設130周年』 記事の補遺2つ目で、最近になって観光の目玉の一つとして一般公開もされるようになった 呉鎮守府の司令部壕 です。


ここは一般的には呉鎮守府の “司令部地下壕”“地下作戦室” などと言われていますが、昭和20年4月撮影の米軍偵察写真及び昭和22年の米軍による航空写真をご覧いただいてお判りのように、ここは鎮守府庁舎下の 地下に掘られた防空壕ではなく、地上に構築された いわゆる “掩体壕” なのです。

そして完成後にカモフラージュとして上部に薄く盛り土がなされ、樹木なども植えられたようですが、この時の状況はハッキリしません。

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( 1945年4月撮影の米軍呉地区航空偵察写真より加工 )

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( 1947年の米軍航空写真より加工 )

この作戦室用の掩体壕が、上の米軍写真に見るように、遅くとも昭和20年4月には作られていたことは確かですが、正確にはいつ建設されたのかはハッキリしておりません。 そして、この司令部壕が終戦までにどの程度機能し、使用されたのかも不詳です。

ただし、新鎮守府庁舎の地階 (庁舎外ではなく庁舎内) からここへ通じる通路も設けられていることからも、鎮守府の作戦室用であったことは間違いありません。

もちろん “作戦室用” とは言っても、単なる一つの広い作戦室ではなく、それに付属する通信室や幕僚部などの作業室、機材室や電源室などが併設された、いわゆる 「司令部壕」 であることは言うまでもありません。


そして終戦後に米軍が進駐した時、鎮守府庁舎地区には第10軍団の呉基地隊が置かれましたが、その時のこの司令部壕の状況については不詳です。

次いで昭和21年に英連邦軍 (正式には英連邦占領軍 (BCOF、British Commonwealth Occupation Force) ) が米軍と交代した時、この司令部壕には英連邦軍の 「司令部通信隊司令部」 に加え、「英連邦軍司令部信号事務所」 と呉〜メルボルン間の無線通信の 「呉ドーバー交換局」 が置かれたとされています。

後者は同年5月に江田島に移転し、代わって 「アンザック交換局」 が置かれましたが、このため呉と江田島間には25本の海底通信ケーブルが新たに敷設され、その交換業務はこの司令部壕で行われました。

この時点で、「信号事務所」 ではメルボルンや日本各地との間に無線通信系とテレタイプ系の併せて24チャンネルを所掌していたとされています。


そして同年12月には英連邦軍用の有線電話回線の運用のためにこの壕内に 「広島通信局工務部呉出張所」 が置かれたのを切っ掛けに、これが22年10月には 「呉電気工事局第1電話交換所」、24年 「呉特別電話局」 となっています。

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( 昭和23年撮影とされる元鎮守府司令部壕 )

昭和31年に英連邦軍が撤退し、翌32年には日本に返還されて海上自衛隊呉地方総監部が移転してきましたが、その時のこの司令部壕内の物理的な状況については不詳です。

ただし、以後最近に至るまで海上自衛隊ではこの司令部壕は主として総監部などの不用品の倉庫となっておりましたので、壕内部は英連邦軍撤退時に機材等を撤去した状態のままであったと考えられます。

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( 平成12年管理人撮影の元鎮守府司令部壕 )

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( 平成29年管理人撮影の元鎮守府司令部壕内部の状況 )

最近の部外者による本司令部壕の調査結果として、

前回調査の概要 : 以前発掘調査された地下壕は,旧地下作戦室だと思われていたが,調査を進める中で,電話交換室であることが判明。

などとするものがありますが、当該司令部壕は、呉鎮守府作戦室用としては長くともせいぜい半年〜1年間であったのに対して、その後の英連邦軍による10年間にわたる電話交換所等としての使用で、かつ改修工事も何度か行われていることから、昭和32年から現在に至るまでほぼ放置状態のままの海自倉庫としてどちら側の使用の跡が残っていたのかは、言わずもがなのことでしょう。

もし本当に当該司令部壕が “作戦室用” ではなく、“鎮守府としての電話交換室用” であったとするなら、是非ともその根拠を知りたいところです。

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2019年07月29日

初代呉鎮守府庁舎

『世界の艦船』 9月号の拙稿 『呉鎮守府創設130周年 呉基地と江田島教育の歩み』 の紙面に入りきれなかったことについて、写真なども含めてここで追加としてご紹介をしたいと思います。

そのまず第1は、なんと言っても 初代の呉鎮守府庁舎 についてでしょう。

例えば、地元である呉市の 『呉市史』 全8卷でも、そして呉市制100周年の時に出された様々な出版物などでも、何故かハッキリと書かれていないのがこの最初の呉鎮守府庁舎のことです。

これらのこともあって、『世界の艦船』 の拙稿でも触れましたが、現在の海上自衛隊呉地方総監部庁舎として今に残る元鎮守府庁舎の赤煉瓦の建物、実はこれは2代目のものであることをご存知の方はどれだけおられるでしょうか?

そしてそれどころか、初代の建物が実に昭和57年の建て替えに至る同56年まで “現役” のものとして存在したことはほとんど知られていないのではと思います。


明治19年から開始された呉鎮守府の工事ですが、第1期〜第3期に分けられた中で、何故か肝心の鎮守府庁舎の建築はその第1期分には含まれておらず、第2期以降に予定されていたのかどうかも不詳です。

このため、明治22年の呉鎮守府開庁の時には、完成していた呉軍港司令部本部をその庁舎としました。 当初は軍港司令部も同居していたのですが、軍港司令部の制度が明治26年の鎮守府條例改正により廃止されてしまいましたので、以後は鎮守府庁舎専用となっています。

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( 明治23年頃とされる初代呉鎮守府庁舎 左は海側からの表玄関たる大階段 )

因みに、この大階段は明治20年頃には既に出来上がっていたとされています。

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( 同じく明治23年頃とされる陸側から見た初代呉鎮守府庁舎 )

しかし、明治38年に発生した芸予地震により損壊してしまったため、急遽隣接する敷地に新たに鎮守府庁舎が建設されて明治40年には完成したとされています。

これが今も海上自衛隊呉地方総監部庁舎として残る2代目の新鎮守府庁舎なのです。

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( 昭和14年の呉鎮守府開庁50周年記念絵葉書より 新旧鎮守府庁舎 )

ところが、この新庁舎建設と併せて、損壊した旧庁舎も2階部分を撤去した平屋として復旧されており、ここには鎮守府の人事部、その後同経理部が置かれました。

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( 明治40年代撮影とされる平屋として復旧された初代鎮守府庁舎 )

そしてこの復旧された旧庁舎も第2次大戦の終戦間際まで使用されたのですが、しかしながら昭和20年の呉空襲の際に新庁舎と共に被災して使用不能となってしまいました。

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( 昭和22年米軍撮影の航空写真より加工 )

このため、終戦直後に進駐した米軍、続いてこれと代わった英連邦軍は、被害を受けなかった木造の旧呉海軍軍法会議の建物をその司令部として使用せざるを得なかったのですが、昭和23年になって英連邦軍の手によって新旧両庁舎共に修復され、司令部はここに移転したのです。

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( 昭和28年撮影とされる雪景色の修復された新旧の元鎮守府庁舎 )

そして英連邦軍の撤収に伴う返還により、昭和32年に海上自衛隊の呉地方総監部はそれまでの大和通り (現在の呉警備隊) にあった庁舎からここに移って現在に至っております。

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( 昭和29年撮影の当初総監部が置かれていた旧西部航路啓開部本部庁舎 )

呉地方総監部が移転してきた以降は、修復された初代鎮守府庁舎は総監部第2庁舎として防衛部などが置かれていたのですが、平屋で手狭であったことと、2度の損壊により建物本体が劣化したことなどもあり、昭和56年になって建て替えのために取り壊されてしまい、その跡地には翌57年に今も存在するコンクリート3階建てのものが新築されました。

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( 昭和49年撮影の国土地理院航空写真より加工 下が初代鎮守府庁舎 )

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( 昭和56年撮影の同上より加工 建替のため解体された初代鎮守府庁舎 )

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( 昭和61年撮影の同上より加工 新築された呉地方総監部第2庁舎)

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( 現在の呉地方総監部 左が初代鎮守府庁舎跡に建てられた第2庁舎 )

ここで問題なのが、この昭和57年の呉地方総監部第2庁舎の建て替えに伴う、前年56年の旧鎮守府庁舎の取り壊しの際、海上自衛隊も呉市も知ってか知らずか判りませんが、なぜこの歴史的建造物の保存の路が採れなかったのでしょうか?

元々が軍港司令部本部としての建物であったとはいえ、呉鎮守府開設時から16年間にわたり初代の呉鎮守府庁舎であったのであり、その後2度の損壊に遭いながらも2度とも修復され、昭和57年の建替までの間、現用の建物として存続していた貴重なものであるにも関わらず、です。

返す返すも残念なことであったと言わざるをえません。

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2019年07月28日

『一般計画要領書』 潜水艦の部 公開完了 !


今週の本家サイトの更新として、先週に引き続き 『史料展示室』 の 『一般計画要領書』コーナーにて 『潜水艦の部』 で最後に残っておりました 「伊172、173」 「伊174」 「伊176」 「呂1100」 の4ファイルを追加公開しました。


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これにて潜水艦の部の全てが終了し、『一般計画要領書』 の全ての公開が完了しました。

この 『一般計画要領書』 ですが、これだけの量の旧海軍文書が残されているにも関わらず、本サイト以外では未だに一般に公開されているのを見たことはありませんので、その意味ではここで公開している意義と意味があるものと思っております。

私の時間の都合もあって、ここまでくるのに長くかかってしまいましたが、このような貴重なものを本家サイトにて公開する機会をいただきましたHN 「閑居不善庵」 氏、また一部欠落部分の補完にご協力いただきましたHN 「陸奥」 氏には厚くお礼申し上げる次第です。

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2019年07月27日

土用の丑の日は鰻を


今日は土用の丑の日ですが、土曜日と重なりました。 それに昼前には既に30度を超える暑さ。

で、やはり鰻を食べなければ、と昼過ぎにということで予約してありましたので、家内と一緒に (^_^)

いつもの小さなお魚屋さん、ここは基本として鮮魚しか置いてないのですが、このところ毎年この日は若大将の趣味で、店頭にコンロを持ち出して蒲焼きを作ります。

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もちろん毎日市場で自ら選んでくる鮮魚と同じように、事前に業者に注文しておいたものを仕入れてきますのでモノに間違いはありません。 今年は愛知三河の一色産。

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若大将曰く、鹿児島産で一番のものがあるんだけど、このご時世、一年以上前から池ごと業者に買い取られてしまうので、流石にこれは手に入らない、と。

この若大将、もちろんこれで修行をしたわけではありませんので専門店で焼いたようにはいきませんが、それでも仕入れる鰻そのものが良いこともあって、最近ではかなりの人気です。

今年は予約分のみだそうで、注文し忘れた常連さんも次々に訪れますがその度に “残念ながら今日は ・・・・” と。 もちろん店頭に焼き上がったものは一つも並んでいません。

午前中から焼き続けで、中には近所で分けるんだとかで一人で十数本注文していた人もいたとか。 私達が受け取りに行った時にも、まだまだ次から次へと焼いていきます。

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近くには出来合いの蒲焼きを沢山並べているところもありますが、まったくお客さんが寄りついている様子はありません。 売れ残ったらどうするのでしょうね (^_^;


呉では鰻どころか何故か海鮮料理のお店も少ないのですが、それでも鰻を出すところは何軒かあるにはあります。

しかしながら例によって、ネット検索で評価は高く表示されるものの口コミ欄などを見てもわざとらしく ・・・・ わざわざ出かけてそれなりの (というよりかなり高い) 値段のものを食べてみようという気になるようなところはまずありません。

そこまでしなくとも、このお魚屋さんの若大将の焼く鰻で十分です。 しかも大変に美味しかった (^_^)

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2019年07月26日

呉鎮開庁130周年記念 フレーム切手セット


日本郵便から千セット限定で標題の切手セットが発売となりましたので、早速近くの郵便局で2セットをゲット。

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https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/frame/detail.php?id=1053&fbclid=IwAR1RR5oAX5-2f79IdYqQ7EuSeUlefzOXWl_vOGEN2JFOuprhjraXKVOHA18

う〜ん ・・・・ これで1700円というのはちょっと高いんでは ・・・・ (^_^;

ただし、シートには初代の鎮守府庁舎の水彩画も掲載されていますので、これは評価できるかと。 何しろこの初代の庁舎はほとんど知られていませんので。


呉市とその周辺の郵便局だけですし、あとは 「郵便局ネットショップ」 での販売ですので、まあ千セット全部売れるのは売れるでしょう。

ただ、ほとんどはマニアさんのコレクションになると思われますので、切手 (10枚) や葉書 (2枚) が実際に使われることは先ず無いのでしょう (^_^)

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2019年07月25日

『世界の艦船』 9月号

もう書店の店頭に並んでいる頃と思います。 『世界の艦船』 の最新の9月号は特集が 「世界の空母 2019」 なのですが、今年は旧海軍の呉鎮守府開庁130周年に当たりますので、編集部さんのご依頼でこれについての記事を書かせていただきました。

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『鎮守府創設130周年 呉基地と江田島教育の歩み』

併せて、平本和義氏の手になる現在の呉・江田島地区に残る旧海軍の歴史的建造物の素晴らしい写真集が4頁にわたって掲載されております。 拙稿と一緒にご覧いただければと存じます。

ただし、呉鎮守府の開設経緯から現在に至るまでと海軍兵学校の江田島移転からその後をキチンと述べるとなると相当な長文となりますので、紙幅の関係もあり、主要なところをかいつまんで駆け足のものとなりましたことは致し方ないものとご了承を。

とは言っても、ありきたりの要約では面白くありませんので、いつもどおり私らしく、あまり語られた事が無いものをいくつか入れております。

書店の店頭で見かけられた時には、是非ともお手にとってご覧下さい。


なお、当初用意した写真も含めて、紙面に入りきれなかったことなどを、後ほど当該稿の補足としてこちらでご紹介をしたいと思っております。

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次 : 「 初代呉呉鎮守府庁舎 」


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2019年07月21日

『一般計画要領書』 潜水艦の部追加 (続)


本家サイトの今週の更新として、先週に引き続き 『史料展示室』 の 『一般計画要領書』 コーナーにて潜水艦の部で残っておりました 「伊151」 「伊152」 「伊153」 「伊153、154、155、158」 「伊156、163」 「伊161」 「伊165」 の7ファイルを追加公開 しました。


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潜水艦の部はあともう少しで完了ですが ・・・・

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2019年07月20日

独り言


ネルソン級以降の艦が主砲を真正面に対し零距離射撃を可能とさせるために、

ジュットランドの戦訓から遠距離砲戦は敵を取り逃がす可能性が高い為、敵発見と同時に可能な限り接近し、近距離砲戦で

零距離射撃ということさえ判っていないんでしょうねえ、しかも真正面に対して?

それに、第1次大戦前に英海軍がなぜ方位盤を開発・実用化し装備したのかはもちろん、「相対運動」 ということも知らないんでしょうね。

というより、そもそも艦砲射撃というものがどういうものか、その初歩さえ理解していないのかと (^_^)

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2019年07月19日

錨と錨鎖の話し (13・補2)


ついでに、もう一つ現役の時の思い出を。

前述のとおり、錨鎖の色は、最後の1節は全て 赤色、その前の1節は全て 黄色 に塗られていますが、余程のことが無い限り錨泊でここまで出す (使う) ことはまずありません。

私は現役時代に単錨泊でこの赤色と黄色が見えるまで出した経験は2回だけあります。

1回は 「あまつかぜ」 で長期の特別修理に伴う錨及び錨鎖関係の試験の時ですが、もう1回は某艦で台風来襲に備えて避泊をした時です。


台風避泊における荒天錨泊では、常用の計算値である 4D+145m (例えば水深25mの錨地なら10節)に、その時の状況に応じて必要があれば1〜2節程度を多めに使用すれば十分です。 もちろん既にお話しした私の理屈でも。

そしてそれでもダメだ (走錨する) と思える状況ならば、むしろアッサリと避泊を止めて、広い湾内などでゆっくり走っていた方がよほど安全ですし、そうすべきだと思っています。

避泊時は艦橋・CICなどは通常航海直で、機関科は即時待機なのですから、乗員の労力はほとんど変わりませんし、つまらない心配をするよりは余程気が楽です。

しかも、近くに錨泊する商船が走錨して衝突されることもありませんし、こんな時に湾内を走る小型船はありませんので。

実際、避泊をせずに走り回っていたことは3回あります。 いずれも艦長に進言して。 その内の1回は、早めに佐世保を出て雲仙岳を横に見る島原湾 (有明海南部) の中を南北にゆっくり走ることに。 この時、真夜中を過ぎた頃、一瞬ですが風速計の針が一回りして瞬間最大風速60m/秒以上となりました。 記憶にある限り、私の現役中での最高風速です (^_^) 

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( 元画像 : Google Earth より )


護衛艦では、錨鎖は錨1つに対して通常は14節が定数で、バウ・ソーナーを装備するような艦では錨は艦首と左舷に装備されていますが、左舷のものはソーナー・ドームを傷つけるおそれがあるため緊急時など以外では使えません。

最近の護衛艦は風圧面積が大きいこともあり、前錨の錨鎖の定数は就役時からイージス艦では16節、古いDDH等では18節となっています。

そこで、各艦ではこのまず使わない左舷の錨鎖を2〜4節程度外して艦首の錨鎖に繋ぎ、定数14節の艦では16〜18節、定数16節の艦では18〜20節というように長くしている場合が多いのです。 これは運用上のことですから、艦長の権限でできる話しです。

したがって、如何に荒天錨泊とはいえ、通常選定する錨地の水深なら最後の赤色や黄色が見えるまで使うなどというのはちょっと考えられないことなのですが ・・・・


某艦で砲雷長をしていたある時、群訓練で行動中に台風避泊することになりました。 その時の避泊地は、底質はほぼ砂泥、平坦で広いところですので、一般船舶も避泊で沢山利用するところです。

ただ難点は周りに山などが無いため風を遮るものが無く、一帯が吹き曝しになるということですが、外洋に直接面していませんので波やうねりはほとんどありません。

これもあって、荒天錨泊の錨鎖長+2節としました。 天候予察が外れてこれより酷い状況になるなら揚錨、もしその時間がなければ捨錨し、あとは走っていれば良いだけのことですので。

ところがです、夜になって乗艦していた群司令から “砲雷長ちょっと” とお呼びがかかりました。

何事かと思って行ってみると、公室には群司令と横に幕僚が一人。 ここでちょっとイヤな予感が。

群司令は “錨鎖は何節入れたのか” との御下問でしたので、“荒天錨泊の錨鎖長+2節です” と答えました。

すると群司令は “それで足りるのか” とのことですので、“天候予察での最大風速を見込んでも大丈夫です” と答えたところ ・・・・

“風は息をするし、振れ回る。 それに波やうねりでしゃくられるから、錨鎖に断続的で不規則な強い張力がかかる。 それを考えれば不十分だろう” と言い出しました。

内心、“そのようなことは元々の旧海軍による荒天錨泊時の錨鎖長で当然考慮されたものであるし、用心のためこれに+α してあるのに、何を今更” と思いましたが、この群司令、細かい理屈 (それも他人から見ればつまらない) を並べたて、しかも一旦言い出したら引かない性格で有名な人でした。

そして横にいる幕僚は幕僚で、自己の点数稼ぎのためなのか、上司に同僚や他人のことをあれこれ告げ口したり、つまらない入れ知恵をすることで知られた人物。

この二人 (だけ) がこんな時間にこの公室に揃っていることで、“あっ、これは何をどの様に説明してもだめだ” と思ったわけです。

もし反論すると、この群司令なら、そのうち 『錨泊要表』 を持ってきて計算してみろ、挙げ句は、錨泊要表記載の風圧面積の計算は図面と合っているのか、現在の排水量での喫水の差による風圧面積の修正は、この錨地での把駐力などの想定や錨泊要表に使用されている各係数などは正しいのか ・・・・ 等々と言い出すだろうことは明らか。

とてもそんなことに付き合っている暇はありませんので、“分かりました、艦長に相談します” と言って下がりました。

この二人、本当に錨泊というものの実際を全く判っていないんだな〜、と思いながら。

そして艦長のところへ行って “群司令がこう言ってますので、錨鎖を全部出しときます” と言いましたら、艦長は物事を良く分かった人ですので、笑いながら一言 “分かった” と (^_^)

そこで艦内マイクで 「前部員、錨鎖伸ばし方、揚錨機用意」 を令し、雨が降りしきる中、雨合羽 ( “レインコート” ではありません、例のあの厚いゴワゴワしたやつ) を着込んだ掌帆長以下の前部員が前甲板に集合したところで、事情と要領を説明して作業にかからせました。

作業とは言っても、既に夜間でもあり、かつ雨も風も強くなって来ています。 それに単に錨鎖を伸ばせば良いだけでは無く、万一に備えての捨錨準備をしてありますから、錨鎖を伸ばすのに邪魔になるところはこれを外す必要もあります。

そして、錨鎖が当初の伸出方向と出来るだけ真っ直ぐになるように、風による振れ回りを見ながら錨鎖にかかる張力に応じて錨鎖車のブレーキを使って少しずつゆっくりと伸ばし、赤色とその前の黄色の錨鎖の間の接続シャックルがスリップの手前に来たところで停止、スリップをガッチリとかけます。

それが終わって捨錨準備を元の完成状態に戻し、守錨員 (注) を残して解散。

もちろん、事前に補給長に頼んで降りてくる前部員が直ぐに温かい飲み物を飲めるように、そして機関長に頼んで熱いシャワーを浴びれるようにすることは、忘れてはいけません。

で、作業が全て終わったのを見届けてから艦長にそれを届け、そして公室に行って群司令に一言報告、“前錨の錨鎖、全部出しておきました、艦長了解です” (これなら文句はないだろ) と。 その時の群司令と某幕僚の “ええっ!?” という顔は、いつ思い出しても笑いをこらえられません (^_^)


(注) : 荒天避泊時には、守錨員は台風が過ぎ去るまで交代で前甲板の先端付近で錨鎖の張り具合い (錨鎖と海面との角度) を監視し、錨鎖に張りが来た時は時々錨鎖に耳を当てて走錨の振動が無いかを確かめ、それらの状況を適宜艦橋に報告します。 雨の中、風の強い間は飛ばされないように甲板に腹這いになって、夜間は懐中電灯で照らしながら。

もちろん、前述のとおり避泊中は艦橋 ・ CIC などは通常航海直、機関科は機関の即時待機です。 それに台風が最接近する頃は、ほとんどの主要幹部は起きています。


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前 : 「 錨と錨鎖の話し (13・補)」

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2019年07月18日

錨と錨鎖の話し (13・補)


折角ですから、現役の時の思い出を。

(12) でもご説明したとおり、私の場合は、最初の抑止では錨を “絶対に” 引っ張らないように注意し、かつ錨鎖が団子にならなようにこれをできるだけ真っ直ぐ伸ばすことに決めておりました。

要するに、錨と錨鎖の重量とそれによる海底との摩擦抵抗を期待するのです。

そのために重要なのが “天候予察” です。 則ち、台風の接近に伴う風向・風力とその変化の見積もり、それによる錨地の周りの状況 (地形) による風向・風速とその変化の見積もり、錨地の潮の干満による海流の強さと方向、これと風向・風速の見積もりとの関係、とくに艦の振れ回りへの影響などなどです。

航海長、船務長、気象長を集めてこれらを綿密に分析し、その結果により投錨時の錨鎖の伸出方向と錨鎖長を決めます。

この 錨鎖の伸出方向と錨鎖長の善し悪しが台風避泊における錨泊で最も大切なこと なのです。


ある時、台風の接近に伴い佐世保の恵比寿湾に避泊した時のことです。

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( 元画像 : Google Earth より)

避泊し終わって暫くしてから、総監部から連絡が入りました。

なぜ私の艦 “だけが” 錨鎖伸出方向が他の艦艇と大きく異なるのか、それで良いのか? とのことです。

私が直接電話に出て上記のことを説明して、これで間違いない、と。

で、結果はどうなったか?

予察どおり夜半にかなり強い風が吹きまして、翌朝台風が過ぎ去った時、それは見事なまでに他の艦艇のほぼ全てが、多かれ少なかれ走錨したり錨位が動いてしまったりしていましたが、私の艦だけはピクリともしていません (^_^)


現役の時、何隻か前甲板指揮官 (=錨作業指揮官) をやりましたが、台風避泊で走錨したり錨位がずれたりしたことは一度もありません。 これには自信を持っています (と言っても船乗りなら本来当たり前のことなんですが)。

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前 : 「 錨と錨鎖の話し (13)」

次 : 「 錨と錨鎖の話し (13・補2)」

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2019年07月17日

錨と錨鎖の話し (13)


錨泊法の種類

さて、これまでお話ししてきた錨と錨鎖についてですが、今回はこの錨と錨鎖を使った錨泊法についてです。

錨泊法には次の3種類があります。

  単錨泊
  双錨泊
  二錨泊


単錨泊

単錨泊は文字通り1つの主錨とその錨鎖を使用して錨泊するもので、特に理由がなければ一般的に用いられる方法です。

使用する錨鎖の長さには、前回の (12) のように 通常錨泊法荒天錨泊法 とがあります。

いずれの場合でも、風及び潮流によって艦が振れ回りますので、錨地の周りには十分な余裕が必要となります。

この余裕の目安は、浅所や陸岸などの固定物に対しては危険界 (艦型による吃水で安全を保てる水深の限度目安) から、他の錨泊艦船や浮漂などに対してはその物体から、保有全錨鎖長+自艦の全長以上 とするのが一般的です。

選定する錨地の水深は、一般的にその艦の吃水の1.5倍以上 とし、海底の起伏が大きなところやうねりが入るところでは更に余裕をとる必要があります。

投錨方法としては、前進投錨後進投錨 があり、旧海軍では個艦の場合は主として前者、艦隊などでの編隊入港の場合は主として後者によっていました。

海上自衛隊では 米海軍の影響もあって後者が多くなり、特に最近の護衛艦ではバウ・ソーナーを備える艦が多くなってきたため、基本的に全て後進投錨 です。


ただし、同じ後進投錨といっても旧海軍と海上自衛隊とではやり方が異なっている ことには注意が必要です。

則ち、旧海軍では 6ノット程度の前進の機械のままで進み、予定錨位の約50m手前で機械を停止として 前進の存速のままで予定錨位に進み、その錨位に達した時に投錨 、直ちに後進の機械を使って後進の行き足とします。

これに対して、海上自衛隊では 予定錨位の手前で機械停止、後進半速として微弱な前進の行足でその予定錨位 (第1回錨位) を過ぎた後、後進の行き足がついて再度予定錨位 (第2回錨位) に戻った時に投錨 します。

このため、前回 (12) でお話ししたように、投錨時の艦の行足が異なっています (当然、海自のやり方の方が後進の行き足は強い) ので、旧海軍の教範を踏襲した海自の教範に記載された (何故か平成4年の改正時でも変わっていない) 、最初の抑止を行うのは錨鎖が水深の1〜1.5倍出たところとするのではまだ早すぎ、則ち錨鎖が短すぎて、錨を引っ張って起こしてしまう可能性が高いのです。

Anchor_Kyouhan_H09_01_m.JPG
( 旧海軍の昭和4年の教範より )

Anchor_Kyouhan_H04_01_m.JPG
( 海自の平成4年改正の教範より )


深海投錨

単錨泊の変形で、文字通り水深の深い場所に錨泊するもので、艦の大小や底質などの条件で異なりますが、一般的には 40m程度を限度 としています。

特別な理由があって更に水深の深いところに投錨する場合は 70m程度を限度 とし、これを 大深海投錨 と呼んでいます。

この深海投錨では、錨と錨鎖の重量により走出が止まらなくなる危険がありますので、錨位の水深−25m程度まで巻き出しておき、投錨後着底を確認したら一旦止めて、以降はソロリソロリと少しずつ所定錨鎖まで伸ばします。 もちろん通常の投錨法と異なり、艦の行き足は錨鎖が海底で団子にならない程度に極めて微弱なものとする必要があります。

大深海投錨の場合は、いわゆる投錨を行わず、最後まで揚錨機を使って巻き出します。


双錨泊

双錨泊は、錨地が狭い場合や艦隊などで揃って錨泊する場合で、艦の振れ回りの量を少なくする時に用いられます。

前進投錨 (又は後進投錨) によって主錨の1つを投錨し(第1錨)、錨鎖を延ばしながらそのまま所定の方位に進み、2つ目を投錨した (第2錨) 後、それぞれの錨鎖の長さを調整しつつ双方の錨の中間点で繋止し、錨泊する方法です。

Anchor_double_03_m.jpg
( 後進双錨泊の例 )


なお、旧海軍時代の観艦式などでもこの方法を応用し、更に式典時には振留錨を使用して方位を合わせるか、場合によっては主錨又は副錨を短艇などで搬出して投錨し、錨索を艦尾に繋止して方位を合わせる方法が行われました。

Fleet_Review_M41&S03_01_m.JPG
( 明治41年 (上) 及び昭和3年 (下) の観艦式より )


二錨泊

二錨泊は、荒天 (季節風のような) や河江での場合のように、ほぼ一定の方向から強い外力を受ける時に用いられるもので、2つの主錨とその錨鎖による把駐力に期待する方法です。

この場合、2つの錨の交角は一般的に60度程度 (40〜50度程度が最適)、どんなに広くても120度を超えない (これを超えると二錨泊の意義が無くなる) こととし、錨鎖は両方とも同じ長さ (一般的には7〜9節程度) とします。

ただし、単錨泊と同じように振れ回りますので、これを押さえるために艦尾から中錨を 振留錨 として投入する方法もあります。

Anchor_double_01_m.jpg

この二錨泊の応用として、下図のように風向の変化に応じて片方の錨鎖長を短くする方法もあるにはありますが、荒天下の作業には困難なものがあり、かつ風向の変化がそれ程急激では無いことが前提になります。

Anchor_double_02_m.jpg


しかしながらいずれにしても、台風のように 風向の変化が激しい場合などには二錨泊は不適 です。


その他の特殊な錨の使い方としては、投錨回頭法、各種の 河江錨泊法高速投錨法 などがありますが、旧海軍時代ならともかく、現在の海上自衛隊ではまずその機会もありませんので、説明は省略します。


なお、現在の海上自衛隊では、バウ・ソーナー装備艦が多くなったことや、岸壁が整備されて錨泊の機会が少なくなったことなどがあり、単錨泊以外はほとんど行われません。

私の現役中でも、単錨泊以外の経験は全くありませんから、今の若い艦艇長でこれらの経験がある人はまずいないと思います。

「ゆき」 型や 「あぶくま」 型などでは、やろうと思えば出来るんですが ・・・・

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2019年07月16日

錨と錨鎖の話し (12)


今回は 錨泊理論と錨泊要表 についてです。


単錨泊で使用する錨鎖長については、旧海軍での研究と実験・経験に基づき、一応次のものによることとされてきました。(D:水深(m))

  通常錨泊 :
    3D + 90m

  荒天錨泊 : 風速30m/秒、波高2mまで
    4D + 145m

ただし、旧海軍では波高2mまでではなく、風を艦首から方位30度に受けるまで、とされていました。

現在の海上自衛隊でも基本的にこれを使用しており、候補生学校などではこれの覚え方として 「3で困れば、4でひょい」 と教えられてきたものです。

また、戦後の民間での研究でも、内航船や外航船について基本的にほぼこれで良いこととされてきました。


そしてこれの基となる、錨泊理論、すなわち把駐力、風圧曲線、流圧曲線、懸垂長と懸垂曲線、外力算定、などなどについては旧海軍や海自の運用関係の資料にその理屈と算定式などが纏められています。

これを具体的に各艦の状況、則ち錨の形状や重量、錨鎖の太さや重量、艦の排水量や風圧面積などによって求め、これらを最終的に図にしたのが 『錨泊要表』 と呼ばれるものです。

これらの一式は、各艦の 『運用術要誌』 の中に綴られています。

例えば、錨泊要表の一例をご紹介すれば、次の様なものです。


Byouhaku_chart_01_m.JPG
( 今は無きかつての護衛艦のもの )


では、その錨泊理論に関する各種の研究成果についてはどうなのか、と言いますと、東京商船大学 (現在の東京海洋大学海洋工学部) の鞠谷宏士元教授による 『錨泊に関する二・三の問題』 というものが最も知られており、海自でもこれを纏め直したものが艦艇長講習時の参考資料として印刷・配付されています。

Kikuya_riron_01_s.JPG

この鞠谷氏のもの以外にも、その他いくつかあるにはありますが、この鞠谷氏のもの一つをじっくり読み込んで理解すれば十分と思います。

ただし、艦艇長講習の受講者達が講習期間中や艦長艇に補職されたあと、これをどれほど読んでいるのかは判りませんが (^_^;


しかしながら、ご注意いただきたいのは、この錨泊要表にしても、鞠谷氏などの研究論文にしても、あくまでもそれは 一般的な “理論” に過ぎない、則ち “この前提条件の時ならばこう” というのであって、決してそれぞれの艦船における具体的なその都度その都度の実際の錨泊には必ずしもピタリと適合できるわけではない、ということです。

つまり、錨の状態一つとっても、投錨時に錨が着底した時にキチンと艦の前進又は後進の方向に正しく向き、かつ錨の爪が正しく海底に噛んでいるなどは、過去の実際の収集データからは20%程度に過ぎないことが明らかとなっています。

そして錨が海底に正規どおりに食い込んでいない場合の把駐力については、キチンと示されたものはありません。

しかも、水深の2〜3倍程度錨鎖を出した時に行う最初の抑止で、錨と錨鎖が艦の航進針路に対して正しく真っ直ぐになるなどはまずありません。

なお、海自の教範などでは最初の抑止は錨鎖が水深の1.5〜2倍程度出た時に、とされていますが、これは旧海軍のものを踏襲したものですが、投錨法が旧海軍と異なり、ソーナー・ドームの保護もあって原則として後進投錨ですので、投錨時の後進の速力からして私の経験からはこれでは早すぎます。

したがって、ほとんどの場合、錨泊時の把駐力は水中にある錨と錨鎖の重量とこれによる海底との摩擦抵抗だけなのです。

 Byouhaku_01_m.JPG

下手な艦ではこの最初の抑止の時に錨を引っ張って海底を滑らせてしまうこともありますが (初心者の錨作業指揮官が教範などにより早期に抑止を行った場合に多い)、こうなると、特に底質が砂泥や泥の場合は、錨及び錨鎖と海底の摩擦抵抗は極端に小さくなってしまいます。

要は、投錨時に錨をストンと落とした後は、錨を絶対に引っ張らず、かつ錨鎖は団子にならないように少しずつ海底に並べていけば良いのです。

海上自衛隊でも、案外これを知らず、かつ出来ない錨作業指揮官がいるんですよね (^_^;

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2019年07月15日

錨と錨鎖の話し (11)


錨・錨鎖の塗色と節数マーク

折角ですので、これまでにお話ししてきた中でまだ出てきていなかったものを続けて。

今回は錨と錨鎖の塗色、そして錨鎖の節数マークについてです。


まず塗色ですが、旧海軍でも現在の海上自衛隊でも、通常、錨、短鎖とその後ろの第1節は外舷色、つまり甲板(内舷)色よりはやや濃い灰色です。

そして第2節以降の錨鎖は全ては黒色ですが、錨鎖庫のスリップに接続されている最後の1節は赤色に、そしてその前の1節は黄色に塗られています。 つまり、これで終わりだよ、と目立つようにです。

ただし、旧海軍では艦によって、あるいは時期によって、第1節も黒色に塗られていた場合もあるようですが、これの詳細は判りません。


次に錨鎖の節数マークですが、

投揚錨時など錨鎖を使う場合には、前甲板で、そして艦橋から、今何節目が出ているかが一目で分かるようにするため、節数マークというのが施されています。

旧海軍では

  第1節目後端(第1節目と第2節目の接続部)両側の端末リンクに、
  第2節目は端末リンクの内側1つ目のコモン・リンク、
  第3節目は2つ目のコモンリンクに ・・・・

というように、それぞれのリンクを白色に塗り、そのスタッドに鋼線を巻き付けます。

そして、各1節の中央 (半節) の1リンクは白色に塗ります。

anchor_02_s.jpg
( 昭和5年の 「金剛」 入渠時の写真より )


現在の海上自衛隊は米海軍式を真似して、もう少し派手になっています (^_^)

  第1節目後端の接続シャックル  : 赤色
  第2節目後端の  同     : 白色
  第3節目後端の  同     : 青色

第4節目以降はこの赤、白、青を順番に繰り返します。

そしてこの接続シャックルの両端はその節数分のリンクを白色に塗り、更にその一番端のリンクのスタッドに鋼線を巻きます。

例えば第4節(第4節と第5節の接続部)では次のようになります。

Anchor_chain_color_02_s.JPG


そして海上自衛隊でも旧海軍と同様に、各1節の中央 (半節) の1リンクは白色に塗ります。

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2019年07月14日

『一般計画要領書』 潜水艦の部 追加公開


本家サイトの今週の更新として、『史料展示室』 の 『一般計画要領書』 コーナーにて、潜水艦の部で残っておりましたものの内 「伊12」 「伊16 (改正)」 「 同 (第2回改正)」 「伊26」 「伊52」 「伊54/56/58」 の6ファイル を追加公開 しました。

また 「伊400 (第1回改正)」 のリンクが切れたままになっておりましたので修正しました。



cover_I_012_m.JPG cover_I_054-56-58_m.JPG


潜水艦の部はあとまだ10隻以上残っていますが、手が空きましたら順次作業をしていく予定です。

HN 「閑居不善庵」 氏からディジタル化して当サイトで公開することを前提にいただいておりますので、これは何とか全てをやりたいと思っておりますし、私の責務でもあると考えております。

なお、今回公開しましたものの内、「伊54・56・58」 については、16枚目 (15頁) と19枚目 (18頁) の2枚が欠落しております。

造船工業会で保管していた元々の資料がそうだったのか、複製・配付時に抜けたのかなど、何時、どの段階でこうなったのかは今となっては判りません。 残念ですがご了承ください。

posted by 桜と錨 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年07月07日

一泊二日の上京 − 昼食と夕食


やはり今のこの気候ですので、確実さを優先して航空機よりは新幹線、それも余裕を見て少し早めの列車にしましたので、東京駅についてから少し余裕が。

そこで、昼食を簡単に済ませておくことにしましたが ・・・・ お手伝いの方はどれだけ時間がかかるのかは目途が立っておりませんでしたので、取り敢えずちゃんと食べておくことに。

こういう時に手っ取り早いのが例の 「いきなりステーキ」 さん (^_^)

土曜日だったからなのか、時間的にもたまたまだったのかスンナリ入れまして、しかも私のような年寄りにはスッと椅子席に案内してくれます。

ヒレの300グラムをミディアム・レアで。 これくらいなら私でもペロッと。

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( ちょっとピンボケ (^_^; )

このチェーン店、ネットでもあれこれ色々書かれておりますが、この手軽さと、この値段でこの味なら私的には文句はありません。 グルメを気取るつもりはありませんので (^_^)


で、お手伝いの方は打合せやら何やらで、結局夕方までかかりました。 後はどこかのビジネスで寝て翌日帰るだけで ・・・・

ただ時期や場所柄からなのか東京駅近くは取れませんで、神田駅近くのビジネス・ホテルになりました。

joukyo_R0107-6-07_04.jpg

ここ、ビジネス・ホテルとは言っても、最近流行の本当に簡素な “ビジネス・ホテル” で、ベットとトイレ・シャワーさえあれば、という感じのところです。 まあ、今回のような出張では私もそれで良いんですが。

無料でバイキング方式の朝食が付きますが、ホテルの入り口からフロントまでの間の脇にある休憩コーナーでの提供ですし、まあ内容的にもあまり期待は ・・・・

チェック・インしてから夕食に出かけることに。

歩いて数分のところのビルの地下に面白そうなお店がありました。 クジラの専門店だそうです。

お勧めのクジラのお刺身盛り合わせを。 色々な部位のものが入っています。

joukyo_R0107-6-07_05.jpg

クジラのお刺身は久しぶりですので、芋焼酎の吉兆宝山をグビグビやりながら。 これはなかなかでした。

う〜ん、商業捕鯨が再開されると、こういうものも少しは気軽に楽しめるようになるのでしょうかねえ。

posted by 桜と錨 at 22:54| Comment(4) | TrackBack(0) | 気ままに

一泊二日の上京 − 駅弁のこと


急遽お手伝いの仕事が入り、昨日は早朝に家を出て、駆け足で一泊二日の上京、今日の夕方に帰ってきました。

このところ色々なことでバタバタしておりますので、久しぶりの上京ですが数時間の用事だけで、後はビジネスに一泊しただけ。

で、結局ご紹介できる、というより写真を撮れたのは食べ物ばかり。 その前編で行きと帰りの駅弁です (^_^;

昨日は早朝にご飯抜きで出ましたので、広島駅でお気に入りの駅弁 「むさしの若鶏むすび」 を。

joukyo_R0107-6-07_01a.jpg joukyo_R0107-6-07_01b.jpg

包み紙がいつもの緑から赤になっていますので、店員さんに “あれっ、いつの間にか変わったの?” と尋ねましたら、プロ野球シーズンだけカープの赤にしたそうです。

やっぱり広島というか、商売上手というか (^_^)

おむすびが2つと鳥の唐揚げ4〜5個の他に、枝豆やウインナー、生キャベツなどが入っています。

これ、本来ならビールをやりながらですと最高なんですが、流石に仕事で上京する朝では ・・・・

広島の駅弁には、よく知られた穴子飯とか牡蠣飯とかがありますが、このところ私的にはこれが一番。


そして今日の帰りは、宿でチェックアウトぎりぎりまで寝ていましたので朝食は抜きで東京駅へ。 指定席を早い列車に変更した後、我が家へのお土産とブランチのお弁当を。

この東京駅のお弁当では、私の好みは2つありまして、ご飯なしのお総菜だけでビールのつまみ用のものと、もう一つがこの 「品川貝づくし」 というやつです。

joukyo_R0107-6-07_02a.jpg joukyo_R0107-6-07_02b.jpg


茶飯の上に貝ばかり5種類がビッシリと載ったもので、これ、普通の幕の内風のお弁当と違ってビールをグビグビやりながらですとピッタリです。

帰りですから、今度は遠慮無く (^_^)

posted by 桜と錨 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年07月03日

錨と錨鎖の話し (10)


制鎖器と抑鎖銲

(7) のコメント欄にて次のようなお尋ねをいただきました。

制鎖器 (controller) と抑鎖銲 (compressor) の関係がよく分かりません。
抑鎖銲についての説明は見つからず…。

当該コメント欄でも簡単にお答えいたしましたが、軍艦と民間船と大きく異なるところの一つが錨と錨鎖に関連した装置など、特に前甲板の艤装方法です。

例えば民間船などについての一般的な説明図の典型的なものが次のようなものでしょう。

Compressor_04_s.jpg

これと既にご紹介した 「大和」 の前甲板と比較していただければ、その違いがお判りいただけると思います。

この上図で A とされているところが制鎖器ですが、明治末期以降の軍艦の場合はこの制鎖器を装備するものはまずありません。 その代わりが抑鎖銲とスリップなどで、また揚錨機の型式も大きく異なります。

その一方で、民間船では抑鎖銲を装備するものはまずありませんで、またこの制鎖器を “Compressor” としているものもあります。

そこで海軍におけるその制鎖器と抑鎖銲ですが、大正期頃のものでは次のように示されています。

Compresser_02_s.jpg
( 大正11年の海軍用語 「運用の部」 より )

Compresser_01_s_mod.jpg
( 当時の制鎖器と抑鎖銲 )

この抑鎖銲は昭和期に入ると次のような種類が多くなりました。

Compressor_05_s.jpg

現在の自衛艦などでは次のように錨鎖管口直下にハンドルで操作するT型鉄銲と呼ばれるものが一般的です。

Compressor_03_s.jpg

( ただしこの図では 「抑鎖器」 となっていますが、海上自衛隊でその名称を使うことはありません。 単に 「抑鎖銲」 であり 「抑鎖銲ハンドル」 です。)

なお、キャプスタン下側にある錨鎖車には ブレーキ (=制動機) がついており、ブレーキ・ハンドルによりその締め付けの強弱を付けられるようになっています。

いわばこれが Controller (=制鎖器) の役割を果たします。

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posted by 桜と錨 at 22:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 海軍のこと