2019年02月28日

独り言

何の前提も条件も無しに、自衛隊の継戦能力はどれくらい、と聞かれてもねえ。

それに 「国防長官」ってどこの国の話しかな? (^_^;

あっ、いえ独り言です。

posted by 桜と錨 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月26日

ASMD : 米海軍と海自の違い


先に米海軍のブルー・リッジに関連して、

「はつゆき」 型などは就役時点で ASMD の “考え方” において既に米海軍に大きく水を開けられてしまっていました。

と書きましたが、実はこれ “水を開けられた” というよりは、正しくは米海軍は ASMD について全海軍を挙げて対策を考えてきたのに対して、海自はただひたすら予算獲得のための理屈を考える ことに集中し、実際の脅威評価に基づく戦闘様相の検討を行ってその結果を艦艇建造に反映させてきたのではない、と言うことなのです。

則ち、米海軍では1967年の 「エイラート」 事件を契機にして、 ASMD について既存装備の改善と新装備の開発を図るのみではなく、戦術はもちろんのこと、艦内編成・態勢、教育訓練と人事管理、艦隊での演習、などなど、ありとあらゆる全てのことについて海軍の全力を挙げて研究・開発・改善を行い、そしてその成果を艦隊に次々と反映してきました。

その中で装備面での研究の中心となったのが、カルフォルニア州チャイナ・レークにあった 「海軍武器センター」 (NWC、Naval Weapons Center) です。

NWC_ChinaLake_sat_h30_01_s.jpg

NWC はカルフォルニア州コロナにあった NOL (Naval Ordnance Labolatory) とカルフォルニア州チャイナ・レークにあった NOTC (Naval Ordnance Test Center) とが米海軍の組織改編により1976年に統合されたものです。

( なお、NWC は1992年に更なる組織改編・統合により閉鎖され、その機能は NAVSEA (Naval Sea Systems Command) 隷下の NSWC (Naval Surface Warfare Center) へと引き継がれ、当該地には新たに NAVAIR (Naval Air Systems Command) 隷下の NAWC (Naval Air Weapons Station) が置かれています。)

この統合前の2つの組織及びその後の NWC において、想定されるありとあらゆる対艦ミサイルの脅威とそれによる戦闘様相に対して、どの様な武器・システムならばどの程度まで対処可能なのか、現在及び近い将来の技術においてどこまで実現でき、どの程度までの対処で艦隊としての許容範囲なのかのシュミレーションを最新の情報に基づいて何度も行い、その都度研究結果に基づく提言を行ってきました。

NWC_ASMD_Updata_1974_cover_s.JPG

例えば CVBG (Aircraft-Carrier Battle Group、空母機動部隊、現在の CSG (Carrier Strike Group) に対して、敵の空・水・潜兵力による対艦ミサイル 32〜96発が60〜360度の範囲から1分〜4分/発の間隔で発射されて来襲する時に、我はどのような武器・システムでどのような態勢にあるならば、どのレベルまでの対処が可能であるか、などなどです。 もちろんこれには敵の電子妨害を伴う場合と伴わない場合とが含まれます。

そしてその結果が反映された初期のものが、BPDMS に代わる新しい NSSMS と NTDS とを連接した ASMD システムであり、そのコンピューターのオペレーション・プログラムなのです。

このシステムを装備した艦の代表例の一つが、ご存じ後の1998年に横須賀配備となる空母 「キティ・ホーク」 (CV-63 Kitty Hawk) で、1976〜77年の定期修理 (COH、Complex Overhaul) の際に元来のテリア・ミサイル・システム2基を撤去して、替わりに NSSMS (方位盤x2、8連装発射機x1) を2基 (計画3基) 装備し、これを NTDS と連接したシステムとなりました。

CV-63_NTDS_ASMD_Prog_cover_s.JPG

この時の NTDS の ASMD プログラムは、カルフォルニア州サン・ディエゴにある FCDSSA,Pac(Fleet Combat Direction System Support Activity, Pacific、艦隊戦闘指揮システム支援施設) で作られたもので、当時としては大変に優れた考え方に基づく素晴らしいアルゴリズムのものでした。

FCDSSA_PAC_sat_h31_01_s.jpg

そして米海軍は NWC での研究結果に基づき、 NSSMS による ASMD の次のステップとして、三次元レーダーの AN/SPS-48A をディジタル化しかつ目標の自動探知・自動追尾化した -48C への換装、更に TAS (Target Aquisition System) Mk-23 を加えたシステムへと進んだのです。

もちろんこの NWC の研究の中には、開発中であったイージス艦を加えた場合の艦隊防空のシミュレーションなども含まれており、この成果がイージス・システムのオペレーション・プログラムに反映されてきております。


その一方で海自はどうだったのか?

4個護衛隊群の8艦8機体制 (88艦隊構想) は打ち出したものの、そのワーク・ホースたるDDについては、まずは隻数を揃えるための予算獲得が最優先課題であり、そのためには実際のことはさておき、物事を紙の上でしか判らない事務方である内局の担当役人を納得させるための理屈のこじつけ書類が必要だったのです。

これが 「はつゆき」 型となった訳ですが、当然ながらこの予算獲得のための理屈付けには米海軍のような実戦における脅威評価や戦闘様相に即した ASMD システムの研究・検討がなされた訳ではありません。

「はつゆき」 型の建造に当たって作成された後付けの 『昭和52年度護衛艦 (52DD) の運用要求について』 に盛り込まれた ASMD 能力は、既に決まった艦型、システムならここまでできる、という説明に過ぎず、本来の “DDにはこういう ASMD 能力が必要” というものではありませんでした。

例えば、既に当時多額の開発費を注ぎ込んできた短SAM用射撃指揮装置 FCS-2-12 と砲用の FCS-2-21 を今更止めて、短SAM誘導用の CWI を組み込んだ方位盤 (最近になって FCS-2-31 として実現したような) を2基として短SAMによる2目標同時対処を可能とするなどはとても言い出せないどころか、検討さえされませんでした。

ましてや捜索用レーダーに自動探知・自動追尾機能を付加する RVP (Radar Video Processor、米海軍は当時既に実用化済み) や上述の TAS Mk23 を装備するなどによりどれだけの能力向上が図れるかなどの検討が行われた訳ではありません。

これらは初めから予算獲得のための理由には挙げられなかったのです。

したがって、国産初のシステム艦といわれる 「はつゆき」 型ですが、そのシステムである OYQ-5 などはとても米海軍で言う NTDS (Naval Tactical Data System、艦艇戦術情報システム) やその発展である CDS (Combat Direction System、艦艇戦闘指揮システム) の足下にも及ばない、単にアナログの武器管制装置 (WCS、Weapon Control System) をディジタル化した一種 であったに過ぎませんでした。

システムのコンピューターは米海軍ではサブ・システム (各武器・機器) 用にしか使われない小型の AN/UYK-20 がたった1台、しかもそのメモリーは僅かに64Kの最小限のタイプ。

加えてシステムのコンソール (操作卓) は NTDS 汎用の OJ-194 が全部でたったの4台 (当初案では僅か3台) であるに過ぎず、しかも捜索用レーダーによる目標の探知・追尾データは相変わらずコンソール上での手動入力、米海軍の NTDS では常識の Link-11 機能など初めから除外、というものだったのです。

当然、当時私達はこんな装備やシステムでは役に立たないと猛反対で、少し手を入れただけでももっとマシな性能・能力になるのだから、DDの計画を見直す必要があると声を大にしたのですが ・・・・ 既にお役所たる防衛庁 (当時)、そしてその下請けである海幕の施策として決まって (内局に説明してしまって) おり、残念ながら如何ともしがたいものでした。

これを要するに、「はつゆき」 型DDが建造された当時において、ASMD については米海軍に遅れをとったと言うより、初めから比較対象となる土俵にさえ上がっていなかった のです。

posted by 桜と錨 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年02月25日

久々の焼肉〜


昨夕は末娘の遅ればせながらの誕生日祝いも兼ねて焼肉へ。

車で5分ほどにある小さなお店ですが、ここは昨年の豪雨の時に水に浸かってしまいましたので、近くながら訪れるのは約1年ぶりになります。

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ところが昨日は予約してあったから良かったものの、我が家三人を入れて家族連れ5組、二十人以上でほぼ満杯でした。

美味しいところは皆さん良くご存じです。 ただし、お店の雰囲気が雰囲気の専門店ですので、やはりお客さんは常連の通の方々ばかりのようです。

ここはお肉が大変に美味しく、呉ではお気に入りのお店の一つです。

もちろんお金さえだせば高級品を出すところはいくらでもあるのでしょうが、庶民としてはこの値段でこのお肉が食べられるなら全く問題はありません。

家内と末娘は厚切りのお肉で。

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私はホルモンとセンマイで。 ここはコブクロが新鮮で大変に美味しいのですが、残念ながら昨日は既に売り切れ。

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そしてセンマイ刺しも絶品です。

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途中からは、大盛りのキムチを白ご飯に載せて。 ここのキムチも自家製で大変に美味しいです。 家内のお気に入り。

お肉は追加、追加で三人で散々食べてお腹一杯で家に戻りました。

次はお肉大好きな孫娘が遊びに来た時でしょうか (^_^)

posted by 桜と錨 at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月24日

ウオッゼ航空基地


本家サイトの更新は暫く空きましたが、Facebook にて FBF さんによるウオッゼ島の遺骨収集を兼ねた慰霊訪問のことが話題に出ましたので、折角の機会ですから 『旧海軍の基地』 コーナーにて 「ウオッゼ航空基地」 のページを追加公開しました。


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(昭和16年概成直後のウオッゼ航空基地全景)

同航空基地は昭和16年に陸上・水上の両用基地として建設されましたが、この時に囚人で編成された 「赤誠隊」 が投入されたことで知られています。

また同島は太平洋戦争における南方戦線の小島守備隊の例に漏れず、米軍の直接侵攻から取り残されたことにより、終戦までに空襲・艦砲射撃による戦死者に加えて多くの餓死者が出たことでも知られ、今なお多数の軍人・軍属の方々の遺骨がそのままとなっているところの一つです。

posted by 桜と錨 at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2019年02月16日

ヴァレンタイン・チョコ


今年は遂にゼロかと思っていましたら ・・・・

家内がこんなのをくれました。 流石は我が女房、好みがよく判ってらっしゃる (^_^)

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末娘は完全に義理チョコで

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でもまあ、あるだけいいかと (^_^;

posted by 桜と錨 at 15:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月15日

『世界の艦船』 3月号増刊 『戦艦「扶桑」型/「伊勢」型』


もう店頭に並んでいるところがあるかも知れません。 18日に発売予定となっている3月号増刊は 「 傑作軍艦アーカイブ 7 」 の 『 戦艦「扶桑」型/「伊勢」型 』 です。

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編集部さんの努力によって、素晴らしい84ページもの写真ページや終戦直後のカラー写真などに加え、本文記事も著名な方々が揃い、日本戦艦に興味のある方は是非一冊お手元においておいて損はない出来になっていると思います。

その本文記事中で、私も次の項を担当させていただきました。

   「 扶桑型/伊勢型のメカニズム A 兵装 」

高角砲や機銃などの詳細については、既に出されてきた 「金剛」 型や 「長門」 型などと重複するところがありますので、これらについてはその装備などを簡潔に記述させていただき、後半にこの 「扶桑」 型及び 「伊勢」 型の砲戦能力について述べさせていただきました。

また、「伊勢」 型が航空戦艦に改造された時に搭載された噴進砲についてもこの機会にご紹介させていただきました。


旧海軍は、米英との太平洋戦争の開戦に当たり、その冒頭に空母機動部隊を以て奇襲攻撃を行ない、かつその後も中途半端な作戦を継続するなど、用兵及び戦略を誤るという大失敗をおかしてしまいました。

確かに、海上航空戦力というのは “近い将来においては” 戦艦に替わって海戦の主役になって行くであろう事は、航空機と空母の発達に鑑みれば “想定できる” ことではあります。

しかしながら、今日・明日に行う現実の戦争においては、その “近い将来においての思想” で戦うものではなく、今現在持てるもの全てを最善活用して 戦わなければなりません。

つまり、旧海軍は日本の戦備及び国力のあらゆる点からして、米国とはとても比較にならない、最も不得意とする航空戦力をもって始めてしまいました。

しかも、早期講和を目指すとしながら、何らその見込みも具体策も持たないままに。

結果はご承知のとおりです。 戦力・国力からして初めから勝てる見込みのない戦争をするわけですから、同じ勝てないにしてももう少しやり方があったはずです。

( いえ、山本は近衛に対して 「絶対にやってはダメ」 と強硬に主張するべきでした。 「やれと言われれば半年や一年は暴れてみせましょう」 などは絶対に言ってはならないことだったわけで ・・・・ )

戦後になって、旧海軍の用兵者達がいつまでも大艦巨砲主義にとりつかれて思想・用兵の転換が遅れた、などとおかしな批判をする人がいまだに多く見られます。

それが訳知り顔をした、結果を知った上での後知恵の意見に過ぎないことは明らかでしょう。

今回のテーマである 「扶桑」 型/「伊勢」 型の4隻などは、この太平洋戦争における旧海軍の誤りによって戦力として全く活用されることのないまま終わってしまいました。 大変に惜しいことであり、返す返すも残念なことであったと言えるでしょう。

書店の店頭で見かけられた時には是非手にとってご覧下さい。

posted by 桜と錨 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

呉で一杯


昨夕は日頃親しくお付き合いさせていただいている人達で呉の街中に集まって一杯会。

お邪魔したのは海鮮料理専門の 「ぽんぽん船」 さん。

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表の店構えだけを見ると小さな居酒屋さんのようですが、入った直ぐ脇には大きな生け簀があり、2〜3階は大小の個室が迷路のように並んでいます。 居酒屋というよりは、むしろ割烹ですね。

実は呉というところは瀬戸内に面する都市なのですが、何故か昔から海鮮料理の専門店というのがほとんどありません。

映画 「海猿」 でも知られるように、街中には 「鳥○」 「○鳥」 という名の付いた焼鳥屋さんが沢山あり、その多くで地魚料理も扱うパターンになっています。

したがって、この 「ぽんぽん船」 さんのように魚料理専門というのは珍しいところです。 しかも昨夕は平日にもかかわらずほぼ満室でした。

出された料理も吟味された新鮮で美味しいものばかり。 最近お肉よりはお魚が中心になった私にとっては嬉しい限り。 ( 飲んで食べる方に夢中で、料理の写真を撮るのをすっかり忘れてました ・・・・ (^_^; )

そして日本酒は熱燗も冷やも美味しく、お魚に合います。


・・・・ で、気の置けない人達ばかりの集まりですので、このお店だけで終わるわけはなく、続いてスナックに場所を移してカラオケの合唱大会。

我が家に帰り着いたのは、日付が変わる少し前でした (^_^)

私にしては久しぶりに長い時間の飲み会となりましたが、大変楽しい晩でした。

posted by 桜と錨 at 12:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2019年02月11日

USS Blue Ridge 艦令48年!


横須賀を母港とし、第7艦隊の旗艦を努める揚陸指揮艦 「ブルー・リッジ」 が冬の小樽に寄港したと報じられていました。

https://www.c7f.navy.mil/Media/News/Display/Article/1750788/seventh-fleet-command-ship-uss-blue-ridge-visits-otaru-japan/

考えてみればこの艦、すでに艦令48年を超えていますが、まだまだ元気です。 もちろん常に改修・改造を受けて機器・システムは最新のものを装備する世界最強の指揮・通信能力を保持しています。

そして船体・機関も定評のある横須賀のSRFで整備を受けていますので、まだ当分は現役に留まるのかな、と。

また、司令長官や参謀長、艦長などの居室・公室などは超一流の豪華ホテルも顔負けの広い立派な設備であり、かつドアの外では24時間海兵隊の衛兵が実弾を込めた銃を持って立哨しています。


ところで、ご存じの方もおられるかと思いますが、1967年の 「エイラート」 事件の時、この 「ブルー・リッジ」 は初期の個艦防御システムである BPDMS (Basic Point Defence Missile System) を装備しており、当該事件を受けて IPDMS (Improved PDMS、NSSMS)の開発・装備が始まるまでの間、当面出来る限りの改修が行われ、NTDS プログラムを始めとする ASMD (対艦ミサイル防御) の能力UPが図られました。

その1974年現在での 「Blue Ridge」 の BPDMS の装備状況を示すのが次の図です。


USS_Blueridge_BPDMS_1974_01_s.jpg

(左クリックで拡大表示します)

このシステムの構成、機能、性能と、その米海軍自身の手になる能力評価については、機会があればまた別に詳しくお話しすることとします。


海上自衛隊は当時この状況はもちろん次の NSSMS の情報を入手してこれらを比較検討し、PDMS における ASMD のあるべき姿を追求するべきでしたが、残念ながら全く関心がなく、このため 「はつゆき」 型などは就役時点で既に ASMD の “考え方” において米海軍に大きく水を開けられていました。


posted by 桜と錨 at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年02月09日

1980年代の米海軍 PDMS の現状


今回の海自 P-1 に対する韓国駆逐艦 「クァンゲト・デワン」 によるFCレーダー照射事案について、防衛省からの公表内容やマスコミでの報道において全くと言って良いくらい出てこなかったのが当該駆逐艦が装備する NSSMS (NATO Sea Sparrow Missile System) とその指揮管制装置である STIR-180 についてでしょう。

NSSMS や STIR-180 がどの様なものであったのかが判らないと、今回の事案が P-1 にとってどれほど危険なものであったか、その実態が一般の人々にはなかなか理解できないのではないかと思います。

で、今回の事案に関連するこれらについてはまた別の機会 (と言うより先ずは一つ雑誌記事にしてもらうことになりましたが) とすることとしまして ・・・・


もう40年近くも前になりますが、標題の件について私的な文書を纏めて周りにいる若い海自幹部で興味がある人達を集めて話しをしたことがあります。

USN_PDMS_1980s_cover_s.JPG

もちろん、この文書を纏めることも、そして当該事項についても、当時の私の職務の範囲ではなく、また職務上知り得たものでもありませんで、全く私が個人的に勉強をしたものからです。

当然その内容は当時の職場は勿論、海上自衛隊そのものにも無いものでした。

今これを読み返してみると、少なくとも私が定年退職した時点においでさえ、海上自衛隊における PDMS や ASMD (Anti-Ship Missile Defence)に対する “考え方” は、この40年前の米海軍にはとても敵うものではなかったと思っています。

それ程米海軍はこの問題について徹底して研究・開発を行い、そしてその成果を着々と艦隊に反映して来たといえます。

残念ながら、私がこの話しを若い人達にした時も、彼等は目の前の業務に精一杯で、海上自衛隊の立ち後れの現状を真に理解し得たという人はあまりいなかったように思いました。

“米海軍は米海軍、海自は海自、それで何か問題が” という感覚・認識であったようです。

これは特に彼等若い幹部の上司達に顕著でしたので、その影響も強かったものと思います。


さて、私が定年退職してからもう10数年、ハード・ウェアについては新しいものが導入されてきたようですが、基本的な “考え方” についてはそれから少しは進んで来たのでしょうか ・・・・ ?

当該文書に含まれる内容については、米海軍では既に全て秘密指定が解除されておりますので、そろそろこれをベースにしたものを、ここか本家サイトでお話ししてもいいのではないかとも思ってるところです。

posted by 桜と錨 at 22:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2019年02月03日

旧陸軍の苫小牧飛行場


先週お話ししましたように、ここ苫小牧にあった競馬場は戦前から旧陸軍によって演習時などで臨時の飛行場として使用され、次いで不時着陸場となりましたが、昭和18年頃に飛行場として整備されたとされています。

しかしながら、旧陸軍の史料そのものにはここが苫小牧陸軍飛行場となったと記述されたものが出てきません。

また 「苫小牧市史」 などでも飛行場としての整備がなされたとはされていますが、その具体的な概要や終戦までの運用状況などは書かれていないようです。

そして国土地理院が公開している終戦後の米軍撮影写真でも、飛行場跡らしいものはわかりません。

では、不時着陸場のままであったのか? というとそうとも言い切れないようです。

例えば、1945年に作成された米軍情報資料では、ここは1944年の情報に基づく 「Tomakomai Landing Ground」 としてリストアップされ、次のようなレイアウト図も掲載されています。

Army_AB_Tomakomai_layout_1945_01_mod_s.jpg

これを先にご紹介した1945年版及び1946年版の米軍地図と重ねると、大凡次のようになります。

Army_AB_Tomakomai_map_1945_01_mod_s.jpg
( 1945年版に重ね合わせ )


Army_AB_Tomakomai_map_1946_01_mod_s.jpg
( 1946年版に重ね合わせ )


ご覧いただければお判りのように、単純に元競馬場を滑走路に作り替えただけ、というものではなく、もっと大規模なものです。

ただし、当該飛行場に関する旧陸軍の史料そのものが出てこない限り、今のところ不時着陸場のままであったのか、正式な飛行場であったのかは判断しかねるところです。

ご覧いただいた皆さんからの情報に期待する次第です。

posted by 桜と錨 at 08:13| Comment(3) | TrackBack(0) | 海軍のこと