2018年10月30日

旧海軍の補職人事


ご来訪いただいている多くの方々は既にご承知のことと思いますが、艦船や陸上の部隊などに対する海軍軍人の配員は 『海軍定員令』 (大正2年内令34号) に基づき、それぞれ個々の 「定員表」 が内令 (後に内令員) によって定められています。

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そしてこれら定員表には配員される階級、兵種、員数、そして士官の場合は職名が規定されております。

士官については海軍省が、特務士官、准士官及び下士官兵については各所管の鎮守府がこの定員表に基づいて補職を行うわけですが、その表に備考として例外規定が記載されていない場合は、厳密にこの定員表に定められた階級、兵種及び員数に従うことになり、もしこれを外れた補職をする必要が出てきた場合には海軍大臣の許可が必要になります。

ただし、規定の各階級についてやむを得ない事情がある場合は一階級下の者を補職することができます。 この場合士官の人事発令では “心得” となります。 例えば “○○航海長心得を命ずる” などのようにです。

反対に、他の内令をもって例外が規定されない限り、階級が上の者は定員表に規定する下位階級の配置には補職出来ないこととされていました。

とは言っても、大戦が始まると部隊の増加に伴い人事の振り回しが難しくなり、特に大戦後期になって予備役や後備役を大量に招集したことにより、これに対応するためもあって昭和19年に内令592号によって大尉〜少将の定員については一階級上の者を補職し得るなどの緩和がされました。

これの典型的な例が、「武蔵」 艦長で戦死した猪口敏平大佐で、在任中に少将に昇任しましたが、そのまま艦長として在職し、古今東西の海軍でも異例の少将の艦長となったことはご存じのとおりです。

昭和13年には既に戦艦及び空母艦長などは一時的に少将をもって当てることが出来るようになっていましたが、他の例外規定の内令と共にこの昭和19年の内令で一本化されたものです。


また定員表では士官の主要な配置はその固有職名で規定されておりますが、これは 『艦船令』 や 『海軍航空隊令』 などで定められた職員名のことで、これを人事上は “補職の職” と呼んでおります。

つまり海軍大臣による人事発令は “○○艦長を命ずる” “○○航海長を命ずる” などのようになるわけです。

定員表により当該配置に複数名が規定されている場合は、海軍大臣の “○○分隊長を命ずる” “○○乗組を命ずる” などの人事発令を受けて、その指揮官が更に “第一分隊長に指定する” “航海士に指定する” などのような 「個命 (個別命令)」 を出して配置指定をすることになります。

これが旧海軍における補職人事の基本であり原則です。


ところで、ネットの某所で空母 「加賀」 の飛行隊長の話が出ていましたが、なぜかこの 『海軍定員令』 とそれに基づく定員表のことが出てきませんでした。

昭和16年7月の内令784号による海軍定員令の改正の時点における 「赤城」 と 「加賀」 の定員表 は次のとおりです。

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これをご覧になってお判りいただけるように、両艦とも 飛行隊長は定員5人で、階級は中佐又は少佐 とされています。

これを艦長は 『艦内編制令』 に基づいて (もし海軍航空隊の場合なら司令が 『海軍航空隊編制令』 に基づいて)、第1飛行隊長〜第5飛行隊長を個命で指定することになります。

ところが、例えば日本語版Wikiなどでは、開戦直前になっての淵田美津夫中佐の 「赤城」 飛行隊長への人事 を “異例の降格人事” とか “他の飛行隊長と格が違う” などと記してしまっています。

誰かの一般出版物などからの孫引き、曾孫引きの単なる受け売りなんでしょうが、しかしながら、旧海軍における人事制度上は何らおかしな事はありませんし、降格でもありません。

事実、当時の 「赤城」 飛行長は兵50期で昭和14年中佐昇任の増田正吾で、飛行隊長の淵田は兵52期で昭和16年10月に中佐に昇任したばかりですから、期別も先後任序列はもちろん、定員表上からも全く問題ない のです。


そして 「加賀」 の飛行隊長についてですが、某所では次のように答えている人もいました。

舟木少佐転任後に志賀大尉が昇格する形で大尉のまま飛行隊長に補されているようです。

飛行隊長になるためには海軍大臣による補職人事の辞令が必要 (つまり海軍公報に掲載される) ですし、しかも階級が大尉では飛行隊長心得としてしか補職できないことを判っておられるのかどうか ・・・・ ?

もちろん “補職の職” は例え一時的であるにせよ、現場が勝手に臨時で補職するなどは制度上できない話しであることは言うまでもありません。

したがってそれらの根拠を明らかにしない限り “いるようです” などは単なる一個人の憶測に過ぎないと言うことです。

まあ某所はその様な発言でも全く構わないところなのでしょうが (^_^;


ところでこれに関連して、日本語版Wikiなどでもそうですが、この定員表に基づく部隊の固有配置と、訓練・実戦におけるその時々の飛行隊編成でのものとを混同して書かれているものが多いですね。

実際のその時の飛行隊編成における飛行隊指揮官は、必ずしも飛行隊長がなるわけではないことは言わずもがなでしょう。

同様に、その時その時の 飛行隊の編成における中隊長、小隊長など は本来の固有の職名ではないことにも注意する必要があります。 『艦内編制令』 にも 『海軍航空隊編制令』 にもその様な職名・配置名はありません から。


加えて、旧海軍の航空機の識別塗装は、正規の規定のもの以外については各艦・部隊でかなり自由にマーキングなどをしていることはご承知のとおりです。

指揮官機を示す赤や青色などの線などもこの類で、三本線だからといって必ずしも固有の飛行隊長が搭乗するとは限りませんし、旧海軍としての法規的な根拠もありません。

したがって、飛行隊長でなくとも、その時々の飛行隊編成における指揮官が三本線塗装の機に乗ったとしても、別におかしくはありませんし、旧海軍としての法規類に違反している訳けでもありません。

これらは単に現場での運用上の問題に過ぎないのです。


長くなりましたが、これを要するに、補職人事についてももう少し基本的な根拠を押さえてはいかがでしょうか? ということです。


なお、『海軍定員令』 『艦船令』 『艦内編制令』 『海軍航空隊令』 『海軍航空隊編制令』 などについては本家サイトの 『海軍法規類集』 コーナーでそれぞれのPDF版を公開しておりますのでご参照下さい。


posted by 桜と錨 at 20:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

地エビ


いつもの小さな魚屋さんで見つけた少し大きめの地エビ。 まだ午前中の店頭ではほとんどが生きていました。 早速400gほど購入。

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でもこれ、冷蔵庫に入れておくとすぐに色が黒っぽくなってくるんですよねえ。

もうこの時期ですからまだ良いのですが、夏場は店頭に並べると直ぐに死んでしまうため、見かけが悪くなって売り物にならないので、良いものの仕入れが少なくなります。

今晩はこれの塩茹でで一杯。 楽しみ楽しみ (^_^)

posted by 桜と錨 at 16:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月28日

江田島の観閲式と花火大会


昨日の呉地隊に続いて今日は江田島へ。 1術校と幹部候補生学校との合同の自衛隊記念日行事と観閲式、そして先の豪雨のため延期になっておりました江田内の花火大会へ。

途中の交通状態が判りませんので家内と一緒に早めに家を出て、江田島で軽い昼食をすることに。

お邪魔したのは最近名が知られてきた 「オリーブ・ファクトリー」 さん。

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ちょっと変わった面白い場所にありますので前から一度寄ってみたかったところで、今日は家内と一緒でしたのでこれを機会にと。

もちろんオリーブ製品も買えますがレストラン併設で、平日のランチ・タイムはなかなかの人気店のようです。

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今日は日曜日ですのでどうかな? と思いましたが、ランチ・タイムで混む時を丁度過ぎたところで、待ち時間15分ほど。 天気も良かったので外のガーデンテラス席です。

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メニューのメインはピザとパスタのようですので、1種ずつ注文して家内とシェアを。

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面白いのはオリーブを使ったドレッシング6種類どれでも好きなだけかけ放題なこと。

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でもまあ、私としては最もスタンダードなものが一番好みの味でした (^_^;


で、食後のコーヒーを飲みながら時間調整。

式典開始20分前に着きましたが、グランドには既に学生達は整列しておりました。 記念式典が終わって観閲式が始まるまでこの姿勢のまま。 私達の時もこんなだったかな〜、っと?

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候補生学校は、一般、飛幹、部内及び予定者の各課程が揃っていましたが、1術校は生徒部が無くなったことと時期的に学生が少ない時だったのか、総勢で約700名でした。

記念行事の方は昨日の呉地隊と同じで、取り立ててご紹介するまでもないごく普通の内容です。

続いての観閲式は昔を思い出して懐かしいものがありました。 それに1術校の普通科学生のセーラー服が何となく可愛らしく見えて ・・・・ 歳を感じた次第です (^_^)

各課程の教官達の指導もあってか、なかなか堂々としていました。

ただ、国旗の旗竿への取り付け方が ・・・・ これ誰も事前に気がつかずに直さなかったんですかねえ。

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記念日行事と観閲行進のあとはしばしの休憩 (準備) 時間をおいて、日没後から花火大会です。 江田内には花火大会恒例の護衛艦1隻の電灯艦飾も。

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1術校のグランドは一般の人達にも開放されていましたので、訪れた江田島市民の方々が家族連れやグループで芝生の上に思い思いに陣取っていました。

私と家内も用意された椅子席ではなく、グランドの一番海側の芝生の上にシートをひいて寝ころびながら。

目の前に繋留した台船から打ち上げますので、それこそ大玉の時は真上を見上げる格好になりますので (^_^)

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(松並木の樹上に大輪の花が咲きます)

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私の安物のコンパクト・デジカメでは何故か花火の赤や緑色が上手く出ません (^_^;

規模的には全国の著名な花火大会にはとても敵うようなものではありませんが、広々としたグラントでゆっくり寛ぎながら、それも目の前に炸裂する花火を堪能できました。

(燃え滓が時々パラパラと降ってくるのはご愛敬で)

家内を連れての江田島は久々です。 しかもこの花火を見るだけでも片道1時間のドライブの甲斐があったかと。

posted by 桜と錨 at 23:35| Comment(4) | TrackBack(0) | 気ままに

中部地方所在の旧陸海軍航空基地一覧


本家サイトの更新はこのところ 『旧海軍の基地』 コーナーが続いていますが、今週も 『中部地方所在の旧陸海軍航空基地一覧』 ページを追加公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_09_Chubu_AB.html

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これもやり始めますと面白いものですが、それでも旧陸軍の各航空基地のポップアップ・データは結構手間暇がかかりますので、なかなか思うようには進みません。

当該コーナーは、元々は旧海軍の各基地の概要を紹介するつもりで、取り敢えず航空基地から始めたものですが、これを進めていくうちにやはり旧陸軍の航空基地との関連が一目で判るようにした方がと考えたものです。


ネット上には民間空港などを含めた現在の飛行場、あるいは各地の戦跡・遺構を紹介するものとしてのものが数多くありますが、やはり今次大戦期を中心とする旧陸海軍の航空基地を纏めたものがなかなかありません。

この方面に関心のある方々のご参考になればと思っております。

一覧ページは内地のみではなく、太平洋の各方面までの全て網羅したいと考えてはいるのですが ・・・・

まずはこの後は近畿地方、中国地方 ・・・・ と順次進めていく予定ですが、もしこの地域を先にというご要望をお聞かせ下されば考慮いたします。

posted by 桜と錨 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年10月27日

呉地隊記念日行事


お誘いをいただきましたので、呉地方隊の自衛隊創設記念日行事に顔を出してきました。

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呉地隊といっても大人数を収容出来る屋内施設はそうそうありませんので、呉教育隊の屋内訓練場と体育館を使ってです。

屋内訓練場での式典の方は着席してのごく普通の一般的なものですので、取り立ててここでお話しをするようなことはありません。

その後は体育館に移動しての懇親会。

基地業務隊はもちろん、地方隊の各部隊を総動員して準備してくれており、顔見知りの人達と飲んだり食べたりしながらワイワイ。

もちろん本物の海自カレーは外せません。 これを食べずには何をしにいったのかと (^_^)

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そして最近のこの種行事の良いところは、指揮官や動員された幹部達のみならず、海曹達とも一緒に懇談ができるようになったことです。

各部隊の先任伍長達などが主ですが、一般招待者の方々はもちろん、私達海自OBも現在の各現場の生の声を聴けるのは嬉しいことです。

それに今回は各部隊各部・各科の先任の WAVE さん達も参加して一緒に飲んだり食べたり。

私は港務隊で今曳船船長の見習いをしているという美人の1曹さんと色々とお喋りを。 女性の目から見た支援船の業務と言うことで大変興味深かったです。

もうすぐ曳船船長として独り立ちするとのこと。 こういう分野でも WAVE さん達に頑張ってもらって、これからの海自戦力を担う後輩達の活躍の場を広げてもらいたいですね。

そしてこの様な行事のために各部隊から借り出されて、裏方に回って頑張ってくれる海曹士の人達にはいつも感謝です。 ありがたいことです。


ところで、教育隊の中に旧海軍呉海兵団にあった赤煉瓦の建物の一部が残されています。 ここには以前教育隊の資料室として色々なものが展示してあったのですが、老朽化もあってある時の台風で壊れてしまい、今ではこの姿に。

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海兵団の教科書なども沢山ありましたが、ほとんどが水浸しになってしまったとか。 僅かな残りは以後別の倉庫の中に眠ったままになっているようです。

posted by 桜と錨 at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月21日

南方諸島所在の旧陸海軍航空基地一覧


本家サイトで順次ご紹介しております地域別の旧陸海軍航空基地所在一覧での次の予定は北陸・中部地方で作業を進めておりますが、ちょっと基地数がありますので、先に南方諸島の頁を作ってしまいました。

ここで言います 「南方諸島」 の範囲は、伊豆・小笠原諸島と南鳥島で、こちらは旧陸軍のもの2つに旧海軍が4つですので (^_^;

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_10_Nanpo_AB.html

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北陸・中部地方は作業が終わりましたら次に公開したいと思います。


それにしても、旧陸海軍の航空基地、特に旧陸軍のものに関しては残された史料が少ないため、良く判らないところが沢山あります。

それに各地の市史などの郷土史資料は、ご存じのとおり内容的にバイアスのかかっているものが多く、参考にはなりますがそのままでは根拠にはなり得ませんので ・・・・

posted by 桜と錨 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年10月17日

ボタンエビ


ちょくちょく顔を出すいつもの小さなお魚屋さんを覗いたら、珍しくボタンエビが20匹ほど置いてありました。

ボタンエビとは言っても本来の和名 「ボタンエビ」 ではなく、お寿司屋さんや料理屋さんなどで一般的にボタンエビとして出てくる 「トヤマエビ」 です。 ( 因みに過日有名になった 「独島エビ」 もこのエビのことです )

活きが良さそうでしたので即半分ゲット。 残りもすぐ後から来たお客さんが持って行ってしまい売り切れ。 危ないところでした。

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夕食に半分生で、もう半分は塩焼きにしましたが、大変に美味でした。

久々に美味しいエビを堪能したような気がします (^_^)

大将と若大将の二人が毎朝市場に入荷したものの中から厳選してきますので、このお店に並んでいるものならまず間違いありません。

posted by 桜と錨 at 00:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月14日

『 東北地方所在の旧陸海軍航空基地 』


本家サイトの更新が滞っていますが ・・・・

『旧海軍の基地』 コーナーに 『 東北地方所在の旧陸海軍航空基地 』 の概要一覧ページを追加公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_08_Touhoku_AB.html

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日米の史料を付き合わせて、基地の位置と概要の整合が取れるところをピックアップしております。

東北地方は基地数が多くありませんので、暫定ページではなく、一応この形で完了とします。 今後は残った旧海軍基地個々の詳細ページを追加していく予定にしています。

例によって、一覧図の基地名にカーソルを当てていただくと当該基地のデータがポップアップするようにしております。


それにしても不思議なのは旧陸軍の 「淋代飛行場」 です。 ここは米軍史料では地図や写真も含めたデータがあるのですが、肝心な旧陸軍側のものが全く出てきません。

もちろんここは 「ミス・ビードル号」 の太平洋無着陸横断飛行の出発地として知られる淋代海岸に設けられた臨時滑走路とは全くの別のものです。

情報をお持ちの方がおられましたら是非ご教示をお待ちしております。


次は北陸・中部地方に手が付けられるか ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年10月07日

旧ソ連の軍事用語 『連続作戦』


少し前になりますが、某所で旧ソ連軍の用語の一つである 『連続作戦』 についてそのロシア語表記の質問が出ていましたが、結局回答が出ないままになっているようですので、ここでご参考までに。

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旧ソ連軍における教範類の一つとして 『将校双書』 というのが全17巻で出されており、その中の1冊に用語集があります。

これらは米軍でも英語に翻訳されており、そして更にその英語版の一部については資料集として航空自衛隊で邦訳されております。

ただし、航空関係以外の用語では流石に空自さんだけあって私達からするとちょっとピント外れなものも多いのですが ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

『砲術家としての加藤友三郎 ・ 続』


昨日は心配された台風25号も大分北に逸れましたので、風が少々強かったものの雨は全く降りませんでした。

これにより、6月に予定していた『加藤友三郎元帥研究会』での上記タイトルの講話はご承知の豪雨のために延び延びとなっておりましたが、今回幸いにしてやっと実施することができました。

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台風の影響を見定められたのか、参加者は当初予定より多少少なかったものの、それでも30名を超える方々に来場いただきました。

逆に、こういう日に興味を持ってわざわざ聴講に来ていただける方々の方が、話す側としては話し甲斐があるというものです (^_^)

そして直前になって業務のためにキャンセルされた呉市長も、この台風のために予定が中止となり、思いもかけず聴講いただけました。 前回に続いて私の話を両方ともお聞きいただけたことになります。 ありがたいことです。

前回は、持ち時間の都合で友三郎が明治13年に海軍兵学校を卒業してから明治24年に造兵監督官となり英国出張を命ぜられたところまででしたので、今回はその続きで英国における 「吉野」 の監督官業務と初代砲術長としての就役から日清戦争における黄海海戦での活躍までです。

主たる項目としては、

  1.造船監督官として英国出張の業務の詳細
  2.「吉野」 の艤装から就役、日本回航
  3.邦着から日清戦争開戦まで
  4.豊島沖海戦と黄海海戦
  5.その後の友三郎

なのですが、当初の6月が延びましたので、この期間を利用して何度か見直しを行いまして、これに

  1.黒色火薬と無煙火薬
  2.速射砲の誕生と発展

の概要を追加しました。

といいますのも、砲術、艦砲射撃というのは一般の方々には大変判りにくい話しでし、ましてや明治中期のことですので、当時の状況についてこれらを簡単かつ判りやすくしようと思ったからです。

ところが、修正を始めますとあれやこれやと出てきまして、しかもパワーポイントに纏めるのに思わぬ手間暇もかかりまして、結局何とかそれらしくするのに前日までかかってしまいました。

お陰で全体を通して見直す余裕が十分にありませんで、かえって中途半端になってしまったような ・・・・ (^_^;

それでもこれまでの出版物などでは出てこなかったお話しも沢山盛り込みましたので、明治初期 〜 中期の砲術の状況はご理解いただけたのではないかと思っております。

そしてこういう話しを初めてお聞きいただいた方々には “トリビア” 的な話題にもなるのではと。

例えば、戦後ものされた友三郎の伝記の一つとして知られている豊田穣氏著 『蒼氓の海』 に出てくる黄海海戦での砲戦の描写はちょっと違いますよ、とか (^_^;


今回及び前回の講話内容及びそれの元である私の2つの論文などをどのように希望される方々に配付あるいは公開していくかは、今後本会会長である大之木氏などとも相談しながら決めていきたいと思っています。


そして加藤友三郎についての私の次の研究テーマは

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を予定しておりますが、これはいつになるのか ・・・・ ?

ご存じのとおり、加藤友三郎については後半の軍政家・政治家としての面は学者や研究家の方々にもよく研究され、また発表されてきているところですが、前半の軍人・砲術家としての面はまだまだというよりほとんど研究されていないというのが現状です。

したがって、日清戦争まで、及び日露戦争期については私としてもやり甲斐のあるところと考えております。


最後になりますが、再度の研究発表の機会を作っていただきました 「加藤友三郎元帥研究会」 会長の大之木氏、そして会場の準備などにご尽力いただきました事務局の皆様に、この場ではありますが改めてお礼申し上げます。

posted by 桜と錨 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年10月05日

三泊四日の上京 (4・終)


10月2日 (火)

帰りの飛行機は午後の便ですし、宿のすぐ近くにリムジンの始発のバス停がありますので、午前中はノンビリです。

ホテルのサービスチケットでバイキングの朝食をとってから街へ散歩に。

で、大型家電店を覗いていましたら新しい iPad が並んでいまして、あれこれ触っているうちについつい誘惑に負けてしまいました (^_^;

iPad Pro 10.5 と Apple Pencil です。 思いがけず大きな散財をしてしまいましたが、今の iPad3 より格段に良くなっており (5年も経ちますので当たり前ですが)、何と言っても原稿の校正ゲラに修正・訂正を Apple Pencil を使って手書きでスラスラ入れられるのは助かります。 これはパソコンではできないことですので。

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このところ外に出る時にはノートパソコンを止めて iPad に必要な資料・データを入れて持ち歩くことにしていましたが、これからは家の中でも常に横に置いておくことになりそうです。 大変役に立つ道具であり、かつ楽しいオモチャでもあるかと。

それに、画面の大きさやキレイさ、多機能さはスマホより格段に上ですから、携帯は当分今と同じガラケーのままで十分ですね (^_^)


羽田からの帰りは往路と違って晴れの良い天気。

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残念ながら主翼の上で、しかも窓側席は取れませんでしたが、機内モニターでは機外カメラの映像がずっと流れていましたので、離陸・着陸時に加えてフライト中の真下の地上の景色が楽しめました。

収穫物は、「虎屋」 さんの羊羹セットと、このところ我が家のお土産の定番となった 「舟和」 さんの 「あんこ玉」。

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どちらも大変に美味しいですが、あんこ玉の方は賞味期限が通常2〜3日と日持ちがしませんので、いつも人にあげられず全て我が家で消化です。

そして初日に広島空港の売店で見つけた珍しいタコトンビの燻製。 宿での夜のツマミ用を兼ねてもう一つ余分に買ったのですが、羽田から直行して孫の顔を見に行った時に一緒にやって来たこの手のものに目がない長女に見つかり、これは取られてしまいました (^_^;


今回の三泊四日の上京も十分に楽しめた有意義な旅になり、火曜日の夜に無事我が家に戻りました。

あっ、明日の講話の準備がまだ終わっていない ・・・・

posted by 桜と錨 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月04日

三泊四日の上京 (3)


10月1日 (月)

折角上京しますので今回は予備日的に帰りを一日伸ばしまして、平日の都心をノンビリしつつ防研図書館で史料探しなどができればと考えていたのですが ・・・・ これを見透かされたかのように急遽打合せが入りました (^_^;

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( ここからすぐ近くのオフィスで )

朝から台風一過の抜けるような青空が広がりましたが、ジャケットを脱いでワイシャツ姿でも汗ばむような陽気でした。

打合せはまだまだ企画の初期段階のものですので今後どうなるかは判りませんが、実現すれば大変に面白い内容になるものであることは間違いありませんし、私の知識も十分役に立てると思っています。 もしこのまま順調にいけば、来年の夏から秋にかけてかと。

で、夕方までかかってフリーになりましたので、前から気になっていた宿近くのハモニカ横丁の散策へ。

その前に、取り敢えずの腹ごしらえを兼ねて、これも前から一度行ってみたかった 「いきなりステーキ」 でのデビュー戦。

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ここは本来はカウンターでの立ち食い方式なのですが、最近は各店とも数席程度のテーブル席も設けられてきたようで、空いていれば私のような年寄りは優先的に案内してくれるようです。

ご存じの方も多いと思いますが、席が決まったら自分で注文カウンターへ行って、食べたいお肉のブロックを見せて貰い、二百グラム以上でこれくらいの量と言うとその場で切って秤に乗せてくれて確認できます。

これで良ければ焼き方を指定して、後は席で出来上がるのを待っていれば焼きたてでジュージュー言っているアツアツのプレートを持ってきてくれます。

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( ヒレ230gをレアで 味は値段なりかと (^_^) )

飲み物やサイドメニューなどの注文は席で店員さんに別途。

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( まずはお疲れの一杯と前菜を )

それにしても驚いたのは、こう言う形式のお店にも関わらず若い女性が一人で入ってきてステーキを平然と頬張っていること。

私のテーブルの向かい側も綺麗でドレッシーなお嬢さんでしたが、大きなお肉をペロリと (^_^)


続いてハモニカ横町をブラブラと。 台風の翌日の平日ですが、結構各店とも賑わっています。

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狭い迷路のような路地を少し歩き回ったところで、席が開いていた 「ささの葉」 さんにお邪魔しました。

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カウンター席が6席だけの小さなお店ですが、先客は若いアベックさん1組と勤め帰りのサラリーマンの二人組。

ここはお魚と日本酒の 「司牡丹」 で知られているところのようです。

私はお刺身の盛り合わせを芋焼酎の水割りで。

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確かに、東京で食べるお魚としては新鮮で美味しいのですが ・・・・ 残念ながらやはりこちらで今行きつけになった小さなお魚屋さんのお刺身を食べ慣れてしまうと (^_^)

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(冷蔵庫にさり気なく張ってあった大将の似顔絵 そっくりです)

(お店の料理などの写真はそれぞれ事前に許可を得ております。)

posted by 桜と錨 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月03日

三泊四日の上京 (2)


9月30日 (日)

今回の上京の目玉のもう一つが高校の卒業50周年記念の合同クラス会です。

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このブログでもご紹介してきておりますように、私が卒業した時の高校の同窓会はずっと各クラス単位で行われてきております。

これは在校当時1・2年はクラス替えせずに同じメンバーで2年間、3年が進学・進路別のクラス編制だったためで、これにより1・2年の時の方がクラスメートの結び付きが強いことからです。

そして数年前に久しぶりに開いた時に、参加した皆から “もう60を過ぎてこの先いつまで元気でやれるか判らないから、その都度集まれる人だけで良いから毎年やろうよ” となりまして、それ以来私のクラスは毎年恒例となりました。 多いに年はクラスの半数が集まります。

今年は流石に卒業50周年ですから全クラス合同の学年同窓会となりましたが、会場のテーブル分けはこの1・2年でのクラス単位で。 これも今回の開催に当たり幹事さんに多くの希望が寄せられた結果です。

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( クラス毎の記念写真での我がクラス あれっ、二人ほど集まっていない (^_^; )

それに、私の高校は都立とはいいながら元旧制高等女学校であったこともあり、当時全学年で生徒は男子1:女子3の割合で、1・2年時はこの比率で均等のクラス分けでした。 私のクラスは男子13名に女子38名。

3年進級時に私は理工系大学進学希望者のクラスでしたのでクラス43名で、うち女子は13名でした。 したがって3年の時は全8クラスで女子だけのところも3つ、1クラスで50名超のところも。

この時の理工系大学進学クラスはその後地方に散って今でもそのまま住み着いた者などが多いこともあって、3年のクラスでのテーブル分けでは出席率が低く、かつ他のクラスの女性陣は1・2年での同級生以外では名前はなんとか判るものの、学生時代にほとんど話したことがない人が多いので話しが弾みませんから ・・・・ (^_^;


記念同窓会は昼からホテルで大々的に行われ、在校当時の写真のスライド・ショーや校歌の斉唱など、これはこれで盛大なものとなりました。

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( 今では当時の恩師も皆さん90歳越え 今回唯お一人の参加となった英語の先生 )

その後はもちろんそれぞれクラス毎の二次会へ。 私達のクラスは参加者19名の殆どが揃って二次会、三次会と進んだのですが ・・・・

ここで台風24号の接近のため都内のJRなどが20時以降全面的に止まるとのことになりまして、残念ながらここまででお開きに。

もちろんもし台風の影響がなければ日付が変わるくらいまでは続いたのではと (^_^)


運転取り止め近くの電車に乗って21時前には宿に戻りましたが、その後も雨、風ともほとんど無く、ちょっと拍子抜けしましたが ・・・・

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( ここのところ利用する機会が多くなった吉祥寺のホテル この時間はまだ静かでした )

ところがこれが文字通りの嵐の前の静けで、深夜から未明にかけて相当な風雨となったようで (寝ていて全く気づきませんでしたが)、朝になってすぐ近くの井の頭公園では樹木が数十本も倒れてしまったことを知りました。

今回の都心での交通機関の早期運転取り止めについては色々批判もあるようですが、私的には人的被害予防のためからも賢明な良い措置であったと思っています。 何しろ様々な人が一晩中集まっている東京ですから(^_^;

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2018年10月02日

三泊四日の上京 (1)


週末にかけて久々に上京してきました。 今回のメインは8月に生まれた二人目の孫の顔を見に行くことと、高校の卒業50周年行事に参加することでしたが ・・・・ 何か本当にお登りさん然になってしまいまして (^_^)


9月29日 (土)

空港までのリムジンバスの運行が何故かフライトの時間と合っておらず、早朝に家を出て空港で約3時間の時間潰しとなりました。 田舎の街と空港間のアクセスの悪さを実感です。

それに台風24号が近づいてきておりましたので、既に早朝から雨。

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幸いフライトは予定通りで、途中の揺れも全く無かったのですが、残念ながら羽田着陸寸前まで厚い雲が一面に広がり、地表の景色は全く見えませんでした。

羽田から二女夫婦のマンションまではリムジン一本で直行。

孫は長女のところに続いて二人目で、今度は男の子。 我が家は娘三人と孫二人の五人目でやっとです。

良く動き、良くミルクを飲み、チョットお腹が空いたりオシッコが出ると大きな声で泣きます。 我が家の娘達の小さい時に比べると流石は男の子と思った次第。


そして夕方からは二つ掛け持ちでの飲み会です。

一つ目は艦船研究家さん達、続いて艦船モデラーさん達の集まりですが、幸い時間がズレていましたのでそれぞれ2時間ずつ。

それぞれ同じ趣味の同好の志ばかりですから、もうワイワイガヤガヤで大変に楽しい時間でした。

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( 昔馴染みの艦船モデラーさん達と )

もちろん両方とも今話題になっている同じ “例の” 件で大いに盛り上がったことは言うまでもありません。 お酒のツマミとしては最高ですから。

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