2018年08月31日

旧陸軍の木浦飛行場


先日本家サイトの 『旧海軍の基地』 コーナーにて 『朝鮮半島の旧陸海軍航空基地』 の一覧をUPし、これについては本ブログでもご紹介したところです。

  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
  http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_06_Korea_AB.html

この中で最後まで入れるか入れないか迷ったのが、旧陸軍の木浦飛行場です。

ここは、旧陸軍の史料では南北に走る滑走路が約3km隔てて長さ1800mの第1滑走路と1500mの第2滑走路の2本あったとされています。

これについては手書きのラフな位置図が残されています。

Army_AB_Moppo_IJA_location_01_m.jpg

ただ、これを元に現在の衛星写真と重ねてみると ・・・・

Army_AB_Moppo_sat_h30_02_mod_m.jpg

第1滑走路の推定位置にはそれらしい地形は全く見当たりません。 本当にこれであっているのか ・・・・ ?

第2滑走路は現在の木浦飛行場から北へ800mほどずれた位置までそれらしいところ (進入誘導灯が置かれています) が見られます。 とすると現在の飛行場は元の第2滑走路跡というよりは、ほぼ新しいものとして建設されたと言うことになります。

また、これら飛行場については米軍の史料及び戦後の米軍地図などでも正確な位置及び飛行場のレイアウトなどは全く出てきません。

そして何故か現在の木浦飛行場でさえ1962年(1999年改訂)版のTPCや1972年(2000年改訂)版のOCNでは飛行場としての表示はありません。

これらのことから、結局UPした一覧からは外しました。

あったのは間違いありませんが、もう少し確たる情報が出て来た時に改めて付け加えたいと思っているところです。

posted by 桜と錨 at 10:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年08月26日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (3)


最後は疑問と言うより私の見解です。

前2回で「大和」型主砲塔のバーベットと円形支基についてお話ししたところです。 そして 「大和」 でも 「武蔵」 でも、それぞれの潜水調査によって主砲のバーベットとその内側にある円形支基が綺麗に残っていることが判明しています。

さてこれはどういうことを意味しているのでしょうか?


そうです、まさに砲塔内側からの衝撃は無かった、即ち徹甲弾や装薬の爆発 (完爆、完全爆発) は無かったことを示しています。

そもそも、装甲というのは外からの衝撃に対して堪えられるような構造で取り付けられており、基本的に内側からの衝撃に堪えることを念頭において作られていないからです。


そして連載冒頭に示した 「大和」 型主砲塔の構造図をもう一度ご覧下さい。

46cm_Trt_Draw_01_mod.jpg

これでお判りのように、赤線で示した砲室から下部給弾室旋動部までの砲塔旋回部の全重量は円形支基のローラーパスにかかっています。 つまり、砲塔旋回部は上からここに乗っているだけなのです。

したがって、戦闘被害によって浮力を失ない船体が傾いた時、横倒し近くになった時には砲室及び旋回盤の重量によってこの部分から外れ、また一挙に転覆して逆さまになると、旋回部全体がスッポリとぬけてしまいます。

( 船体の浮力が失われた時には船体は横転又は転覆しますが、これについてはご説明の必要はないものと思います。)

例えば 「武蔵」 の場合は沈没前に暫く横倒し近くになっており、この時に砲室及び旋回盤が抜け落ちたことは生存者の証言及び記録などから明らかです。

当然ながら、砲室と旋回盤がその重量によって外れる時には、その下にある給弾室などの連結部や揚弾・揚薬機、電纜などを引きちぎることになります。

そして次に、沈没し転覆した時に残りの上部給弾室以下が抜け落ちることになります。


まさに 「大和」 でも 「武蔵」 でも、残された砲塔旋回部の各部とバーベット及び円形支基の映像はこのことを証明しています。

もし砲塔旋回部が抜けていない状態で徹甲弾や隣接する火薬庫の装薬が完爆するようなら、このような状態では決して残りません。


したがって、一部ではこの給弾室や給薬室の残骸が砲弾薬の爆発による姿だとしているものがありますが、これは誤りです。

両艦の潜水調査の映像を見ても、バーベットと円形支基が綺麗に残っていることに加え、砲塔旋回部の各部の残骸には爆発痕は全く見当たりませんし、誘爆を起こしたとする火災の跡なども全く見られません。

あの姿のどこをとったら爆発したと見えるのでしょう?


もちろん、もし徹甲弾が炸裂したのであれば、とてもこの程度のことでは済むものではありません。 それこそ艦が粉々になって爆沈してしまいます。

それに砲弾の炸裂の原因として、横倒しになった時の衝撃によるだの、火災による引火だのと言われていますが、とんでもありません。

そもそも徹甲弾がその程度で炸裂するようなものであるならば、船乗りは危なくてとても使い物になりません。

ゆっくり横倒しになるよりも、荒天時の動揺による衝撃のものの方が遙かに激しいものです。

一体全体、古今東西の海軍においてこの程度のことで主砲弾が炸裂したなどという事例がいくつあるというのでしょうか?

また、主砲の装薬の爆発 (完爆、完全爆発) もあり得ません。 「大和」 と 「武蔵」 の沈没時の状況及び生存者の証言からは、沈没前に主砲火薬庫の爆発があったとはされていません。

( 「大和」 では沈没直前に副砲火薬庫 (及びその周囲の高角砲や機銃弾火薬庫) で火災の引火による爆発があったとされ、その映像は米軍機からも撮影されてるところです。)

とすると、仮に水中で主砲の装薬が何らかの爆発があったとしても、それは不完爆 (不完全爆発) でしかありません。

水中で火薬庫内に海水も入らず装薬が完爆したとすると大変な衝撃波となり、海面に浮いている生存者達は無事では済まされません。

実際 「大和」 でも 「武蔵」 でも沈没後は水中で爆発は小さなものがあったことが知られているだけです。


では何故 「大和」 も 「武蔵」 も主砲塔付近で、船体が折れているのか? それも前部のみでなく後部も。

実はここに旧海軍技術 (造船) 士官達が誰も語ろうとしなかった 「大和」 型設計上の最大の問題点があるのです。

( 松本喜太郎氏は薄々気がついていたようなフシもありますが ・・・・ )

これについては項を改めてお話しすることにします。

(この項終わり)

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前 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2) 」

posted by 桜と錨 at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月22日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2)


さて問題のバーベットです。

このバーベットは自身の主砲砲弾の直撃に堪えられるだけの厚さとするのが一般的ですが、戦艦などの場合はこの厚さで全周の装甲を作りますと大変な重量となりますので、主として左右正横方向からの正撃を主眼とし、艦首尾方向についてはその斜撃に堪えられる程度に設計して重量軽減を図ります。 これは 「大和」 型でも例外ではありません。

この 「大和」 型の主砲塔バーベットの装甲厚については前出の三菱長崎の 『戦艦武蔵建造記録』 では次のとおりとされています。

Yamato_Barbette_11_mod1_s.jpg

ここでは 「図1 防御要領図」 については省略しますが、当該書ではその図の出典が記されていないものの、同書次ページにある 「図2 中央切断構造図」 と同じく、元は松本喜太郎著 『戦艦大和 =その生涯の技術報告=』 からのものです。

では更にその松本氏の著書にある図の出所は? となると何も記されておりませんので判りません。 松本氏の手元に残っていた旧海軍作成の史料なのか、あるいは終戦直後の米海軍対日技術調査団の問いに応じて再作成 (何かに基づき) したものなのか?

したがって、このバーベットの装甲厚についても確たる旧海軍史料そのものであると明確に判断できるものはいまだに世に出てきていないのが実状で、戦後になってものされたものによって “そうだった” と一般に言われているに過ぎないのです。


で、そのバーベットの構造ですが、まさかこれがこの装甲厚のままの1つの円筒で出来ていると思われる方はおなれないと思います。

最大厚560ミリで、直径が14.72〜.74mもあるようなものを1つの円筒で作れるような製鋼技術も能力もあるわけがありません。 したがって、何枚かの装甲板を繋ぎ合わせて1つの円筒形を構成しているのです。

『戦艦武蔵建造記録』 では次のとおりとされています。

Yamato_Barbette_11_mod2_s.jpg

そしてその構造は次のようになっていたとされています。

Yamato_Barbette_02_mod_s2.jpg

Yamato_Barbette_02_mod_s1.jpg

この図の出所は三菱長崎における 「武蔵」 建造時のもので、昭和15年11月の打合せ記録として 「バーベット・アーマー外周計測記録」 とされているものですから、ここにある数値は間違いのないところと考えられます。

ただ残念なことは、各装甲板の厚さが載っていないことです。 したがって上記で示された厚さである前後左右以外のところの装甲版の厚さはどの様になっていたのかは不明です。

そして各装甲板は基本的にダブテイル方式、一部キー方式で繋ぎ合わされたとされていますが、その正確な形状、寸法などは記載されていません。

Yamato_Barbette_12_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より両方式の一般説明図 )

また、このバーベットの各装甲板の底部の形状は次のようになっており、中甲板の装甲板にアーマー・ボルトで留められています。

Yamato_Barbette_03_02_s.jpg
(『戦艦武蔵建造記録』 より )


さて、ここからが肝心なところですが、この装甲板をバーベットに組み立てるときには、当然上記のようにそれぞれの個所で厚さが異なりますから、内側又は外周のどちらかは真円 (正円) にはなりません。

では 「大和」 ではどちら側が真円なのでしょうか?

実はこの 「大和」 主砲塔のバーベットでは “外周が真円” になるようにしたのです。 このことは当該『建造記録』で次のように書かれています。

Yamato_Barbette_13_mod_s.jpg
(『戦艦武蔵建造記録』 より )

この外周が各装甲板が面一の円形となっていることは、その装甲板の接合部外側に “バット・ストラップ” と呼ばれる次のような厚さ40ミリの補強材が立込鋲と言われるもの取り付けられていることでも明らかです。

Yamato_Barbette_03_01_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より )

これは 「大和」 や 「武蔵」 の残された写真でも確認できるところです。

Yamato_Barbette_10_mod_s.jpg
( 「大和」 艤装中の有名な写真より3番主砲塔の当該部分 )

このバーベットは、残された史料を見る限りでは、次のように 「陸奥」 型までは内側が真円でした。 これはバーベットの内側に真円の円形支基が入ることを考えれば自然なことです。

Yamato_Barbette_08_s.jpg
( 「陸奥」 一般艤装図より )


では何故 「大和」 型主砲塔のバーベットは外側を真円にしたのか? その理由は判りません。


とすると、これだけの厚さと大きさの装甲板の製造において、平板を円弧状に曲げることは可能でしょうが、両端で厚さの異なるテーパーのかかった装甲板を正しく曲げることは極めて困難なことです。

したがって、各装甲板の1枚1枚は同一の厚さのものであったと考えるのが常識であり、これを外周を真円に繋ぎ合わせると内側は滑らかな曲線を描く楕円形ではなく、装甲板の繋ぎ目には厚さの違いによる段差ができることになります。

しかもこの内側には補強用の背板が3インチのアーマー・ボルトで取り付けたとされていますので、この接合部の段差のところはどのようにしたのでしょうか?

そして、最初の回でお話ししたように、このバーベットと円形支基とは構造的な繋がりはありませんので、この背板の厚さ・形状などはどの様なものだったのでしょうか?

この部分については説明された資料は全く何もありません。 また次の有名な 「大和」 艤装中の写真が残されていますが、残念ながらこれを高解像度で拡大して見ても良く判りません。

Yamato_Barbette_09_s.jpg


そして、「大和」 及び 「武蔵」 のそれぞれの潜水調査でもこの部分の映像がありますが、このことが判るものは知られている限りでは全く撮影されたものがありません。

さて、この 「大和」 主砲塔のバーベットの内側はどのようになっていたのでしょうか?

(続く)
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前 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (1) 」

posted by 桜と錨 at 14:44| Comment(6) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月19日

「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (1)


本家サイトの掲示板にて、「大和」 型主砲の装甲に関する話題が2つ出ました。

そこでこれらに関連して、日頃私が疑問に思い、そして 「大和」 及び 「武蔵」 の潜水調査を含めていまだに解明されていないことを書いてみたいと思います。


まずはご来訪の皆さん方との頭合わせとして、その主砲塔の構造から。

「大和」 型主砲塔の一般的構造は、次の図がよく知られているところです。

46cm_Trt_Draw_01_mod.jpg
( HP 「海軍砲術学校」 所蔵の複製より )

ご存じのとおり、これは昭和18年に横須賀海軍砲術学校が作成した 『兵器学教科書付図 (九四式四十糎砲塔)』 の第1図として出てくるものです。

赤線で示したところが砲塔の旋回部で、砲室、旋回盤、上部・下部給弾室、及び上部・下部給薬室の旋動部で構成されます。 (ただし教科書付図は説明用に簡略化、あるいはデフォルメされているところがありますので、赤線もラフなものです。)

そこで、この旋回部の重量を支え、かつこれを旋回させるためのローラーパスが装着されている円形支基と、砲室下の旋回盤以下を防護するための装甲であるバーベット (厚鋼板) との関係について、同図の部分拡大で示します。

Yamato_Barbette_06_mod.jpg
( 同 上 )

バーベットを赤色、円形支基を青色、そして砲塔旋回部を緑色で示しましたが、これでお判りのように円形支基はバーベットの一部ではなく、また付属物でもなく、両者には構造的な繋がりはない全くの別物です。

この円形支基の正確な構造は、三菱長崎の 『戦艦武蔵建造記録』 では下図のようになっており、中心を50ミリ厚のHT鋼で2千トンもの重量を支えています。

Yamato_Barbette_01_s.jpg
( 『戦艦武蔵建造記録』 より )

もちろんこの円形支基の形状は、その上部のローラーパス上を砲塔が旋回しますので “真円” の円筒であることは申し上げるまでもありません。

そしてこの円形支基の内側には砲塔を旋回させるための砲塔側の旋回歯輪と噛み合う旋回歯轍が装着されています。


因みに、呉の 「大和ミュージアム」 で何回かに分けて 「大和」 の潜水調査結果の企画展が行われていますが、その中でこの円形支筒とその旋回歯轍の部分を写した写真を 「バーベット」 と解説しており、また旋回歯轍をふりがな付で 「施条 (しじょう)」 と呼んでおりました。

Yamato_Barbette_11_mod.jpg
(同館公式パンフレットより)

このことについては以前このブログで記事にしたところです。

     http://navgunschl.sblo.jp/article/180281833.html
     http://navgunschl.sblo.jp/article/180302027.html

一般の方々にはあらぬ誤解を生じさせるもとになりますので、艦船やその装備とは無関係の内容を扱う公共施設などならともかく、少なくとも 「大和ミュージアム」 として 「大和」 の砲塔のことを解説するのですから、これではまずいのではと思いますねえ。

(続く)
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次 : 「 「大和」 型主砲塔バーベットの疑問 (2) 」

posted by 桜と錨 at 13:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年08月18日

秘匿基地 (牧場)


大分在住のFBFの方が大分の臼杵市街から西南西の家野というところにあった旧海軍の秘匿基地である 「六九四基地」 について調べておられます。

ここは如何に急造の飛行場であったとはいえ、現在では衛星写真で見る限りでは全くその跡形はなく、旧海軍資料でも終戦時の概略のレイアウトしか判らないところですので、その成果が期待されるところです。


ところで、この 「六九四基地」 から北西に約11kmほど離れた戸次というところに同じく秘匿基地の一つである 「六九三基地」 というのがありました。

こちらについては、既に本家サイトの 『旧海軍の基地』 コーナー中の 「大分航空基地」 の頁でご紹介しているところです。


昨日この頁を更新してこの 「六九三基地」 に新らたな写真と地図を追加したところです。

ここは終戦時までにほぼ概成して実際の運用も始まっていたようですが、昭和20年の早い段階で既に米軍に知られており、詳細な分析がなされております。

AF_693_photo_1945_01_m_mod.JPG
( 昭和20年5月撮影の米軍写真より )

AF_693_map_1945_01_m_mod.JPG
( 昭和20年版の米軍地図より )

これらの米軍史料を見ると、秘匿基地というのはあくまでも旧海軍での自己満足の世界であり、米軍から見れば秘密でも何でもなかったことが判りわかります。

米軍の情報収集能力の高さの一旦といえるでしょう。

posted by 桜と錨 at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年08月17日

『世界の艦船』 9月号増刊


もう書店に並んでいることと思います。 『世界の艦船』 の9月号増刊 (通巻第885号) は 『傑作軍艦アーカイブ E 英戦艦 「キング・ジョージ5世」 級』 です。

SoW_No885_cover_s.jpg

本文記事の中で、私も次の項を担当させていただきました。

「キング・ジョージ5世級のメカニズム A 兵装」

本シリーズの他の号と同様に 「キング・ジョージ5世」 級5隻の兵装とその変遷の概要ですが、今回は特に用兵者の視点から少々辛口の評価をしております。

本級はその特異な兵装で知られている反面、太平洋戦争初頭のマレー沖海戦においてその2番艦である最新鋭の 「プリンス・オブ・ウェールズ」 が 「レパルス」 と共に旧海軍の中攻隊の攻撃によってあっさりと撃沈されてしまい、また大西洋方面ではビスマルク追撃戦などにおいてその主砲は全くの期待外れであったことなどで知られています。

これを含めて、本級では米海軍より一歩進んだ射撃用レーダーを装備したにもかかわらず、その主砲はもとより、対空射撃能力を有する砲塔式副砲も含めた対空兵装もほとんど実用に耐えるものでは無かったことを採り上げました。

総合評価としては、あまりにも中途半端かつ不完全な兵装であったと言えます。 その根本原因は英海軍が第2次ロンドン条約の制約に拘ったことと、計画線表にしたがって建造を急いだことなど、まさに政治的に翻弄されたためで、ある意味では大変に不幸な艦型でした。


本艦型を特集するにあたり、英海軍の艦艇についてはいまだに十分な公式データなどが揃っているとは言い難いものがありますので、他の執筆者の方々も苦労されていたようです。 

編集部さんの方で豊富な写真を揃えてくれておりますので、艦船好きの方でしたら一冊お手元に置いておかれても損はないと思います。

書店の店頭で見かけられた時には是非手にとってご覧下さい。

posted by 桜と錨 at 22:22| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年08月16日

今日はクラス会


昨日に引き続き連チャンで、今日は幹部候補生学校24期呉支部の臨時クラス会でした。

定年後は東京に居着いた同期がお盆の帰省で戻ってきておりましたので、急遽開催することに。

ただご存じのとおりの呉周辺の交通事情のため、11名の内の7名と帰省者1名の8名でした。

#24_OCS_h300816_01.jpg
( お店のおね〜さんにお願いしましたが、ちょっとピントが・・・・ )

ところが、です。 17時開始のところを何を勘違いしてしまったのか、午後7時からと思いこんでおりまして、幹事から “お〜い、もう始まってるぞ〜” と連絡が入りましてそれから慌てて出かけた次第。 もう惚けが入ってきたのですかねえ (^_^;

でももし予定の17時に間に合うように家を出ていたとしたら、当時は雷を伴う土砂降りの最中で、びしょ濡れになるところでした。


いや〜、それにしてもクラス会は楽しいですね。 またまた今回も周りのお客さんの迷惑も顧みず、大声でワイワイ (^_^)

posted by 桜と錨 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年08月15日

今日は三水会例会


毎月第3水曜日に開催されている軍歌を歌う会の 「三水会」 ですが、先月はご存じのとおりの状況でしたので欠席、2ヶ月ぶりに参加してきました。

sansuikai_h300815_01.JPG

今日は女性3名を含む15名。 まだこちらの交通事情が元に戻っていないことを考えると多いのではと。

そして今日は奇しくも8月15日の 「大東亜戦争敗戦の日」 です。 ( 「終戦記念日」 など300万余の犠牲者に対してこれほど失礼なことはないと思っています。)

いつもの例会どおりの軍歌に加え、皆で 「江田島健児の歌」 を合唱し、最長老である兵学校76期生の梶本氏に江田島で迎えた73年前の今日のお話しを伺いました。

sansuikai_h300815_02.JPG

私も本当にそう思います。 今の日本、そして日本人は戦争で犠牲になられた人々や自ら後を後世に託して犠牲になられた英霊に対して “どうです見てください” と堂々と胸を張れるんでしょうか?

posted by 桜と錨 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年08月12日

墓参り


今年のお盆は13〜16日のようですが、親族で相談して今週末に墓参りを済ませることにしましたので、今日の午前中に行ってきました。

こちらではカラフルな盆灯籠 (初盆は白) を飾るのが風習のようです。

Obon_h300812_01.JPG

でもやはり少々早かったようで、周りはまだチラホラ。 週明けにはあちこちの墓地が盆灯籠やホオズキで賑やかになります。


風があってロウソクの火はすぐに消えてしまうほどですが、それにしてもこのお墓一帯はものすごい暑さでした。

お陰で家に戻ったらまるで熱中症にかかったようになって家内と二人ともしばらくダウン。 夕方になって少し元気になりました (^_^)

posted by 桜と錨 at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年08月09日

月刊誌 「丸」 9月号別冊


「丸」 の最新号は9月号の別冊で 『日本の空母 大事典』 です。

Maru_h3009a_cover_s.jpg

私も記事を一つ書かせて貰いました。 題して、

  『 搭載ウェポンのすべて 』

「鳳翔」 に始まる日本の空母に搭載された砲熕兵装を中心として、これに関連する射撃指揮装置や電探 (レーダー) についてもその概要をごく簡単にご紹介しました。

ただ割り当ての紙幅が6頁でしたので、やはり当初の原稿よりはかなり縮小せざるを得ませんでした。 特に各砲熕武器については全てについてその外観図及び代表的な弾種での弾道図、そして主要性能要目表を用意しましたが、ごく一部のもの以外は省略です

例えば弾道図は、旧海軍史料によるものと戦後に米海軍が旧海軍史料に基づいてトレースし直したものの両方を用意しました。

Type98_10cm_HA_comm_01_s.JPG
( 旧海軍資料による例 )

25mm_MG_traj_01_s.JPG
( 戦後米海軍がトレースし直したものの例 )


空母の特集ですから、まあ私の記事のこれがメインにはなりませんので、致し方ないかと (^_^;

ただ、対空火器の最後で述べた射程の話しにはこれを入れた方が判りやすかったと思います。

AA_Weps_Effect_Range_01.JPG

↓ ↓ ↓

AA_Weps_Effect_Range_02.JPG

これをご覧いただけば、欧米の40ミリ機銃などのような25ミリ機銃と127ミリ高角砲の間を埋めるものが日本海軍にはなかったことが良く分かります。 つまり、攻撃態勢に入った雷爆撃機に対して一番美味しいところが抜けていたと。


その他に省略したものの一つに、大戦末期に装備された12糎噴進砲の28連装と同30連装の性能要目表があります。 これについては珍しいかと思いますので、原稿案には入れてあったものをご紹介します。 また後者の30連装が 「海鷹」 に装備されたというのは初めてではないかと。

12cm_rocket_launcher_table_s.JPG

なお、この噴進砲のうち28連装の発射機構について、世間の一部では2弾ずつ14斉射したとされるものがありますが、これは誤りで、記事のとおり手動操作での切り替えによって14発ずつ2回発射するようになっています。 これも細かいことですが、初めて出てくることでしょう。

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2018年08月07日

運転免許の更新


いまだに呉〜広島間の迂回路となっておりますが、朝夕の時間帯を除くと大分交通量も減り、昼間はそれほどの渋滞は無くなりましたので、昨日は延ばしていた運転免許の更新のために呉市街へ降りました。

警察署での手続きなのですが、時期的・曜日的なものなのか、交通事情のせいなのか、あるいは呉の特性なのか、行ったらそのまま待ち時間も無くあっさり終わり、その後5分程度の待っただけの講習も広い教室に私と中年女性の二人だけ。

講習担当者も張り合いがなそうで ・・・・
折角ですから、サクラ的に色々質問をして間を持たせることに (^_^;

これで次は5年後です。

Driver_License_01_s_h300806.JPG

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2018年08月05日

朝鮮半島所在の旧陸海軍航空基地


相変わらず暑いですね〜 (最近こればっかり (^_^; )

相変わらずバタバタしております、というより暑さで少々バテておりますので、本家サイトの今週の更新は、先週に引き続き 『旧海軍の基地』 コーナーで 『朝鮮半島所在の旧陸海軍航空基地一覧』の頁を公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_06_Korea_AB.html

Korea_AB_list_sat_h30_01_s.jpg

旧海軍の航空基地については既にそれぞれの頁で紹介済みですので、旧陸軍のものが概観出来るようにしました。

例によって当該頁では一覧図の各航空基地名上にカーソルを当てるとそれぞれの基地の概要がポップアップするようにしております。

いずれも日米双方の史料で確認が出来たものをリストアップしております。


この朝鮮半島の旧海軍航空基地も、先の樺太・千島と同じく旧ソ連・ロシアの基地を調べていた結果の副産物です。

その戦後の航空基地で確認がとれた北朝鮮所在のものは現在のところこれ ↓ です。

AB_N_Korea_all_sat_h30_01_s.jpg

そして韓国所在のものはこれ ↓ です。

AB_S_Korea_all_sat_h30_01_s.jpg


う〜ん、残念ながらこれらについてもその詳細を公開する機会は無いかも ・・・・ ?

でも、本当に朝鮮動乱の終戦宣言がなされ、かつ南北朝鮮の融和が図られた時に、北朝鮮はともかく、韓国のこれらの航空基地、特に戦時用飛行場などはどうなるんでしょうね。


さてこの旧陸海軍航空基地一覧のシリーズ、この後少し間が開くかもしれませんが、次はどこにしましょう。 北海道? それとも台湾?

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2018年08月03日

昔の夏休み


相変わらず暑さが続きますね〜

昔、小学生の頃夏休みというと、始まった時はものすご〜く長く感じたものの、結局毎日遊び歩いていると、えっもう終わり、と。

そして宿題は全く手を付けておらず、最後の2〜3日でバタバタと形だけ (^_^)

日記などは後から思い出しながら作文しようにも天気もメモしていないので ・・・・ 毎年母親からお小言を頂戴しながらでした (^_^;

1958_summer_01.jpg
(昭和37年の夏休みの終わり頃)

でも毎年の約40日間、毎日毎日朝から夕方まで一生懸命遊んで、真っ黒になったことは確かです。 楽しかった。

1958_summer_02.jpg
(海岸の砂浜まで100m足らず)


それにしても、昔は今みたいにこんなに暑かったですかねえ? それともクーラーなど無いのが当たり前でしたので、慣れっこになってしまっていたのか。


我が家は父親が仕事の関係で2〜3年ごとに転勤でしたが、どこに転居してもいつも大きな一軒家の借り上げ社宅でしたので部屋数はそれなりにあるのですが、何故か夕方には家族全員が揃うと一つの部屋で食事をしたり、団らんをしたり、あるいは本を読んだりの思い思いに。 自分の子供部屋も持とうと思えば部屋は余っていたのですが ・・・・

そして夜は家中の窓や戸を開けて、1つの部屋に蚊帳を釣って一家6人がその中で寝ていました。 それでも何とか眠れましたので、不思議なものです。

夜中にトイレに行くために蚊帳の下から出るのですが、その度に出方が悪くて蚊が入ると祖母からお小言を (^_^;

今の日本では、こういう家族全員がいつも一つの部屋に集まって食事や就寝などということはまずないでしょうね。 昔ならごく普通の日本の風習でしたが。


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2018年08月01日

深田正雄氏 ご逝去


私の尊敬する旧海軍軍人の一人である深田正雄氏が去る7月30日永眠されました。 105歳ですので大変なご長寿でした。 そして最期は文字通り眠るような大往生であられたと伺っております。

ここにご来訪いただく方々にはお名前をご存じない方はおられないでしょうが、深田氏は東北大学在学中に海軍造兵学生となり、昭和11年に卒業と当時に任官されて以後海軍の造兵士官の道を歩まれた方です。

大学での専攻もあって、海軍では電気関係の配置、いわゆる“電気屋”でしたが、この電気というのは艦船のほとんど全てのことに関係してきますので、そのため幅広い知識が求められました。

そのことは本家サイトの 『史料展示室』 コーナーでも公開している 『海軍電気技術史』 に網羅されている内容からも明らかです。

『史料展示室』コーナー目次 :
     http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html
『海軍電気技術史』 :
     http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/29-nav_elec_his.html

そしてその電気屋としての知識と経験を基にものされた深田氏の代表作は次の3冊でしょう。

  『軍艦メカ開発物語』
  『造艦テクノロジー開発物語』
  『回顧 海軍十年』

前2作はその名のとおり、海軍の兵器・装備に関する基礎的な解説書ですが、非常に多彩な内容であると同時に、大変判りやすい文章で、この分野に興味のある方々にとっては現在でも格好の入門書であると思います。

Fukada_meca_cover_s.jpg  Fukada_tech_cover_s.JPG

そして3作目は氏の海軍生活の回想録ですが、“技術士官の目から見た海軍” というものをよく表しており、また読んでいても大変に面白く楽しめるものです。

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何よりもこの回想録は、某氏の著作に代表されるような戦後になっての元技術士官達による上から目線での自己の正当性を印象付けるための用兵側に対する嫌みがないのが良いです。 深田氏の健全な人格がよく現れていて好感がもてます。


冒頭にも書きましたように、105歳と言えば相当なご長寿で、しかもこれまでほとんど持病らしいものもなくお元気で過ごされておられました。

私もご縁があってお付き合いいただきましたが、大変に真摯で飾り気や気取ることのないすばらしい方でした。

またお一人、旧海軍を知り、かつある意味支えてこられた方がお亡くなりになられたことは、旧海軍の研究をライフワークとする私としても大変に残念で、また淋しい想いです。

故深田正雄氏のご冥福をお祈りする次第です (合掌)


posted by 桜と錨 at 16:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと