2017年05月28日

旧海軍の古いアルバムから


本家サイトの今週の更新として、『懐かしの艦影』 中の 『落穂拾い』 コーナーに次の2つのアルバムからのものを追加いたしました。

  『 第三水雷戦隊北海警備記念 』 (大正10年)
  『 「武蔵」 千島方面測量兼警備記念 』 (大正4年)

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どちらのアルバムもあまり艦船関係の写真は収録されておりませんので数枚ずつですが、それぞれのページとしてUPしております。

元々の印刷が大変に粗いものであり、かつ内容的にもマイナーなものですが、それでも貴重なもの、珍しいものが含まれております。 お楽しみいただけたらと思います。

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2017年05月24日

JMU呉事業所史料室見学


今日はJMUさんのご厚意をいただきまして呉事業所内にある史料室を見学させていただきました。

ご存じのとおり、戦後の造船業界の変遷を経て 「石川島播磨重工呉造船所」 として大型タンカーを始めとする日本の造船業を背負ってきたところですが、昨今の更なる業界の統廃合により現在では 「JMU (ジャパン・マリン・ユナイテッド) 呉事業所」 となっております。

そして更にその前身は戦艦 「大和」、「長門」 などを建造したことで知られ、旧海軍の工廠中で最大規模を誇った 「呉海軍工廠」 で、現在でもあちこちに当時の面影を色濃く残しているところでもあります。

この構内の現在では 「別館」 と呼ばれている、元々の海軍工廠時代は造船部庁舎・製図工場であった赤煉瓦2階建ての建物を改修して、この中に海軍工廠からの歴史資料を集めた 「史料室」 が展示されています。

私も初めて拝見いたしましたが、思っていた以上に綺麗に整備されており、その歴史をよく理解することが出来るようになっています。

今日は顧問の山中氏が私のためにわざわざご案内をいただきました。 氏は顧問になられて5年目だそうですが、大変よく調べておられ、かつその判り易い説明には感心いたしました。

史料室内は展示資料の著作権・版権などの問題もあって、残念ながら撮影はできません。 これは致し方ないでしょう。 折角ですから玄関で一枚。

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この史料室は元々が造船所職員の教育参考とすることを目的として整備されているため、現在のところいわゆる一般開放の形にはなっておりませんので、部外者の見学には事前の申請が必要になります。

ただ、大変に立派なものですのでもう少し一般にも何とかと思いますが、山中氏とのお話の中では JMU さんでも今後のあり方についても色々検討されているものの、なかなか難しい問題もあるようです。

一案として、いっそのこと全部を市の大和ミュージアムに移しては、というのもあったそうですが、この史料室はこの旧海軍工廠の跡地の中にあってこそ意味があるでしょう。

その一方で、一般開放するには現に稼働している造船所の構内ですから、単なる市の集客のための観光地になってしまっては、企業側としても負担が大きすぎるでしょう。

折角の施設ですので、何か良い方法を考えていただけることを期待する次第です。

私も機会が得られればまた拝見したいものと思います。

なお、以前古い倉庫で纏まって発見されたことでニュースにもなった 「大和」 の建造用現図を始めとする図面類の一式は、全てを既に大和ミュージアムに移管してしまっており、残念ながらこちらにはありません。

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2017年05月21日

「弾道弾の飛翔技術の基礎」


以前当ブログで連載しました 『弾道弾の飛翔技術の基礎』 を、本家サイトの今週の更新として先週新設した 『現代戦講堂』 中の 『対空戦・TMD』 コーナーに纏め直して掲載いたしました。

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昨今話題になっている北朝鮮が実験した弾道ミサイルの 「ロフテッド弾道」 について、単に飛翔距離が長いとか大気圏再突入時の速度が速いということだけでなく、それに伴う技術的に解決を要する問題も多いことをご理解いただければと思います。

むしろ通常の ICBM よりは技術的 (精度的) に難しいものであり、いまだまともに実用に足る IRBM さえ完成していない北朝鮮において、おいそれとできるような話しではなく、今回の実験においてもその目的は不明とされるところです。

そもそも、北朝鮮にこのような弾道ミサイルの実験をまともに観測・測定できる態勢があるのかと。

それがなければ単に “大気圏再突入時に燃え尽きることなく” 一応は弾着まで飛翔した (らしい) としか言えませんが ・・・・

posted by 桜と錨 at 14:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2017年05月19日

複数魚雷搭載機の魚雷発射法


複数魚雷を搭載可能な航空機におけるその複数魚雷の発射法については、以前本ブログ及びそれを纏め直したものを本家サイトで説明したとおりです。

「魚雷は真っ直ぐには走りません」 :

「(補) 航空魚雷の複数本搭載時の投下法」 :

要は、航空機というハードウェアとしても、そして用兵者の 「用法」 というソフトウェアとしても、単発のみ、あるいは一斉投下のみ、“だけ” というのはあり得ないこということです。

ところが、最近になって米海軍の試作機であったダグラス社の XTB2D Sky Pirate について、同機が搭載する最大4発の魚雷について “一斉投下” であると言いだし、その理由として何の根拠も示されていない “一斉投下が原則” “マニュアルにある” という ウソ をいまだに信じておられる人がおられました。

しかも、この XTB2D の魚雷搭載位置は両翼下の2個所ずつの汎用ハードポイントです。 当然必要に応じて魚雷以外のものも搭載します。 これらも一斉投下? それともわざわざ魚雷搭載時のみ一斉投下 (しかできない) ? そんなバカなことはどこの海軍でもしません。

この XTB2D は試作2機のみで、しかも大した試験・実験も行われなかったようですので、いまだに資料はほとんど無いようで、その前の AM-1/1-Q の例です。

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( 米海軍公式写真より )

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これが軍事における常識ですね。

結局、“とりあえずできるということでいいのでしょうか?” という追加の問に対しては明確な答えが得られていないようです。

う〜ん、もう少し魚雷というものがどういうものなのか、戦術状況とはどういうものなのか、そして用兵の常識というものがどういうものかについて学ばれたらよろしいのではないかと思いますが ・・・・

posted by 桜と錨 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2017年05月17日

今夕の呉市内


今日は月一回の軍歌を歌う会 「三水会」 でした。 前回より多い25名の参加で、しかも女性陣 (綺麗どころというべきか) の割合が高いのにビックリしました。

ところが、ママさん手作りのおつまみを食べ、グビグビ飲みながらお喋りに夢中になっていましたら、気が付いたら最後の〆の「同期の桜」まで1曲も歌わず、しかも写真も一枚も無しのままお開きになってしまいました (^_^;

皆さん楽しい一時をありがとうございました。 そしてママさん、いつも美味しいおつまみとお酒をありがとうございます。

で、酔い覚ましを兼ねて繁華街からJR呉駅前まで歩いてみましたが ・・・・ 平日とはいえまだ夜の8時過ぎですが、人通りはほとんど無し。 地方都市というのはどこもこんなものなのでしょうか。

メインの通りは近郊へ帰るのでしょうか、車の交通量はそれなりにあるんですがねえ。

最近は元の繁華街よりは駅周辺が多少賑やかになってきたと言われていますが、これは昼間だけのようで、この時間は駅前でもこのとおりでした。

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う〜ん、何とかもう少し活気が欲しいですね。

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2017年05月14日

「現代戦講堂」 新設!


懸案であった私の本来の専門である現代戦についてのコンテンツですが、取り敢えず本家サイト 『桜と錨の海軍砲術学校』 中に 「砲術講堂」 「水雷術講堂」 と並ぶ3つ目の講堂コーナーとして新設しました。

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当面は当ブログでの過去記事を纏め直したものなどを中心としますが、コンテンツがそれなりに増えてきたところで改めて運営形態について見直す予定にしております。

もちろん、内容的にはいわゆる “研究家” “評論家” と言われる人達のものとは異なり、実務の世界からの視点のものがメインとなります。

過日先行して単独で公開しました米海軍大学のテキスト 『潜水艦戦』 も改めてこちらに掲載しております。

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これまでの第2次大戦までの 「砲術」 や 「水雷術」 などとはちょっと違った分野をお楽しみいただければと思います。

posted by 桜と錨 at 18:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

2017年05月12日

艦本式ボイラの型式と名称


艦船好きの人でもちょっとあまり知られていない話題を。

( と言うより、艦船の外観には興味があるけどエンジンなんて、と言う人が多いのかも (^_^; )

明治期の旧海軍の艦船のエンジンは、艦船自体が英国を主とする外国での建造でしたのでエンジンも外国製のものを使っていました。

しかし艦船も次第に国内建造になり、そして蒸気タービンが主力になってきますと、やはりこれらも国産化へと進みます。

旧海軍で最初の艦船用ボイラは明治36年に宮原二郎機関総監考案になる 「宮原水管式汽罐」 の採用です。

そして次ぎに誕生するのが艦政本部が計画したボイラで、大正3年に内令293号をもって制定された 『海軍艦政本部ノ計画ニ係ル罐ノ呼称』 による 「イ号艦本式罐」 及び 「ロ号艦本式罐」 です。

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このボイラは大変に優秀なものでしたので、基本的には昭和期までこの型式のものが続くことになりますが、少しずつ異なったタイプのものが作られましたので、昭和9年に内令1号をもって 『艦本式罐ノ呼称』 を定めてこれを細分化しました。


しかしながら、昭和期になってくると同じ艦本式でも力量や蒸気圧などにより様々な種類の物が作られるようになりましたので、昭和16年になって名称を統一することになりました。

これが同年の内令1298号をもって定めた 『水管式主罐ノ呼称』 です。


例えば、ネットの某所でも質問のあった 「三号乙三型」 という名称のはこの内令に従ったものです。

ただし、この質問の根拠の出所が例の木俣滋郎氏の記事にあるもので、「大鳳」 のボイラを 「三号乙三型」 としていますがこれは誤りで、正しくは 「三号乙一三十型ロ号罐」 です。

また同じ記事の中で “明治・大正時代は石炭を焚くイ号艦本式で、昭和期に入ると全て重油専焼のロ号艦本式である” としていますが、イ号とロ号の違いは石炭炊きか重油専焼かの違いではありません。 内令のとおりで、これも誤りです。


折角ですからついでに、ボイラと組み合わされるタービンと減速装置の呼称法もご紹介しておきます。


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2017年05月10日

オコゼのお刺身


新鮮さとお店の人の人柄に惹かれて、時々お魚が食べたくなった時に覗いてみる近くの小さな鮮魚店です。

GWが開けましたので、漁師さんも漁に出かけ、トラック便も通常どおりに走るようになり、そして市場も普段どおりになりましたので、今日は何か良い物が入っていないかとちょっと寄り道を。

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もう昼前でしたが思惑どおりに色々店頭にも残っていました。 そして、今日は型の良いオコゼが数匹並んでいまして、しかもまだ活きて動いていました。

もうこれは買うしかないと (^_^)

ご存じのとおりオコゼはお刺身にすると大きさの割には取れるところはそれほど多くはありません。 まあ折角の機会だからと奮発して2匹。

そしてシマアジの半身と、私のお酒の肴用に店頭に残っていたバイ貝を全部 (と言っても500gです)。

このお店はお刺身用にと言うと食べる時に切ればよいように柵切りにしてくれ、しかもアラも付けてくれます。

で、今日の夕御飯。 ちょっと包丁の切れ (と腕) が良くありませんので、見かけは悪いですが ・・・・

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いつもどおり大変に美味しかったですし、特にオコゼはもう (^_^)

そして大粒サイズのバイ貝と、シマアジのアラ汁。 これも申し分ありません。

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一応健康的な夕食、ということでした。 明日はオコゼのアラでお味噌汁の予定。

でも、ここのお魚を食べていると、もうちょっと他のところのものは食べられなくなりそうです。
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2017年05月07日

藤田昌雄氏著 『写真で見る 大正の軍装』


お付き合いいただいている藤田昌雄氏が潮書房光人社から新刊を出されまして、私も早速一冊お送りいただきました。

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う〜ん、タイトルからすると今流行の普通のムック本のように思われるかもしれませんが、どうしてどうして、全370頁にわたり大正期の陸軍の軍装について、各兵種の制服はもちろんのこと、階級章や旗章類、装備品などが詳細に解説されています。

そしてタイトルどおり、未発表のものも含めた多数の写真によってこれらを着用した陸軍将兵の姿はもちろん、併せて当時の陸軍内の様子もよく判ります。

まさに大正期における 「陸軍軍装史事典」 というに相応しいものでしょう。 これはちょっと凄い内容です。

当時の陸軍についてはもちろん、近現代史に興味のある方々も手元に一冊置いておいて損はないものと思います。

・・・・ でも、あれっ? 最後の方の 「大泊」 「中華丸」 のページでどこかで見たことのある名前が (^_^;

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2017年05月03日

親の死に目に (後)


2.帰れるだけでもありがたいと思え!

もう40年も前のことです。 任務課程入校のため江田島の1術校に着校したその日、入院療養中であった母の逝去の連絡が入りまして、担当科長からすぐ家に帰れとのこと。

そこで特別休暇申請のため学生隊長のところへ出頭しました。 海自の規則では親の場合には1週間+往返日数が基準ですが、もちろん私も授業の関係でそこまではとは考えていませんでした。

ところがです、その学生隊長は往返日数を合わせて3日の休暇、つまり実質で中1日の許可でした。 そして最後に吐き捨てるように付け加えて、

「 自衛官たるもの親の死に目に会えないなどは当たり前のことだ。 (葬儀に) 帰れるだけでもありがたいと思え!」

一瞬自分の耳を疑いました。 葬儀から戻って来た時に 「死に目に会えただけでも」 と言うならばまだ判らないでもありませんが、これから帰ろうという者に対してこの言葉です。

このことで、この学生隊長に対しては上級者という立場はともかくとして 「人」 としての信用・信頼が無くなりました。

そしてこの日以来私の方から二度と口を利くことはありませんでしたし、将来にわたっていかに補職人事であろうとも同じところで一緒に勤務しようとは決して思いませんでした。 ( 幸いその機会はありませんでしたが )

海上自衛隊といえども中にはこういう幹部もいる、しかも学生隊長という職に就く者でも、と痛感した次第です。 そして私のその後の海自勤務において、よい教訓の一つとなりました。


余談ですが、母の葬儀だけは何とか終えて1術校に戻ってきたその晩、クラスメートが翌日に不在中に終了した科目の試験があることを教えてくれました。

テキスト (海自では 「スタディ・ガイド」 と言います) は貰ってきてくれていましたので、クラスメートに授業の要点を聞いてから、学生舎の空いている部屋で徹夜の一夜漬け。

翌日の試験の結果は、一度もその科目の授業に出ていなかった私一人だけが満点でした。 これには担当教官もビックリ。

学生隊長に対するささやかな当てつけと言えば当てつけでした (^_^;


・・・・ ところがです。 この時の私の帰省のことがそれから20年後に我が家のお家騒動の原因の一つになろうとは、当時は夢にも思っていませんでした。

身内の者でさえこの時のことを20年後でも怨みに感じていたくらいですから、ましてや世間一般の人達に理解してもらうのは無理な話しと思います。

まさに海自部内で良く言われる “海自の常識は世間の非常識、世間の常識は海自の非常識” です。

(本件終わり)

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親の死に目に (前) :

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2017年05月02日

親の死に目に (前)


海上自衛官、特に艦艇勤務の場合、任務行動中に家族などに何かあっても洋上からそう簡単に帰るわけには行きません。

ましてやいざと言う時には親の死に目に会えないこともあるということはよく判っていますし、その覚悟は出来ているところでもあります。

しかしです。 世間一般の普通の人達にとって、有事でもない災害派遣でもない、平時における訓練中などで、親 (や家族) が危篤の場合や死去した時に、海自はその息子 (今では、娘も、ですが) を返さないなどということがスンナリ理解してもらえるでしょうか?

私はそれを求めることは無理だと考えますし、逆にそれは世間の人達から海自に対して悪い印象しか持って貰えないことに繋がると思っています。

先に 「人事はヒトゴト」 と書きましたが、その意味において補職・補任などに限らず、どうも海自は人事全般について普段からの配慮が十分ではないように思います。

私の経験例から2つご紹介します。


1.海演中は親の死に目にも会わせない?

ご存じのとおり、海上自衛隊は年に1回有事を想定した大規模な演習、即ち海上自衛隊演習 (略して 「海演」 ) を実施します。 この期間中は余程のことが無い限り個人的な理由による休暇などは許可されません。

もちろん通常の訓練中などでしたら、予定を変更して近くの港に入って当該隊員を降ろすとか、機会があればヘリコプターで陸上基地まで運ぶなどのことはありますが。


ある年の海演のことです。 上級司令部から演習期間中は何があっても隊員の個人的理由では帰すことは許可しない旨の事前の “念押し” の指示が出ました。 つまり、親の死に目にも会わせない、ということです。

もしそのような可能性がある隊員がいるなら出港する前に降ろしておけ、と。 しかしながら、全てが事前に判るような事柄でないことは改めて申し上げるまでもないことです。

・・・・ で案の定、海演中に四国沖の太平洋を行動している時に私の分隊員のところへ父親からの電報が転電されてきました。

 「ハハキトク、スグカエレ」

本人は長崎・五島列島の中のある島の出身で一人っ子でした。 本人を呼んで確認したところ、実家には両親二人で住んでおり近くに親戚などはなく、もし母親が亡くなった場合には父親一人で葬儀など全てをやらなければならない、とのことでした。

もちろん事前に本人を含め分隊の総員には上記の指示が出ていることは説明してあり、また海演中は行動海域のこともあってまず無理であると納得してもらっています。

・・・・ が、私は今ここで彼を帰さなければ、長い目で見ると決して将来の海上自衛隊のためにならないと考えたわけです。

そこで、飛行長のところへ行って 「何か陸上にヘリを飛ばす用事はありませんか?」 と聞いたところ、「急ぎではないので何時とは決めていないが、機会があれば物品の受領などの連絡便を出したいと思っている」 とのことです。

で、これを上手く利用しない手はない、と (^_^)

艦長のところへ行って事情を説明し、要務飛行は作戦の一貫として禁じられているわけではないのでこれに彼を乗せて帰したい、それなら上級司令部には特に説明する必要は無いのでは、と説得しました。

ついでに、今回彼を帰さなかったら、今後おそらく彼の島からは海上自衛隊への入隊希望者は出なくなるし、息子を海上自衛隊に入れたいと思う親はいなくなりますよ、と (^_^;

艦長も快く了承してくれましたので、飛行長と相談してその日のフライト便追加を決めました。

そして本人には、「大村まで送ってやれなくて申し訳ない。 ただし海演中はもう艦に戻ってくる機会はないので、海演が終わって艦が佐世保に帰港した時に戻ってくればいいから、その間にお父さんとよく話をして、今後のことも含めて実家のことをキチンとしてきなさい」 と言いました。

結局は残念ながら彼が帰り着いた時には既に亡くなっておられたのですが、それでも彼が艦に戻ってきた時には少しは落ち着いたというか、母親の死を受け入れるまでにはなっていたように感じられました。 そして父親から海自を辞めずに一生懸命やれと言われたと。

後日になって父親からも手紙が届き、息子を母親の死に目に会わせるために帰してくれたこと、それも洋上からわざわざ息子のためにヘリコプターを飛ばしてまでしてくれたことに対して海自に感謝し、かつ息子を海自に入れたことを誇らしく思う旨が書かれていました。

海演終了後に艦長が本件を上に話したかどうかは知りませんが、上級司令部の指示に反したことに対してその後何らのお咎めもお叱りもありませんでした。 もしかしたら艦長が自分の責任でやったことと、一人で収めてくれたのかもしれません。

もし仮にこのことで何らかの処分を受けたとしても、本件での艦長以下の対応はこれで良かったと今でも思っています。

人を育てることとはどういことか、そして海自は一隊員といえども大切にしていると世間の人に見て貰えるとはどういうことかと。

海演中に乗員一人を休暇で出したことやヘリを余分に飛ばしたことなどは、海自の中だけのホンの小さなことです。

しかしながら海上自衛隊の将来を考えるならば、こういう小さな積み重ねが大事なことなのでは無いでしょうか?

「人」 を大切にする。 それも隊員本人に対してのみでなく、その家族を含めて。 私はそう考えています。

(本件続く)

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親の死に目に (後) :

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2017年05月01日

「人事」 と書いて “ヒトゴト” と読む


私のFBFである某君の今回の事案を見るにつけ、つくづく海上自衛隊という組織は人を大切にしないところだと思いました。

いつも書いていますように、海自の現場は本当に良いところです。 隊員達も皆一人一人本当に一生懸命やってくれています。 仲間として一緒に仕事をするには最高であると思っています。

どんな任務でも彼等と一緒ならば大丈夫という自信と信頼があります。

しかしながら、そういう現場の隊員一人一人の思いを逆なでするようなことを平気でするのが、海自という “組織” であり “人事” です。 在職中まさにタイトルどおりと思うことが度々でした。

個々の隊員それぞれは別に大したことを求めているわけではありません。 人事上一寸した配慮がなされれば、どれだけ現場の励みになることかと。 そう言うことなんです。

今回の某君の事案もそう言うことの一つではないでしょうか。

何故チョットだけ転勤の時期を遅らせないのか? あるいは何故補職先を本人の都合の良いところに替えてやらないのか?

たったそれだけのことであり、それによって本人の今後の勤務上、意識的にもいかに海自にとってプラスになることか。

もちろん当の人事担当者の答えは聞かなくても判ります。

  一人一人の都合を一々聞いていては人事業務が進まない。
  本人のローテーションの時期だから。
  本人の経歴管理上のことだから。

・・・・ 云々。 単なる小役人の事務的な言い訳だけです。

余人を持って替え難い? そんな補職が海上自衛隊に一体どれだけあるというのか。 海上幕僚長職でさえそのような配置ではないのに。

かの有名な 『武田節』 にある

  人は石垣、人は城
  情けは味方、仇は敵

平時における軍事組織のあり方で、最も大切なことの一つだと思いますね。

今回のことに限らず、具体的な例はそれこそ沢山ありますが ・・・・

二言目には “精強” を謳い文句にする海上自衛隊。 どうも口先の綺麗事のみで、やっていることは実態が伴わず、現場の隊員達の真摯な努力の上に胡座をかいているような気がします。

posted by 桜と錨 at 16:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに