2016年10月31日

久々の帰省


先週金曜日に行われた加藤友三郎元帥研究会発起会の後、二次会のお誘いを後ろ髪を引かれる思いで断念しましたのは、翌土曜日の早朝から大分に出かけるためでした。

と言いますのも、我が家の墓の関係で帰省する必要が出てきたのですが、私と家内のそれぞれの都合が合うこの土日の1泊2日で急遽決まったものです。


一昨日の土曜日は、朝5時に起きて6時過ぎに車で出発。 大分まで高速を走って、約5時間のドライブでした。

市内で昼食を済ませ、生花などの準備をしてから郊外にある父方の墓地へ。

一昔前までは、車の離合がやっと程の狭い一本道を30分ほど走った、それこそ辺りにはお寺さん以外は人家もない丘陵地の林の中にポツンと小さな墓地が有ったのですが、今では宅地化されて周りを人家に囲まれてしまっています。

お墓も大分整理されて今では30基足らずになりました。 その内我が家の墓が4つと親族の大きな合祀墓が1つです。

そして墓地の中で一際大きいのが祖父の墓です。 25年ほど前に父が礎台を組み直した上で、そこから上は礎石を2段ほど低くしかつ最上部の墓石もかなり小さいものにしましたが、それでもまだこの大きさです。

Kisei_h281029_01.jpg

我が家の父方は親族も含め大分には既に誰もおりませんので、通常の管理は本家のご厚意に甘えさせて貰っています。

とは言っても、本家の方もこの後はどうなるか判りませんので、このままずっとと言うわけにはいかないでしょう。

200メートル程離れたところにお寺さんがありますが ・・・・

Kisei_h281029_02.jpg

今後この小さな墓地をどうするのかの問題がお寺さんを中心に具体的に出てくると思います。


土曜日はそのまま大分市内に1泊し、昨日の日曜日は午前中に母方の祖父母のお墓へ。

こちらは農地が拡がる田園地帯が再開発されて綺麗な住宅地になり、あちこちに点々とあったお墓もお寺さんの敷地の一角に全て集められています。

そして母方の実家はすぐ近くにあり、叔母や従兄弟がいつも面倒を見てくれていますので安心していられます。


で、昼過ぎには大分を発って帰ってきました。 もっとも、途中でちょっとしたハプニングがあってかなり (3時間ほど) 遠回りをすることになってしまったのですが (^_^;

日程に余裕があるならば、それこそ別府や湯布院で温泉に浸かって久々にノンビリしたかったですね。

まあそれは老夫婦のまたの機会の楽しみに、ということに。

posted by 桜と錨 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月30日

加藤友三郎元帥研究会発起会


先週金曜日は、呉市のクレイトンベイ・ホテルにて加藤友三郎元帥研究会の発起会が行われました。

KatouTomosaburou_SA_h281028_01.jpg

私もお誘いをいただきましたので、賛同人の一人に名を連ねさせていただいております。

同会は (株) 大之木ダイモ社長である大之木小兵衛氏の音頭により発起されたもので、第9代の呉鎮守府司令長官でもあった加藤友三郎元帥の業績を研究していこうと言う主旨のものです。

当日は発起人や賛同人、多数の一般市民の方々を始め、海上自衛隊の呉地方総監部や第1術科学校などからも多くの現役の自衛官の参加がありました。

会則や理事選出などの発起会に引き続き、加藤友三郎元帥の玄孫である加藤健太郎氏の記念講演、そして懇親会が行われました。

ただ懇親会は1時間弱の短いものであったため、加藤健太郎氏とは少しお話しができただけでした。

そして加藤氏からは折角2次会へのお誘いもいただいたのですが、翌日朝早く出かける用事があったため出席できなかったのが心残りです。

この研究会、今後どのように進めていかれるのか、理事に選出された発起人の方々の腕の見せ所、ということでこれからを楽しみにしています。
posted by 桜と錨 at 22:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年10月25日

先週末は


何か相変わらずバタバタ続きで、いささか旧聞に属しますが ・・・・

先週末は土・日の2日間連続の検討会でした。 土曜日は午後一からでしたが、いつもどおりのエンドレス状態になりまして、終わったのが20時近く。

ホテルのチェックインも早々に参加者数名で夕食がてら一杯やりにでましたが、結局そこでの話題も打合せの続きに(^_^;

翌日曜日は朝からで、これも予定よりかなり長くなり、帰るのに丁度良い時間となりましたので、もう一泊せずにそのまま新幹線に飛び乗りました。

結局、渋谷でエンジョイする時間はなし。 それでも2日間の討議は私も含め参加者皆さんの大好きな話題で、しかも皆さんそれぞれの分野での専門の方ばかりでしたので、大変に有意義なものとなりました。

実は今回の参加者の中に私の本家サイトやこのブログでも昔からご来訪いただいているHN 「IWA」 さんがおられました。

ネット上ではよく存じ上げている間柄ですが、実際にお会いするのは初めて。 冒頭の自己紹介で、お互いに “貴方でしたか” と大笑いでした。 これもあって、以後の討議がより盛り上がってしまったわけです。

と言うことで、残念ながらご紹介できるような写真は全くありません m(_ _)m  何をやっているのか早くお話しできるようになると良いのですが ・・・・


帰りはもちろん何はともあれお土産が無くては家に入れてもらえませんので、JR品川駅の駅ナカでこれを。

imoyoukan_h281023_01.jpg

「舟和」 さんの芋羊羹とあんこ玉の詰め合わせです。 どちらもなかなか美味しく、このところお土産の定番となっています。

前回は売り切れていて、代わりに買って帰ったのが家内に不評でしたので、今度は間違いなく (^_^)

posted by 桜と錨 at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月20日

護衛艦 「あさひ」


昨日、三菱長崎において建造中の海上自衛隊の平成25年度計画の護衛艦が 「あさひ」 と命名されて進水しました。

https://www.facebook.com/JMSDF.PAO.fp/photos/pcb.1226529870742062/1226529610742088/?type=3&theater

う〜ん、汎用護衛艦で基準排水量5,100トンですか。 私の若い頃からすれば信じられないことです。


ところで、ご存じのとおり 「あさひ」 という艦名は海上自衛隊の創設期に米海軍から貸与され昭和50年に退役した護衛艦 「あさひ」 (DE262) に続き2代目になります。

この先代の 「あさひ」 は昭和39年に 「はつひ」 と共に第1練習隊を編成し、当時乗艦実習でこの両艦にお世話にならなかった海上自衛官はまずいないくらいでした。 もちろん防大及び幹部候補生学校での乗艦実習もこの2隻でした。

トップヘビーのため揺れがひどく、また当然ながら冷暖房設備もなく、乗艦実習には “最適” な艦と言われていましたね (^_^)

ところが、私が防大2年の夏期定期訓練の時にはこの両艦が修理か何かで使えませんでしたので、舞鶴の31護隊と大湊の32護隊にクラスの半数、残りの半数はPFで実習が行われました。

そして3年の時は8護隊、4年は22護隊で、候補生学校での護衛艦実習はまたまた32護隊でしたので、結局、私達のクラスの半数はこの 「あさひ」 「はつひ」 に一度も乗ったことのない初めてのクラスとなりました。 (少なくとも1期後輩は全員乗ったようですが)

このためもあって、私が撮った 「あさひ」 の写真を探してみたところ、この一枚しか出てきませんでした。 いつどこで撮ったのか記憶が定かではありませんが、昭和45〜48年頃の姿です。

DE_262_Asahi_photo_01_s.jpg


で、「あさひ」 というのは2代目と上に書きましたが、ご来訪の中には更に先代に旧海軍の戦艦 「朝日」 があるではないか、と言われる方がおられるかも知れません。

残念ながら、海上自衛隊の 「あさひ」 はあくまでも “あさひ” であって “朝日” ではありません。 読みは同じであっても 「あさひ」 と 「朝日」 は別物です。

確かに海上自衛隊の創設期には対外的な配慮もあって艦名には平仮名でしか命名しないことになっておりましたが、何故かこれが今日まで続いております。

Asahi_meimeisho_01_s.jpg
( 防衛省広報写真より )


私に言わせると何が “(旧海軍の) 伝統の継承” か、です。 しかも 「あさひ」 は “朝日” の意味? 冗談ではありません。 幼稚園児やまだ漢字を習っていない小学生でもあるまいし。

防衛省の役人も、そして制服を着た官僚である海自の将官達も、いまだにこれを直そうとはしません。 いや、直そうとする人がいません。 こんなことでさえ、です。

稲田防衛大臣、いかに防衛に関する経験が少ないとはいえ、ごく普通の一人の日本人としておかしいとは思いませんか? 艦名の由来である 「朝日」 という堂々たる日本語があるのに。

posted by 桜と錨 at 17:55| Comment(5) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月19日

ジャック・オ・ランタン


ハロウィンの季節がやって来ました。 家内の今年の飾りは小さな (自分では “控えめな” と言っています) ジャック・オ・ランタンです。

halloween_deco_h281018_01.jpg

中に小さな電池式の明かりを入れまして、玄関に飾っています。

halloween_deco_h281018_02.jpg

ただ、このまま月末まで保つとは思えませんので、多分これだけでは終わらないのではと (^_^;

posted by 桜と錨 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月17日

今日の庭


この夏の猛暑と引き続いての雨模様により庭は放りっぱなしになっていましたので、今では草茫々の荒野状態となっています。

その代わり、順番に次々と色々な草花が咲いてくれまして、今は紫色の花があちこち沢山咲いています。

niwa_h281017_01.jpg

niwa_h281017_02.jpg

これはこれで可愛いので、草刈はこの花々が終わってからにしよう、と家内に弁解を (^_^;


そして我が家はナンテンの木が塀沿いに点々と十数本植わっています。 このナンテンの実がようやく赤く色付きはじめまして、これから冬にかけて庭の良いアクセントになります。

niwa_h281017_03.jpg

でも、何でこんなに沢山植えたんでしょうねぇ ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月16日

秋祭り


今週末は地元の神社の秋季大祭です。

私は人混みが苦手ですので、昼間よりは人が少ないだろうと昨日は家内と一緒に夜祭りに。

matsuri_h281015-16_02.jpg

matsuri_h281015-16_01.jpg

ところが田舎の小さな境内ですが、屋台が並んでいるせいか小学生〜高校生くらいの若い人で溢れていました。 この辺にこんなに若い人がいたんだと改めてビックリ。

でも、私の若い頃も屋台をあれこれ回るのが楽しみで、お祭りが近づくとワクワクしていたのを思い出します。

今日は午前中にそれぞれの町内をヤブと太鼓が回ります。 子供会の子供達も同じ法被を着て一緒です。

matsuri_h281015-16_04.jpg

matsuri_h281015-16_03.jpg

こういう伝統・風習がきちんと子供達に伝えられていくのは嬉しいことです。

やはり日本ですね 〜

posted by 桜と錨 at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月15日

「世界の艦船」 11月号増刊


海人社さんから見本誌が届きました。 まもなく書店の店頭に並ぶと思います、『世界の艦船』 11月号増刊の 『アメリカ巡洋艦史』 です。

SoW_No849_cover_s.jpg

同タイトルのものは93年の4月号増刊として出ておりますが、出版されてから既に23年を経ておりますので、今回はこれのリニューアル版として写真ページも記事ページも全く一新されたものとなっております。

特に今回は 「アメリカ巡洋艦12話」 として、短編のエピソード集が掲載されています。
私もこの中で次の4話を担当させていただきました。

  F ガン・クルーザーの頂点 「デ・モイン」 級の主砲
  I シー・オービット作戦
  J 変身の極み 「オルバニー」 型
  K 原子力巡洋艦はどうして消え去ったのか?

まもなく書店に並ぶと思いますので、是非手にとってご覧下さい。

またこの方面に関心のある方は、出来れば93年版の方も一緒に揃えられると、写真も記事内容もより充実したものとなるでしょう。


なお、この短編集は原則各テーマ1ページという制約からその細部まではご紹介できませんでした。

特に艦載砲の歴史上大変にユニークな存在である 「デ・モイン」 級の主砲の8インチ速射砲 Mk16、そして 「オルバニー」 型を始めとして戦後のアメリカ巡洋艦のメイン兵装の一つとなったタロス・ミサイル・システムについては、これまでその詳細が語られたものは海外のものを含めていまだにありません。

機会があればこれらについても別途ご紹介したいと思っているところでが ・・・・

posted by 桜と錨 at 16:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年10月08日

コーヒー・ブレイク


世の中三連休ですが、別にどこかに出かける予定があるわけではなく、その一方で原稿は全く進まず ・・・・ で、何はともあれコーヒー・ブレイク。

coffee_break_h281008_01.jpg

ここは先日見つけたところですが、確かにコーヒーは美味しいです。 今日のコーヒーはコロンビア。

あっパフェは、まあついでに、です。 季節ものですから (^_^;

posted by 桜と錨 at 23:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月07日

「武蔵」 生存者は隔離された? (続3・補)


防衛研究所所蔵史料を再確認していましたら、10月24日の 「武蔵」 沈没時の戦死傷者表が出てきました。

Musashi_serv_crew_01_s.jpg
(「武蔵」 戦死傷者表 元画像 : 防衛研究所所蔵史料より )

これに基づき先の記事を少し修正・加筆して見たいと思います。

「武蔵」 生存者は隔離された? (続) :

この 『菲島沖海戦ニ於ケル戦死傷者表』 によりますと、下士官兵は

  戦死者 :   235名
  行方不明者 : 749名 (内傭人3名)

であり、先の 「戦闘詳報」 からは出撃時の乗艦者数は2287名ですので、生存者数は1303名となります。

これは 「戦闘詳報」 記載の員数と一致しますが、戦死者と行方不明者の内訳は若干異なります。

そして、生存者1303名の内、戦傷者は

  受診者 :    67名
  入院者 :   116名

とされていますので、コレヒドールに収容されたのはこの入院者を除く1187名であったと考えられます。

准士官以上については生存者73名には重傷者はおりませんので、この73名全員がコレヒドールに収容されたものと考えられ、下士官兵との合計は1260名となります。


なお意外なのは、出撃時に便乗していた准士官以上及び同相当官の7名の内4名は 「島風」 に移乗したことが判っていますが、残りの3名のその後は不明です。

また、「摩耶」 の生存者も含めた下士官兵の便乗者の内、「島風」 に移乗したとされる者 (これも正確な数は不詳ですが) 以外の状況も判りません。

もちろん入院者116名のその後は判りませんが、もしかすると何人かは2回に分けて内地に帰還した者の中、あるいは比島からの最後の便となった昭和20年年明け早々の病院船 「第二氷川丸」 の乗船者に含まれていたのかもしれません。

-------------------------------------------------------------

前 : 「武蔵」 生存者は隔離された? (続3)

posted by 桜と錨 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年10月04日

秋月型 「初月」 の最終装備状態について


別記事にてHN 「小島」 さんからお尋ねいただきましたが当該項の内容についてではありませんので、私の回答と併せこちらに纏めて記事とします。


お尋ねの件は次のものです。

 秋月型について、特に初月について (最終時の武装の配置) をよく知りたい


あ号作戦後の状況について各海軍工廠が調査したものを故福井静夫氏が纏めた 『各艦機銃電探哨信儀等現状調査表』 という史料があり、これに 「初月」 も含まれています。

これについては最近になって光人社から復刻されましたが、何しろ9千円近い価格です。

この内の駆逐艦についてでしたら 『福井静夫著作集第5巻 日本駆逐艦物語』 (光人社) の巻末に元のものを書き直したものが掲載されていますので、これをご覧いただくのが手っ取り早く、またこれで十分ではないでしょうか。

fukui_Vo_5_destroyer_cover_s.jpg

ただし、「初月」 については昭和19年6月30日現在のものとされています。

したがって、「初月」 はエンガノ沖海戦において10月25日に戦没しておりますので、それまでの間に変化があったのかどうかは私も調べたことはありませんので判りません。


なお、この史料は従来故福井静夫氏の著作物とされていますが、上記のとおり、各海軍工廠が作成した調査表を氏が職務上の命により纏めた “公文書” であり、いわゆる氏の “著作物” ではないことには注意が必要です。

kijuu_zoubi_S19_cover_s.jpg
( 元画像 : HP 「海軍砲術学校」 所蔵の複製版より )

そして本来ならこれは復刻出版するような性格のものではなく、むしろ 「アジ歴」 や 「大和ミュージアム」 などのしかるべきところで一般に公開すべきもの、と私なら考えますが ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 12:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年10月03日

海上警備隊と旧海軍軍人


ネット某所で昭和25年に創設された警察予備隊への旧陸軍軍人の採用状況について話題になっておりました。

では昭和27年に創設された海上警備隊の場合についてはどうだったのか、と思われる方もおられると思いますので少々。


警察予備隊では昭和25年の創設時にはまだ戦後の公職追放もあって旧陸軍軍人は採用されませんでした。

しかしながら、当然のこととして軍事組織とはどういうものかさえ満足に理解していない一般の人々を集めてもまともに機能するわけがありません。

そこで26年には取り敢えず陸士58期 (終戦直前に少尉に任官) を採用したものの結局上手く行かず、知識及び経験のある佐尉官の旧軍人を採用せずにはおられませんでした。

これに対して昭和27年4月に創設された海上警備隊 (僅か4ヶ月後には 「警備隊」 となる) は、この警察予備隊での反省と海軍という特殊性もあり、また旧海軍軍人の採用もかなりの程度が可能な情勢となったことから、当初から旧海軍軍人が含まれました。

とは言っても、組織そのものが海上保安庁の一部局だったこともあり、保安庁からの転換者が主流を占めたのは当然のことです。

そして旧海軍軍人の採用に当たって、特に幹部については定員枠による採用数の関係や戦後既に7年も経っていたことなどから、それほどスンナリ行ったわけではありません。

それに旧海軍での知識・経験は有っても米海軍方式の採用により全く一からの出直しであったため、これに馴染めず拒否反応を示す者もかなりあったと聞いています。


そこでこれらの全体像ですが、

海上警備隊創設時の状況や経緯、そしてこれに先立つ 「Y委員会」 のことになどついては、一般の方々が入手できるものとして 「 (財) 水交会」 から出ている鈴木総兵衛著 『聞書・海上自衛隊史話』 があります。

Kikigaki_suzuki_H01_cover_s.jpg

当該書はかつて水交会会報誌 『水交』 に連載されたものを改めて1冊に纏め直して出版したもので、このテーマについてその概要と流れを掴むには最適のもの、というより現在までのところこれしかないと言っても過言ではないでしょう。

なにしろ、後になって出された学者や研究者などがものしたものと異なり、当時の中枢にいた当事者が書いたものですから。

しかしながらデータなどの具体的な面ではやや足りないところもあり、かつ公的な裏付けも必要になりますので、やはり当該書だけでは不完全と言えます。

この足りない部分については、昭和57年に海上自衛隊が 『海上自衛隊二十五年史』 を 「本編」 及び 「資料編」 の2分冊で公刊しており、海上警備隊創設時の人事的なことも一応網羅されています。

JMSDF_History25_cover_s.jpg  JMSDF_History25_2_cover_s.jpg

ただし、残念ながらこの年史は 「部内限り」 に指定されていたため、一般向けには公開されていませんので、まず目にされたことはないと思います。

( 国立国会図書館には平成15年の 「50年史」 は収蔵されてますが、この 「25年史」 はありません。 ただ、最近では時々古書店に出回っているようですが ・・・・ )


これらを要約すると、海上警備隊への旧海軍軍人の採用状況は、国内情勢、そして組織そのものが保安庁出身者に牛耳られていたことなど考慮すると “まあ上手くやった” のかなと評価されます。

そして何よりも、まず教官要員を最優先したことと、一から米海軍方式に従ったことがその後に繋がっていると言えます。


で、これで終わりなんですが、やはり具体的な数字などを挙げて説明しないと手抜きかな ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 20:30| Comment(1) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月02日

昨日は渋谷


日付が変わってしまい、もう一昨日のことになってしまいました。

5ヶ月 (?) ぶりに渋谷へ出ましたが、代々木公園の国立競技場と野外ステージ間の通りで北海道フェアをやっていました。

Shibuya_h280930_01.jpg

通りの両側と野外ステージ前広場に多数の出店・屋台が並び、通りの中央はテーブルと椅子がズラリと揃えられて巨大なフードコートと化していました。

金曜日の昼でしたが大勢のグループや家族連れの来場者があり、それぞれ思い思いの食べ物買ってきてはテーブル席に集まって、ワイワイガヤガヤ。 もちろんお肉や焼き牡蠣などで一杯やるグループも。

う〜ん、今日の打合せはここでやってもよいのではと思ったり (^_^;

フェアは100mくらいで、その向う側は普段の通りの姿。 何となく木々の葉の色も秋が近づいた雰囲気になってきています。

Shibuya_h280930_01a.jpg

で、13時半から始まった打合せですが、途中で2回のトイレ休憩があっただけ。 フッと気が付けば21時を回っていましたので、取り敢えず今回はここまでとました。

まだ具体的な内容はどうなるか判らない企画ではありますが、私と同様な部外からの参加者の皆さんもそれぞれ好きなテーマだけに中身の大変濃い討議となりました。 さて今後どの様に形作られて行くのか、これからが楽しみです。

結局宿に入ったのは22時頃。 ともかく何か食べに (と言うより一杯やりに) 出ることに。

しかしながら、花金ということもあってかこの時間でも渋谷の街はどこも若い人達が溢れており、お店も一杯のところばかりです。

折角の機会に新規開拓もままならず、仕方なくここならと思って以前一度お邪魔したことのある沖縄料理のお店へ。

Shibuya_h280930_02.jpg

が、なんと外人さん数名も含めてここもほぼ一杯。 でも一人ですので何とかカウンター席に座れました。

もちろんここに来ればこれです。 まずは泡盛の水割り。

Shibuya_h280930_03.jpg

本当は40度の瑞泉のロックでチビチビやりたかったのですが、最近めっきり弱くなりましたので我慢して27度の久米仙の水割りで (^_^;

注文した肴は沖縄では有名なものばかり。

Shibuya_h280930_04.jpg

Shibuya_h280930_05.jpg

Shibuya_h280930_06.jpg

Shibuya_h280930_07.jpg

最後の写真のものはご存じですか? 豚のしっぽをトロトロになるまで煮込んだものです。 なかなかの珍味。

う〜ん、ちょっとカロリー高過ぎの夕食かな (^_^)


で、今朝はゆっくり起きて、昼頃代官山でのディアゴさんのジャズ・イベントに顔を出したいと思っていたのですが ・・・・ 急用ができまして帰宅することに。 これはちょっと残念。

そこで、朝食と昼食を兼ねてこれを。 駅弁屋さんで見つけたご飯の無いおかずだけのセットもの。 まさに車中でのビールのおつまみにピッタリです。

Shibuya_h280930_08.jpg

安い割にはボリュームもあり、なかなか美味しかったです。

えっ、お土産は、ですか? もちろんそこは忘れません。 これが無いと家に入れてもらえませんので (^_^;

posted by 桜と錨 at 00:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに