2018年10月17日

ボタンエビ


ちょくちょく顔を出すいつもの小さなお魚屋さんを覗いたら、珍しくボタンエビが20匹ほど置いてありました。

ボタンエビとは言っても本来の和名 「ボタンエビ」 ではなく、お寿司屋さんや料理屋さんなどで一般的にボタンエビとして出てくる 「トヤマエビ」 です。 ( 因みに過日有名になった 「独島エビ」 もこのエビのことです )

活きが良さそうでしたので即半分ゲット。 残りもすぐ後から来たお客さんが持って行ってしまい売り切れ。 危ないところでした。

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夕食に半分生で、もう半分は塩焼きにしましたが、大変に美味でした。

久々に美味しいエビを堪能したような気がします (^_^)

大将と若大将の二人が毎朝市場に入荷したものの中から厳選してきますので、このお店に並んでいるものならまず間違いありません。

posted by 桜と錨 at 00:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月14日

『 東北地方所在の旧陸海軍航空基地 』


本家サイトの更新が滞っていますが ・・・・

『旧海軍の基地』 コーナーに 『 東北地方所在の旧陸海軍航空基地 』 の概要一覧ページを追加公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/Nav_Air_Base_list.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/bangai/IJN_Nav_Base/000A_08_Touhoku_AB.html

Touhoku_AB_List_sat_h30_01_mod_s.JPG

日米の史料を付き合わせて、基地の位置と概要の整合が取れるところをピックアップしております。

東北地方は基地数が多くありませんので、暫定ページではなく、一応この形で完了とします。 今後は残った旧海軍基地個々の詳細ページを追加していく予定にしています。

例によって、一覧図の基地名にカーソルを当てていただくと当該基地のデータがポップアップするようにしております。


それにしても不思議なのは旧陸軍の 「淋代飛行場」 です。 ここは米軍史料では地図や写真も含めたデータがあるのですが、肝心な旧陸軍側のものが全く出てきません。

もちろんここは 「ミス・ビードル号」 の太平洋無着陸横断飛行の出発地として知られる淋代海岸に設けられた臨時滑走路とは全くの別のものです。

情報をお持ちの方がおられましたら是非ご教示をお待ちしております。


次は北陸・中部地方に手が付けられるか ・・・・ ?

posted by 桜と錨 at 16:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2018年10月07日

旧ソ連の軍事用語 『連続作戦』


少し前になりますが、某所で旧ソ連軍の用語の一つである 『連続作戦』 についてそのロシア語表記の質問が出ていましたが、結局回答が出ないままになっているようですので、ここでご参考までに。

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旧ソ連軍における教範類の一つとして 『将校双書』 というのが全17巻で出されており、その中の1冊に用語集があります。

これらは米軍でも英語に翻訳されており、そして更にその英語版の一部については資料集として航空自衛隊で邦訳されております。

ただし、航空関係以外の用語では流石に空自さんだけあって私達からするとちょっとピント外れなものも多いのですが ・・・・ (^_^;

posted by 桜と錨 at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

『砲術家としての加藤友三郎 ・ 続』


昨日は心配された台風25号も大分北に逸れましたので、風が少々強かったものの雨は全く降りませんでした。

これにより、6月に予定していた『加藤友三郎元帥研究会』での上記タイトルの講話はご承知の豪雨のために延び延びとなっておりましたが、今回幸いにしてやっと実施することができました。

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台風の影響を見定められたのか、参加者は当初予定より多少少なかったものの、それでも30名を超える方々に来場いただきました。

逆に、こういう日に興味を持ってわざわざ聴講に来ていただける方々の方が、話す側としては話し甲斐があるというものです (^_^)

そして直前になって業務のためにキャンセルされた呉市長も、この台風のために予定が中止となり、思いもかけず聴講いただけました。 前回に続いて私の話を両方ともお聞きいただけたことになります。 ありがたいことです。

前回は、持ち時間の都合で友三郎が明治13年に海軍兵学校を卒業してから明治24年に造兵監督官となり英国出張を命ぜられたところまででしたので、今回はその続きで英国における 「吉野」 の監督官業務と初代砲術長としての就役から日清戦争における黄海海戦での活躍までです。

主たる項目としては、

  1.造船監督官として英国出張の業務の詳細
  2.「吉野」 の艤装から就役、日本回航
  3.邦着から日清戦争開戦まで
  4.豊島沖海戦と黄海海戦
  5.その後の友三郎

なのですが、当初の6月が延びましたので、この期間を利用して何度か見直しを行いまして、これに

  1.黒色火薬と無煙火薬
  2.速射砲の誕生と発展

の概要を追加しました。

といいますのも、砲術、艦砲射撃というのは一般の方々には大変判りにくい話しでし、ましてや明治中期のことですので、当時の状況についてこれらを簡単かつ判りやすくしようと思ったからです。

ところが、修正を始めますとあれやこれやと出てきまして、しかもパワーポイントに纏めるのに思わぬ手間暇もかかりまして、結局何とかそれらしくするのに前日までかかってしまいました。

お陰で全体を通して見直す余裕が十分にありませんで、かえって中途半端になってしまったような ・・・・ (^_^;

それでもこれまでの出版物などでは出てこなかったお話しも沢山盛り込みましたので、明治初期 〜 中期の砲術の状況はご理解いただけたのではないかと思っております。

そしてこういう話しを初めてお聞きいただいた方々には “トリビア” 的な話題にもなるのではと。

例えば、戦後ものされた友三郎の伝記の一つとして知られている豊田穣氏著 『蒼氓の海』 に出てくる黄海海戦での砲戦の描写はちょっと違いますよ、とか (^_^;


今回及び前回の講話内容及びそれの元である私の2つの論文などをどのように希望される方々に配付あるいは公開していくかは、今後本会会長である大之木氏などとも相談しながら決めていきたいと思っています。


そして加藤友三郎についての私の次の研究テーマは

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を予定しておりますが、これはいつになるのか ・・・・ ?

ご存じのとおり、加藤友三郎については後半の軍政家・政治家としての面は学者や研究家の方々にもよく研究され、また発表されてきているところですが、前半の軍人・砲術家としての面はまだまだというよりほとんど研究されていないというのが現状です。

したがって、日清戦争まで、及び日露戦争期については私としてもやり甲斐のあるところと考えております。


最後になりますが、再度の研究発表の機会を作っていただきました 「加藤友三郎元帥研究会」 会長の大之木氏、そして会場の準備などにご尽力いただきました事務局の皆様に、この場ではありますが改めてお礼申し上げます。

posted by 桜と錨 at 17:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2018年10月05日

三泊四日の上京 (4・終)


10月2日 (火)

帰りの飛行機は午後の便ですし、宿のすぐ近くにリムジンの始発のバス停がありますので、午前中はノンビリです。

ホテルのサービスチケットでバイキングの朝食をとってから街へ散歩に。

で、大型家電店を覗いていましたら新しい iPad が並んでいまして、あれこれ触っているうちについつい誘惑に負けてしまいました (^_^;

iPad Pro 10.5 と Apple Pencil です。 思いがけず大きな散財をしてしまいましたが、今の iPad3 より格段に良くなっており (5年も経ちますので当たり前ですが)、何と言っても原稿の校正ゲラに修正・訂正を Apple Pencil を使って手書きでスラスラ入れられるのは助かります。 これはパソコンではできないことですので。

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このところ外に出る時にはノートパソコンを止めて iPad に必要な資料・データを入れて持ち歩くことにしていましたが、これからは家の中でも常に横に置いておくことになりそうです。 大変役に立つ道具であり、かつ楽しいオモチャでもあるかと。

それに、画面の大きさやキレイさ、多機能さはスマホより格段に上ですから、携帯は当分今と同じガラケーのままで十分ですね (^_^)


羽田からの帰りは往路と違って晴れの良い天気。

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残念ながら主翼の上で、しかも窓側席は取れませんでしたが、機内モニターでは機外カメラの映像がずっと流れていましたので、離陸・着陸時に加えてフライト中の真下の地上の景色が楽しめました。

収穫物は、「虎屋」 さんの羊羹セットと、このところ我が家のお土産の定番となった 「舟和」 さんの 「あんこ玉」。

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どちらも大変に美味しいですが、あんこ玉の方は賞味期限が通常2〜3日と日持ちがしませんので、いつも人にあげられず全て我が家で消化です。

そして初日に広島空港の売店で見つけた珍しいタコトンビの燻製。 宿での夜のツマミ用を兼ねてもう一つ余分に買ったのですが、羽田から直行して孫の顔を見に行った時に一緒にやって来たこの手のものに目がない長女に見つかり、これは取られてしまいました (^_^;


今回の三泊四日の上京も十分に楽しめた有意義な旅になり、火曜日の夜に無事我が家に戻りました。

あっ、明日の講話の準備がまだ終わっていない ・・・・

posted by 桜と錨 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月04日

三泊四日の上京 (3)


10月1日 (月)

折角上京しますので今回は予備日的に帰りを一日伸ばしまして、平日の都心をノンビリしつつ防研図書館で史料探しなどができればと考えていたのですが ・・・・ これを見透かされたかのように急遽打合せが入りました (^_^;

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( ここからすぐ近くのオフィスで )

朝から台風一過の抜けるような青空が広がりましたが、ジャケットを脱いでワイシャツ姿でも汗ばむような陽気でした。

打合せはまだまだ企画の初期段階のものですので今後どうなるかは判りませんが、実現すれば大変に面白い内容になるものであることは間違いありませんし、私の知識も十分役に立てると思っています。 もしこのまま順調にいけば、来年の夏から秋にかけてかと。

で、夕方までかかってフリーになりましたので、前から気になっていた宿近くのハモニカ横丁の散策へ。

その前に、取り敢えずの腹ごしらえを兼ねて、これも前から一度行ってみたかった 「いきなりステーキ」 でのデビュー戦。

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ここは本来はカウンターでの立ち食い方式なのですが、最近は各店とも数席程度のテーブル席も設けられてきたようで、空いていれば私のような年寄りは優先的に案内してくれるようです。

ご存じの方も多いと思いますが、席が決まったら自分で注文カウンターへ行って、食べたいお肉のブロックを見せて貰い、二百グラム以上でこれくらいの量と言うとその場で切って秤に乗せてくれて確認できます。

これで良ければ焼き方を指定して、後は席で出来上がるのを待っていれば焼きたてでジュージュー言っているアツアツのプレートを持ってきてくれます。

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( ヒレ230gをレアで 味は値段なりかと (^_^) )

飲み物やサイドメニューなどの注文は席で店員さんに別途。

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( まずはお疲れの一杯と前菜を )

それにしても驚いたのは、こう言う形式のお店にも関わらず若い女性が一人で入ってきてステーキを平然と頬張っていること。

私のテーブルの向かい側も綺麗でドレッシーなお嬢さんでしたが、大きなお肉をペロリと (^_^)


続いてハモニカ横町をブラブラと。 台風の翌日の平日ですが、結構各店とも賑わっています。

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狭い迷路のような路地を少し歩き回ったところで、席が開いていた 「ささの葉」 さんにお邪魔しました。

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カウンター席が6席だけの小さなお店ですが、先客は若いアベックさん1組と勤め帰りのサラリーマンの二人組。

ここはお魚と日本酒の 「司牡丹」 で知られているところのようです。

私はお刺身の盛り合わせを芋焼酎の水割りで。

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確かに、東京で食べるお魚としては新鮮で美味しいのですが ・・・・ 残念ながらやはりこちらで今行きつけになった小さなお魚屋さんのお刺身を食べ慣れてしまうと (^_^)

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(冷蔵庫にさり気なく張ってあった大将の似顔絵 そっくりです)

(お店の料理などの写真はそれぞれ事前に許可を得ております。)

posted by 桜と錨 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月03日

三泊四日の上京 (2)


9月30日 (日)

今回の上京の目玉のもう一つが高校の卒業50周年記念の合同クラス会です。

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このブログでもご紹介してきておりますように、私が卒業した時の高校の同窓会はずっと各クラス単位で行われてきております。

これは在校当時1・2年はクラス替えせずに同じメンバーで2年間、3年が進学・進路別のクラス編制だったためで、これにより1・2年の時の方がクラスメートの結び付きが強いことからです。

そして数年前に久しぶりに開いた時に、参加した皆から “もう60を過ぎてこの先いつまで元気でやれるか判らないから、その都度集まれる人だけで良いから毎年やろうよ” となりまして、それ以来私のクラスは毎年恒例となりました。 多いに年はクラスの半数が集まります。

今年は流石に卒業50周年ですから全クラス合同の学年同窓会となりましたが、会場のテーブル分けはこの1・2年でのクラス単位で。 これも今回の開催に当たり幹事さんに多くの希望が寄せられた結果です。

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( クラス毎の記念写真での我がクラス あれっ、二人ほど集まっていない (^_^; )

それに、私の高校は都立とはいいながら元旧制高等女学校であったこともあり、当時全学年で生徒は男子1:女子3の割合で、1・2年時はこの比率で均等のクラス分けでした。 私のクラスは男子13名に女子38名。

3年進級時に私は理工系大学進学希望者のクラスでしたのでクラス43名で、うち女子は13名でした。 したがって3年の時は全8クラスで女子だけのところも3つ、1クラスで50名超のところも。

この時の理工系大学進学クラスはその後地方に散って今でもそのまま住み着いた者などが多いこともあって、3年のクラスでのテーブル分けでは出席率が低く、かつ他のクラスの女性陣は1・2年での同級生以外では名前はなんとか判るものの、学生時代にほとんど話したことがない人が多いので話しが弾みませんから ・・・・ (^_^;


記念同窓会は昼からホテルで大々的に行われ、在校当時の写真のスライド・ショーや校歌の斉唱など、これはこれで盛大なものとなりました。

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( 今では当時の恩師も皆さん90歳越え 今回唯お一人の参加となった英語の先生 )

その後はもちろんそれぞれクラス毎の二次会へ。 私達のクラスは参加者19名の殆どが揃って二次会、三次会と進んだのですが ・・・・

ここで台風24号の接近のため都内のJRなどが20時以降全面的に止まるとのことになりまして、残念ながらここまででお開きに。

もちろんもし台風の影響がなければ日付が変わるくらいまでは続いたのではと (^_^)


運転取り止め近くの電車に乗って21時前には宿に戻りましたが、その後も雨、風ともほとんど無く、ちょっと拍子抜けしましたが ・・・・

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( ここのところ利用する機会が多くなった吉祥寺のホテル この時間はまだ静かでした )

ところがこれが文字通りの嵐の前の静けで、深夜から未明にかけて相当な風雨となったようで (寝ていて全く気づきませんでしたが)、朝になってすぐ近くの井の頭公園では樹木が数十本も倒れてしまったことを知りました。

今回の都心での交通機関の早期運転取り止めについては色々批判もあるようですが、私的には人的被害予防のためからも賢明な良い措置であったと思っています。 何しろ様々な人が一晩中集まっている東京ですから(^_^;

posted by 桜と錨 at 18:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年10月02日

三泊四日の上京 (1)


週末にかけて久々に上京してきました。 今回のメインは8月に生まれた二人目の孫の顔を見に行くことと、高校の卒業50周年行事に参加することでしたが ・・・・ 何か本当にお登りさん然になってしまいまして (^_^)


9月29日 (土)

空港までのリムジンバスの運行が何故かフライトの時間と合っておらず、早朝に家を出て空港で約3時間の時間潰しとなりました。 田舎の街と空港間のアクセスの悪さを実感です。

それに台風24号が近づいてきておりましたので、既に早朝から雨。

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幸いフライトは予定通りで、途中の揺れも全く無かったのですが、残念ながら羽田着陸寸前まで厚い雲が一面に広がり、地表の景色は全く見えませんでした。

羽田から二女夫婦のマンションまではリムジン一本で直行。

孫は長女のところに続いて二人目で、今度は男の子。 我が家は娘三人と孫二人の五人目でやっとです。

良く動き、良くミルクを飲み、チョットお腹が空いたりオシッコが出ると大きな声で泣きます。 我が家の娘達の小さい時に比べると流石は男の子と思った次第。


そして夕方からは二つ掛け持ちでの飲み会です。

一つ目は艦船研究家さん達、続いて艦船モデラーさん達の集まりですが、幸い時間がズレていましたのでそれぞれ2時間ずつ。

それぞれ同じ趣味の同好の志ばかりですから、もうワイワイガヤガヤで大変に楽しい時間でした。

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( 昔馴染みの艦船モデラーさん達と )

もちろん両方とも今話題になっている同じ “例の” 件で大いに盛り上がったことは言うまでもありません。 お酒のツマミとしては最高ですから。

posted by 桜と錨 at 22:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2018年09月28日

計根別飛行場群


本家サイトの 「旧海軍の基地」 コーナーで公開中の 「北海道所在の旧陸海軍航空基地」(暫定ページ) にて、残った計根別飛行場群4基地のポップアップデータの設定をしました。

これにて北海道所在の旧陸軍飛行場全ての設定が完了しました。


この計根別飛行場群と言いますのは、ご存じのとおり計根別第一、同第二、西別 (計根別第三)及び西春別 (計根別第四)です。

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( 計根別第一 )

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( 計根別第二 )

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( 西 別 )

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( 西春別 )


上記の図はいずれも昭和19年測量の地図を加工したものですが、これによって正確な位置と当時の形状が判ります。

この他にネットなどでは誘導路を利用した 「計根別第五」 があったとされていますが、私の一覧では旧陸軍のこのような戦時急造、未完成、不時着陸場などは基本的に除外しています。

また、一般に言われているような 「計根別第三」、「同 第四」 という呼び方もしておらず、旧陸軍の史料にある名称としております。


なお、北海道所在の旧陸軍のものではこの他に 「苫小牧飛行場」 がありますが、これが 「沼ノ端」 のサテライトとしてのものなのか、不時着陸場としてのものなのかがよく判りません。

ここは王子製紙苫小牧工場の敷地内で競馬場が置かれていましたが、確かに戦前から不時着陸場としても使用された記録が残されています。

しかしながら、昭和18年になって改めてここに飛行場設置の工事が行われましたが、この時期になってわざわざ沼ノ端の西南西僅か8kmのところに不時着陸場としてのものを作るのかという疑問があります。

飛行場設置後の運用状況などについては不詳ですが、沼ノ端のサテライトとしてのものとするのが合理的であると考えられます。

終戦後に旧陸軍が纏めた史料では 「飛行場」 とされており、また米軍の資料でも 「Emergency Landing Ground」 ではなく 「Airfield」 とされております。

もし不時着陸場としてであるならばこのまま一覧には加えずにしますが、飛行場としてのものであるならば、後日一覧に追加したいと思っています。

posted by 桜と錨 at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

海軍さんの麦酒館


昨日は打合せで市街へ降りましたが、引き続きそのまま一杯会へ雪崩れ込みました。 「海軍さんの麦酒館」 です。

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ここのウリは何と言っても 「海軍さんのビール」 です。 これまで3種類があったのですが、最近 「吟醸ビール」 というのが増えたようです。

ここのビール、個人によって好みの問題もあるでしょうが、私としてはどれもなかなか美味しいと思います。 そして料理の類も値段も手頃で味も悪くありません。

平日にもかかわらず店内は結構お客さんがあり、川沿いのオープン・テラス席では若い人のグループがワイワイやっていました。

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呉では最近、こういう雰囲気のお店がいくつか揃って人気が出てきたようで、いつもそれぞれ賑わっているようです。

posted by 桜と錨 at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに