2016年12月05日

シースパロー用射撃指揮装置 Mk91


ネットネタからです。 次の様なことが話題になっていました。

シースパロー艦対空ミサイル用のMk95イルミネーターには、2基のアンテナが横並びに配置されていまが、これを用いる目的は?

これですね。

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NSSMS (Nato Sea Sparrow Missile System) の射撃指揮装置 (MFCS、Missile Fire Control System) Mk91には、Mk95というミサイル用方位盤 (Missile Director) が用いられています。

通常のセミ・アクティブ方式のミサイル・システムでは目標追尾用のレーダーと、ミサイルを目標に誘導するための誘導波 (イルミネーター) との2種を使用しています。

発射されたミサイルはこの誘導波の目標からの反射波を受信してその方向に向かうようになっており、通常は連続波 (CW、Continuous Wave) が使われます。 シースパロー・ミサイルの元の空対空用のスパローも同じです。

このスパローを艦載用にしたのがシースパローですが、射程そのものが短い近接防御用ですので、その射撃指揮装置もターターやテリアなどのように大がかりなものにすることはできません。

このためこの誘導用のものを目標の追尾にも使うことにしました。 これが BPDSMS (Basic Point Defense Missile System) の射撃指揮装置Mk−116で、その方位盤がMk76です。

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このMk76の架台は元々が40ミリ機銃や3インチ砲用の射撃指揮装置であったMk63のものを流用しています。

そしてこれに送信用 (左) と受信用 (右) のアンテナを、そしてその中間上部に光学照準器を装備しました。 これにより元のMK63と同じように人力操作で目標を捜索し追尾するようになっています。

このMk76を自動操縦にしたものが NSSMS の米海軍バージョンのMk95です。

送信・受信用アンテナの中間上部にあるのはMk76の光学照準器に換わる LLLTV (Low Light Level TV)、つまり高感度テレビカメラで、FCS操作員がコンソールでこれの映像を見ながら目標の捜索・確認と追尾補助に使うことができます。


では、このCW波でどうやって目標の位置、特に距離を測るのでしょうか?

通常のパルス・レーダーでは、パルスを発信してから目標に反射して戻ってくるまでの時間を計測して距離を算出します。

そして1つのアンテナを使い、パルスを送信する時以外は受信モードにすることによりこれを行っています。

したがって電波が出っぱなしになるCWレーダーの場合は、必然的に送信アンテナとは別に受信アンテナの2つが必要になります。

また、当然ながら連続波では発信から受信までの時間差が測れませんので、これで目標の追尾を行うためにパルスに換わって連続波にFM変調をかけることにより、この周波数が変わるところを測って距離を出すのです。


実はこのMK95を使用した 米海軍の NSSMSですが、TAS Mk23と組み合わせた IPDMS (Improved PDMS)として、大変に素晴らしい近接防禦システムを構築しています。

もう40年近く前にそのプロトタイプを見る機会がありましたが、その時既にNTDSや三次元レーダーMK48C (受信データをディジタル化して目標の自動探知自動追尾機能を付加したもの) と組み合わせた改良型とすることが決まっておりました。

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(後に後輩への啓蒙活動のために纏めたもの)


ハッキリ申し上げて、ハードウェアはともかくとしてソフトウエアにおいて、そのプロトタイプ当時でも現在の海自の短SAMシステムより思想的に進んでいると思います。
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2016年12月02日

ヒオウギ貝


牡蠣の網元を継いでいる甥っ子がヒオウギ貝 (桧扇貝) を送ってくれました。 牡蠣筏に吊してある牡蠣を引き揚げた時に一緒に付いてくるのだそうです。

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もちろんこちらは養殖しているわけではありませんので、小さくて不揃いですから売り物にはなりません。 大きければ、色と形の綺麗な貝殻は飾りにでもなりますが、これでは ・・・・ 普段は自分達が食べる分以外は捨ててしまうのだそうです。

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でもこの貝柱、実は知る人ぞ知る大変な美味なんです。 早速家内がこれで炊き込みご飯とチャウダーを作ってくれました。

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炊き込みご飯はたったこれだけのシンプルなものですが、これが実に美味しかったです。

次ぎに貰った時にはバター焼きもやってみようかと。 楽しみが増えました (^_^)
posted by 桜と錨 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年11月28日

地エビ


近くの小さな魚屋さんの店先に地エビが並んでいるのを見つけました。

まだ活きているのもあり、型も大きめのが揃っていましたので、速攻でゲット。

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地エビはスーパーにも売っていますが、安い代わりに大小ごちゃ混ぜで鮮度もそれなりのものですので ・・・・

ここのお魚屋さんはいつも品揃えが良いので、めぼしいものはだいたい昼頃までには売れてしまいます。 見つけた時が買い時 (^_^)

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今晩はこれの塩ゆでで一杯。 楽しみ楽しみ。

posted by 桜と錨 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年11月27日

入船山ブラブラ散歩


今日は朝から雨が降り続いており、家の中で大人しくしていますが ・・・・

昨日は家内の知人が呉市立美術館の別館で作品の展示をしているとのことで一緒に見に行ってきました。

この界隈は美術館を始め入船山記念館や公園などがあり、またすぐ近くには呉地方総監部 (旧海軍呉鎮守府跡) もあり、一帯は大変綺麗に整備されているのですが、平日はもちろん、休祭日でも特別のことが無い限り人通りも少なく静かなところです。

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あっ、因みにこの写真にある電話ボックス、30年以上前に家内がお見合い用に撮ったものに写っているそのままで、今でも “現役” です (^_^;

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( 何故かいまだにこんな写真も持っています (^_^; )

展示会を見た後は、折角ですからその辺をブラブラ散歩してみることに。

呉市立美術館は地方都市の公共施設にして立派な建物で、出来てからもう30年以上になりますが、私はまだ一度も中に入ったことはありませんで、いつも外から眺めるだけ (^_^;

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美術館の隣にあるのが入船山記念館です。 メインは旧呉鎮守府司令長官公舎ですが、呉海軍工廠にあった時計台など様々なものがここに移設されており、美術館と良い対になっております。

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今回は長官公舎の手前まで行って中には入りませんでしたが、門からの行きも帰りも受付の職員の方々が私達を見つけては中から出てきて親切に色々と説明してくれました (^_^)

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で、近くをぐるっと回ってから美術館の別館の中にあるカフェでお約束の休憩。

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2016年11月25日

公職者等の序列について


軍や警察などの組織における職員の先後任順序、即ち序列については、これは階級とその進級日が基準となります。 そして軍においてはこれを基準にした士官名簿が作成されます。 この名簿に記載されている順番が序列です。

ただし、軍では指揮 (継承) 関係を明確にする必要から、例えば旧海軍の 「軍令承行令」 などの様な規則が定められますが、これはこの公的立場としての処遇である序列とは別の問題です。

( 余談になりますが、現在の米海軍でもどの様に階級が上でも Line Officer で無い限り、その他の職種の士官では作戦部隊の指揮官にはなれません。 例えば Supply Officer は海軍作戦部長や艦隊司令長官などになることはできません。 当然と言えば当然のことですが。)

では軍だけでなく官公庁や公的組織・機関と横並びになった場合はどうなっているのでしょうか?


太平洋戦争まではこの序列のことを一般的に 「席次」 と言いました。 つまり儀式などにおける参列の範囲や並ぶ時の順番を決めるための基を定めたもので、これが公的立場における処遇を典型的に示したものであるといえるでしょう。

その最も権威のあるものが 「宮中席次」 で、「皇室儀制令」 (大正15年皇室令第7号) の中で定められており、これは公職、爵位、叙位叙勲による優遇者の3つが基本となっています。

そしてこれに準じて公職者の席次を定めたものが 「高等官席次」 (明治25年内閣総理大臣通牒) です。

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( 画像は第8号の枢密院議長宛のもの、海軍大臣宛は第29号 元画像 : 国立公文書館所蔵史料より )

ではその席次において各組織・機関などの公職の横並びはどうやって決めているのかというと、これはズバリ “俸給額” が基準です。 つまり高い地位の人ほど俸給も高い、という考え方ですね。

この公職者の横並びの基準を定めたものが 「官等」 であり、特に幹部以上の等級を定めたものが 「高等官官等俸給令」 (明治43年勅令第134号) です。

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( 元画像 : 国立公文書館所蔵史料より )

この高等官官等俸給令において、「高等官」 を親任官及び第一〜第九等の高等官に分け、親任官の筆頭の内閣総理大臣から文部省直轄諸学校訓導に至る職名に応じた等級が第一〜第五表で示されております。

また、親任官及び高等官第一 ・ 第二等を 「勅任官」、第三〜第九等を 「奏任官」 と呼ぶこともこの勅令の中で定められています。


では、公職者だけではなく一般市民との横並びはどうなっているのかというと、これはありません。 確かに叙位叙勲による優遇者であれば宮中席次にはありますが、それ以外では定める必要性が無いからです。

例えば、民間会社の社長と海軍少尉とどちらが偉い (地位が高い) か、などということを、一般社会における公的な場の席次として予め決めて置かなければならないようなことはまずありません。

何かの機会に宴席や会議・式典などで同席する場合であっても、それはそれでその時その時の集まりの主旨に基づいた一般常識や社会通念、慣習などによって判断して決めれば良いことだからです。


したがって、先日ネット上の某所で軍人と民間人との地位と処遇について話題になった中でもありました、一般に良く言われる

階級を持たない者に対しては、極端にいえば、何をしてもよいという風潮があった

というのも、確かに昭和期の旧陸軍の一部において見られたようですが、これは多分に個々人やそのグループの問題であって、陸海軍の公式なものでも国家としての公的な立場のものでもありません。

そして

造船会社の社長が海軍の機関に呼ばれ、守衛に来意を伝えると、延々と寒天の中で待たされたという話が載っておりました。 つまり、守衛室に招き入れられることもなかったわけです。 これは、軍人が一番偉く、一兵卒であっても、会社の社長よりも偉いという意識が働いたものでしょう。

と言うようなことも、これは単に “自分は社長なのに” という自意識の上でその様に思ったのでしょう。 私から言わせれば、そのような反応の方がおかしいと思いまね。

一般に通じるそれなりの肩書きをもった人が公式訪問 (単に呼ばれたから行ったというのは非公式訪問です) する場合などでない限り、海軍として一般の人々に対する応接や礼式などの規定はありません。

と言うかそのようなことを想定した組織ではありませんので、例え一兵卒であっても門衛としては海軍の規則に従わざるをえませんし、ましてや会社の社長などの様な人でも少なくとも徴兵の経験はあるでしょうから、その様な軍のことは当然理解できているはずです。

そして、公式訪問以外での一般の人々の通常の来訪に対して、衛門を含めてどの様な対応・接遇をとるかは、その基地・施設の指揮官の裁量の範囲内のことと言えます。

もちろん裁量の範囲と言っても、それは当時の日本社会全体における風習や慣習の中でのことですので、現在の感覚で単純に比較してあれこれ指摘しても意味はないことは申し上げるまでもありません。

この様なことは現在の一般社会でも似たようなものではないでしょうか? もし仮に私が現役時代に、非公式かつ事前アポなしでいきなり大企業や官公庁などの受付に行って来意を告げたとしても、大同小異のことでしょう。

もちろん現在の企業などの訪問者に対する受付の対応は “企業イメージ” を大切にしますので、昔と違って相当に良くなっているでしょうが。

いずれにしても、これら一般的な訪問時の対応・接遇などのことと、今回の主題である公的な立場における処遇としての席次・順位のこととは、全く次元の異なる話しということになります。

posted by 桜と錨 at 21:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2016年11月20日

駆水頭部について


所要があって旧海軍の史料を整理していた時に、先日ネットのどこだったかで魚雷の駆水頭部(訓練弾頭)のことが話題になっていたことを思い出しました。

ついでですから、この機会にこの駆水頭部について少しご紹介を。

当然のことながら、平時の魚雷発射訓練では炸薬の詰まった実用頭部をそのまま使うわけにはいきませんので、爆発しない訓練弾頭が必要になります。

旧海軍では、明治期から既にこの訓練弾頭の必要性により、当初は薄い鋼板製頭部の中に炸薬の代わりの鉛などの錘をいれて実用頭部との重量を合わせたものを使用しました。 これを 「演習頭部」 といいます。

続いて標的艦の艦体に衝突させ、その命中の有無を確認できるようにした 「衝突頭部」 が開発されました。

その後両者それぞれで一層の改善が加えられましたが、大正4年になって英国から演習兼衝突頭部が導入され、これを元に改良が図られることになりました。

しかしながら、艦隊側からは更なる実戦的な訓練に使用するため、魚雷の沈没・失踪を防ぐより高度な機能を有するものの要求が強くなり、このため大正9年になって魚雷の航走終了後又は標的艦衝突後に魚雷頭部の中の水を抜いて軽くして海面に浮くようにしたものが開発され、翌10年から艦隊での使用が始まりました。 これが 「駆水頭部」 です。

この昭和4年頃までの経緯などについては、本家サイトの水雷講堂コーナーで公開している旧海軍の公式文書『海軍水雷術史』の中でご紹介しておりますので、詳細はそちらをご参照ください。


そしてこの駆水頭部は、海面に浮いた時に着色の発煙を出したり、ライトを点灯したり、あるいは発射時からのデータを記録する装置を付加したりするなどの改善が図られ、昭和10年頃以降太平洋戦争期にはそれまでの「駆水頭部改二」に換わり 「駆水頭部二型」 が使用されています。

もちろんこの時期でも艦艇用の魚雷は53センチ径と61センチ径のものがありましたので、前者用の 「八九式二型駆水頭部」 と後者用の 「九〇式二型駆水頭部」 の2種類がありますが、径が異なるために内部のレイアウトが少し違うものの、基本的な機能・構造は両者ともほぼ同じになっています。

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( 八九式二型駆水頭部構造図 )

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( 九〇式二型駆水頭部構造図 )


因みに、頭部先端にある鈎状のものが 「衝突尖」、その後ろ側内部の筒状のものが 「水圧筒」 で、衝突又は航走終了により頭部内の水を排出する弁を作働させるためのものです。

posted by 桜と錨 at 23:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 海軍のこと

庭で焼き芋


先月からこのところバタバタ続きで、少々お疲れモードですが ・・・・

昨晩からず〜っと朝になってもまだ “焼き芋が食べた〜い” と言って騒いでいる人がいます。

はいはい、作れば良いんでしょ。

と言うことで、近くのスーパーへ行って安売りの安納芋とついでにリンゴを買ってきました。

そして庭にBBQコンロを引っ張り出してきて火を熾しまして、お芋は湿らせた新聞紙にくるんだ上で、リンゴはそのままでアルミホイルに包んでこの火の上に載せるだけ。

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火力も次第に高くなり、そのうちいい匂いが漂ってきます。 待つこと約30分。

頃合いを見計らって取り出しますが、焼き芋はふっくらと丁度良い焼け具合。

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焼きリンゴもジューシーです。

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デッキに腰掛けて、コーヒーを飲みながらおやつ代わりに熱々をハフハフと。

庭でちょっと火を熾しただけで、味付けなど特に手間暇かけておりませんが、この単純なままの熱々で十分です。

久々に老夫婦二人でノンビリの昼下がりでした。


posted by 桜と錨 at 20:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年11月05日

久々の帰省 (3)


お土産編ですが、他所へ配る分は定番のお菓子などですので、それらはさておき我が家用のものをご紹介。 折角大分に帰ったのですから、自分へのご褒美です (^_^)


まずは大分ですから何と言っても麦焼酎です。

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( 大分版コップのふちこさんは焼酎には付いてきません (^_^; )

右は大分へ帰った時は必ず買って帰る老松酒造さんの 「麹屋伝兵衛」  焼酎にしてはちと高いですが味は抜群で、私の一押しです。

左はお馴染み三和酒類さんの 「いいちこ」 ですが、今回初めての 「いいちこフラスコボトル」  いつもは 「いいちこスペシャル」 止まりなんですが、今回は家内も一緒の帰省ですので奮発して。

もっともこれらは今では全てネットで買えますが、そこはまあ大分で買って帰るところに意義があると ・・・・ (^_^;


次はどんこ椎茸と並ぶ大分の特産品のかぼすです。 普通のサイズと特大サイズを。

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大分の飲食店では食べ物の添え物としてスダチやゆずなどが出ることはまずありませんで、どこでも全てこれです。

お刺身、焼き魚、干物、お鍋、お肉、サラダ、そして意外なのはピザ、などなど何に搾っても美味しいです。 もちろん焼酎に絞っても、そしてそのままジュースにしても。

私としては、すだちなどよりはこのかぼすが一番だと思います。 香りと共に丁度良い酸味と甘味が合わさった上品な風味になります。


そして最後は、これも隠れた特産品の一つと言えるのではないでしょうか。 大粒でサイズの揃った銀杏です。

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この銀杏は私の好物の一つで、これの炒ったので一杯やれば他のつまみは要らないくらいです。 これだけあれば当分楽しめます。


・・・・ それにしても、こうして並べてみても、まあ何とも他愛のないものばかりですね (^_^;

posted by 桜と錨 at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年11月04日

久々の帰省 (2)


昨日は我が家でインタビュー取材を受けました。 で、日頃ロクに掃除もしないで不精を決め込んでおりますので、大分から戻りましたら家内と二人で大慌ての大掃除を (^_^;

このためちょっと遅くなりましたが帰省のお話しの続きを ・・・・


お墓のことと併せて父方と母方の双方の墓参で終わった1泊2日ですが、やはりそれだけでは折角の帰省の機会が勿体ないので、せめて家内と大分の名物を食べることに。

土曜日は大分には丁度昼時に尽きましたので、まずは昼食を。 お邪魔したのは大分名物 「とり天」 の有名店の一つである 「キッチン丸山」 さん。


「とり天」 の元祖とも言われる有名店で、しかもランチタイムしか営業していないため平日ならかなり混むと聞いていましたが、土曜日ということもあってかすんなり入れました。

二人とも同じものではと、「とり天セット」 と 「若鶏唐揚げセット」 を一つずつ。

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これにそれぞれライスと味噌汁が付きます。

「とり天」 はいわば普通に言う鶏の唐揚げですが、非常に素朴な味で、特にお店特製のソースをつけて食べると大変な美味でした。

「若鶏唐揚げ」 は鶏のブツ切り骨付きの唐揚げですが、1つ1つのサイズが大きいのでかぶりついてムシャムシャ。 これもなかなかの味です。

JR大分駅から繁華街とは別の方向へ少し歩いた住宅地の中にポツンとありますが、これならこれを食べるために出かけてもよいかも。


続いて、夕方ホテルにチェックインした後、暫くして夕食へ。

夕食は何と言っても新鮮なお魚でしょう。 お邪魔したのは繁華街の真ん中に昨年オープンした 「かまえ魚河岸 水元」 さん。

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佐伯の蒲江漁港で魚の卸をしている (株) 水元さんのお店で、その日に揚がった新鮮なものを出しています。 したがってお薦めメニューもその日次第ということに。

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ここも美味しい新鮮なものを提供することで次第に人気が出てきまして、平日なら予約が必要なほどと聞いています。

まずは何と言ってもお刺身の盛り合わせから。

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本来なら有名な関アジ、関サバ、そして城下カレイといきたいところですが、ご存じのとおりこれらは一匹まるまるでの注文になりますので、二人ではとても食べきれません。

残念ながらこれらは断念しましたが、でもこのお刺身の盛り合わせでも十分堪能できます。

続いてうちわ海老の塩焼きを家内が、塩ゆでを私が一つずつ、そして大きな天然車海老の塩焼きです。

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家内は日本酒、私は芋焼酎をグビグビやりながらで、次第にかなり酔ってきまして ・・・・ これも大分特産の銀杏を頼んだところまでは覚えていますが、その後は何を食べたのか ・・・・ (^_^;

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しかし流石は卸の会社がやっているお店だけあって、どれも大変に美味しいものでした。 それに板さんや仲居さん達の対応も気持ちの良いもので、ここはお薦めです。


最後は日曜日の午前中に母方の墓参りを済ませて帰る途中で、別府湾と別府の温泉街を眼下に見下ろすサービスエリアで昼食を。

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ここではこれもこの辺では名物の 「しらす丼」 です。

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本当は生しらすが良いのですが、まあSAでそれを期待するのは無理というものでしょう。 それでも値段からすればなかなか美味しかったです。


・・・・ と言うことで、2個所の墓参りでバタバタしながらも、食べるものは食べました。 後はホルモンが食べられたら言うことは無かったのですが、それはまた次の機会に。

奥様、短時間の帰省でしたが、私の選んだお店の大分名物は満足していただけたでしょうか? (^_^)

posted by 桜と錨 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2016年10月31日

久々の帰省


先週金曜日に行われた加藤友三郎元帥研究会発起会の後、二次会のお誘いを後ろ髪を引かれる思いで断念しましたのは、翌土曜日の早朝から大分に出かけるためでした。

と言いますのも、我が家の墓の関係で帰省する必要が出てきたのですが、私と家内のそれぞれの都合が合うこの土日の1泊2日で急遽決まったものです。


一昨日の土曜日は、朝5時に起きて6時過ぎに車で出発。 大分まで高速を走って、約5時間のドライブでした。

市内で昼食を済ませ、生花などの準備をしてから郊外にある父方の墓地へ。

一昔前までは、車の離合がやっと程の狭い一本道を30分ほど走った、それこそ辺りにはお寺さん以外は人家もない丘陵地の林の中にポツンと小さな墓地が有ったのですが、今では宅地化されて周りを人家に囲まれてしまっています。

お墓も大分整理されて今では30基足らずになりました。 その内我が家の墓が4つと親族の大きな合祀墓が1つです。

そして墓地の中で一際大きいのが祖父の墓です。 25年ほど前に父が礎台を組み直した上で、そこから上は礎石を2段ほど低くしかつ最上部の墓石もかなり小さいものにしましたが、それでもまだこの大きさです。

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我が家の父方は親族も含め大分には既に誰もおりませんので、通常の管理は本家のご厚意に甘えさせて貰っています。

とは言っても、本家の方もこの後はどうなるか判りませんので、このままずっとと言うわけにはいかないでしょう。

200メートル程離れたところにお寺さんがありますが ・・・・

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今後この小さな墓地をどうするのかの問題がお寺さんを中心に具体的に出てくると思います。


土曜日はそのまま大分市内に1泊し、昨日の日曜日は午前中に母方の祖父母のお墓へ。

こちらは農地が拡がる田園地帯が再開発されて綺麗な住宅地になり、あちこちに点々とあったお墓もお寺さんの敷地の一角に全て集められています。

そして母方の実家はすぐ近くにあり、叔母や従兄弟がいつも面倒を見てくれていますので安心していられます。


で、昼過ぎには大分を発って帰ってきました。 もっとも、途中でちょっとしたハプニングがあってかなり (3時間ほど) 遠回りをすることになってしまったのですが (^_^;

日程に余裕があるならば、それこそ別府や湯布院で温泉に浸かって久々にノンビリしたかったですね。

まあそれは老夫婦のまたの機会の楽しみに、ということに。

posted by 桜と錨 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに