2020年02月21日

呉の 「眼鏡橋」


昨年の 『世界の艦船』 9月号に 「呉鎮守府創設130周年 呉基地と江田島教育の歩み」 と題して一文を掲載していただきましたが、紙幅の関係もあって省略したところや、直接呉鎮守府とは関係しないものについて、いくつかをこのブログでも補足いたしました。

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そこで、その残りの中の一つ。 呉の 「眼鏡橋」 についてです。

呉の本通りを南に下り、呉線の高架橋を潜るところに 「めがね橋」 という標識があります。

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昭和10〜12年にこの呉線の呉〜広間の延長と「海仁会下士官兵集会所」 (戦後の通称 「青山クラブ」 ) 敷地の拡張がなされるまで、この高架橋の少し先に 「眼鏡橋」 があり、その橋の向こう側の袂に 「海軍第1門」 というゲートがありました。

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( 呉市史編纂室所蔵 沖田輝明氏提供)

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( 呉市史編纂室所蔵 井上博義氏提供 )

眼鏡橋は明治23年に完成した石造りで、長さ26.2m、幅18.7mであったとされ、まさにこの眼鏡橋を境に呉市街と旧海軍の基地とが整然と別れていたのです。

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( 『最新撮影 呉名勝』 加藤恭夫氏提供 )

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( 大正12年下士官兵集会所表門改修時の眼鏡橋と清水川 元図 :防衛研究所所蔵史料より加工 )

しかしながら、上記のように昭和10〜12年頃になって、元の木造だった 「海仁社下士官兵集会所」 を現在も残る鉄筋のものに建て替える際に敷地が不足したことと、呉線の呉〜広間の延長工事とが重なったことから、ここを流れる清水川周りを埋め立てるとともに、眼鏡橋付近は暗渠となってしまい、眼鏡橋そのものは無くなってしまいました。

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( 昭和10年下士官兵集会所敷地改修時の計画図 元図 : 防衛研究所所蔵史料より加工 )

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(元画像 : Google Earth より 赤線は現在の清水川の暗渠部 )

もちろん、橋は無くなったと言っても周りの埋め立てによって橋そのものはその一部として地中になっただけで、下を通る清水川の暗渠は元の眼鏡橋の部分がそのまま使われています。

これもあって、地表上には現在ではこの眼鏡橋の当時を思わせるものは何もありませんので、中にはこの呉線の高架橋のところにあったと思っている人も少なくありません。

では、どこにあったのか、と言いますと、

海軍第1門の右手側には准士官 (兵曹長) の集まりである 「海友社」 があり、その敷地の北側が清水川の護岸になっていました。

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( 明治41年撮影 呉市史編纂室所蔵 沢原喜久氏提供 )

そしてこの 「海友社」 の建物も昭和11年に鉄筋のものに建て替えられましたが、昭和22年の米軍撮影写真では敷地のこの護岸部分が残っております。

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( 元画像 : 国土地理院所蔵写真 昭和22年米軍撮影 )

この 「海友社」 敷地北側の清水川両岸が元々の 「眼鏡橋」 が架かっていた当時と同じと考えられますので、写真の四角のピンクで囲んだ部分が大凡のこの 「眼鏡橋」 の位置と推定されます。

ただし、当時の正確な図面や地図などが残されておりませんので、詳細は不詳です。

いずれにしても、現在の鉄道高架橋少し南側にある交差点の停止線付近から、現在の集会所跡の建物の北端よりもう少し南側で、反対側の元海友社敷地跡の 「Honda Cars 広島呉東店」 の建物の南側あたりまでであったと思われます。

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( 元画像 : Google Earth より )

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2020年02月18日

独り言


三景艦と三十二拇加砲

日清戦争におけるこの三景艦に搭載した 「三十二拇加砲」 くらい後になって誤伝による悪評が酷いものはありませんね。

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そもそも、それほど役に立たないものだったならば、何故日清戦争後に他艦のように主砲が換装されず、そのまま使い続けたのでしょうか?

この理由一つをとってみただけでもその誤りが判りますがねえ。


(追記) :

う〜ん、まあ某所は誰であろうと書きたい人が何をどのように書いても構わない所ではありますが ・・・・


 あの当時の我国で、砲の換装は不可能と思われますが。

既に 「橋立」 は日本で建造し、砲の艤装もやっている技術レベルなんですがねえ (^_^)

posted by 桜と錨 at 15:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2020年02月17日

独り言


大型攻撃型空母とソーナー

う〜ん、大型の攻撃型空母に、一体何のためにソーナーを装備するのか、装備して何ができるのか、という肝心なことが抜けているような ・・・・

そして、これは DASH にも通じることですが、当時予定された AN/SQS-23 の実際の性能・能力を見てみれば、なぜ装備されなかったのかが判ると思います。

( ただ、実際のデータなどはいまだに海自からも含めてなかなか出てこないところがありますが )

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もちろん、AN/SQS-23 の基本はアクティブ・ソーナーですから、パッシブ・モードでの運用時でも無い限り、“停止、あるいは低速での航行が必要” などということはありません (^_^)

posted by 桜と錨 at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 現代戦のこと

『世界の艦船』 3月号増刊


もう書店の店頭には並んでいるかもしれません。

『世界の艦船』 の3月号増刊 (通巻920号) は 『傑作軍艦アーカイブ H 平賀デザインの巡洋艦』 です。

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今回は2つ担当させていただきました。

   『 「平賀デザインの巡洋艦」 のプロフィール @ 計画経緯 』
   『     同               B 兵装 』

両方とも私にとっては大変に難しいテーマでした。

と言いますのも、本号で採り上げた 「夕張」 「古鷹型」 「青葉型」 及び 「妙高型」 については、福井静夫氏や堀元美氏などの旧海軍技術士官畑の人達の手になるものが世に出されており、またこれらに基づく戦後の研究者によるものも様々な形で書かれておりますので、一般の方々の中にはこれらによってある程度の先入観を持たれている方も多いと考えられるからです。

しかしながら、私として最も言いたいのは、

“ちょっと待ってね、それらは何れも 「造船学的」 「技術者的」 視点からのものがほとんどで、肝心な 「使う側」、則ち 「用兵者」 からする視点のものが抜けているのでは ?”

ということです。

確かに、平賀デザインの巡洋艦は当時の造船工学としては斬新なアイデアを盛り込んだ素晴らしいものであり、その点については海外からも高く評価されました。

では、だからといって 「= 名艦」 なのでしょうか?

違います。 軍艦として優れているのは、人が乗り、人が扱って十二分にその能力が発揮できたもの、ということです。

つまり、いくら就役時のカタログ・スペックが優れ、いくら外観の見かけが良かったとしても、実際の運用において “人が使って” 使い物にならなければ意味がありませんし、そして就役後10年、20年と十分に使い続けられることも必要です。

それに加えて「軍艦」 が 「軍艦」 たる所以は、平戦時を問わず、本来の主目的以外の様々は任務でも役に立たなければなりません。

これがあって初めて 「名艦」 と言えるのです。

これを総合すれば、平賀譲氏は極めて優れた 「造船学者」 あるいは 「艦船設計者」 たる “学者” “技術者” であったと言えるでしょうが、決して優れた本来のあるべき姿の “造船官”であったとは評価できないのです。

そして、この平賀譲氏が旧海軍の軍艦デザインもたらした影響はその後も長く続き、「大和」 型における船体設計の “重大な欠陥” にまで繋がっているのです。

是非とも詳細について、当該号の拙稿をご覧いただければと思います。

posted by 桜と錨 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年02月16日

『艦船対空砲装の研究』 公開


本家サイトの今週の更新は、ご来訪65万名達成感謝企画として、『史料展示室』 にて昭和18年に横須賀海軍砲術学校がその研究成果を纏めた 『艦船対空兵装の研究』 及び 『 同 (続) 』 を公開しました。

   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/tenji_main.html
   http://navgunschl2.sakura.ne.jp/tenji/49_Ships_AAW_Weps.html

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これをお読みいただけば、戦後になってこれまで主として元海軍技術士官達がものしたものや、それに基づくと思われる研究家などで言われてきたこととはかなり違っているとお気づきになられるでしょう。

要は、それまで連綿として育ててきた海軍戦力を無視して、東洋の小国に過ぎない日本として技術力も工業力も、そして国民性のレベルからも、最も不得意とする航空戦力をもって、単なる据えもの切りでしかなかった真珠湾攻撃、そして引き続きミッドウェー海戦に到るまでの実に中途半端な戦いで対米戦を始めてしまった、ということであり、まともな対空兵装どころか、真空管1本、パッキン1枚さえまともなものが作れなかった技術レベルでもって現場は戦いを続けなければならなかった、ということです。

その上で、自己の命をかけて戦う現場の用兵者はその “使えるもので全力を尽くす” という本分を実に誠実に守ったと言えるのではないでしょうか。

更に言うならば、いずれは海上主兵は航空機が戦艦に取って代わったであろうことは明らかですが、昭和16年12月はまだその時期ではありませんでしたし、それ以上に対米戦など絶対にやってはいけなかったのです。

貴重なデータと共に、じっくりとこの史料の言わんとすることをお楽しみいただければと思います。

なお、本史料の取り纏めは 「北村委員」 となっておりますが、今に残る旧海軍の他の史料などから、おそらく北村肇海軍少佐 (兵学校55期) ではと推測されるものの、確たるところは不明です。

posted by 桜と錨 at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 砲術の話し

2020年02月15日

ヴァレンタイン・チョコ


今年も家内からなどから幾つかチョコをいただきました (義理も含め (^_^) )。 嬉しいことです。

その中で家内と共に一番受けたのがこれ。

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先日戸高一成氏の菊池寛賞受賞記念祝賀会におよばれした時に、会がお開きになって会場の出口で主催のスタッフの方から参加者に配られたものです。

その時は袋の中をチラリと見て 「あ〜、元テープからのサマリーを作ったのか 〜」 「でも、今では流石に我が家には再生する機械もないよな 〜」 と思ったのですが ・・・・

ところが、我が家に帰って袋の中を見た家内から 「お父〜さん、これチョコだよ」 と。

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う〜ん、戸高さん、なかなかやりますね (^_^)

posted by 桜と錨 at 11:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年02月13日

CMに釣られて


時期 (数量) 限定という謳い文句に釣られて家内と行ってみました。

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ここのメニューはどれも量が多いことで有名ですので、流石に小さいのを家内とシェアで (^_^)

甘いですが、なかなかでした。

そして珈琲大好き人間の私としては、お気に入りの 「ミカフェート」 直営店さんが閉店してしまいましたので、今は呉ではここ (もう一つの姉妹店の方ではなく) の 「たっぷりアメリカン」 なら (^_^;

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posted by 桜と錨 at 16:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに

2020年02月09日

本家サイト、ご来訪65万名!


一昨日、本家サイトのご来訪65万名を達成いたしました。 こんなマイナーなテーマを扱うサイトですが、皆様にご愛顧をいただいておりますことを感謝いたします。

感謝企画ですが、まだ公開されたことのない旧海軍史料をと考えておりましたが、2分冊で約100頁で、まだゴミ取りと整形が終わっておりません。

完了次第、本家サイトの来週の更新時にでも公開する予定ですので、暫くお待ち下さい。

お読みいただければ、おそらく少しは旧海軍史の見方が変わられる内容ではないかと思っております。

posted by 桜と錨 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年02月04日

戸高一成氏菊池寛賞受賞祝賀会


長くお付き合いのある大和ミュージアム館長の戸高一成氏が 『海軍反省会』 全11巻の出版によりこの度菊池寛賞を受賞されました。

関係者でこれをお祝いするための祝賀会が本夕行われ、私もお誘いをいただきましたので出席してきました。

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約100名少々の集まりですが、皆それぞれで戸高氏と関わりのある方々で、また私も顔見知りの人が結構おられ、和気あいあいとした楽しい2時間でした。

先生と呼ばれる政治家の後援会などがよくやる、名の知れた来賓と一般参加の頭数さえ沢山揃えれば、というようなものとは異なりますので、乾杯のあとの歓談の時間も中身の濃い話しが多く、大変に良い会だったと思います。

ご存じのとおり、この 『海軍反省会』 全巻は戸高氏が長い時間と手間暇をかけられて戦後残された録音テープから丹念に起こされたものですが、それにしても磁気テープがよく劣化していなかったものと感心するばかりです。

この 『海軍反省会』 は戦後に元中堅将校だった人達が集まって太平洋戦争における海軍の実際・実態の真実を残そうと開いたもので、多くの方が既に鬼籍に入られていますので貴重な証言集になっています。

ただ、ある意味では “次はあいつを呼んできて吊し上げてやろう” というところが無きにしもあらずでしたので、本歴史史料の内容の取扱は、これから研究者達によって慎重に吟味される必要があるものと考えます。

いずれにしましても、戸高氏によるこの全巻出版の業績はすばらしいもので、これを評価されて今回の受賞になったわけです。

おめでとうございます!

posted by 桜と錨 at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 海軍のこと

2020年02月03日

節分


今日はもう節分。 でも人混みの苦手な私はこんな田舎でも神社へはちょっと (^_^;

せめてまあ時流にのって恵方巻きでも、と。

でも、コンビニやスーパーなどのものは高い割には美味しくありませんので、近くのお寿司屋さんに老夫婦二人用に2本頼んでおきました。

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カニやイクラ、トビコなどがたっぷり入っていて、これはこれで美味しかったですし、この歳になると夕食はこれ一本で十分です。

で、うっかり福豆を買うのを忘れていましたので、ビールを飲みながら枝豆を。 まあ、大豆には違いはありませんので (^_^)

posted by 桜と錨 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 気ままに