2016年08月27日

臨時クラス会


昨日は同期のM君が広島出張に合わせてわざわざ呉まで出てきてくれましたので、先日の定例クラス会に続いて臨時のクラス会でした。

今回は主賓を併せて6名でしたので、呉駅ビルにある 「徳兵衛」 さんで。

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ここは広島では有名なお好み焼きの 「徳川」 さんの系列店の一つですが、駅ビルの中にあることもあって小グループの宴会には便利なところです。

飲み放題付きの制限時間の2時間を大幅にオーバーして、昔話とクラス・メンバーの現況の話しで大いに盛り上がりました。 周りのグループの方々、うるさくてごめんなさい (^_^;

そして呉のクラス会の良いところは、ハシゴをせずに一次会でサッと引き揚げること。 これが集まり易く、長続きするコツでもあるようです。 今回も幹事を務めてくれたK君、ありがとうございました。

で、もちろん我が家へのお土産はお好み焼き。 この 「徳兵衛」 さんのは広島風お好み焼きとしては割とオーソドックスなものかと。

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2016年08月24日

今日は江田島


親しくお付き合いいただいている通称 「軍医長」 氏が、関西での会議のついでに遠路わざわざ呉までお見えになりました。

昨日は夕方、広島の新幹線駅からご友人の車で呉に来られましたので、取り敢えずは 「大和ミュージアム」 だけをご覧いただき、その後は呉名物の屋台村へ突入 (^_^)

で、今日は氏のご希望により江田島をご案内することに。

車で音戸と早瀬の大橋を通る陸周りでしたので、まずはこれも定番、艦隊桟橋を。

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先日在泊していた 「いせ」 の姿がありませんでしたが、隣の造船所へ修理に入っていました (^_^;

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今回珍しかったのは訓練支援艦の 「くろべ」 と 「てんりゅう」 が並んでいたこと。 この2隻が同時に停泊しているのはあまり見たことがありません。

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「てんりゅう」 の格納庫に標的機の 「ファイアー・ビー」 が見えましたので、当直士官にお願いして後甲板に揚げてもらって見学を。 一般の方はあまりこういうものは間近に見る機会はありませんので、軍医長氏には喜んで貰えました。

後は陸路を2台の車で走って海上自衛隊の第1術科学校へ。

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ここの通常の一般見学は、定時に集まった人達を纏めて指定された案内者が連れて校内の規定の見学コースを回りますが、これとは別に 「OB案内」 というシステムもありまして、OBが腕章をつけて自分の友人・知人を案内することができます。

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ただ、そのままでは一般見学と同じコースしか回れませんので、プラスα も見られるように広報係の了解を得ました。

・・・・ で、まずは一般見学と同じ場所を見て回り、その後に陸奥砲台へ。

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先日海上から陸奥砲台を見た時の記事でご紹介しました 「40口径15糎砲」 です。

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同じものが参考館脇にもう1基置かれていますが、これらはサイパン島に陸上転用され戦後も放置されていたものを、2年前に江田島に移したものだそうです。

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( 残念ながら2基ともかなりの部品などが失われています )

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( 案内板 )

(注): 後半の由来はともかくとして、残念ながら前半の本砲の説明はかなり間違っています。 そもそも旧海軍には 「安式四十口径六吋砲」 という名称はありません (^_^;

そして プラスα+α で、こんなものもご案内。

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( 50口径3インチSF単装砲 )

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( 50口径3インチRF連装砲 )

これら以外の更なる +α の個所は ・・・・ ナイショです (^_^;

軍医長氏は夕方の新幹線でお戻りになられるとのことで、ご友人の車を切串のフェリー乗り場までご案内して、ここでお別れしました。

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帰りは元来た道と同じではつまりませんので、秋月側の細い脇道を通って。

途中、船舶解体業を専門とする有名な 「古澤鋼材」 の前を通りましたら、退役した潜水艦を解体中でしたので停車してパチリ。

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事前に知っていたら軍医長氏にもご覧いただいたのに ・・・・

そして 「エアクッション艇整備場」 の脇も通りましたが、残念ながら外に出ているLCACはありませんでした。

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いや〜、それにしても今日も実に暑い日でした。

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2016年08月22日

久々に海の上へ


お盆休みで娘達や孫娘がやって来る前日でしたので、バタバタしていて少々古い話になってしまいますが、現役を離れて以来10年ぶりに海の上に出ました。

とは言ってももちろん外洋ではなく、取材のお手伝いで波静かな広島湾 (広義の) の中をぐるっと回ってきただけですが (^_^;

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( 元画像 : Google Map より )

小さなレジャーボートを借りまして、私も含めて総勢8名でのクルージングです。

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操縦は小型船舶の免許を持っているスタッフさんですが、広島湾は初めてとのことで、私が水先案内役を (^_^)

マリーナを出てすぐに 「音戸の瀬戸」 を通り、呉港内へ。

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( 手前が古い第1音戸大橋、奥が最近出来た第2音戸大橋 )

まずは錨泊していた 「おおすみ」 の 周りをぐるっと一周します。

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そして潜水艦桟橋と艦隊桟橋へ。 小さな船ですので、ググッと奥まで突っ込んで思いっきり停泊艦艇に近づきます (^_^;

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今は無き 「大和」 の建造ドックも。

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次いで江田内に向かいます。 元船乗りにとっては懐かしい 「屋形石灯台」

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江田内への出入り口 「津久茂の瀬戸」

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海自第1術科学校 (旧海軍兵学校) の表桟橋。 42年前に3等海尉に任官してここから巣立ちました。

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海側から見た陸奥砲台。 その脇に40口径15センチ単装砲が最近になって新たに置かれていますね。

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そして江田内側から望んだ古鷹山。 全てが懐かしい思い出です。

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江田内を出た後は、本日のメインの一つ、かつての旧海軍の 「柱島泊地」 へ向かいます。

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( 柱島泊地全体図 元画像 : Google Map より )

当日は海上に薄いモヤがかかっていまして、ようやくはっきり見えてきました。 この島の向こう側 (西側) が柱島泊地です。

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その泊地側から見た柱島。 こちら側には人家も含めいまだに全くと言ってよいほど何もありません。

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柱島横から泊地の南方向を望んだところ。 遠景が屋代島で、左手奥が 「陸奥」 引き揚げ時の拠点となった伊保田 (当時を記念した 「陸奥記念館」 があります) になります。

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ここまでで出発してから約4時間。 柱島の東側にある柱島港で小休止することにしました。

柱島は西側には何もありませんが、この東側には昔から小さな町 (集落) があります。 そして今では漁港や定期船の発着場を兼ねた立派な港が整備されています。

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港近くには、岩国市役所の支所や郵便局、そして釣り客用の旅館などもありますが、暑かったこともあってか通りには全く人影がありませんでした。

で、折角ですからクーラーの効いた柱島郵便局に入って、局員さん以外お客さんは誰もいないのをよいことにしばし涼を。 郵便局をこういうことで利用したのは生まれて初めてです (^_^)

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う〜ん、それにしても余程のことが無い限りこの島を再び訪れることはもうないでしょうねえ。

小休止の後は倉橋島の南側を回って元のマリーナへ。 倉橋島南東端の旧海軍の射場があった亀ヶ首です。

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いや〜、それにしてもこの日も強烈な暑さでした。
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2016年08月19日

合戦準備における木甲板の砂撒き


少し前に某巨大掲示板で話題になっておりました艦艇において合戦準備の際に木甲板に砂を撒くといことについてです。

当該掲示板では HN「hush」 さんがいつも通りの豊富な知識を活かして頑張っておられましたが、こちらで少々補足を。


帆船時代を含めて、艦艇では合戦準備の一貫としてまず木甲板を水で流します。

帆船時代は水兵達は裸足の者が多かったため(多少なりとも) 足裏を傷つけないようにするためと、火災予防のためです。 (そして日本海海戦時には甲板上に搭載した石炭を艦内格納又は海中投棄した後の清掃を兼ねていました。)

そして更に重要なことは、砲弾が木甲板に当たった場合、これにより飛散した木片による負傷を少しでも少なくするためです。 乾燥してささくれだった木片が人体に食い込んだ時には、ペニシリンが無かった当時としては時として致命的で、基本的には手足を切断することになりますが、多くの場合失血や感染症で命を失いました。

この水洗いの後に、木甲板に湿った砂を撒きます。 これは良く言われるように滑り止めのためであり、また流れ出た血の広がりを抑えるためでもあります。

ただしこれは人員のためであって、大砲の滑り止めなどにはなりません。


何時撒くのか。

基本的には合戦準備の一貫としての作業ですが、帆船時代を始め船の速力が遅い時代は敵艦が見えてからでも十分に間に合います。

しかし甲鉄艦の時代になって速力が早くなっるに連れて合戦準備は会敵前の比較的早い段階に終えるようになると、これでは戦闘時に木甲板と砂が乾いてしまい、目的の効果が無くなりますので、合戦準備後会敵までの適当な時期を見計らって実施することになります。


どの範囲に撒くのか。

目的が人員のためですので、原則として人が戦闘配置として就いている場所、つまり露天舷側砲などであり、そして人が頻繁に通る場所、つまり運弾通路となるところなどです。

したがって、帆船時代などでは木甲板全体にわたる広範囲なものとなりますが、甲鉄艦となった以降はその必要とされる範囲は次第に限定されたものとなります。

(もちろん、木造船時代と甲鉄艦時代とでは木甲板の意味合いが異なることは申し上げるまでもありません。)


誰が撒くのか。

帆船時代のように広範囲に撒く場合にはそれこそ総員作業になり、副長などの指示により一斉に行うことになります。

しかしながら甲鉄艦時代となると、戦闘時に木甲板の露天甲板に出る必要のある人員は次第に限定されてきます。

したがって、作業は砲員及び運弾員に指定された兵員がその中心となり、次第に総員作業から砲術科の通常の合戦準備作業の中の一つになってきます。

これは砲側に諸工具・用具などを準備したり、撃ち殻薬莢の跳躍防止用のマットを敷いたりするのと同じです。

このため、木甲板の水洗いや砂撒きなどはわざわざ艦の戦闘詳報などで採り上げて記載するまでもなく単に 「合戦準備」 の中に含まれることになりますし、更にはまた昭和期には艦としての合戦準備事項の一つとして規定することも無くなって来ました。


ですから、hush さんの言われるように日露戦争期でさえ戦闘詳報などに当該事項の記載が見られないというのは自然なことなのです。

しかしながら、本ブログで連載しました 『日露海戦懐旧談』 の中でも出てきますように、これが淡々と実施されていたことは明らかです。

ただし、日本海海戦などにおいても、これがどの程度の効果があったのかについては不明で、各艦の戦闘詳報や戦訓などにおいて記されているとおり、既に個艦における防禦措置としての重きはこれには無かったことは確かです。


いつ頃まで行われていたか。

上述のとおり、木甲板そのものが少なくなり、かつ露天甲板に配置される人員が少なくなったことと、運弾員など甲板上を動き回る兵員は戦闘時には底がゴムの布製ズック又は厚手の地下足袋を多く着用したことから、木甲板の砂撒きは昭和期までには必要な個所を必要に応じて各艦、各部署ごとに実施するようになったと考えられます。 もちろん太平洋戦争期でもある程度は行われていたであろうことは想像に難くありません。

また砂巻きは鉄甲板では意味がありませんし、リノリューム甲板では材質表面を痛めることにもなります。

そして鉄甲板のところは、砲座なども含めて必要な個所には波形の滑り止めがついたものを使用したことはご存じの通りです。


現在では掃海艇などを除けば鉄甲板以外の艦艇はまずありませんが、戦闘時に限らず普段でも濡れた鉄甲板は滑りやすいため、某巨大掲示板でも紹介があったように、海自では通路 (歩行帯) 指定個所に砂を撒いてその上から塗料で塗り固めて滑り止めとしています。

もちろん米海軍などではそんなけちくさいことはせずに滑り止めの塗料を分厚く塗っていますが (^_^;


では最後にご来訪の皆さんに質問です。

木甲板に撒く砂は、この合戦準備作業として使用するために艦にわざわざ搭載しているものなのでしょうか?

(8月21日追記):

実はこの砂は合戦準備作業用のためだけではなく、平時から木甲板の保存・手入れ用に艦に常備しているものなんです。

木甲板を常に正常で綺麗な状態に保つためには大変に手間暇がかかります。

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毎朝の水洗いのみではなく、必要に応じて掃き掃除をしてゴミなどのないようにすることはもちろんですが、雨や海水を被った後はこれを拭って常に乾燥した状態を保たなければなりません。

そして艦の振動や気候の変化により木板と木板の間に隙間が出来たり、詰め物が欠損したような場合には、見つけ次第中に水が染み込まないように補修をする必要があります。

また、もし油性のものを溢してしまった時には、石灰などを使ってシミにならないようにしなければなりません。

しかしながらここまでやっても、それでも経年変化とともに木甲板の表面は水垢などによって変色し薄汚れてきます。

そのため、定期的に木甲板の表面を綺麗にする必要が出てきます。 これは檜の浴槽などをお考えいただければお判りいただけると思います。

つまり、サンドペーパーや鉋を使う代わりに、この砂で磨くわけです。 もちろんこれを頻繁にやりますと木甲板はすぐに磨り減ってしまいますので、これを行う時期を見極める必要があります。

戦艦などにおいては、こうして木甲板を常に綺麗な状態を保つために大変な手間暇をかけて、その威容を保持していたのです。


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2016年08月18日

孫娘帰る


昨日は孫娘との最後の日になりましたのでドライブへ。

孫娘は海自艦艇を間近に見るのは初めてで、物珍しそうにしていました。

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そしてちょっと走ったところにある小さな浜で水遊び。 丁度他には誰もおりませんでしたし、水も綺麗で、ちょっとしたプライベート・ビーチ気分を楽しみました。

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その浜で拾った孫娘の収穫物。 家に帰ってからこれで飾りを作るのだそうです。

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・・・・ で、今日の朝帰って行きましたが ・・・・ 賑やかだった我が家も何だか妙にシーンとしています。

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2016年08月16日

邦訳版 ジェリコー著 『グランド・フリート』 完成!


ブログ 『軍艦三笠 考証の記録』 を主催されるHN 「八坂 八郎」 氏が私家版として邦訳出版されているジェリコーの 『グランド・フリート』については、既に第1巻と第2巻をご紹介してきたところです。


この度、残りの全てを第3巻として出され、これにて同書の邦訳が完成しました。

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今回の第3回は、分量的には前2冊を合わせたくらいの厚さがあります。

そしてこれまでと同じくビニール・カバーのついた大変に綺麗な装丁で、また付図が大きなA3サイズで別になっているのも嬉しいところです。

もちろん本文の訳も例によって丁寧で、かつ判りやすい日本語になっていることは申し上げるまでもありません。

やはりこういった有名な古典が日本語で読めるというのは嬉しいことですね。

この方面に興味のある方は、入手方法など、氏のサイトから直接コンタクトをとってみて下さい。 (プロフィール欄からメッセージが送れます。)


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2016年08月13日

孫娘と花火


今日は夕食後に孫娘と一緒に庭で花火。

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やはり子供、花火は大好きで大はしゃぎでしたが ・・・・

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その内、娘達の方が一生懸命になりまして、沢山用意していた花火もあっという間になくなってしまいました (^_^;

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2016年08月12日

庭でBBQ


今週はお盆休みで娘達や孫娘などが集まりまして、久しぶりに賑やかな我が家になっております。

で、今日は夕方から庭でBBQです。 ウッドデッキにタープを張ったり、テーブルやチェアなど昔のキャンプ用品をいろいろ引っ張り出してきて設営。

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後はコンロの火が点いたら自分の好きなものを並べて、ダラダラと食べては飲み、飲んでは食べの繰り返し (^_^;

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家族が集まってのワイワイ、ガヤガヤで楽しい一時でした。

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2016年08月07日

友と呉散歩


今日は現役の頃からの長いお付き合いのあるHN 「Tackow」 さんが遠くから出て来られましたので、呉のめぼしいところ (もちろん私達にとって) をご案内方々一緒に散歩を。

まずは 「大和ミュージアム」 前で待ち合わせてから、館内をざっとご案内。 一般展示と企画展を見てから4階の図書室へ。

それにしても、夏休み期間の休日ということもあって、大勢の入館者で混雑していました。 「大和ミュージアム」 の集客力は相変わらず凄いですね。

その一方で、普段通り4階まで上がる人はまずいませんでした。 僅かに広い催し物スペースで書道展をやっており、そこにパラパラといるだけ (^_^;

一応正式な名称は 『呉海事歴史科学館』 なんですから、もっとここの活用が図られても良いのではと思いますが、学芸課は純粋な市直轄の一組織だからなのか、この方面の体制はまだまだかと。

やはり一番問題なのは収蔵資料の使い勝手でしょう。

「Tackow」 さんには端末の検索システムを使ってデータベース化された内容を簡単にご説明して、ついでに資料管理の現状などのお話しを。


図書室は明日一人でゆっくり時間をかけて色々と調べ物をされると言うことでしたので、早々に引き揚げて 「大和ミュージアム」 の隣にあるレストランへ。

まあ市内の別のところでも良かったのですが、今日もとんでもない暑さでしたので ・・・・ でも、お店には申し訳ないですが、ここの海軍カレーと称するもの、海自の船のカレーを食べてきた者としては残念ながらちょっとイマイチかと。 まあ 「Tackow」 さんには話しのネタの一つにということで (^_^;


続いて総監部へ。 最近は時勢柄海自でもどこも出入りがうるさくなってきていますが、逆にそれだけに一般の方々が誰もいない構内は珍しいかと。

そして艦隊桟橋へ。 今日は潜水艦も水上艦艇も多数在泊しておりました。

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で、日曜日ですので一般公開のツアーも行われていましたがこれには参加せず、二人で桟橋まで行ってブラブラ散歩。

「いせ」 がおりましたので、当直士官に頼んで簡単な艦上見学をとも思いましたが、何しろ暑いことと、あまり現役の人達にOBが迷惑をかけてもと遠慮することに。

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でもまあ、海自もこんな馬鹿でかい船が桟橋に係留される時代になってきたとしみじみ。

この後は 「鉄クジラ館」 まで戻りましたが、私も他の野暮用の予定がありましたので、今日はここでお別れして一人でノンビリ見学していただくことに。

それにしても暑い日でした 〜

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2016年08月06日

OB会が無い海上自衛隊


昨日は呉でクラス会があり、その席でも話題になったのですが ・・・・

海上自衛隊にはそのOB有志によるOB会はありません。 正確に言うと、以前一時期あったのですが、“消滅” してしまいました。

ご来訪の中には “えっ、「水交会」 というのがOB会じゃないの ?” と思われる方もおられるかもしれませんが、『公益財団法人 水交会』 (以下単に 「水交会」 と記します) はその定款にも明記されているとおり、海自OB会とは全くの別物で、単にその活動の主旨に賛同する有志が任意の自由意思で参加している団体です。

「公益財団法人 水交会」 公式HP :

考えてみて下さい。 それなりの企業や組織・機関などには退職したOB有志による何某かのOB会がほとんどの場合あるはずです。

しかしながら、約4万5千名を擁する海上自衛隊にはそのOB会はありません。 何故なんでしょう?

実はその 「水交会」 と深い関係があるのです。


海上自衛隊には (これも何故か) その創設期から長い間OB会がありませんでした。 そこで私がまだ現役の若い頃 (正確な年月は失念) 有志によるOB会が立ち上げられました。 その名称もズバリ 「海上桜美会」。

正会員は海自退職者、準会員が現役、そして賛助会員が遺族の、それぞれ任意の賛同者で構成されていたと思います。

そしてOB会の設立準備時から、私達現役の多くも入会費と年会費を払って会員になりました。 それなりの会員数を誇っており、各支部の体制も充実していたと記憶しています。

その様な中、設立から暫くして 「水交会」 から海自OB会に対して支援要請が入ったのです。

ご存じの方もおられると思いますが、終戦により海軍が消滅し、海軍士官や相当官の有志による 「水交社」 や下士官兵有志による 「海交社」 も解散してしまいました。

そして昭和27年になってそれら旧海軍関係者の有志が中心となった私的団体 「水交会」 が設立され、後に現在の財団の形となりました。

この戦後の 「水交会」 は、当初から 旧海軍関係者だけではなく、一般の有志も希望すれば会員となることが出来た のです。

しかし当然のことながら、その中心であった旧海軍関係者の高齢化と共に年々会員数も減少し (当然会費収入も)、いわゆる “ジリ貧” 状態になった訳です。 そこで目を付けたのが海自OB会です。

当時の水交会会員の中には “旧海軍と海上自衛隊とは違うので” という意見も多かったと聞き及んでいますが、結局は背に腹は替えられず、海自OB会に正式な支援の要請がなされました。

ここで素直に考えれば、海自OB会は海自OB会として存続させつつ、水交会に対して何らかの支援や協力を行う方法もあったはずです。

当然私達はそのように考えていましたし、主旨も目的も全く別物の組織が一つになるのはおかしいと。

ところが、平成13年4月になって両会役員間の取決めにより半ば一方的かつ強引に合同してしまいました。 “発展的解消” と言えば聞こえがいいかもしれませんが、要するにこの合同をもって海自OB会は “消滅” してしまったのです。

(会費収入等の資産も全て移してしまいましたので、消滅せざるを得ませんでした。)

しかしながら、「水交会」 と海自OB会という、本来の性格も主旨も全く異なるものを一つにすること自体に無理があるのは自明の理です。

「水交会」 は海自OB会ではありませんし、あり得ません。 その代替にもなりませんし、なり得ないのです。

したがって、海自退職後に水交会会員になるのはそれほど多くはないと聞いていますし、事実、昨日のクラス会でも参加9名中会員は僅か1名。 その1名も 「コントラクトブリッジ同好会」 の世話役をするために引き入れられたのだとか。

もちろん、何も私は現在の「水交会」そのものが海自OB会でないからダメだと言っているのではありません。 「水交会」 の目的・主旨と活動内容から、それはそれで良いことであり、声援を送ることは惜しみません。 しかし、それとOB会のこととは別の話です。

だからこそ今後海自OB会はどうするつもりなのか、と言いたいのです。

現役中に金ベタを肩に着けて風を切っていたOB達、特に 「水交会」 の役員に名を連ねていた (いる) 人達には。

海自OBにとっては、まずOB会があって、その次に 「水交会」 をどうするか、ではないでしょうか?

( もちろん例え聞いたとしても返ってくるであろう答えは予想がつきます。 “いやなら 「水交会」 に入らなければいいだけ” と )

実際のところ、私と同じ意見のOBも多いと聞いています。 現に佐世保のように 「水交会佐世保支部」 と並んで 「海上自衛隊佐世保OB会」 が組織されているところもあります。

「海上自衛隊佐世保OB会」 公式HP :

これが本来あるべき姿であり、佐世保在住でない私からすれば羨ましい限りです。

そして、もし海自OB会が改めて組織されるなら、私もすぐにでも入会したいと思っています。 それはOBの一人としての務めでもあると考えるからです。

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